第47話 緊急事態です!

 



 フィーネが屋敷に帰ると、ペリアがベッドに横たわっていた。


 彼女の肌は赤らみ、わずかに汗ばみ、荒い呼吸を繰り返している。


 そしてエリスはそのベッドの縁に腰掛け、「ふうぅ」と満足げに息を吐き出す。




「何やってんのお前ら!?」




 この状況で声をあげずにいられる人間はおそらくいない。


 フィーネもその例にもれずに思わず叫んだ。




「あ……おかえりぃ、フィーネちゃん」


「目も声もとろんとしてやがる……まさかエリス、お前……」


「安心して、抜け駆けはしない」


「だったらどういう状況だよ!」


「大丈夫だよぉ、ただちょっと、腋を重点的にしゃぶられただけだから」


「全然大丈夫じゃねえ!」




 フィーネの言葉が正しいことは疑いようもない。




「腋だよ? 腋。そこまで言うほどかなぁ。確かにくすぐったかったけどね」




 しかし、ペリアは『じゃれあって遊んだだけだよ』と言わんばかりにけろっとしているし、




「そう、腋にそのような感情を抱く人間などいない。考えすぎ」




 エリスはわかった上で悪びれずにそう言い切った。


 1対2――多数決による敗北。


 いかにフィーネが正しかろうと、彼女に勝利の女神は微笑まなかったのである。




「なんであたしがおかしいみたいな流れになってんだ……そもそも、何でそんなことしてたんだよ」


「この前、エリスちゃんにケイトと二人で隣の村と交渉してもらったでしょ。そのご褒美? って言うのかな」


「ペリアが自分の体の一部を好きにしていいと言ったから」


「また火山に水着で飛び込むような真似を……」


「私はエリスちゃんのことを信じてたから、怖くなんてなかったよ。変なことはされなかったし」


「いやされてるよ! 逆にエリスは何でそのご褒美に腋を選んだんだよ!」


「……いやらしいから?」


「ほら見ろペリア、こいつ簡単に裏切るぞ! 欲望の悪魔だ!」


「もう終わったから大丈夫だよぉ」


「気づいてくれペリアーっ! お前は大切なものを失ってるんだーっ!」


「フィーネのも奪おうか?」


「犠牲者を増やそうとするなよぉ!」


「こっちにおいでぇ~」




 水に揺られる海藻のように、怪しげに腕を揺らすペリア。


 フィーネはつい笑いを抑えきれず、肩を震わせる。




「ペリアまで乗っかるなっての……ったく」




 彼女はそう言ってエリスの隣に座った。


 ペリアは「んふふー」と楽しそうに笑いながら、フィーネの肩に顎を置いた。


 人懐っこい猫のようだ。


 フィーネが頬を指先でくすぐると、ペリアは心地よさそうに目を細めた。




「どこからどこまで本気かしらねえけど、事実ならシャワー浴びてきたほうがいいぞ」


「匂う?」


「そこまでじゃねえけど」


「ならよかった。私も最初からそのつもりだったけどねっ。いってきまーす」




 ペリアは小走りで部屋を出ていく。


 ぱたんと扉が閉じると、改めてフィーネはジト目でエリスを睨んだ。




「お前、日に日に抑えがきかなくなってるだろ」


「本気で止められないと思ったらフィーネに言う」


「あたしの心の準備の時間をくれよ……」




 頭を抱えるフィーネ。


 エリスは「よしよし」とその頭を撫でた。




「ったく、何か話そうとしてた気がするのに頭からすっとんじまった」


「大事な話じゃなかったのかも」


「いんや、大事な話だ。でも、今んとこはあたしの胸に中に留めといていい」


「……刺激したら出てくる?」


「物理的な胸じゃねえよ」


「試してみる価値はあるかもしれない」


「いやねえって……あー、もう相変わらず強引だな」




 エリスはフィーネの肩に手を当てると、ベッドに押し倒す。


 そして彼女自身も寝転がると、手をつないで指を絡めた。




「エリスは油断も隙もないな」


「好意をむき出しにしてる相手の前で無防備になるのが悪い」


「信用してるから無防備なんだよ。で、今日の成果はどうだったんだ。エリス用の人形、完成しそうか?」


「武装に関しての話し合いは終わった。とりあえず、光の魔術と結界魔術をメインにすることになりそう。機動性は重視しないから、フィーネのより装甲が分厚くなりそう」


「待望の魔術師タイプのゴーレムってわけだな。後衛が増えれば戦略も安定する」


「何より一緒に戦えるのが嬉しい」


「だな。ペリアの力になれる……つっても、その力もあいつのおかげで手に入ったんだが」


「体でお返しするしかない」


「それ返せてんのか? お前だけ喜んでね?」


「私の悦びはペリアの喜びでもある」


「無敵かよ……」




 エリスはフィーネのほうを向くと、「ふふん」と不遜に笑った。


 どうやら本当に無敵らしかった。


 そうしているうちに、シャワーを浴びてきたペリアが、ネグリジェ姿で部屋に戻ってくる。


 生乾きの銀色の髪はぼさぼさだ。




「あ、二人で楽しそうなことしてるー!」




 ペリアは手をつないだフィーネとペリアを見て、ぷくっと頬を膨らました。




「私もまぜろーっ」




 そして駆け足でベッドに近づくと、ジャンプして二人に飛び込む。


 彼女の体は、フィーネとエリスの腹の上に着弾した。


 いくら小柄と言えど、その威力はなかなかである。


 その後、ペリアは二人から“仕返し”を受け、再び息絶え絶えになるのであった。




 ◇◇◇




 翌朝、道が繋がった隣の村――Fランクの“ユントー”の村長がマニングを訪れた。


 交流のためという名目だが、実際はまだマニングのことを信じきれていない部分がある、というのが本音だろう。


 自らの目で見て、本当に手を組んでよかったのか見定めようとしているのだ。


 村長は、おそらく40代の男性。


 鼻の下に立派なひげを生やした、スーツ姿の紳士であった。


 ユントーはマニングに負けず劣らずの田舎だ、そこでこんなに見栄を張る必要は無いはず。


 外面に気を遣う、プライドの高いタイプ――それが、マニングを案内するペリアとラティナが抱いた彼への印象だった。


 仮にマニングとユントーの規模が同じなら、腹の探り合いが必要だったろう。


 しかし、今のマニングの姿を見れば、そんな駆け引きなど不要――否、無駄であると気づくはずだ。




「家に明かりがついている。あれが魔術によるものだというのか。ん? おお、あれが小型人形……まさか、あのような大岩を簡単に持ち上げるのか! しかも片手で砕いた!?」




