ぎこちなく笑っていたら、いつか赦される気がした。君が好きだと嘘を付くこと。自由に、息をすること。

 私はすべてを浪費している。無駄にピアスを開け、無駄に菓子の袋を開け、無駄に音楽を聴き、無駄に服を選ぶ。誰にも望まれていない、勿論自分だって望んでいない。誰の為にやっているのか分からない夜から夜にかけたルーティンワークを、君の為だと言い張って何とかこなす。部屋の空気は冷たい。もう冬がすぐそこまで近づいている。いつからか、ずっと長いこと冬眠したままのような気がしている。春は来ない。夏も来ない。秋の気配を感じた頃には、既に足元を木枯らしが冷たく吹き抜けている。

「寒そうだね」

 いつか、自由に生きればいい、と言った人は果たしてその言葉の意味を本当に理解していたのだろうか。私が恋にしがみつくことは許してくれない癖に。二人で生きないのならば、一人で生きるしかない。

「寒いよ」

 今朝、たった一枚巻いたマフラーが狭い空調の効いた教室では呆気なく無駄になった。温もりはいつも私を惑わせる。だからといって抗うとのぼせるので、大人しく軽装へ。それでも足りないような気がして上着まで脱いでしまった。やはり少しだけ心許なくなる。少し悩んで、服の裾を引っ張ってから座る。

「——に聞きましょうか、」

 ずっと、紛らわせるようにボールペンをノートに滑らせていた。間違えたところをぐるぐると塗りつぶして消す。消化不良の塊がいくつも散らばる。掠った指が黒く滲む。吸い込んだ教室の空気に、微かな余白が漂っていた。顔をあげた先にある教授の瞳の色。何色か知れないうちに、漠然と放たれた質問の中へ私が含まれていたことに気が付いた。私はぎこちなく笑う。寒い、とは思わない。いつも後になって思い返してから、この時、自分は寒かったのだと気が付く。すべてが遅い。

 教授が私の何かを汲み取って、ぎこちなく余白を揉みくちゃにした。私が好きなはずの君は、陽だまりの出来た隅っこの席で、ぎこちない笑みを浮かべていた。


 いつか、見知った人が、何とはなしに赦されているのを見た。目尻を下げ、眉尻を下げ、少しだけ眉間に皺を寄せて纏う空気を和らげ、あらゆる教室で同じような表情を度々見せていた。

 もし私が、一つ覚えでもその人の真似をしたとしたら。確かに私が赦されなければならないのは私のせいだけど、その人だっていつも自分のせいで起きた様々なことを赦されたいと思いながら同じような表情を浮かべていたのではないか。誰のせいだって、その人のつくった表情は間違いなく赦されるためだけの表情であったはずで。なら、私だっていつか。その笑みを浮かべれば、少しくらいは赦されるかもしれない。


 木々についていた僅かな葉が散って、透明に澄んだ空気がコートの裾を翻していく。あれから、私はあの、ぎこちない余白が詰まった教室には行っていない。それでいいと思う。あの教室の酸素は、あの教室に居た人間だけで分け合うのが望ましい。私の取り分は、端から無かった。好きな人は、替えを探せば良かった。


 きっと私は、何でもない。

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