断罪が振り下ろされるまで
陋巷の一翁
断罪が振り下ろされるまで
いつの頃だろう、放課後、僕は自分のクラスに女子生徒が一人、遅くまで残っていることに気がついた。
それに気づいたのはひどく単純な理由で、僕の入っている部活には部室は無く、練習着や制服に着替えるには自分の教室でそれを行わなければいけないからだった。
そして、僕は教室にいつもいる彼女に気がついたのだった。
毎日僕が着替えている間中、彼女は気にした様子も無く教室の片隅でまどろむように座って夕暮れを見ていた。本を読むでも無く、スマホをいじるでも無く。
彼女は僕に話しかけることは無く、僕も彼女に話しかけることも無く。
それどころか彼女は僕に一瞥もくれることすら無かった。
僕がそろそろと教室に入ると、いつも物思いげに、外の風景を眺めていた。
そしてそれはちょっと言葉では表現できないくらい、綺麗だった。
忘れられないくらい、綺麗だった。
彼女が綺麗だったのだろうか? それは確かに。でもそれだけでは無いと思う。人の気配が消えた校舎で一人何かを待つ続ける彼女は、その姿が金色の夕日に照らされていても、淡白い蛍光灯に晒されていても、光の消えた色彩の無い教室にあってもそれぞれに趣があり美しかったから。
僕としてはそんな美しさと共にあるのは気持ちよかった。僕は彼女を邪魔しないように一言も口をきかず、そっと着替え終えるとかばんを背負って下校し続けた。そんな日々が長々と続いた。
やがて部活の知り合いから彼女が恋人を待っていることを知った。僕と同じように遅くまで部活動をしている恋人と彼女は一緒に帰るために遅くまで待っているのだと僕は彼女のことを知った。
彼女は恋しているのだ――そのことを理解すると、僕の顔が赤くなった。
僕はまだ恋を知らなかった。物語や小説で読んだことはあるが、実際にするのは気恥ずかしさがあった。
けれど、彼女が恋の中にあることを知ってから、放課後の情景の美しさは増すばかりだった。
僕は彼女の恋を邪魔したくは無かった。ただその恋は美しい物だと伝えたくもあった。正しい物であるとも。叶うなら――いや恋人ができているのだから叶っているのかも知れないが、もしそうだとしたらその思いは永遠続く物であるべきだとすら密かに願っていた。
けれど僕はそれらの思いを何一つ伝えられなかった。彼女は突然待つのをやめたのだ。
僕はどうすれば良かったのだろう。教室から彼女が消え、美しさが消えた、寒々とした教室で着替えるのは僕一人だけ。
僕に何かできることは無かっただろうか。僕に落ち度は無かったか。けれどもそれはひどく傲慢な思いだった。傍観者である僕にできることなど何一つも無いし、人の恋の行方というものを僕一人がどうこうできる物では無かった。
だから僕はただ自分の心に刻むことにした。
あれは、本当に、美しい、思い出だったと。
永遠に続くようで、あっという間に消えてしまった美しさ。
恋人を待っていた彼女も、あの後何気なく会話を交わしてみればただのクラスメイトで、僕はその美しい思い出を彼女に話すことはなかった。恋人のことも聞きはしなかった。
そして卒業した。僕は進学し、彼女の行方は知らない。ただ僕が知らないだけで彼女も彼女の人生を生きていると思う。だけど僕はその光景だけを覚えている。
それは何かが重なった奇蹟。僕はもう彼女の名前さえ覚えていないし、彼女は僕の存在すら覚えていないだろう。
放課後、人気の無い校舎、そこで誰かを待つ君。それは僕ではないし、誰を待っているかは知らない。ただその美しさ、美しさだけを覚えている。僕はきっと、その美しさだけで生きていける。恋なんて知らなくても生きていける――。ああ、本当にそうだったら良かったのに。本当、そうだったら良かったのにね。
断罪が振り下ろされるまで 陋巷の一翁 @remono1889
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