 この村で繰り広げられる光景は、技術の最先端を行くはずの王都をゆうに超えている。




「街道の開通も恐るべき早さだとは思っていたが、こうして目の当たりにするとさらに末恐ろしいな」


「これで信じてもらえたかしら?」


「当然だな。むしろ、ユントー側から差し出せるものの少なさが不安になるぐらいだ」


「人が足りないんです。協力してくれる人が増えるだけでも、十分に力になります」


「それに、私たちに協力するってことは、王国を裏切るってことだもの。それなりのリスクはあるわよ」




 ラティナは半ば脅しのように言った。


 ここで迷うようならば、戦いの中でメトラ側に付く可能性も考えられたからだ。


 しかし彼は即答する。




「そこまでの忠誠心は無い。Fランクの村に飛ばされた時点でな」




 無論、その返事は予想済みだ。


 彼に限った話ではなく、Fランクの村を納める貴族に国への忠誠心などほとんど無い。


 なにせ、いつ滅びるかわからない場所なのだから。




「安心したわ。どうやら私たち、いい関係を築けそうね」


「一緒に豊かな暮らしができるようにがんばりましょうっ」




 陰と陽とでも言うべきか――ラティナとペリアの対照的な言葉を受け、村長は困惑した様子でひげを撫でた。


 ラティナは本心を隠さないタイプだ。


 良くも悪くも、容赦なく切り込んでくる。


 一方でペリアは、外見こそ純粋な少女だが、その経歴を聞くと、底知れ無さを感じずにはいられない。


 ユントーの村長から見ると、どちらも同じぐらい“怖い”相手だった。




「しかし、民にはまだ疑っている者もいる。あの人形を一体でも良いので貸して頂けると助かるのだが」


「そうおっしゃると思って、すでに小型人形を4体用意しています」


「貸与していただけると?」


「いえ、差し上げます」


「なんと!」




 願ってもない申し出だった。


 だがそれだけに、何か対価を求められるのではないかと疑念も湧いてくる。




「腕部アタッチメントは農業用が3体分、土木作業用を1体分用意しています。農村と聞いていたので、農業用が多めですけど問題ありませんか?」


「そ、それはありがたい話だが……」


「こちらで教育した人間を一人付けるから、使い方もレクチャーもばっちりよ。ぜひユントーの民にもその便利さを味わってほしいわね」




 いたれりつくせりである。


 思わず村長は後ずさった。




「なぜだ……なぜそこまで与える? 何を企んでいる!?」




 最初こそ、ケイトが絡んでいたのでギブアンドテイクの側面が大きい取引だったが、今日は事情が違う。


 あまりに施しが過ぎる。


 相手を肥やして食らおうとでもいうのか、と疑ってしまうほどに。


 対して、ペリアは冷静に答えた。




「先ほど言った通りです、人が足りません。それは労働力の意味でもありますし、私たちの“味方”という意味でもあります」


「ユントーがメトラに抑えられるとちょっと困るのよ。もっとも、あっちはマニングがユントーと繋がったこともまだ知らないでしょうけど」


「ユントーを戦場にしようというのか?」


「今もすでに戦場です。最前線だからこそFランクなんです」




 ペリアの鋭い指摘に、村長は「う……」と言葉に詰まる。




「近いうちに、マニングの中に新たな交通手段を作る予定なんだけどね、そのうちユントーまで繋げたいと思ってる」


「交通手段……?」


「馬のいらない馬車とでも言うべきかしら。私の計算が正しければ、マニングとユントーをおよそ20分で行き来できるようになるわ」


「馬鹿なっ、そんなこと不可能だ!」


「対モンスター用兵器であるゴーレムなら、5分とかからないわ。現実にそういうものが存在する以上、不可能ではないのよ」


「ラティナ様の設計で、すでに試作段階まで入っています」




 レールの上を走る鋼鉄の車――いわゆる列車というやつだ。


 ラティナはこの村に来てから、人形魔術について学んでいたらしい。


