13. 羽根装置

 ——死神

  

 前を歩く深影の背中を眺めながら澄人は魚の目坂を下っていた。

 深影は澄人を木の下から引っ張り出すとさっさと歩き出し、勢い澄人はそれに従う形になってしまったが、澄人にとっては帰り道だ。切り裂かれたバックパックに教科書類をなんとか詰め込み、落とさないように抱きかかえていた。

 夕刻の魚の目坂の車通りは多い。車道では黄色い日差しの中を絶え間亡く車が行き交っていた。春の優しい黄昏の木漏れ日は前を歩く深影の髪や背中に不揃いな光を投げていた。

 早い歩調に合わせて絹糸のように細いロングヘアがかすかに波打つ。普通の、大人びた雰囲気の高校生にしか見えない。澄人はその背中に声をかけようとしたが、できなかった。

 人の背中に羽根が生えているのが見えて、オタマジャクシのような何かに殺されかけている。そして羽根を鎌で切り落す女が現れ、さらにその女にも殺されかけた。これだけ経験すればも、自分の妄想なんかじゃなく、世の中がそういうものなのだと結論を出してもいいのではないだろうか。決して自分の頭がおかしくなったわけではないと自信を持っていいはずだ。

 それなのに、自分の口から非現実的な質問をするのに抵抗がある。経緯から導き出した結論より、経緯自体を妄想だと切り捨てる方がよっぽど楽に受け入れられるのだ。

 いや、それじゃだめだ、と澄人は頭を振る。結論を否定するということは、自分の考え方を——アイデンティティを否定する事になってしまう。だから深影に聞くべきだ。「あなたは死神なんですか」と。

 

「一番近い言葉を当てはめるならそうなるのかもしれないな。しかし、私たちの存在を表す人間の言葉はない」

 

 深影が唐突に言葉を発する。

 

「は?」

 

「先ほどからぶつぶつなにを言っている。聞きたいことがあるならはっきりと聞けばいいだろう」

 

 澄人は集中すると心の声が独り言になってしまう癖がある——らしい。というのも自分ではそのつもりがないが、礼二郎たちがそう言うのでそうなのだろう。

 

「死神というのは人間の魂を刈りとると言われるが、私たちは魂を刈っている訳ではない。あくまでも刈るのはこれだ」

 

 深影は制服のポケットから羽根を取り出して澄人へ投げる。澄人は左右に揺れ落ちるそれを、ふさがった両手でなんとか受け取った。何の変哲もない、ただの白い羽根だった。

 

「それは先日泉寿寺の坊主から刈ったものだ」

 

「ええ!?」

 

 澄人は思わずバックパックを取り落としそうになり、慌てて受け止め直した。固い芯と柔らかくて張りのある羽毛の感触をはっきり感じる。

 

「だけどこれ、ちゃんと触れますよ。僕は羽根は見えるけど、触ることはできません」


「動作中の羽根を触るには条件がある——が、それをお前が知る必要はないだろう。とにかく抜けた羽根ならば、触れることができる。通常、羽根には一枚一枚動作時間が定められていて、時が来れば自然と抜け落ちるようになっている。抜け落ちた羽根は朽ちて消える」


「羽根が抜け落ちたら寿命ということですか」


「その通り。しかしながらその羽根のように時折設定通りに抜け落ちない羽根がある。過剰稼働の不良品だ。だから私たちは個々の羽根の動作状況を管理し、不良を発見すれば直ちに対処する。想定外動作の積み重りは生産計画の大きな支障になり得るからだ」


「生産計画? あなたみたいな人が何人もいて、人がいつ生まれて死ぬかを決めているってことですか」

 

 澄人は頭痛がしてきた。未知の領域の会話に脳の酸素が欠乏状態になっているのだ。


「生産計画は別の部門。私たちは管理をしているだけだ。輪廻転生というだろう。魂は有限資源だから損失しないように管理が必要なのだ」


 どこかのペットボトル工場かなにかの話でもするように深影は答える。澄人は手元の羽根を摘んで深影に差し返した。

 

「なんだか死んだ人の一部を触ってるみたいで抵抗があります」

 

「これは人間の一部ではないぞ。あくまでも寿命を管理するための装置だ」

 

「だけどそれがなくなったら死ぬわけですから、人の命の要なんですよね。遺骨みたいなものじゃないですか」

 

