第19話 鋼鉄の背骨 Steel_Spine. 12

「スチーム・タートルに……特に下層街に居る以上は滅多にお目にかかれない、『空』……。どうしてその嬢ちゃんはそんなことを言っているんだ? そもそも、その嬢ちゃんは記憶を失っている……なんて話を聞いたような気がするけれどよ、どうして記憶を失っちまったんだ?」


 それはぼくにも分からない……。分かっていたら直ぐに解決の糸口を探していただろうし、第一それを見つけたところで解決策を導けるかどうかと言われると不透明だ。出来ることなら有無を言わさず記憶を取り戻せると言ってあげたいところではあるのだけれど。機械みたいに修理が出来る代物じゃないからな、人間って。

 記憶を失った存在から、どうやって記憶を取り戻させれば良いのだろうかね。

 きっかけさえあれば後は芋づる式に思い出す――なんて何処かの本で読んだことがあるような気がする。記憶喪失になったとはいえ、百パーセント全ての記憶を喪失する訳ではなくて、一パーセント未満から九十九パーセント以上まで幅広い割合で記憶を失うのが殆どのケースを占めるらしい。とどのつまり、九十九パーセント記憶を忘れてしまっていても、一パーセントの記憶は正常であると言うのだ。そうなると後はパズルのピースをはめ合わせるように、ヒントから記憶の欠片を探し出す。欠片を見つけたら、後はどうにかして記憶が戻ってくるチャンスを窺う他ない。窺うと言っても、それだけで記憶が戻ってくる訳ではないのだから、手を拱いているつもりもなくて、何かしらのアクションを起こさないといけないような気がするのだけれど。


「いや、そうではなくて……。この嬢ちゃんの記憶をどうして元に戻すんだ、と言いたいんだが。宛てはないんだろう? ないのなら、どうやってそれを探す?」

「だから今、ここに来ているんだよ。彼女が残した唯一の手がかりであった、歯車の沢山ある部屋に……ね」


 尤も、このスチーム・タートルには幾つか整合する場所があったのだろうけれど……、結果的には一発で正解して良かったな。時間の無駄にならないで良かった。まあ、ぼくは時間にはルーズな方なので、別に時間がどれぐらいかかろうと気にしないのだけれど。夕飯の時間に間に合えばいいや、という感じだ。事なかれ主義と言っても良い。


「それは流石にちょっと違うような気がするけれど……、でも、プネウマちゃんの記憶を戻すために一歩前進して良かったわね。……それにしても、空、か」


 そう。

 問題を解決したからと言って、それで喜んではいけない……。問題を解決したら次の問題が姿を見せるのは当然のことであって、それを如何にして解決するかが鍵となってくる訳だ。別に制限時間も条件もない訳だから、どのように解いていっても問題ない訳だ。それこそ、邪道と言われる方法を使ったって良いし、正当なやり方でクリアしていっても良い。別に監査や審査や基準を設けている人は誰だって居ないのだから。


「スチーム・タートルで空を見ると言ったら……、それこそ上層街か自衛軍基地に向かわないと不可能じゃない? それとも……このエリアに窓はないのかしら?」

「あったところで外を見て何になる? 嬢ちゃんは空と言ったんだよな。だとしたら、窓から見た景色ではなくて空そのものを見せた方が良いんじゃねえのか? それでどんな記憶が掘り起こされるのかは分からねえけれどよ。……でも、それを考えると、嬢ちゃんは上層街の出身なのか?」

「ん……、どうしてだ? 空を見ることが出来るのは上層街の人間だけ、という安直な理由で言っているのかな?」

「半分正解だけれど、半分不正解だ。……彼女、銀髪に白い肌をしているだろう? この辺りじゃ全く見かけねえ顔だなとは思っていたけれど、もしかして……アルビノなんじゃねえのか?」


 アルビノ?

 確か先天性のメラニン欠乏症みたいなものだったっけ。確かに下層街ではそんな人見たこともないけれど……、上層街では珍しくないのかな。


「下層街と上層街では、生き方は全く違う。当然、ベーシックインカムで得られる収入も大きく異なってくる訳だ。それだけじゃねえ。上層街の連中は会社を経営している人間も少なからず居るから……それによる収入だって得ている。まさに天と地の差だ。そういう環境であるならば、下層街では見ることのない存在だってごまんと居るわな」

「……アルビノは確かに下層街では見たことがなかったから、ぼくも本で読んだ知識でしか把握出来ていないけれど……、アルビノは結構差別的な事例が多いんだったっけ?」

「多いってレベルじゃねえよ。……今は政府が法律で差別を禁止しちゃあいるが、それでも裏に出ちまうと、それは適用されねえ。ローカルルールってあるだろう? それと同じだ。今でも過去のようにアルビノを貶す人間は珍しくない。それぐらい価値観が凝り固まっているって訳だ。それだけじゃねえ、アルビノというだけで殺しちまうケースも珍しくねえんだ」

「……彼女はどうして下層街にやって来たんだと思う?」


 ぼくは問いかけた。

 ぼくもメアリも未だ、追いつけていないその答えを。

 当然、リッキーが分かるはずもない、未知の問題を。


「そんなの分かる訳ねえだろ。けれど、はっきりと言えるのは……アルビノであるとするなら、その嬢ちゃんは下層街の人間じゃねえ。上層街の……言い方は悪いだろうが、箱入り娘に近い存在だったかもしれねえ。どうしてそんな嬢ちゃんが下層街にやって来たのか、その理由とやり方については全然想像つかねえし、なんでお前さんが嬢ちゃんを見つけられたのかは全然分からねえ訳だが……、それでもこれだけは言えるな」

「何だ?」

「……嬢ちゃんを、安全な場所に運ばねえと……嬢ちゃんがどういう目に遭うか分からねえ。お前さんだって長年下層街で暮らしていれば分かるだろう? 下層街の人間は常日頃から切羽詰まっていて、相手のことなんて考えられやしねえってことぐらい」


 そりゃあ……まあ。

 下層街というのは、一般市民が住む空間ではあるものの、上層街と比べると様々な問題が山積している場所でもあった。

 例えば、人口密度。上層街の人口密度は公表されていないけれど、少なくとも上層街の三倍以上の人口密度があるんじゃないか、なんて言われている。そりゃあ、富を多く持っている人間が下層街よりも多く居ることは有り得ない訳だから――有り得ないとも言い切れないけれど、そうなったら浮上するのは、下層街への侵略でもある訳で――ともなると、下層街には住居問題が浮上する訳だ。高層マンションを沢山建てればその問題については解決するだろう、と政府の軽はずみな考えで幾つもマンションが建てられてしまっていて、さらにそのマンション同士を繋ぐ通路が網の目のように張り巡らされてしまっている。古い文献にもあったけれど、違法建築を繰り返して独特の見た目を醸し出している、古代遺跡みたいな風貌になってしまっているという訳だ。

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