 さすが上級魔術師と言うべきか、その飲み込みは異様に早く、はじめてペリアに魔術について質問をしてきた段階で、すでに基礎は完全にマスターしていた。


 それからさらに知識を深め、今では独自に人形の設計を始めたほどだ。


 ラティナの場合、人形を人型にすることへのこだわりが無いからか、その形状はペリアが設計したものと大幅に異なる。


 車輪の付いた人形という発想も、彼女が始めたことだ。




「ひょっとすると、次にマニングに来るときには、すでに村の中を走っているかもね」


「何を……」


「ん?」


「そんなにも発展を急いで、何をするつもりなのだ? 王国に反旗を翻して、どこへ向かう……いや、どこへ人間を導く!」


「そんな深いこと考えたことなかったわ。ペリアはどう?」


「んー……とにかくみんなの生活が少しでも便利になったらいいと思ってます。それに、言うほど私は急いでいるとは思いません」


「いや、どこからどう見ても急すぎる」


「人間には100年の停滞がありました。その分を取り戻すには、今の進みでも遅すぎると思います」


「……早すぎる変化は、人に災いをもたらさないのか?」


「考えすぎよ。第一、変化しなくたって災いは起きるし、人間は争うのよ」


「ですから、止まっているだけ損だと私は考えます」




 二人に言い負かされ、村長は黙り込んだ。


 彼は『人間をどこへ導くんだ』と声を荒らげたが、実際のところ、それは彼自身の不安だったに違いない。


 生まれ変わったマニングの姿を見て、その変化がユントーにも及んだとき、自分が取り残されるのではないか、と――




 ◇◇◇




 数時間後、ユントーの村長は馬車に揺られて自分の村へと戻っていった。


 約束通り、小型人形を4体と、その運用法を説明できる人間を一人付けてある。


 もっとも、ユントーにはまだコアが設置されていないので、ひとまずはチャージストーンに込めてある魔力が切れるまでの“お試し”になる。


 それであちらの村人が満足したのなら、コアの設置が行われるだろう。


 村長個人の不安は置いておいて、ひとまず村同士の付き合いに問題はなさそうである。




「少しやりすぎたかしら」




 馬車を見送ったあと、ラティナは隣に並ぶペリアに言った。




「あの手の不安が消えることは無いと思います。説明していくしかないですね」


「行き過ぎた幸福を得ると、急に不安になる人間がいる。度し難い生き物よね、私なんていつも最上級のハッピーを抱きしめてるけど、これっぽっちも不安にならないわよ?」


「幸せを享受するにも才能が必要なのかもしれません」


「ふ、自分の才能が怖いわ……」




 調子に乗るラティナを放置して、くるりと後ろを向くペリア。


 すると向こうから、ラグネルが走ってくるのが見えた。




「ラティナ様、噂をしたらハッピーさんがこっちに来てますよ」


「ラグネルっ!?」




 勢いよく振り返るラティナ。


 ラグネルを見つけるなり彼女も走りだし、そして二人は抱き合って、その勢いのまま踊るように一回転した。


 さらに流れるように唇を重ねる。


 おそらく何万回と繰り返してきたやり取りなのだろう。




「んっ……ラティナ、よかったここに居たのね」


「ラグネルってば私を探してくれていたのね。その事実だけで愛おしさが爆発しそうだわ」


「嬉しいけど、今は大事な話があるの。ギルドから呼び出しよ、ランスローから通信が入ってるって」


「ランスロー様からですか!?」




 思わずペリアが声をあげた。


 ランスローは自らの命を守るため、ひとまずメトラに従っていたはずだ。


 ヴェインのあの姿を見れば、上級魔術師であろうといつ化け物に変えられてもおかしくはない。


 通信が入ったということは、少なくとも彼は無事なのだろうが――




「ランスローから・・なのね?」


「ええ、本人から直接」


「だったら朗報じゃない。ちょうどいいわ、ペリアも付いてきて」




 ◇◇◇




 三人はギルドへ向かった。


