第85話 お別れの準備はできました
可能な限り回収した故郷の人々の遺骨は、マニングに新たに作られた墓地に埋葬された。
元は別の街に三人でお金を出して墓を建てていたのだが、そこも引き払い、移動させた形だ。
マニングに戻ると、ペリアたちは打倒ユグドラシルを目指し、そしてさらなる村の発展を夢見て研究と開発に力を注いだ。
一ヶ月もしないうちに、エリスは結界を各地に設置し、Fランクの村はモンスターに襲われる不安から解放された。
さらに数ヶ月のうちにコアを使用した魔力網が全国に整備され、民の生活レベルは格段に向上する。
その頃には都で暮らしていた貴族たちもすっかり手のひらを返し、ラティナやペリアに媚びを売るようになっていた。
一方で、魔力網の整備と同時に魔導トロッコの線路敷設も進み、それに乗じてケイトは自らの商団の規模を一気に拡大させていく。
それらの発展の中心地であるマニングにも人々が殺到し、もはや村とは呼べない――新たな都と呼ぶべき立派な街へと姿を変えていった。
そして、瞬く間に二年の月日が過ぎ――
◇◇◇
「教授っ、お疲れ様」
石造りの立派な廊下で呼び止められたペリアは、声に反応し振り返る。
銀髪の少女は20歳になったが――今もあどけなさを残す顔つきをしていた。
こころなしか大人びた気もするが、気の所為と言われれば納得できる程度である。
少し髪を伸ばしたので、顔つきや雰囲気というよりは、そのせいかもしれない。
「なんだ、テラコッタかぁ。やめてよその呼び方、慣れないんだから」
「一度は呼んでみたくてね」
「それを言い出したらテラコッタだって教授だよ?」
「あはは、僕もそう呼ばれるとむず痒くなってね。他の人に試したくなったんだよ」
「いじわるだなぁ」
ぷくっとペリアが頬を膨らますと、再びテラコッタは肩を震わせ笑った。
そして彼女はペリアの隣に並び、歩きはじめる。
テラコッタも20歳。
ボーイッシュな外見はそのままだが、さらに顔は凛々しくなったように見える。
二人並ぶと、到底同い年には見えなかった。
「すごいよね、この施設。僕も立派な研究室を貰っちゃってさ、本当にいいのかなと思ってるよ」
また隣にはこの国の最高学府も併設されており、ペリアやテラコッタは度々そこで講義を行っている。
生まれ変わった王国は、未だ発展途上である。
その中でもラティナは、優先して教育機関の整備を進めた。
元が研究員をしていた上級魔術師なのだから、そういう方向性に国が発展していくのは自然なことなのかもしれない。
「テラコッタは私よりよっぽどこの国に貢献してるから。ドッペルゲンガー・インターフェースなんてもうすっかり日常に馴染んでるよ」
「君が設計した人形が無ければ、僕の研究は意味を成さないよ」
「そうかなー、テラコッタは人形開発も一流だから。助手も優秀だし」
「確かにそれはあるかもね。僕の功績は二人分だから、そうなると君に負けるわけにはいかない」
「むぅ、認められてしまった」
マローネと結婚したテラコッタは、今も二人で人形に関する研究を行っている。
ドッペルゲンガー・インターフェースは彼女の手を離れ、独自の発展を見せている。
なので現在の彼女が主に行っているのは、人形の遠隔操作の方だ。
「テラコッタが設計したネットワークも、そろそろ全土に広まるんでしょ?」
「僕がって言っていいのかな。あれは副産物だから」
「それでもすごいものはすごいよ。私も使わせてもらってるもん」
テラコッタは、人形の遠隔操作を行う技術の研究を続けていた。
しかしそれが完成するより早く、遠隔通信技術のほうが認められ、今では当たり前のように離れた場所にいる人々が、無線での情報のやり取りを行うようになっている。
「君の役に立てるなら何よりだよ、世界の存続のために一番重要なのは、ペリアの研究だからね」
謙遜でも何でも無く、彼女はそう言い切った。
話しながら歩いていると、ちょうど二人は扉の前にさしかかる。
「じゃ、僕はここで」
「うん、またねっ」
手を振って別れる二人。
研究室の中ではマローネが待っていたらしく、テラコッタの姿を見るなり抱きついている姿が見えた。
ふとペリアは足を止める。
