16. 交換条件

「なんで僕が犯人扱いなんですか! 僕はただの人間ですってば!」

 

「ふ、そんなことはとっくにわかっているさ。三ヶ月もつまらんラーメン屋のバイトのふりをして貴様を調査したのだからな。確かに生身の人間には間違いない。しかし羽根のないまま人間が三ヶ月も生きられるわけがないだろう。何か隠し持っているものがあるんじゃないか?」

 

「隠し持っているもの? 何もないですよ!」


「とぼけるなよ。去年の九月、俺の鎌を拾ったはずだ。貴様は羽根がないが故に羅刹につけ狙われていたが、拾った鎌で羅刹を退治できると知る。そしてすぐにその鎌で羽根を刈ることもできると知ったのだろう。足を付けずに人を殺せると知った貴様は、鎌を使って連続事故死を誘発する殺人鬼と成り果てた」

 

「え……鎌、無くしたんですか」

 

「夕飯の唐揚げを買いにいったあの日、駅前の交差点では確かに手元にあったのだ。落としたとすれば商店街の路上だろう。お前の家のすぐ側だ。そしてお前には羽根がない。つまり他人の羽根が見えるし羅刹も見える。この事件はお前以外に犯行不能!」


 はっはっは、と環が大口を開けた笑いで端正な顔を崩す。


 「鎌はみつかったのか」

 

 深影はアパートの向こうを眺めていた。空の端に鮮やかなオレンジ色が滲み、紺色に変わり始めた頭上と鮮やかな対比を描いている。それを見つめる深影の瞳には何の感慨も浮かんでいない。

 

「いや、隙を見て家中を探したが未だに見つからない! おそらく外に隠し」

 

 言いかけた環がはっとして言葉を止め、一瞬静寂が訪れた。その顔が苦々しく歪んだ。澄人の拘束が緩む。

 

「深影、図ったな」

 

 当然深影から返答はない。

 

「……僕、宿題があるので帰ります」

 

 立ち去ろうとすると、深影と目が合った。無言の圧に動けなくなる。

 

「業務の停滞は鎌を無くしたことが原因という訳か。失笑する気も起きん。この失態、解任どころではすまないだろう。罷免回避の言い訳を考えておくんだな」


「ちょっと待て! 散々こちらの推論を聞いておきならがら担当交代だと? 交代早々手柄を横取りしようという魂胆か。卑怯ものが!」

 

「人聞きの悪い言い方をするな! 手柄も何もこれはお前の失態だろう! それに私はこいつが関係しているとは思っていない。未だ信じ難いが、生き延びているのは単純な運の良さによるものだ」

 

「ほーう? では貴様はこの不審死をどう解明するつもりだ? 月の台にこいつとは別に羽根のない人間がいて無差別に羽根を刈ってまわっていると? 貴様も当然知っていると思うが、羽根装置はなにより”寿命以前に勝手に落ちない”ことを重要として創ってあるのだぞ。もちろん過去に落ちてしまった前例はないわけではないが、寿命が過ぎても落ちないという不具合とは桁違いに発生する件数が少ない。落ちない羽根はこちら側で刈り取ればいい話だが、勝手に落ちてしまえばこちらの気づく前にラサツに殺されてしまう可能性が高いからな。それなのに貴様はこの希な不具合が、同じ地域の同時期に発生していると? はっはっは、そんなにボロボロ羽根が落ちるとなればもはや羽根の根本的な設計ミスが元凶だ。俺の鎌の紛失など問題ではなくなるだろう」

 

「そこまで断定するつもりはないが、確率を抜きにしてあらゆる可能性を検討する必要はあるだろう」

 

「それは俺の鎌がこの件に関係していない可能性も検討する、ということかな?」

 

「当然だ」

 

 環が歪んだ笑みを浮かべる。


「貴様は俺の解任理由を鎌の紛失としながら、それは不審死の原因ではないかもしれないというわけか。筋が通らん話だな。たしか俺の解任は、事件の調査に芳しい進展がなければ、という条件つきだったな? つまり、貴様が俺の解任を要請するなら、この事件の停滞理由が俺の鎌の紛失にあり、それが事件に関わっている、という証拠が必要ということだ!」

 

「論理の転換と混在……まるで詐欺師ですね」


 環は責任を逃れるために論点をずらすことに躍起になっているようだ。

 深影は答える代わりに静かに息を吸い込む。

 

「わかった。そこまで言うのなら解任要請は保留としよう。環はこのまま調査を続けるがいい。その代わり、私もこの件の調査をさせてもらう。そして原因が何であれ、事件を先に解決した方が今後の月の台を管轄とする。これでどうだ」

 

「いいだろう」

 

 環が勝ち誇ったように頷く。


「では俺はこれで失礼しよう。スーパーが閉まる前に割った卵を買い直さねばならんからな。深影、せいぜい頑張れよ」

 

 一件落着と言わんばかりの快活さで、環が駐車場を後にする。今さら卵など放っておけばいいのに意外と律儀な性格らしい。

 

「おい、忘れているぞ」


 深影が環に割烹着を投げる。


「ああ、すまんな」


 環は受け取りざまに割烹着を羽織って立ち去った。


「……それじゃあ僕も帰りますね。色々大変そうですが僕も解決を期待しています」

 

 澄人は深影の背中に声をかけてそそくさと歩き出す。


「澄人」

 

 聞こえなかったふりが許されない、良く通る声だ。しかし振り返ってはいけないと澄人の防衛本能が訴えている。

 立ち止まるだけにした。

 

「あれだけこちらの話を聞いておいて黙って帰る気か」

 

「寝たら忘れるって約束します」

 

「お前の羽根を手に入れたぞ」

 

 驚いて振り返ると深影が薄く笑った。

 思わずどきりとしたのは、しまった、と思ったからではない。

 深影は指に挟んだ一本の羽根を首の前に構える。黄色に光っている。先ほど環の割烹着から抜き取ったのだろう。

 

「この羽根には寿命が設定されていない。私が月の台の管理担当に着任したあかつきには、お前が九十二歳になるまで貸してやろう。しかし、私に協力して事件を解明するのが条件だ」

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