第26話 休憩と計画 Intermission. 05

「あれって結局、そういう風に仕立て上げたい経営者が、なるべくお金をかけないようにした……っていう苦肉の策じゃなかった? まあ、そんなものでやる気が出るなら、もっと人間って単純な生き物になっているはずよね」


 それもそうだ。実際そんな簡単にやる気が出る訳はない……。人それぞれやる気の出し方は当然違う訳だし、それを全てカバーしようだなんて出来ない。食べ物で釣り上げる人も居れば、趣味で釣り上げる人も居るし、はたまた仕事が大好きだから仕事をしているだけでやる気が出る――なんていう特殊な例もある。仕事をやればやる気が出るなんて、そりゃ中毒者と変わりない考えになるのだろうけれど。取り返しのつかないことになる前に、治療した方が良いと思うよ。


「そんなこと言ったって簡単に対処しきれねえのが人間だろうよ。とは言っても、おれはそんな面倒臭そうなことは理解出来ねえけれどよ。……仕事なんて、好きじゃなきゃやってられねえよ。昔なんてベーシックインカムがなかったから、食っていくためには働かないといけなかったんだろう? 働かざる者食うべからず、なんて言葉もあったぐらい……だって聞いたことがあるからな。そんな言葉が残されているぐらい、労働を美徳と捉える人が多かった訳だ。そんなことが普通に起きていた時代って、今から考えると相当滑稽な感じがしないか?」


 そんなこと言われても困る……。ただまあ、確かに労働をしなくても生きていける時代から考えると、労働をしなければ生きていけない時代というのは少々風変わりに見えてくる。仕方がないと言えば仕方ないかもしれない。価値観というのは時代で変わっていくのは当然のことであるし、それについてはあんまり口にするべきことでもないのかもしれない。

 価値観は常に変わるものであるから、その時代において当然と言えることは、未来では当然ではないことだって十二分に有り得る。考え自体一緒になることは有り得ないのだし、仮にそうなるとするならば、それはロボットと変わらないのだから……。


「ただ……そうねえ。やっぱり、それを考えるのは学者のお仕事だったりするのだろうけれど。学者って、云々唸って考え事をして、それが結果になればご飯を食べられるお仕事じゃない?」


 学者を何だと思っているんだ。

 その発言、きっと全世界の学者を敵に回しているような気がするけれど……。


「まあ、頭脳労働と肉体労働は大きく違うからな! 適性だってある訳だし……それを考えると、どちらの仕事が向いているかも分からねえし、それを経験したことのない人間はそれについて変な認識を抱いていても何ら不思議じゃねえよ。それが人間というあり方じゃねえか? ……おれは細かいことは考えたことねえけれどな。そんなことを考えたくねえから、こういう仕事をしている訳だし」


 結局、面倒臭いことはやりたくない――という魂胆か。それについては完全に同意だ……。そうでなければ、ぼくは無職としてここに居ないだろうからな。面倒臭そうなことでも、例えば他人のために身体を汚すことが平気な人間ならば、進んで仕事を受けることだろう。しかし、それをしたくなければ……、自ずと仕事はやらないで無職という道を選ぶことだろう。別に無職は悪いことじゃない。好きなことをやりたいけれど仕事には出来ないとか、或いは稼げる程ではない仕事をやりたい人だとかは、どちらかというとこの選択肢を選ぶことが多いからだ。ぼくは、どちらでもないのだけれど。考えるやる気も起きなければ、考える意味も見出せなかった。それについては、自信を持ったって良い。  


「そんなどうでも良いことに自信を持たれても困るのだけれど……、とにかく、あんたとしては難しいことは考えたくないって訳? だとしたら楽な生き方しているわよねえ。見習いたいぐらい」


 ほんとうか? ほんとうにそう言ってくれるなら、有難いことだね。クズで不真面目で人類史最悪の人間たるこのぼくを、このように尊敬する人が出て来ているのだというのなら、この世の中もまだまだ捨てたものじゃないな。


「……冗談か冗談ではないかぐらい、見極めたらどうかしら? それにわたしはあんたを尊敬しているなんて一言も言ったことはない。それをもしほんとうに言ったのだとすれば、幾つか確認しておかなくちゃいけないことがあるのは、念頭に置いておいた方が良いと思うけれど」


 へえ、例えば?


「あんたの耳が腐っていてまともな言葉を聞き取れていないか、わたしの精神が外的要因でおかしくなってまともな話が出来ていないか、またはその両方」


 言うねえ。でもそれは有り得ないんじゃないか? やっぱりそう簡単に考えることは出来ない訳だし、難しく考えたって空回りするだけだ。……今はもう少し単純に考えよう。物事、どんなことだって単純に考えるに越したことはない。そりゃあ色々考えを張り巡らせることは重要ではあるだろうけれど、しかしながら、それを如何にしてやり遂げるか――なんてことについては、訓練を重ねれば良い訳だろうけれど、訓練なんてどうすりゃいいんだ、って話にも繋がってくる。イメージトレーニングにも限界はある訳だし。探偵のメアリなら何か良いやり方思いつかないか? 一子相伝のやり方とか。


「一子相伝なら、尚更他人であるあんたに教える訳がないでしょう……。親族ですら、教えるには色々と厳しい条件をクリアしなければならない訳だし。それともあんた、わたしと血が繋がっているとも言いたい訳?」


 交えたことはあったかもしれないな。


「ないわよ、そんなの。……わたしの人生を振り返って、今の今までそんなことはなかった。わたしは純潔なの。汚れた血を交えさせる程、低俗じゃないから」


 それはどうかな? やっぱり恋は盲目……なんて何処かの文献にもあるように、そういうことを無視してしまうのも有り得るんじゃないか? 王族だった女性が、家族関係ズタズタな男性に恋をして、周りの反対を押し切って結婚した事例だってあるらしいぜ? 結果的にその二人は金輪際王宮の入口を潜ることは出来なかったらしいけれど。事実上の絶交……もとい絶縁だよな。普通は周りから見たらどうしてこんな人と結婚したいの? なんて思うのかもしれないけれど、当事者からしたらそんなことは些事――些細な問題だったりする訳だ。歴史にも幾つか……数え切れないぐらい、そういったことは起きている訳だ。だから、女性であろうが男性であろうが、恋愛というのは色々と考えて行動しないと後々後悔するよ……っていう話になる訳だ。過去の経験を振り返って、未来に活かす。良くある話だ。自分は同じ轍は踏まない――なんて考える自信過剰な人は数多く居るのだろうけれど、そういう人に限って、派手に失敗するんだよな。そういう統計とか取っていないのかな。色々面白いデータが出て来そうだけれど。

 

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