「むう……私もフィーネちゃんとエリスちゃんに会いたくなっちゃったなあ」
彼女の左手の薬指では、銀色の指輪が輝いている。
今ごろ違う場所で働いている二人も、同じものを付けていた。
「……時間あるし、会いに行っちゃおうかな。よし、そうしよう!」
勝手にそう決めたペリアは、大切な人の顔を思い浮かべてにんまりと笑うと、小走りで駆け出した。
◇◇◇
フィーネは、マニングギルドの一室に入ると、「ふぅ」と大きく息を吐き出した。
一方で同じ部屋に入ったラティナは、置かれたソファにぼふんっと腰掛ける。
そして少し遅れてラグネルがその隣に座ると、ラティナの腕が腰に回された。
「もう何回もやってるんでしょう、そんなに緊張することないんじゃない?」
「仕方ねえだろ、あたしの教え子なんだ。巣立つ瞬間はいつだって緊張するもんさ」
「教え子ねえ……」
「何だよ」
「相変わらずギルドマスターっぽくない見た目してるわよねぇ。20歳になったのに」
「大きなお世話だ!」
フィーネの外見も、ペリアほどではないものの結構幼いほうだ。
2年が経ってもそれは変わらず、本人は“かっこいい”を目指すものの、相変わらず周囲からは“かわいい”と言われている。
そんな彼女はラティナの向かいのソファに座り、体を背もたれに預けた。
「第一、組織のトップとかはあたしのガラじゃねえんだよ」
「あんた以外に誰がやるのよ。トップと言っても事務より実戦のほうが多い立ち位置じゃない、見た目の威厳がないこと以外は全員納得してるわよ?」
新たに再編されたギルドには、大きく分けて三種類の冒険者が所属している。
まずは住民の困りごとを解決するなんでも屋。
次に魔獣退治を生業にする者。
そして最後に――大型人形を繰り、モンスターと戦う者。
ライセンスを得る難度は、当然のように下に行くほど難しくなる。
特に人形乗りになるためには、魔獣退治で最高ランクまで上り詰めた上で、フィーネの課した試験をクリアしなければならない。
しかもライセンスを授与するのは女王ラティナと来たものだ。
まさに冒険者の花形、誰もが憧れる英雄である。
フィーネが疲れ果てているのは、その任命セレモニーを終えたばかりだからである。
「一言余計なんだよ……今だってちゃんとできてるか不安だ。剣の腕はともかく、人形の操縦技術が特に優れてるわけじゃねえとは思ってるしな」
「弱気ねえ」
「あたしよりすげえ才能が次々と出てきてんだ、弱気にもなるさ」
「それでも重ねてきた実績は変わらないわよ。見てる人は見てるわよ、私みたいにね」
「ああ……暫定女王から正式な女王になったんだったな。おめでとう」
「どういたしまして」
「まあギリギリだったみたいだけどな」
「う……」
フィーネから指摘されて、言葉に詰まるラティナ。
しばし暫定的な女王として君臨していたラティナは、住民の投票等でようやう正式な女王として認められた。
だが、その選定でちょっとした問題が発生したのである。
「だって、予想よりもペリアの人気が高かったんだもの! 立候補すらしてない人間が票を集めるとは思わないじゃない!」
そう、ペリアが女王になることを求める人間が、それなりにいたのである。
もちろん票数的にもラティナのほうが上ではあったが――都でのメトラとラティナのやり取り、あれが王国中に流されていなければ、ペリアのほうが勝っていたかもしれない。
しかしラティナはそれがよっぽどショックだったのか、半ば涙目になっていた。
「よしよし、私はラティナが頑張ってることを誰よりも知っているわ」
「ラグネルぅ……」
ラティナはラグネルの胸に顔をうずめ、ぐりぐりと抱きついた。
「何か幼児退行してねえかお前……」
「ふふ、ふふふ……ストレスのあまりラグネルに甘えないとやってられないのよ……」
自ら引き受けた役目で、ラグネルをお姫様にするという夢は叶ったとはいえ――しんどいものはしんどい。
特に権力闘争慣れした貴族たちの相手は、ストレス以外何も得ることのない不毛なことばかりであった。
するとそのとき、誰かがドアをノックする。
ラティナは慌てて起き上がり、フィーネはそれを見て笑いながら「どうぞ」と返事をした。
