調査
17. 澄人の部屋
「環が最初に不審死の報告を入れてきたのは昨年の十月、九歳の男児だ。死亡したのは九月十六日で、報告の時点ですでに一ヵ月が経過していた。死因は急性脳炎、予定寿命は七十歳だった」
深影が鉛筆を手に勉強机の回転椅子に腰掛け、畳に座っている澄人が手にしたノートを指し示す。
一番最初の行に、流れるような達筆で深影の話した通りの内容が記載されており、同じ形式で、日付と名前と年齢が複数件記載されている。最後は、
『其の九、五月八日 太田留実 十六歳(五十八歳) 月の台高校二年 エレベーター誤動作による事故』
で終わっていた。
ノートに記載してあるのは深影たちの言う、不審死者をまとめたものらしい。
「死因は急性脳炎……ウィルス感染で起こる脳疾患ですね。子供の急死の原因になる」
代表的にはインフルエンザが原因になることが多いようだが、それ以外の風邪でも発生する症状だ。澄人はメガネを押し上げる。昨日みさき公園で深影に襲われた時にフレームが歪んでしまったらしく、ずり下がってくるようになってしまった。
「気の毒ですけど、これってあり得ない病気というわけじゃないですよね。深影さんたちの言う不審死っていうのはつまり寿命的に、という意味で」
「ああ。この子供の死亡年齢は九歳だが、七十二歳が正しい寿命だ」
深影が膝に肘をついて椅子から身を乗り出すと、長い黒髪が水のように滑らかに肩口から流れ落ちる。手にした鉛筆でノートの該当箇所をトン、と示す。
澄人が学校から帰宅して自室に入ると、深影が勉強机に座っていて心臓が止まるかと思った。勝手に筆記用具を使用してこの一覧を作っていたのだ。
「見ての通り、最初の男児を最年少として、不審死は年齢も性別も様々だ。死因も事故、病気、自殺とバラバラだろう。寿命の話を抜きにしてしまえば、どこにでもある人の死だ」
「確かに、共通点はなさそうですね」
「住んでいる場所も調べてみたが、こちらも広範囲に散らばっている。月の台界隈の住人、という以外に繋がりはなさそうだな」
深影がノートを見下ろしながら、鉛筆をくるりとまわす。湯島天神、と印字されている。澄人が高校受験前に貰った四角形の鉛筆で、通常の六角形でないことから、五を欠く——合格、と掛けた縁起物だ。
「それはそうと、深影さん」
「なんだ」
切長の瞳を伏したまま、深影が答える。長い睫毛に塗りこめたような色白の肌をしている。堅い言動とチグハグに思える繊細な容貌だ。
「どうやって僕の部屋に入ったんですか」
「店の入り口からだ。環は休みのようだな」
「……用事があるなら部屋に入らずに店で、いや、学校で声をかけてくれたら良いじゃないですか。深影さん、うちの高校の三年だって僕の友達から聞きましたよ」
ああ、と深影が顔を上げる。
「昨日お前と一緒に窓から私を見ていた男子生徒たちだな。あれは任務に就くにあたって、違和感なく馴染むために与えられた私の設定特権だ。羽根に作用して幻覚に似た刷り込みがされるんだ。ここにいる間、私は月の台高校三年の八坂深影となっている」
「僕は羽根がないからその影響を受けなかったんですね……って、そんな話はしてませんよ! 生徒なら学校で用を済ませてくださいって言ってるんです。何でわざわざ僕の家に来て、勝手に部屋に上がり込んでるんですか! しかもこれ、僕の予備ノートですよ!?」
澄人は立ち上がって抗議する。深影は肩の前に流れた髪を静かな所作で背中に払い戻した。
「設定だと言っただろう。私の任務は月の台の不審死の調査だ。だから毎日通学しているわけではない。大体こんな話は人前ではできないのだから仕方がないだろう」
「仕方なくありません! せめて今日は空いてるかとか、どこで話すか、とか確認するのが普通でしょう! それに僕は今日は予定があるし部屋に勝手に上がられるのも困ります!」
一気に言い切って息を吸い込む。昨日は深影と環のいざこざに巻き込まれたおかげで予定していたテスト対策に取り組めなかった。夏休み前までの勉強計画は毎日事細かに決めてあるので、今日はその遅れを取り返すため、急いで帰宅したのだ。そして部屋に入ると深影が部屋に居た。寿命が縮んだ気がする。実際にはないけれど。
「それはすまなかった。これからは気をつけるよ」