「これが命の要なら、羽根のないお前は死んでいることになるが」

 

「だから、僕は生きてますってば!」

 

「そのようだ。つまり命の要は羽根ではない、ということだ。人間には肉体があり、それを器とする魂がある。どちらが欠けても完全な生ではないが、生を主張するのは魂の役目だ。よって命の要は魂、そして羽根はあくまでも管理装置だ。理解できたかな」

 

 澄人は深呼吸をして思考を落ち着ける。木材のほの甘く乾いた香りが心地よい。

 

「——僕は今、魂があるのに羽根による寿命が設定されていない状態ということですね。羽根があって寿命が有限になるということは羽根のない状態は寿命が無限? いや、羽根によって寿命が定義されるのなら羽根のない僕は寿命の定義がない。つまりゼロ状態ですね。無限の対極であり、それそのものが存在していない。つまり僕の寿命は無。いつ死んでもおかしくない状態です」

 

 自信満々に答えた澄人は唖然として歩みを止めた。

 

 ——僕が、いつ死んでもおかしくない?


 「ご名答」


 魚の目坂の製材所を通りすぎた深影が答える。

 ぷち、と右側から微かな音がした。二人の間を遮るように、澄人の鼻先で雪崩のように製材所の角材が倒れてくる。

 二十センチ角の角材が数本倒れ、澄人の進路を塞いでいる。

 先週いやな予感がして迂回した場所だ。うまい具合に立ち止まったからよかったものの、そのまま歩いていれば角材にまともにぶつかって、首の骨が折れていたかもしれない。ガードレールに斜めに支えられた角材は片側の車道の半分まで突き出していた。幸い手前の信号が赤だったので車は途切れていた。製材所の人間は気づいていないのか、誰も出てくる気配がない。いつもシャッターは開いているが、ちゃんと働いているのだろうか。澄人は角材とガードレールの隙間を四つん這いでくぐり抜けた。

 

「三ヶ月間ずっとその調子だったのか。驚異的な悪運だな」

 

 仏具店の前で待っていた深影が感心した様子で澄人を眺める。仏具店の黒い硝子に映る澄人は公園の土と木屑で汚れ、外で寝泊まりでもしたような有様だ。

 

「明日も学校があるのに」

 

「寿命というのは厄災を防ぐ力だ」

 

 深影は足元に目を落とす。「何ですか、唐突に」と視線を辿った澄人は「ひ」と思わず後ずさった。

 深影のローファーが子猫ほどの大きさのオタマジャクシ——ラサツを踏んでいる。


「材木置き場から出てきた」


 深影がラサツを掴み上げる。しなびた赤子の手足のようなものがついていて、バタバタともがいている。澄人の両腕が粟立つ。


「厄災はラサツが招く。病気、怪我、厄災の種類や程度には大小あるが、羽根のないものが厄災を受ければその大きさに関わらず死に至る」

 

「僕が事故に遭いやすいのは羽根がないからですか」

 

「そうだ。薄々感づいていたんじゃないか? 羽根は寿命を設定すると共に厄災、つまりラサツから魂を守る役目も持っている。ラサツの食い物は魂に染み付いた記憶と感情だ。だから魂を抜き出すために厄災を招いて肉体を損壊させる。しかし羽根がついている人間の魂は、通常のラサツには抜き出すことはできない。そのためこいつらはハイエナのように羽根のない人間、もしくは寿命間近の人間を敏感に嗅ぎつけることができる」

 

「そ、そんなの触って大丈夫なんですか。っていうか触れるんですねそれ」


「害をなすラサツを駆除するのもわたしの仕事だ。この程度は大したことがないが、ここに留まらせておくとまた事故を起こす可能性がある——がここで鎌出すのも悪目立ちだな」


 深影はラサツを上に向かって勢いよく放り投げた。同時に反対の手に弦道の羽根を構える。ラサツが身をくねらして落下してくるところを、ダーツのように射抜いた。

 射抜かれたラサツはどろりと形を失い、液体となって地面に飛び散った。その痕跡は見る間に薄くなり、コンクリートには薄汚れてまだらになった羽根だけが取り残された。


「と、溶けた」


「羽根はラサツにとっては毒のようなものだからな。行くぞ」


 深影はさっさと歩き出した。

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