5. 柚花とすね毛頭
「おはよ、立花くん」
柚花は澄人の人違いをまったく気にする様子もなく、薄いピンクの唇でにっこりと笑う。
何でこんなところに上原柚花がいるんだよ。
澄人は少々うんざりした気持ちで目を逸らした。柚花が細い首を傾げると、ショートヘアが艶やかに揺れた。
「こんなところでどうしたの? あ、学校の行きかた忘れちゃったなら、月の台高校はこのまま斜め左を目指して真っ直ぐ、だよ」
冗談で言ってるとは思えない真剣な顔で柚花は道路を指さした。微妙にのんびりした喋り方のせいで、そんなこと忘れるわけないだろ、と間髪入れずに答えた澄人の冷淡な調子が際だった気がしたが、柚花はおかしそうに声を立てて笑った。こうも屈託なく笑われると、距離を置いて話そうとする自分が馬鹿馬鹿しくなってしまう。
「上原さんこそなにやってるんだ。家、このあたりじゃないだろ。っていうか学校は。いつも一番乗りで勉強してるんじゃなかったっけ」
柚花の高校はアルテミス女子学院で、家も学院側のはずだ。電車だと一駅隣先になるので、歩くと三十分近くもかかる距離である。
「あはは、わたし勉強なんてしてないよ。いつもただ早かっただけ。中学の時はね、ちょうどよく家を出る時間だとお父さんの出勤時間とかぶっちゃって、そうすると車で学校まで送ってくってうるさかったの。だから早めに家を出てたんだよ。でも今は学校近くなったから一番乗りじゃないんだ。でね、今日はマリアの家にマンガ返しに来たの。テスト休みなんだ。マリアの家ってこの通り沿いなんだよ」
ふうん、と澄人は気のない返事をしたが、内心はいらついていた。「勉強なんてしてないよ」「マンガ返しに来た」? つまり勉強なんてしないでマンガ読んでても成績優秀で第一志望にも推薦入学できた、ということが言いたいのだろうか——もちろんそんなはずはない。澄人は空しさに肩を落としたい気持ちを堪えた。
「あのさ、さっきここにうちの学校の生徒が通らなかった? 髪が長くて、分厚い本を持った人」
「ううん、見かけなかったよ?」
「柚花!」
よく通る大きな声に振り返ると、クラスメイトの猪瀬マリアがこちらに向かって走ってくる。アルゼンチン人の母親譲りなのか骨太で筋肉質の大股でこちらに向かってくる姿はまさに猪の突進というにふさわしい豪快さだ。
「もう、家の前で待っててって言ったのに、どこ行ったかと思った」
「ごめん、立花くん見かけたからつい追いかけちゃった」
立花あ? とマリアは木彫りのような一文字の眉を大げさに寄せて澄人の顔を見る。こちらの存在には当然気付いていたはずなのに大げさなやつだ。おはよう、とおざなりに挨拶をして歩き出した澄人を、マリア柚花の腕を取って追い抜いた。
「バカ、立花なんかと話しちゃダメだって。こいつ死神なんだから。不運がうつって死んだりしたらどうすんのよっ」
「もう。人のこと死神なんて失礼だよ」
二人の背後を歩いているので、一応小声の柚花の返答まで丸聞こえである。
「柚花知らないの? こいつが歩いてるだけで上から花瓶が落ちてきたりトラックが突っ込んできたりビルが爆破されたりするのよ?」
「猪瀬、聞こえてるよ」
「柚花だって前に被害にあったでしょ、マジで気をつけないと」
「すね毛頭」
「だ、誰がちん毛頭よ!」
「……僕はそこまで言ってない。けど聞こえてるじゃないか」
「あたしの髪はテンパなの。ハーフだからしょうがないの!」
「ふん。なにがハーフだよ。うちの商店街のナカヤマでパーマあててるの知ってるよ」
うるさいわね! と猪瀬は肩下まであるスパイラルパーマを両手で押さえつけた。
「あんたの周りでやたらと事故が起こるのは事実でしょ。最近の満月の呪いなんて噂が流行ってるけど、本当は全部あんたが呪いでもかけてるんじゃないの?」
「マリア! 言いすぎ!」
澄人が険悪に口を開く前に柚花がマリアを咎めた。柚花はぼんやりしているが、こういう空気は機敏に察するらしい。マリアは不満そうに、
「だって、御崎神社の事故に、アル女の生徒、先月の飛び降りって、このところ毎月なのよ。こんな偶然ってそうそうあるわけないじゃない。なんかの呪いがかかったとしか思えないでしょ」
「だからってなんでそれが僕の呪いになるんだよ。人を悪魔呼ばわりするな」
「そうよ! 悪魔! これは悪魔の仕業なのかも!」
言ってマリアははっとしたように「やだ、穢れの言葉だわ」と十字を切る。こうみえて熱心なクリスチャンらしい。肉類も食べないと聞いたことがあるが、だとするとこの立派な洋ナシ体型は何からできているのかはなはだ不思議だ。
そんなことより、マリアの話しぶりでは先ほどの女生徒の事故はまだ知らないらしい。不用意に話すとマリアがさらにうるさくなりそうなので、澄人は黙っていることにした。
「確かに偶然っていうには多すぎるよね」
柚花が応じる。
「だから、悪魔よ、悪魔。御崎神社の幽霊だか知らないけど、そういう噂話は知らないうちにネガティブなオーラを造りだして悪魔を呼ぶのよ。日本では鬼門とか磁場が悪いとか言うじゃない。悪いオーラはそれと同じよ。引き寄せられた悪魔が人をとり殺してるのかも」
マリアは悪魔を連発していたが今度は十字を切らなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます