10. 僕は追いかけない

「……あと焼きそばパンとカツサンドとカツ丼ください。それからプリンもひとつ」


 昼休み、購買部の対面式カウンターで澄人はエプロン姿の販売員に声をかけた。カウンター上には工場から送られてきた時そのままのプラスチック製のクリーム色のコンテナにパンや弁当がぎっしりと並んでいる。よりどりみどりだ。焼きそばパンを二つと、それからレアなカツサンドを手に取り販売員に手渡す。


「ほら、あいつがそうだよ。例の妖怪ゴロシ」


 背後で小声がする。


「え、何?」


「知らないの? 先週死んだ妖怪坊主。泉寿寺の」


「ああ、あのすごい年寄りの住職? 心臓発作だったって親が言ってたけど」


「違う違う。あの坊さん、呪い殺されたらしいよ。そこにいる一年に」


「はい、千六百円ね」


 販売員に言われ、澄人は用意していた代金を渡す。昼休みが始まった直後なのに購買部には澄人以外の生徒がいない。商品を受け取って踵を返すと、遠巻きに囁き合う生徒たちの会話がぴたりと止まった。

 念のためその顔ぶれを一瞥すると、生徒たちの固唾を飲むような緊張感が伝わってくる。


 ——やっぱりいないか


 澄人が歩き出すと、背後で時が戻ったように購買部に生徒が殺到していく。





「お、カツ丼もカツサンドもあるじゃねーか。すげーな澄人! 釣りはいらねえぜ」


 澄人が教室に戻るなり、武虎が袋の中身を確認して歓喜の声を上げる。


「ラッキー、プリンもあるじゃん」


 窓際の澄人の席の前を陣取っていた礼二郎がプリンと焼きそばパンを取り上げる。礼次郎は弁当持参だが、野菜中心の母親の弁当が『病院食っぽい』という理由で購買のパンが欠かせないらしい。


「なあ、これから毎日澄人が購買に行ってくれよ。並ばなくていいし、売り切れないし。俺、カツサンド売ってるのなんて見たことないぜ」


 その幻のカツサンドを頬張りながら武虎が言う。


「冗談だろ。これ以上人目につくのは御免だよ。ただでさえ日に日に噂が広まってるのに」


「いいじゃねえか。購買のパン並ばずに買えるなら、俺だって妖怪ゴロシになりてえよ」


 缶のミルクティーでカツサンドを流し込む武虎の丸い肩を礼二郎が拳で小突く。


「やめとけって、本気にする奴がいるんだからさ」


 そう言ってチラリと横目を使う。示した先の廊下側の女子グループが、慌てて食事に戻る。でもさ、と礼二郎が続ける。


「マジで間が悪かったよな。弦道爺さんならいつ死んだって誰も驚かないだろ。それがあの太田センパイの事件の後だった訳だからさ。しかもよりにもよって澄人が第一発見者なんて、うちの親父も驚いてたぜ……って澄人聞いてるか?」


「聞いてるよ」


 弦道の死亡が確定された後、澄人は付き添った先の病院で警察に事情を聞かれることになったのだか、その時対応してくれたのが礼二郎の父親だったのだ。

 澄人は焼きそばパンを齧りながら窓の外を見ていた。ちょうど教室の窓から高校の正門と、澄人がサッカーボールの直撃を受けた階段が見下ろせる。


「でももう一人いたんだろ、澄人と一緒に」


 武虎の言葉に澄人が驚いて窓から目を戻す。


「なんかすげー喋るババアが一緒だったって」


「ああ、そっち。墓参り客だったんだ。僕の声を聞いて様子を見にきてくれて、救急車も呼んでくれた」


 携帯電話を持っていない澄人が、弦道の家から救急車を呼ぼうとしたところに中年の女性がやってきた。事情を聞くなり持っていた携帯を取り出してくれたまでは良いが、自分が今日墓参りに来た経緯——母親の月命日だったらしい——から澄人の声を聞いた時の自分の様子——タワシで墓を擦っていた——など事細かに経緯を説明しているので、早く救急車を呼んでください、と心臓マッサージをしながら声を上げてしまった。とはいえ、倒れた時にはすでに心停止状態だっただろう、というのが医者の見立てだった。死因は急性心臓死だそうだ。