深影が答える。全く動じた様子はない。もう一言言いたい気分だが、一人で騒いでいるようで馬鹿馬鹿しくさせる態度だ。わざとだろうか。
「……鉛筆返してもらえますか」
渋々と畳に座り直した澄人は、ノートの太田留実の行に0を追加した。
上の行も0、その上も0、時折鉛筆を止めてぶつぶつ計算しながら、最初の行、男児の箇所は+2を記入した。
「その数字はなんだ」
書き終えるまで黙って見ていた深影が質問する。
「この数字は満月との誤差です。満月の呪いって聞いたことがないですか? 今年に入って満月の度に悲惨な事故が起こるって学校で噂になっているんです。だからこの人たちの亡くなった日が本当に満月だったのか数えてみたんです。最後の太田先輩の亡くなった日が五月八日が満月だったとクラスメイトから聞いたので」
「満月の周期か……大体月に1度だな」
「正確には29.5日の周期です。最後の事故の日から逆算していくと、今年の一月から五月まで全て満月当日に死亡していますね。最初の男の子が二日の遅れ、それ以降が一日遅れです。5.5割の確率で満月に死亡しているようですね」
「断定するには微妙なところだが、何者かが環の鎌を使って羽根を刈っているとして、それが満月の夜と仮定することもできなくはないな。羽根が抜け、ラサツの影響で死亡するまで、二日程度は誤差の範疇とされているが、実際には生存率は羽根が抜けた時点を起点に急速に低下していく。そう考えると被害者たちは満月の日に羽根を刈られたと考えても不自然ではない」
「もしも誰かが意図的に人を襲っているのなら、満月を起点に次の犯行を予測することができますね」
澄人は立ち上がって、本棚の脇に掛けているポスターサイズのカレンダーに向かう。泪橋商店街、下部に大きく印字してある年間カレンダーで、毎年末に商店街の加盟店に配布される品だ。上部に商店街の風景が印刷された見栄えしない品だが、一年のテスト予定などを書き込むのに都合が良いので澄人は毎年愛用している。
「Xデーは満月当日の六月五日。前後二日も要警戒日です」
澄人は六月三日から七日までに線を引き、六月五日に丸をつけた。
「あとは場所か動機になるような共通点が判れば犯行を待ち伏せて犯人を捕まえられるかもしれませんね」
「今月発生した太田留実の件と、昨年から今年の一月にかけての五件の不審死については私一人で調べがついたが、今のところ全体的な共通点は見当たらない。厄介のなのは殺人事件と違って犯行が死亡と直結していないことだ」
「羽根を刈った後、ラサツに襲われるまでのタイムラグのことですか。被害者が死亡した場所と犯行場所は同じとは限らないんですよね」
満月が犯行日だとして、弦道の時のように羽根を失った人間が直後に死亡するとは限らない。時差が発生していたら、犯行時に被害者がどこにいたかを特定するのはほぼ不可能だ。犯行直後に死亡していたとしても、それを知るには現場を目撃するより他ない。
「ああ。だから共通項を見いだすのが困難なんだ」
深影がカレンダーを眺めながら呟く。
「被害者はいても、誰も被害の認識をできない。それで無茶苦茶な噂話が広まるのかもしれませんね。僕のクラスでは、満月の呪いの原因は殺された平家の落武者だとか根も葉もなく広まってますから。御崎神社の生贄とかって話もありましたね。人柱ですよ。江戸時代に」
くだらない、と言う澄人に深影が目を向ける。
「くだらないか?」
「はい。人柱にされた少女の幽霊が満月に恨みを晴らしに来るそうです。ありえないですよ。人柱は築城とか堤防とか、大規模かつ壊れたら困る建築物に対する祈願なんです。街中の神社の設立に人柱なんて立てませんから」
「お前はその時代の人間じゃないだろう。なぜそう言い切れるんだ」
「歴史として記録が残っているからです」
深影が笑う。
「記録に残らない事実もあるぞ」
「人柱が事実なんですか?」
澄人が困惑すると、さあ、と深影が天井を仰いだ。ギシと回転椅子が軋む。何もない、古い木造の天井だ。
「少女の幽霊が恨みを晴らす……」
そうか、と深影は独り言のように呟いた。
「火のないところに煙は立たぬ、と言うのもあながち間違いじゃないな。その噂の発生源なら心当たりがある。五件目の不審死だ」
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