海月と君
「月がッ、綺麗です、ね」
前を歩きながらガチガチに緊張した君は、上擦った声で言う。確かに今は夜だけど、月は私たちを追いかける位置にいて視界にも入っていないし、何なら今日は曇りだ。あまりの失態ぶりに、思わず小さな笑い声が零れてしまう。私の笑い声に振り返った君は、耳まで赤くして、その後、振り返ったことによって視界へと入った月の影を見て、更に首まで赤くした。ゆでだこ。
可愛らしいなと思う。もっと揶揄ってやりたいな、とも。
私は愉快な気持ちのまま、口を開く。
「夏目漱石は、その言葉がIlove you.だなんて、訳していないそうですよ」
「えっ」
「愛してるなら、愛してるって言ってください」
言えませんか、そう困った顔を作って畳みかけると、案の定、君の視線はふらふらと泳ぐ。まるで海流に流されるくらげのようだなと思う。そんな君に恋をしていることを、嬉しく思う。君は可愛くて、私の大好きな人だ。幸せは、いつも君の形をしている。
君は何度も、酸素の足りない生き物のように、夜の海の中で、口をパクパクとさせる。息を吸いなおして、必死に音にしようとしていたが、ふいに、君は口を噤んだ。
いつもとは違う様子に、私は彼の顔をのぞき込む。
「どうしたんですか?」
また、パクパクと酸素を求めた後、君は落ち始めていた視線を上げた。
「貴女は、どうなん、ですか」
驚いた。驚いて、その後、私の口角は三日月を描く。あぁ、本当に食べてしまいたいくらいに可愛らしい。
距離を詰め、人目も憚らず、目の前の首筋へと腕を伸ばして絡んだ。君の身体が強張り、言葉にならない音が私の耳へ流れ込む。それをくすぐったく思いながら、私はまた小さく笑う。
彼の耳殻に触れるくらい、唇を寄せた。
「死んでもいいわ」
君の息をのむ音が、間近で聞こえる。楽しくなって、私はまた小さく笑う。
君としか生み出せないこの瞬間を、愛しく思うよ。
視界に入った首筋は、また赤く染まっていた。
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