11月26日(木) 「怖い夢」

 怖い夢を見た。多分。今朝の記憶は十分に朧気だ。

 眠い目をこする。いつもそう。起きた後には、夢の内容ではなく、恐らくあったであろう内容からくる恐怖だけが胸の内側にこびり付いている。夢について考えた一瞬で、また恐怖が鮮明になって、ふと、内側からせり上がってきそうになった何かを、慌てて飲み込んだ。

 私にとっての怖い夢というのは、いつもそういうものだ。形のない感覚だけが残る。

 唯一記憶があるのは、昔見た、鯨に飲み込まれる夢だけ。きっと寝る前に嘘を付く度に鼻が伸びる人形の話を見たからのような気もするが、小さいながら、ただ単に想像力が豊かなだけかもしれなかった。私の幼少期に、寝物語を聞く習慣はなかったから、きっとただの妄想だ。その妄想で、小さな私は起きてから大泣きした。

 しかしどちらにせよ。小さい頃、その夢があってからずっと、鯨が怖くて仕方なかった。夢の中に存在する、私の身体より数十倍もある大きな口を、重たい扉が開くようにして奥にある虚空を私に向かって晒す様は、今になっても鮮明に思い出せる。それに付随してか、水生動物の図鑑も、鯨のページ、特にマッコウクジラのページだけがずっと怖かった。少し大きくなって、彼が肉食だということを知った時、感覚的なものは嘘をつかないんだなと思ったりもした。

 それに比例していたのかは分からないが、当時は極端に巨大なものも怖かった。自然史博物館にある大きな恐竜の骨格標本が一等怖くて、それなりに大きくなった後でも、遠足に行くのを随分渋った。しかし、その博物館には色の綺麗なキノコの標本があることも知っていて、好きなものと苦手なものが存在するその空間にどうしても行きたくなくて、行きたくて、一日呻いてから、結局行った。

 その遠足中、怖いものにはずっと見ないフリをしていた。その年の時点で、もう十分やり過ごせる恐怖だったのかもしれない。

 結局その後、給食に鯨のケチャップ煮が出て、美味しさと共に鯨への恐怖はすっかり忘れた。

 それからずっと、怖い夢は思い出せないものになっている。私にとって怖い夢を思い出せないのは、単なる防衛本能なのかもしれないと思う。見ないのが一番いい。きっと。目を瞑っていられれば、現実世界では自由でいられる。

 あぁ、でも。本来怖い夢ではないと思っていたものは、今でもずっと見ているなと思う。あの夢も、いつか見なくなるのだろうか。

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