「失礼します」
扉を開き頭を下げたのは、かつてマニングのギルドで受付をしていた女性である。
マニングが村から大きな街へと姿を変えた今も、彼女は同じ場所で働いていた。
もちろん待遇は前より何倍も良くなっているが。
「フィーネ様、お客様です」
「ん? 予定入ってたっけか」
「いえ、ご友人が会いに来られたようですよ」
「友人……誰だ?」
◇◇◇
ギルドのロビーに出てきたフィーネを待っていたのは――
「やっ、久しぶりだねフィーネ」
「メルディズじゃねえか! 本当に久しぶりだなぁ」
天上の玉座のリーダーである、魔王メルディズだった。
二人がこうして顔を合わせるのは、およそ一年ぶりである。
「珍しいな、お前が魔獣の少ないマニングに顔を出すなんて」
「たまにはこういうところに来ないと、気持ちが休まらないんだよ」
彼の手には、紙袋がさがっていた。
「その紙袋、エリスのとこで見たことある気がするな」
「さすがお嫁さん、鋭いね」
「よせよ、そんな言い方」
フィーネは顔を赤くし恥じらいながらも、少し嬉しそうだ。
「先にエリスに会ってきたんだ。とっておきの胃薬があるって言うから」
「それを受け取りにマニングに来たってわけか」
「もちろん君の顔を見るのも目的の一つだよ。それにしても――少し見ないうちに、また立派になったね」
「ギルドがか?」
「街そのものだよ。どこを歩いても人でごった返してる」
急速に発展していくマニングは、現在進行系で繁栄の最高値を更新し続けていた。
他の街から人が集まるだけでなく、子供の数も飛躍的に増加している。
「パンクしないか不安になるよ」
「その気になればいくらでも広げられるのが強みだな」
「時代が時代なら、そんな一気に人が増えたら戦争でも起きちゃいそうだけどね」
「コアさまさまってやつだ。エネルギーも水も食料も、今んとこ不足する感じはしねえ」
「コアさえあれば、魔術で水も作り放題なんだっけ。食料は……ああ、もしかして途中で見かけたやけに背の高い建物が例のあれ?」
「そう、食料プラントだ」
かつて、貴族たちが都だけで生活を完結させるために、上級魔術師たちに作らせていた食料プラント。
それは魔術を用いて、既存の農業の何倍、何十倍もの効率で野菜等を生産する工場化された畑だ。
皮肉にも、その技術が爆発的な人口増加を支える状況となっている。
「すごいなぁ、完璧じゃないか。ちなみにこの国には闇とかないの?」
「何で自分から胃を痛めるようなこと聞くんだよ」
「あはは……色々うまく行き過ぎてる話を聞いて、逆に不安で胃が痛くなっちゃってさ……」
若干顔を青ざめさせながら、腹をさするメルディズ。
相変わらず彼の胃は貧弱だった。
「うーん……闇なぁ。ラティナが言うには、廃棄物の処理、あたりか?」
「そっか、ゴミとか排泄物ね。大変だよねぇ、そういうのも」
「嬉しそうな顔をしながら言うなよ……でもまあ、あいつなら近いうちにどうにかするだろうさ」
「意外と信用してるんだ」
「二年も近くで見てりゃな」
ラティナとフィーネの仲がいいかと言われれば微妙なところだが、お互いに能力を認めているのは確かである。
こうしてメルディズとフィーネの二人が立ち話をしていると、ギルドの扉が開く。
そして見覚えのある二人の女が、大股気味にこちらに近づいてきた。
「どこにいるかと思えば……」
「こんな場所にいたんですね、メルディズさん」
パンクな格好をした女が右を、おしとやかな女が左の肩を掴み、メルディズは身動きが取れなくなる。
彼の顔は今日一番の青さを見せ、だらだらと冷や汗を流していた。
「久しぶりだな、フィーネ」
「お、おう、お前らもここにいたんだな。シャイファ、マヒト」
「うふふふふ、他の街で魔獣を倒していたらいつの間にかメルディズさんがいなくなっていまして。探すのに時間がかかってしまいましたわぁ」
「い……いやぁ、ほら、マニングは平和で魔獣もいないだろう? 君たちを連れてきても、そ、その、退屈かと思って……」
言い訳をするメルディズ。
二人の女はそんな彼の肩を掴む力を、ぐっと強め顔を近づけた。
「ああ退屈だったぜェ。でもよォ、やっぱリーダーがいねえと旅団ってのはまとまらねえんだよ」
