8. 死相を消したい
「どうする、明日の夜」
放課後、魚の目坂を歩きながら礼二郎が澄人に顔を向ける。太田留実の通夜のことだろう。帰りのホームルームで担任が明日の夜だと話していた。
「行くわけないじゃんか。学年違うし顔も知らねえのに」
武虎が代わりに答える。
「だけど女子はほとんど行くって言ってたぜ。なんか同じ学校だし、手くらい合わせないと薄情じゃねえ?」
「じゃあおまえ一人で行けよ。俺明日は用事あるんだよ。親父のホームシアターを俺のゲーム部屋に作り替えてんだ。今日工事が終わるからさ。それでゲームやったらマジ迫力だろ」
「んなもんその後からやればいいじゃん」
「んなもんってなんだ。ゲームは用事に入れちゃいけないのかよ。俺が楽しみにしてた俺のゲームの予定より他人の葬式を優先しなきゃいけねえのか!? おまえはとんだ偽善者だな」
「葬式じゃなくて通夜」
「うるせーな澄人。どっちだっていいだろ。行かないんだから」
「あっそ」
「澄人はどうする?」
「僕も行かないよ。行ったら何言われるか。それにテスト勉強もあるし」
「テスト勉強? まだ五月だぜ? それにお前ならうちの学校のテストなんてヨユーだろ」
「学校のじゃなくて、六月の高校生学力測定だよ」
「ああ、全国の高校でやるってやつ? 休みの日だし、参加しなくでもいいんだろ?」
「僕は受けるよ。学年トップ50位に入ったら夏休みの海外短期留学権がもらえるんだ。英語力の補足にもなるし、大学推薦入試にも有利になるだろ」
「高校入学早々、大学入試の計画かよ。さすが秀才は違うね」
「まあ……順調にいけばね」
はあ、と大きなため息が出てしまう。マリアの吹聴のおかげで、澄人はすっかりクラスの疫病神となっていた。きっと明日には学年の疫病神になるのだろう。
今までやたらな不運に見舞われて周囲の注意を引くことはあったが、今回の事故とマリアの怪我で合点がいったとばかりに生徒たちがあからさまに澄人を避け始めた。
教室の席は澄人の周囲に不自然な間隔が空いていて、何度教師が注意しても次の授業の始まりにはまたドーナツ状の空間ができる。廊下を歩けばモーセの十戒のごとく道が開き、生徒たちが顔を見合わせ耳打ちを始める。
「なんで僕がこんな目に」
礼次郎があやすように澄人の肩を叩く。
「気にすんなって。人の噂も四十九日ってよくいうじゃん」
「べたすぎて突っ込む気にもならないけどさ、七十五日って言えてたとしても同意したくない」
ひゃはは、と武虎が笑う。
「お前はエンガチョだってよ。えんがっちょー」
武虎が妙な節をつけて人差し指と中指を交差させる。
全く、なんて知能が低いんだ。澄人は虫を見るような目でその様子を眺めた。
やっぱり自分はこんな学校に来るべきじゃなかった。幼馴染とは言え、この二人は通夜と葬式の区別も四十九日と七十五日の違いもわからない。月の台高校はこんなレベルの集まりなのだ。噂の真偽を判定できる知識もなく、非現実的な噂も考えなしに信じてしまう。定員割れも納得だ。澄人の志望校なら——偏差値トップの都立高だったならこんなばかげた噂には誰にも取り合わなかっただろう。
あの事故さえなければ——
澄人は前を歩く二人の背中で揺れる羽根を眺める。
あの事故以来、不運の下り坂を転がり落ちている気がする。やはりこの羽根が関係しているのだろうか。
——お前には死相がでとる
ふいに弦道の言葉が頭をよぎる。
「澄人も来るだろ?」
「どこに?」
「俺んちだよ。ちゃんと聞いてろよ。ゲーム部屋、礼二郎が見たいっていうからこれから俺んち行こうぜって話し」
三人は魚の目坂の交差点で信号待ちをしていた。武虎の家は交差点の向こうの月の台駅前から地下鉄で一駅、アルテミス女学院のある白銀駅から徒歩五分もない場所にあったはずだ。中学の入学したてまでは自転車で時折遊びに行っていたが、武虎が別の学校に通っていたのもあってその後は交流することがなくなっていたのだ。
「勉強もいいけどさ、気分転換も必要だって。いこーぜ」
「ああ……そうだね」
交差点は片側二車線の大通りだ。夕方前のこの時間はまだそれほど交通量はない。目の前をまばらに車が行き交っている。
「よっし、じゃあ決定な」
信号が変わり、二人が歩き出す。
澄人は制服のズボンのポケットに手を入れる。指先がナイロン財布のなめらかで硬い繊維に触れる。
「悪いけど、ちょっと用事思い出した」
「ええ?」
「なんだよ、付き合いわりーな」
二人の声を背中に澄人は魚の目坂に引き返した。
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