 あの時、弦道の胸の上に食らいつくように覆いかぶさっていたオタマジャクシは、声をかけてきた中年女性に事情を話している間に消えていた。


「その人がいてよかったって親父が言ってたぜ。第一発見者が一人だと証言の裏取調査が必要になるし、何度か警察に来てもらうことになってたかもしれないって。でもそのおばさんが澄人の声を聞いた時間とか、弦道さんの様子とかすげー細かく覚えてたから余計な手間が省けたってさ……ってお前最近窓の外ばっか見てんのな。何見てんの?」


 礼二郎が澄人の視線を辿るように振り返る。澄人が見下ろしていた昇降口へ続く大階段には誰もいない。時折思い出したように突風が吹き付けて、階段と校庭を隔てる緑のフェンスを大きく揺する。


「探してるんだ。女子生徒なんだけど、髪が背中のあたりまであって、身長は僕より少し高いくらいの」


「はあ? なんだそれ。そんなの沢山いるだろ」


 割り箸で大きく掬ったカツ丼を口に運んだ後、武虎が応じる。


「食べるのと喋るの、順番逆にしろよ。だからさ、学年くらいわかればって思うけど、こんな状況じゃ聞いて回ることもできないし、登校時間と放課後にここから見てるんだけど見当たらない」


 澄人が探しているのは、もちろんあの羽根のない女生徒だ。週末には泉寿寺の界隈を人目を避けて探索したりもした。それでもあれから1週間、その姿は一度も見かけていない。


「なんだよ、水くせえな。だったら俺と武虎で調べてやるよ。顔とか、覚えてること教えてくれたら」


「だめだ!」


 間髪入れずに答えた澄人に、二人が目を丸くする。


「いや、別に大したことじゃなくて。ちょっと聞きたいことがあっただけだからいいよ」


 羽根の見えない二人にあの女生徒のことを聞き回らせることはできない。女生徒はあの時確かに弦道の羽根を手にしていたのだ。もう一方の手には鎌——となればその凶器で羽根を切り落としたとしか思えない。二人が同じ目に遭う可能性もないとは言い切れない。


「ふうん。じゃあ見かけたら教えてやるよ。あんな感じ?」


 武虎が割り箸を窓に向ける。箸の示す先、校門へ向かう階段を一人の女生徒が降りていく。向かい風が黒髪をなびかせるその背中には、羽根がない。

 澄人が立ち上がったのを見て、礼二郎が窓を振り返る。


「え、まじで、あの女子?」


 二人が澄人の両脇に並んで窓から見下ろす。まだ授業が残っているはずなのに、女生徒は悠然とした足取りで校門に向かっていく。


「礼二郎、誰だか知ってる?」


「いや、わかんねえ。ここからじゃ顔が」


 まるでその言葉に応じたように、女生徒が足を止めて校舎を振り返ったので、澄人はギクリと身を固くする。目が合った気がした。


「……八坂深影やさかみかげ


 武虎がぼそりと呟いた。妙に虚ろな表情だ。眉をひそめる澄人に、ああ、そうそう、と礼二郎が同意する。


「そうだった。三年の八坂センパイじゃん。武虎よく知ってるな。クラスの女子の名前もろくに覚えてないのに」


「おお、なんか急に閃いたぜ」


「いいよな、八坂センパイ。大人っぽいし、クールなオーラがさ。俺、実は結構タイプなんだよな」

 

 礼二郎がうっとりと女生徒——八坂深影の後ろ姿を見つめる。


「……タイプなのに名前がすぐに出てこないって変じゃないか?」


「そりゃほら、ど忘れだよ。よくあるじゃん、なあ?」


 うん、と武虎が事も無げに同意した。なんだかまるで催眠術にでもかけられた人を見るような違和感があった。八坂深影はまさに校門から出ていくところだ。

 澄人は思わず立ち上がった。今追いかけたら間に合うだろうか。


「八坂センパイ、早退でもすんのかな」


「追いかけねえの?」


 武虎が澄人を見上げる。澄人は言葉に詰まる。


「……当たり前だろ。まだ授業があるんだから」


 そう、授業を放り出すなんてありえない。確かに今の状況をなんとかするために、女生徒——八坂深影に羽根について聞いてみたい。しかし、それで授業を投げ出すなんて本末転倒だ。澄人は息を吐いて、ゆっくり席に腰を下ろした。

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