「そうですわメルディズさん、あなたがいてこその天上の玉座。どうやら用事も済んだようですし、そろそろ行きましょう」
「ど……どこに?」
『魔獣の巣に』
シャイファとマヒトは、ねっとりとした声でメルディズの耳元で囁いた。
そして彼の両腕をがっしりとホールドすると、ずるずると引きずってギルドから連れ出す。
「ひっ、ひいぃっ! 待ってくれ、僕はまだマニングで見たいものが! 食べたいものとか見ておきたいショーとかがあるんだぁ! たまには休んだっていいじゃないかあああぁ!」
「それより楽しい戦場が待ってんだよォ! お前も綺麗に爆散して臓物ぶちまける魔獣が見たいだろ? 見たいよなァ!? ぎゃはははは!」
「うふふふ、うふふふふ、わたくしも新しいドレスを買ったんですよ。マニングのショーよりよっぽど刺激的ですわよぉ! さあ、さあいざわたくしたちのステージへ!」
「いーやーだー! 助けてくれ、フィーネえぇええ!」
最後の頼みの綱と言わんばかりに、メルディズはフィーネに救いを求める。
しかし、この場でシャイファとマヒトを刺激しても誰も得することはない。
どうやらメルディズはエリスからとっておきの胃薬を貰ったようだし、きっとどんな困難にも立ち向かえるはずだ。
「いいじゃねえか、ハーレム状態で」
フィーネはぐっと親指をあげて、メルディズを見送った。
遠ざかっていく悲鳴。
だがその声は、何となく、こころなしか、気の所為かもしれないが――ほんの少し、楽しそうに聞こえた。
「良かったんですか、あれで」
一部始終を見ていた受付嬢が、不安げに尋ねる。
「問題ねえよ。あの三人はあたしとエリスが旅団に入る前からあの調子らしいからな、何だかんだで楽しんでんだろ」
「そうなんですかね……ですが、なぜ彼らが人形乗りにならないのか――いえ、
魔獣を狩り続けた冒険者は、最終的に誰もが人形乗りを目指す。
だが天上の玉座だけは別だ。
生身での戦いにこだわり続け、今でも偶発的に王国に現れる魔獣を狩り続けている。
それはそれで、重要な役割なのである。
結界が強化された今では、モンスターよりも魔獣の方が人々の命を脅かしているのだから。
メルディズたちを見送ったフィーネは、ひとまずラティナのいる部屋に戻ろうとした。
すると、再び勢いよくギルドの扉が開く。
カランカランと鳴ったベルの音に反応し、フィーネが首をひねって視線だけ振り返ると――
「フィーネちゃぁぁぁああーんっ!」
「うおっ、ペリア!?」
ペリアが勢いよく、フィーネの背中に突撃してきた。
「どすーんっ!」
そしてぎゅーっと力いっぱい抱きつく。
「うあっととと……急にどうしたんだ、仕事中じゃねえのか?」
いつもどおり抱き返したフィーネは、感じる愛しい人のぬくもりに思わず頬を緩めた。
「暇だったから会いに来た」
「おいおい、それでいいのかよ教授」
「いいの、教授だから。フィーネちゃんはどう? 時間ある?」
フィーネはちらりと受付嬢のほうを見た。
彼女は手帳を開いて予定を確認すると、無言でうなずく。
「ああ、今なら大丈夫だ」
「よかったぁ。じゃあ……んーっ」
ペリアは唇を突き出し、顔をフィーネに近づける。
すぐさま意図に気づいたフィーネは、顔を真っ赤に染めた。
「うおお……マジかよ。めちゃくちゃ見られてるぞ、いいのか!?」
「今さらだよぉ。結婚式のときにみんなに見られたもん」
「それとは違うだろ……」
「フィ―ネちゃんはしたくないの?」
「したいけど……ほら、夜でも十分……」
「フィーネちゃん、私のフィーネちゃんへのラヴは無限大だよ! いくらキスをしても足りないの!」
「……ったく、仕方ねえなあ」
仕方ないと言いながらも、フィーネの顔はでれでれである。
そして二人は堂々と人前で口づけを交わした。
何回も何回も。
ギルドに集まった冒険者たちは若干ざわつきながらも、概ね『いつものこと』として流す。
「んふふ、やっぱりキスはいいねぇ。しゃーわせな気分になるねぇ」
「お前は人前で求め過ぎだ」
「エリスちゃんのほうがすごくない?」
「すごいからあいつの方が駄目なんだよ……とりあえず二人になれる場所に行くぞ、ここじゃあたしの気が落ち着かん」
