6. 月の台高校

「ここが月の台高校かあ。高い場所にあるんだね!」


 校舎へ続く幅広いコンクリートの大階段を登りながら、柚花が感嘆の声を上げる。

 月の台高校はこの界隈の台地で一番高い場所に建設されている。校門をくぐった先に幅の広いコンクリートの大階段があり、登った先が校舎となる。階段の左側にはコンクリートの絶壁で、その上には緑色の高いフェンスが張られている。校門から仰ぎ見ると建設途中の高層マンションの様相だが、フェンスの向こうにあるのは校庭だ。


「あのさ、ここ、高校の敷地なんだけど」


「ちっちゃい男ね。いいじゃないちょっとくらい」


 肩を並べて歩くマリアが応じる。


「大丈夫だよ。校舎の前まで見送ったら帰るから。ね、教室からの眺めが良さそうだね。何か面白いもの見える?」


「見えないよ。校舎の向こうは一街道線のオフィス街だし、校庭側も御崎神社の森で遮られてるから」


 澄人の答えに柚花がそっかあ、と笑顔で頷く。結局柚花たちと一緒に登校する形になってしまった。ちょこちょことこんな風に柚花が話しかけてくるからだ。


「秋になったらうちの学祭見に来て。私案内するから。うちの学祭、焼きそばがめちゃくちゃ美味しいって。なんでも月の台高校秘伝の焼きそばダレがあるらしいのよ」


「焼きそば食べたい! 楽しみだな。私のところの学祭は生徒だけで出店はないんだ」


「そうなの? 見てみたいなアル女の中。庭園みたいなんでしょ」


「うん、すごく綺麗だよ。あ、そうだ。今度チャリティバザーがあるの! 生徒の家の不用品とか手芸部の作品とか販売するんだ。校舎には入れないけど、庭園は見られるよ。確か四人まで招待できるって。一緒に行こうよ。よかったら立花クンも」


「僕は興味な」


「冗談言わないでよ柚花。地盤沈下とかしたらどうするのよ」


「するわけないだろ。冗談は頭だけにしろよ」


「はあ? なんですって!?」


 最後の段で振り返るマリアを無視して追い越す。


「澄人くん、何か落ちたよ」


 柚花が石段に落ちた白い紙を拾い上げる。三つ折りにした和紙だった。弦道の護符だ。


「どうしてこんなところに」


「さっきからはみ出てたよ。ズボンの後ろのポケットから」


 キョトンと柚花が答える。どうやら弦道が澄人の去り際に尻ポケットにねじ込んだらしい。


「何よそれ。手紙?」


 マリアが覗き込む。


「あぶない!」


 校庭からの鋭い声に顔を向けると、サッカーボールがこちらを目がけて飛んでくると認識すると同時に、ボールが澄人の顔面に激突した。


「キャアああ!!」


 周囲から悲鳴が上がる。


 薄く瞼を開けると、眼前はアスファルトの地面だ。頭がぼんやりとする。


 ——なんで僕はこんなところで寝てるんだ。


 冷たい感触を感じながらじっとアスファルトを眺めていると、黒い液体が視界の端で光った。

 元を辿るように目を上げると、澄人の自転車が倒れていた。ひしゃげていて、シフトレバーから先が見当たらない。サドルと後輪しかないそれは、まるで設計を間違えた一輪車のようだ。

 自転車の先からいく筋も流れてくる液体が、車輪にこびり付いた雪を赤く染めていた。

 足音がして、澄人の上に影がかかる。血溜まりを踏んで艶のある黒い靴が澄人の眼前で立ち止まった。鉄の匂いが鼻を掠める。血の匂いだ——


 はっとして澄人が目を開くと、月の台高校の階段の手すりにもたれて座り込んでいた。ペンキの剥げた手すりが鉄臭い。

 サッカーボールの激突で一瞬意識が飛んだらしい。

 跳ね返ったサッカーボールは階段上の小広場に転がっていた。ボールの影は妙な膨らみがあり、それがもこもこと動き出す。手のひらほどの大きさのオタマジャクシのような『アレ』には用を成さないような細い脚が生えていて、それは階段脇の植え込みの影まで滑るように泳いで消えた。

 いたあ、とうめき声に目を向けると、階段の一段下でマリア階段に腰かけるような体勢で転んでいた。よろけた拍子に後ろのマリアにぶつかってしまったのだろう。体格の良いマリアの支えがなければ、階段下まで転落したかもしれない。


「ごめん、猪瀬」


 よろよろと猪瀬が起き上がる。スパイラルパーマが顔に被さり、巨大な藻のようだ。


「怪我は——」


 と言いながら、隣にいたはずの柚花を目で探す。

 柚花は二人から一歩離れて立ち竦んでいた。両手で口元を覆い、青ざめた顔で二人を見ている。


「おい、大丈夫か!?」


 ジャージを着た男子生徒が走ってくる。


「悪い。破れてるのはわかってたけど、まさかあんな小さい穴に命中するなんて」


 サッカー部であろう男子生徒がちらり背後を振り返る。視線を辿ると、サッカーボールの飛んできたフェンスが一部破れていた。

 澄人は諦めの心境で両手の指を一本ずつ動かして、異常がないのを確かめる。最近は何かにぶつかったり、派手に転倒したりするたびにほとんど無意識にこの動作を行っている。


「大丈夫です」


「大丈夫じゃないわよ!」


 歯をむく様にマリアが右の手のひらを澄人に突きつけた。


「あんたが倒れてきたせいで怪我したじゃない! どうしてくれるのよ」


 猪瀬の手首の近くに擦り傷ができていた。といっても薄皮が少し剥けているだけだ。


「体重を支えて擦り傷だけならラッキーだったじゃないか」


「なによ! 私の体重が重いから手をついたら骨折してもおかしくなかったとでも言いたいわけ!? 女子に体重のこと言うなんてあんたどこまで失礼なのよ!?」


「言ってないだろ、そんなこと!」


「ね、柚花酷いと思わな——柚花?」


 柚花が瞬きをしてマリアを見る。戸惑ったような、怯えたような表情だ。


「ごめん、私……もう帰るね」


 一言呟くと、澄人に護符を押し付け階段を駆け降りていってしまった。 

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