11月19日(木) 「鍵」
鍵が落ちている。近寄って見てみたが、この家のものではない。首をかしげる。
この家には同居人がいる。私と、男の子だ。二十二歳。年だけ聞くと男の子という感じではないかもしれないが、実際に対面すれば、顔を合わせたすべての人が「男の子だ」という様な、男の子。いくらお洒落をしても、スーツを着ても、高校生になりたての子が、ちょっと背伸びをしたようにしか見えない感じの子。要するに、割と幼い。私よりは年上。
しゃがんで、鍵を拾ってみる。完全に「家の」鍵だ。このマンションのものではない。別の、一軒家の鍵だ。それも結構いいやつ。鍵を複製しようとすると、三千円くらいかかるタイプのやつだ。私の手の横幅より、ちょっと大きい。鉄製。
女の人かな、と思ってみたりする。こんなに露骨にバレるなんてこと、まさかありはしないとは思うけど、彼ならやりかねない。家にピアスが落ちる状況には絶対にしないけど、ポケットに忍び込まされたイヤリングには気が付かないタイプの男の子だ。昔、私も気が付かないまま、アクセサリーごと服を洗濯したことがある。洗濯槽がガラガラ言っていて、慌てて出したら指輪だった。先輩宅の三歳児に、渡されたおもちゃ。メッキ。その時は、純粋にませてるなと思った。
今は、どうなんだろう。私、この鍵に何を思ってるんだろう。
鍵を、ベランダから零れている朝日にかざしてみる。少し厚い鉄に反射して、それはきらきらと光る。これは、彼にも綺麗に見えているのだろうか。これだけ大きな鍵なら、きっとこのマンションも解約するだろう。だから、とりあえず。これまず住むところなくなるな、とは思った。荷物は少ないからいいけれど。私、稼げないしな。どうしよう。
「花菜ちゃん、何してるの」
「裕さん」
同居人が、自分の部屋から出てきた。寝起きなのに、少しも髭が生えていない。いつもは気にして上げている前髪が降りている。寝癖が、朝日に反射してふわふわと揺れている。
私は、鍵を右手に握りこんだ。
「いや、何でもないです。おはようございます」
挙動不審な朝の挨拶に、彼は声を上げて柔らかく笑った。
「はい、おはよう。何かあったら言ってね」
彼はいつもの様に、キッチンへと向かった。
しゃがんだまま、私はそれを眺める。
彼は見た目の幼さに加えて、人当たりがいい、とても。本当は、優しい人、とかそんな風に一括りにしたくはないけれど、端的に言えば優しい人だ。
まぁ、優しくなければ、普通は人間なんて拾わない。
「花菜ちゃん、学校は?」
彼は毎朝ホットミルクを飲む。蜂蜜入り。私はまだ火を使わせて貰えない。いつも調理実習で使っているし、貴方が起きてくる前にホットミルクを準備できますよと言ってみても、これだけは聞いて貰えなかった。任せてもらえないのは単純に信用が無いからか、心配されているのか、ちょっとだけ判別がつかずにいる。
「今日は休みです。創立記念日なので」
「あれ、そうなの? 俺も休めばよかったな」
「休めるような仕事なんですか?」
「捻出しようとするくらいはできるよ」
そう言って、捻出に成功したことは無いのだ。代表取締役だから仕方ない。私は握りこんだ鍵をエプロンのポケットへと押し込んだ。立ち上がって、戸棚からマグカップを二つ取り出す。いつもの様に、彼のところへ持っていく。
彼が作るホットミルクを、私はあと何回飲めるのか。
「ありがとう」
微笑む彼を見て、やっぱりポケットに入れた鍵に意識が向く。黙ったままでいるのがよくないのは知っている。
意を決して口を開いた。そのまま数度ぱくぱくしたけれど、結局声にならなかった。
「どうかした?」
目が合って、首を振る。
鍵は後で、彼の部屋のベッドサイドにでも置いておこうと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます