2. 背中に羽根がない
澄人の通う高校は、月の台駅の裏手の商店街にある澄人の家から徒歩で十五分ほどだ。魚の目坂を登ってそこから海側へ下るみたらし坂の中ほどの緩やかな斜面に面して建っている。この界隈が澄人の住む月の台の謂れとなった場所である。江戸時代、魚の目坂頂上の高台が更地だったころは、オフィス街の高層ビル群に遮られた隣町の海まで一望できて、夜になるとそこに浮かぶ月の美しさを称えたどこかの侍が月ノ岬と名づけたのだそうだ。転じていつしかこの一帯は月の台と呼ばれるようになった——月の台に住んでいる者なら親はもちろん、幼稚園の先生、近所の老人、小学校の教師だのから折に触れて聞かされる話だ。
駅前の魚の目坂下の交差点を越えるとすぐに長い上り坂になる。歩きでは地味に疲れるので自転車で一気に登った方が少しはましだが、今年の初めに大破させてしまった。帰り道の下りの魚の目坂で突然ブレーキが効かなくなったのだ。雪が降った数日後で、ところどころになごり雪が残っている日だった。そのお陰と言うべきか、交差点手前のマンホールで自転車が盛大にスリップし、駐車場に投げ飛ばされた。だが自転車はそのまま交差点に進入して通りがかったガソリンスタンドのタンクローリーに押しつぶされてしまった。
坂沿いにある木造の村橋仏具店の店先を通りがかると、澄人はいつものように薄墨色のガラス窓をちらりと見やる。緑がかった灰色のブレザーに、きっちり結んだネクタイと、遠目は紺だが近くで見ると極細の薄緑でチェック模様が入っているズボンには紙のようにしっかりと折り目を付けている。身長は百七十センチまであと五センチ足りない。父親の明海の遺伝を受け継いでいるならあと十センチはいけるはずだが——あんなにつるつるに禿げてしまうよりは今の身長でいるほうがいいかもしれない。
開店しているのを見たことがない仏具店のガラス窓に映るのは、いたって真面目でまともな高校生で、背中にはなにもない。そう、今日もやはり羽根はなかった。
自転車を大破させたあと以来、澄人は人の背中に羽根が生えているのが見えるようになった。羽根といっても天使の羽とかそんな立派なものではなくて、十五センチ程の白い羽根がちょうど背中の真中に一本だけ、忘れられた植物みたいに生えているのだ。
その羽根は微かに光のようなものを纏っていて、周囲の明るさに関わらずいつもほんのりと発光している。その色は人によって様々で、例えば父親の明海は赤味がかったオレンジ、目の前を歩いている女子大生は緑色、といった感じだ。澄人が思うにそれはたぶんその人間の性格を反映していて、元気のいい人は赤っぽく、大人しい人は青っぽい色をしているような気がするのだが、統計を取ったわけでもないし、そもそも人の性格が色などで図れるとも思えない。単に鼻や目の形と同じで人それぞれ違うものというだけかもしれない。
自分の羽根はどんな色だろうか、ある時ふと思い立ったのがこの店先だった。そして自分の背中に羽根がないことを知った。
それからはつい、店の前を通るたびに自分の背中が気になって確認してしまう。
羽根の存在なんて誰も知らないだろうから、澄人もないならないで別に何に困るわけでもないけれど——
澄人は慌ててその考えを振り払う。これではまるで羽根の存在を認めているようだ。確かに澄人は羽根やら妙な生き物が見える。でもそれは実在しているかどうかとは別問題だ。
おそらくこれらは澄人の脳が見せる幻影だ。ちょっとした、自分でも気づかないようなストレスがある日思いもよらない形で現れてしまったのではないだろうか。
例えば、勉強のストレスとか——いや、確かに勉強はしているが、好きだからストレスではない。
思い当たるのはやはり、あの事故だ。加えて高校入学という環境変化によるストレスも影響しているかもしれない。入りたくもない、入る気など全くなかった低偏差値の定員割れ高校に入学したのだから影響大ありだろう。これではストレスが消えるはずもない。
いずれ、ストレスから解放されれば——多分間近に控えた全国高校一斉学力測定テストで高成績を納めれば、具体的にはトップ五十位内に入って海外留学権を得ることができれば、このストレスも消えて無くなり、おかしな幻影も消滅するに違いない。
一人納得して歩き出そうとした澄人の足が止まる。道の先のガードレールにカラスが止まっていた。小さな製材所の前だ。すでにシャッターは開いて壁沿いに束ねた角材が立てかけられている。なんだかいかにも”アレ”が潜んでいそうな場所だ。
アレ——あの気味の悪いおたまじゃくしのような黒い生物——が現れるとろくなことが起こらない。今朝のラーメンしかり、ブレーキの利かなくなった原付バイクしかり、その他にも雨の日にすれ違ったサラリーマンがよろけて傘の骨が目に刺さりそうになったり、通りすがりのトラックの積み荷が突然澄人めがけて崩れてきたり、どれもぎりぎりで避けてきたものの一歩間違えば死んでもおかしくない状況を呼び込む不吉なやつらだ。
多分これもストレスによる第六感の刺激が見せる幻影だ。第六感の存在は否定しない。第六感というのは無自覚な経験則の知覚化の総称なのだ。
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