 ラティナが通信機の前に立って「ランスロー、いる?」と問いかけると、




『どうにか生きてるよ。無事に通信できてほっとしてる』




 彼は疲れた声でそう答えた。




「通信はプローブのギルドからって聞いてるわ。無事に王都から逃げられたのね」


『ギルドの伝手を使って天上の玉座に連絡を取ってもらったのさ』


「フィーネちゃんやエリスちゃんの仲間の人に助けてもらったんですか?」


『さすがの手際だったよ。彼らでなければ、僕は今頃あのスリーヴァという老婆に殺されていただろうからね』


「スリーヴァ? 誰なのそれは」


『そのあたりの説明も含めて、直接話したい。僕と一緒に逃げてきた宮廷魔術師が数人いるんだけど、マニングで受け入れてもらえないかな』


「もちろん歓迎よ」




 ラティナはペリアに確認も取らずに即答した。


 もっとも、ペリアも断るつもりはなかったが。




『ありがとう、助かるよ。それじゃあすぐにプローブを出るから、明後日には到着すると思う』


「遠回りしてでも安全な道を選ぶのよ。マニングは王国に目をつけられてるんだから」


『肝に銘じておくよ。それじゃ、また』




 通信が終わる。


 ラティナは「ふぅ」と小さく息を吐いた。


 ペリアは彼女の若干険しい表情を見て、問いかけた。




「簡単すぎるって思ってますか?」


「考えすぎならいいんだけどね。ランスローは間違いなく一流の魔術師よ、私が認めるぐらい。そこに天上の玉座が加わったって言うんなら、脱出が不可能とは思わないわ。ただ――」


「ヴェインとの戦い以降、目立った動きが見えないから不安になる……というところでしょうか」


「心でも読んでるの?」


「私も同じことを考えていただけです」


「まあ、あいつもそれぐらいはわかってるでしょうよ。しばらくは軟禁して様子見ってことになるでしょうね」


「わかりました、そのつもりでいます」




 ラティナたちが来た頃ならまだしも、今は明確に王都とマニングは敵対している。


 しかも、メトラにはモンスターを生み出した元凶と思われる存在が協力しているのだ。


 その圧倒的な技術力を使えば、いくらランスローといえども、気づかれないうちに自分自身が罠に改造されている可能性だってある。


 警戒を強めようとする二人の考えは、決して過剰防衛などではない。




 ◇◇◇




 その次の日。


 ペリアは自室にこもり、エリスの人形、そしてゴーレムの改良案について考えながら、同時に明日のランスローたちにどう対応するかを考えていた。


 ラティナたちに任せてもいいとは言われているが、いざ戦いになれば、動くのはペリアとフィーネだ。


 万が一のことを考えると、最低限ゴーレムの改良だけは今日中に終わらせておきたい。


 そんな焦りを覚えながら作業を進めていると、ペリアはかすかに足元が揺れるのを感じた。




「地震かな……」




 珍しくはあるが、この程度の揺れなら気にするまでもない。


 再び机に向き合うペリア。


 外が騒がしいことに気づいたのは、それから五分ほど経ったときだった。


 窓を覗き込むと、明らかに人の数が多い。


 そして彼らは一様に不安げな顔をして、鉱山のあるほうを見つめていた。


 異変を感じ取ったペリアは屋敷から出る。


 そこで、ちょうど前を通りがかったレスと目があった。


 いつもなら学校で子供たちに魔術を教えているはずの時間――彼女がここにいること自体が、すでに非常事態だった。




「レス様」


「ぺ、ペリアちゃんっ……なんだか、大変みたい……」


「何が起きてるんですか?」




 レスは元々血色の悪い顔を、さらに青くしながら言った。




「こ、鉱山で落盤事故があったみたいで。沢山の人が、い、生き埋めに、なったって……」




 予想だにしなかった事態に、ペリアは目を見開き固まった。



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