「うん、わかった。もっとちゅーしようね!」
「ま、まあ考えとくわ……」
そう言って、ギルドの奥へと消えていくペリアとフィーネ。
二人の姿が見えなくなると、それを見送った受付嬢の肩を、ちょんちょんと誰かの指が突付く。
「今……大丈夫、かい?」
――オルクスだった。
「ああ、オルクスさん。配達物ですか、いつもありがとうございます」
「礼なんていいよ。それよりこれ」
彼女は肩から提げたかばんから手紙を取り出し、受付嬢に手渡した。
「フィーネに渡しといて」
「かしこまりました」
受付嬢に深々と頭を下げられ、オルクスは少し照れくさそうにしてギルドを出た。
そしてポケットからメモを取り出し、次の配達先を確認する。
「病院か……連続は珍しいな」
そうつぶやきながら、人と人の間をくぐり抜け、素早く駆け抜けるオルクス。
捕虜になってから二年が経ち――今の彼女は、モンスター研究のための被検体になりながら、配達屋として一般市民に混ざって生活していた。
スリーヴァに与えられた小型コアは摘出され、新たにペリアが開発したエクステンド・コアを埋め込まれている。
これにより、彼女は自分の意志でモンスター化することはできなくなり、半不老不死の肉体を持ち、身体能力が高い部分以外は、普通の人間として暮らせるようになった。
いくつかの村を滅ぼしてしまった彼女は投獄を望んだが、『それでは何の償いにもならない』というペリアたちの言葉により、マニングで生活することになったのである。
自分が殺した――殺す可能性のあった人々と、同じ目線で過ごす。
それはそれで罰なのかもしれない、とオルクスはそう理解している。
「医療魔術の発展は著しい……」
エリスのいる、三階建ての建物の前に立ち、彼女はつぶやく。
「人間の寿命が200年後の世界より伸びるのも時間の問題だな。皮肉だね」
王国を滅ぼすつもりで過去に渡ってきたスリーヴァ。
しかし彼女の選択は、結果としてさらなる繁栄を王国にもたらした。
つくづく、因果という概念を作り出した神は皮肉屋である。
彼女が病院に足を踏み入れると、ちょうど受付の前で患者のおじいさんと話す白衣姿のエリスがいた。
「今日の私は間がいいな」
手間の省ける幸運が二度続き、軽く微笑むオルクス。
と言っても、フィーネには手渡しできなかったのだが。
するとそのとき、ふいにエリスと話している患者が大きめの声を出した。
「じじいにも意地ってもんがあるんだよ! うっ、あいたたた……」
その直後、おじいさん――ブリックは腰を抑えて顔をしかめた。
「意地じい、無理をするからそうなる」
「縮めるなよ、かっこわりぃから……」
「意地より体が大事。慢性的なもので魔術の効きが悪いから、とにかく無理せずにしばらく安静にしてて」
「ああ、そうさせてもらう……クソっ、歳を取るってのは嫌なもんだ。しばらくは弟子の指導に集中するか……」
彼はぼやきながら、病院の出口に向かって歩きだす。
オルクスの顔を見つけると、ブリックは軽く会釈をした。
彼女も同じように小さく頭を下げて返事をすると、エリスに近づいた。
「手紙?」
「ああ、病院じゃなくてあんた宛てだから会えてよかったよ」
「ありがとう」
手紙を手渡され、素直に礼を告げるエリス。
オルクスはそんな彼女の顔をじっと見つめた。
「……何?」
「いや、変な感じだと思ってさ。二年前、命のやり取りをした人間と、こうして普通に話せてるなんて」
「そんなものは今さらすぎる。私たちにオルクスを憎む理由はない」
エリスの言葉通り、今の彼女にはオルクスに対する悪い感情は一切存在しない。
オルクスから見れば、それは不思議で仕方なかった。
「すごいな、あんたは。そうやって切り替えられるんだから」
「復讐は終わったから。私たちは私たち自身の幸せを掴むことに全力を尽くしている、そのために必要ないものは切り捨てていく……まあ、ユグドラシルはまだ残ってるけど」
「それがすごいんだよ。良くない感情ほど切り捨てられずに、しがらみになりやすいもんだろう?」
「どれだけこびりついているか、という違いもあると思う。オルクスの場合は100年分だから、それだけ時間もかかる」
オルクスがこの時代の人間に溶け込んで暮らす中、感じる違和感の正体はきっとそれだ。
あまりに長く、人の世から離れすぎたのである。
「時間がかかる……か。いつか解決されるのかね、それはそれで私が自分の罪を忘れたようで嫌だけど」
「忘れたくないと思う気持ちを否定はしない。ただ、いつか自分の幸せを考えてもいいときが来る。永遠に自分を罰し続けても誰も幸せにはならない。少なくとも――周囲の人間は、オルクスが悪いわけじゃないってことはわかってるから」
そう言いながらも、エリスは周囲の赦しが、彼女をいっそう自罰的にさせていることもわかっていた。
誰かに恨まれていないと、不安なのだ。
だがそれもそれで、オルクス自身がどうにかして解決するしか方法はない。
「……少なくとも、私は私の周囲の人間の幸せを願ってる。罪の意識がそれの邪魔になるんなら、いつか切り捨てる日も来るかもね」
「そうしたほうがいい」
「ふぅ……すまないね、ただ手紙を渡しに来ただけなのに話し込んじゃって」
「構わない、ちょうど時間が空いてたから」
「時間が空いてる……そういえば、ペリアもそんなこと言ってフィーネに会いに来てたな」
「ペリアがフィーネに!?」
ペリアの名前を出した瞬間、エリスの目つきが変わる。
彼女はオルクスの肩をがっと掴むと、興奮した様子で問いただす。
「それはいつ!? 今!? 今ペリアはフィーネと一緒にいる!? いちゃいちゃしている!?」
「あ、ああ……たぶんそうだと思うけど。ギルドの奥の部屋で」
「これはうかうかしていられない。私も行く。すぐ行く!」
近くを通りがかった他の魔術師に声をかけ、外出することを伝えると、早足で病院を出るエリス。
そのあまりの手際の良さに、オルクスは完全に置いてけぼりんいされ、エリスの背中を見送ることしかできなかった。
「……話してよかったのかな」
思わずオルクスはそんな不安を抱く。
その不安が的中した――と言えるかはわからないが、ペリア、フィーネ、そしてエリスの三人は、その日何時間かギルドの奥の部屋から出てこなかったという。
◇◇◇
グウァン魔術研究所の地下には、大型人形開発のための広い格納庫がある。
現在、そこには計六体の人形が並んでいた。
中でも特に重厚な、騎士のような姿をした青い人形――その操縦席内部には、二人の女性の姿があった。
ドッペルゲンガー・インターフェースによる操作を行う広めのスペースにペルレスが立ち、その後ろにあるシートにウレアが腰掛けている。
技術の進歩に伴い、操縦が以前より複雑化したため、副操縦士を乗せてその負担の軽減を測ったのだ。
ペルレスが右腕を前に伸ばすと、人形も一緒に腕を動かす。
彼女は目を細め、意識を集中させ、その指先一本一本に魔力を通していく。
「魔力伝導効率、99.999%。ほぼノイズは発生してないっす」
「了解です、このまま精密な術式の発動を試すです」
魔力は人形の指先から出力され、人間サイズの氷の彫刻を作り出し、それらをゆっくりと床に降ろしていく。
外にいたレスがそれに駆け寄ると、手に持った紙に何やら数値を書き込んでいった。
「こ、小指から順番にペルレスさん、ウレアさん、ペリアさん、フィーネさん、エリスさん、だよね?」
レスは手に握った無線通信機でペルレスに語りかける。
「そうです! 欠けは発生してないです?」
「うん、も、問題ないよ。ほぼ完璧だと思う……」
「それはよかったですー! これで私の人形はほぼ完成です!」
操縦席内で、ウレアとハイタッチをするペルレス。
一方、外ではレスの少し後ろに立っていたケイトが、手を降って『金は金なり』と書かれた扇子を広げた。
「にゃははははっ、どうやらケイトが買い付けてきた魔獣素材が最後のピースだったようですにゃあ」
「あ、ありがとう、ケイトさん」
「問題ありませんにゃあ、代金はしっかり頂きましたにゃ。それに大型人形のグッズを作るライセンスも譲ってもらう約束ですからにゃあ、一刻も早い完成がケイトのお財布を潤しますにゃあ」
現在開発中の大型人形は、とある事情によりかなりの精密な制御が必要だった。
そのために必要な素材を発見したペリアは、高額になることを承知で、採取をケイトに依頼していたのである。
それを今朝、ペリアが人形に組み込み、昼になって時間が空いたペルレスがウレアと共に試しに来た――それが今の状況だった。
ペルレスは現在、ペリアたちと同じくこの研究所で“教授”と呼ばれる地位にある。
ウレアは、今も鉱山で鉱夫を続けていた。
しかし、マニング鉱山の位置は、現在の生まれ変わったマニングの中心地からは少し外れた場所にある。
学術の街として発展するマニング。
そんな中、鉱山の存在はどうしても異物となってしまったのだ。
だが元々鉱山町として栄えたマニング――その原型を残すためにも、半ば象徴のような形で、鉱山の中では今も多くの鉱夫たちが魔石の採掘を続けている。
ちなみにペルレスとウレアの二人は、交際こそしているものの、まだ結婚にまでは至っていない。
とはいえ同居はしているので、時間の問題だろう――というのが周囲の見解である。
一方でレスは、ペリアたちと違い研究所では働いていない。
元々上級魔術師だったので、もちろん打診はあったのだが、慕ってくれる子どもたちへの愛情が勝ったのか、今は学校で先生をしている。
だが死者の魂に関する研究は個人的に進めているようで、特例として研究所の設備を使うことを許可されている。
「こ、これで全部完成、だよね……」
「そうです、いよいよ攻め込むときが来たです」
しかし現在レスがここにいる理由は、その“特例”によるものではない。
地下施設にならぶ六体の大型人形――それらは言うまでもなく、ユグドラシルを倒すために作られたものだ。
そしてレスは、そのうちの一体の操縦者なのである。
「ユグドラシルを倒せば、モンスターはこれ以上増えなくなりますにゃ。すでに生まれたものは消えないとはいえ、一つの時代の終わりを感じますにゃあ」
「減らない相手と戦うより、終わりが見えたほう人形乗りのみなさんのやる気も上がるっすよね」
「にゃっふっふ、ウレアさんの言うように全部うまく行けばいいんですがにゃあ。世の中には、モンスターの素材をあてに商売をしてる人もいますからにゃあ」
「その人たちのために止めることはできないです」
「わかってますにゃ。倒さず放置するより、倒した方がずっと良いですにゃ。明るい話題というのは、人間の財布の紐を緩めますからにゃあ」
「ほ、本当に常にお金のことだけを考えてる……」
レスは立場上、あまりケイトと会うことは無いのだが、会うたびにその金への執着を思い知らされる。
口には出さないものの、エリスが常に彼女を警戒している理由も、薄々感づいていた。
「あ、ちょうどペリアが来たみたい」
人形の完成を喜んでいるところに、フィーネと別れたペリアがやってくる。
彼女は薄っすらと上気した顔で、まだ完全に夢心地を抜けられてはいない様子であった。
そんなペリアを支えるように、隣ではエリスがしっかりと腕を組んでいて――
「……げ」
その顔を見るなり、ケイトは思わず声を出した。
もちろん、それを見逃すエリスではない。
「何が“げ”なの、ケイト」
「い、いやぁ、にゃ……にゃんでもないですにゃ」
「グッズのライセンスを譲られたと聞いた。初耳」
「にゃふんっ……」
まさか聞かれているとは――そういう意味合いの奇声である。
「ちゃ、ちゃあんと正式なルートを使って交渉しましたにゃ!」
ケイトは慌てて言い訳をする。
するとエリスはするりとペリアから腕を解いて、無言で距離を縮める。
「にゃ、にゃんですか……にゃ?」
じりじりと顔を近づけ、圧をかけるエリス。
だらだらと大量の汗を流すケイト。
油断をするとすぐに悪巧みを始める彼女だが、なぜかエリスにはそういった隠し事ができない。
おそらくそういう宿命なのだろう。
「ペリア、こいつたぶんまた貴族と組んで変なことしようとしてる」
「うん、ラティナさんに報告しないとね」
無慈悲な宣告に、ケイトはフィーネの剣舞並の疾さで土下座した。
「にゃあああ! それだけはご勘弁ですにゃあああ! ラティナさん何だかんだ言って貴族相手にも強いんですにゃあ! 潰されるんですにゃあ! もう製造開始してるんですにゃあああ!」
「今のはもはや自白。感謝はしてるけどそれとこれとは別」
やはりエリスは無慈悲であった。
「にゃひぃぃん……なぜケイトはエリスさんに勝てないのか……」
泣き崩れるケイト。
しかし慰めるものは誰もいなかった。
「グッズなんて他の商会は作ってないと思うから、別に変わらないと思うけど」
ようやく少しずつ火照りが収まってきたペリアが、素朴な疑問を口にする。
床の上で溶けた氷のようにぐでーっと倒れ込むケイトが、無気力に答えた。
「将来的な収益を考えると独占したかったんですにゃあ」
「人、それを悪巧みと呼ぶ」
「ぐうの音も出ないですにゃあ……」
さらにでろんでろんに溶けていくケイト。
彼女はさておき、レスはここに来てからずっとペリアのことを心配そうに観察していた。
視線に気づいたペリアは「どうしました、レス様」と問いかける。
「あ……え、えっと、なんだかお仕事とか大変なんだろうな、って……」
「……ん?」
ペリアはレスの答えがいまいち理解できない。
するとレスは、こう一言付け加えた。
「む、虫刺されが……」
鎖骨や首辺りを指差しながら。
「虫刺され……ああ、これですか。さっきまでフィーネちゃんも一緒だったんですよ」
「……? そ、そうなんだ。フィーネさんが一緒だと、む、虫に刺される、の?」
「いえ、ですからこれは虫刺されではなくて――」
「ストップですぅーーーっ!」
恥ずかしげもなく答えようとするペリアに、ペルレスが通信機ごしにストップをかけた。
「うわっ、どうしましたペルレス様」
「いいですかペリア、レスはピュアなんです。ピュアだからこそ子供たちにも愛されてるです。知らないものは知らないままでいいです!」
「ああ、そうなんですか」
「ど、どういうこと? む、虫刺されじゃ、ない?」
「そうです、虫刺されです!」
「愛が重い虫が世の中にはいる」
「へ、へえ……め、珍しい虫なんだね」
なんとか守られるレスの純真。
ちなみに黙っていたウレアは、数日前のことを思い出して一人で顔を真っ赤にして悶えていた。
「それより、です。ようやく私の人形も完成したです、これで出撃準備は整ったです」
「ラティナ様には連絡してます。最終調整やフォーメーションの確認をしたら、いよいよユグドラシルを倒しにいきます」
二年の月日を経て、ようやくその準備は整った。
ゴーレムやブレイドオーガ、ガーディアンに関しては外観は大きく変わっているわけではない。
サイズも据え置きだ。
しかし、中身や装甲の素材、装備した武装の数々は段違いに質があがっている。
もちろん新しく作られた、ラティナ、ペルレス、レス用の人型の大型人形も、かなりの性能である。
今ならフルーグ相手にも1対1で十分に戦えるだろうし、それ以上の強さを誇るユグドラシルであっても、負けることはないだろう。
「その前にセレモニーがあると聞いた」
「ケイトの商会も協賛ですにゃ。盛大にお見送りしますにゃ」
「よ、余計に緊張しそう……」
「正直、帰ってきてからそういうのはしてほしい気はする」
「帰ってきてからもするんじゃないかな。その日のうちにね」
「ペリアさん、すごい自信ですにゃあ」
「当たり前だよ」
ペリアは新型ゴーレムの足元に近づくと、冷たい装甲に頬をくっつけた。
「んふふふぅ。見てよこのゴーレムちゃん、いかにも強そうでしょ? 絶対に負けないって顔してる」
「そう……ですかにゃ? ケイトには前と同じ顔つきに見えますにゃ」
「負けないの、だって今のゴーレムちゃんは最強だから」
開発者自身が、それを断言する。
一切の迷いなく、一切の驕りなく、心の底から確信している。
組み立てている時の感覚が、今までとは段違いだったのだ。
完成に近づくにつれて、ぞわぞわと寒気にも似た興奮が湧き上がってくる。
自分はなんて、恐ろしい人形を作っているのだろう――と。
「スリーヴァは、最高の悪夢を見ることになるよ」
絶対的な自信は、どこか狂気に似て――
ケイトはそう言い切るペリアに寒気を覚え、エリスはぞくぞくと恍惚とした表情を浮かべた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます