第10話 せめて、君が見る世界は美しくあってほしい

 



 マニングから馬車で三時間北上したところにある町、マーチ。


 ランクはC。


 農業が盛んで、町の中心には中規模の市場もあり、それなりに栄えている。


 マニングには鉱山ぐらいしかないので、しばしばこの市場から食料を購入していた。


 そんな伝手もあってか、マニングから女性を連れて逃げ出した貴族スケイプは、この町に身を潜めていた。


 とはいえ、ここも結界の端からそう遠くない場所にある町だ。


 仮にマニングが消滅していたら、農業が盛んとはいえ、ランクDに格下げされていただろう。


 何より近すぎる。


 貴族にとって安心できる場所とは言えず、彼はすでに違う隠れ家を探していた。


 だが探す上で、連れてきた女性の存在は足かせとなっていた――




 ◇◇◇




 商人と一口に言っても、様々な人間がいる。


 だが他の職業に比べると、金勘定に執着心が強いのは間違いない。


 ゆえに、商人が集まる市場には、モラルを欠いた者も必ず現れる。


 スケイプはそういった商人に声をかけ、町外れにある倉庫に来ていた。


 彼の後ろには、屈強な男たちに護衛された荷車が複数台置かれ、中には拘束された女性が10名ほど寝かされている。


 待ち合わせ時間をすでに過ぎているのか、スケイプは腕を組み、貧乏ゆすりをしてイライラしている様子だ。


 そこに、女の商人が現れる。


 限りなく金に近い茶色の髪が、まるでネコの耳のような形に整えられている。


 顔つきも、目は細く、口角は上がり、どことなくネコっぽい。




「おお、来ましたか! あなたが――」


「にゃはははははっ、この度はクピドゥス商店をご利用いただきありがとうございますにゃ」




 そして極めつけに、喋り方までネコだった。




「商王ケイト・クピドゥス。まさかあなたのような大物が食いつくとは」


「にゃはっ、ケイトはお金になるものなら何でも食いつく、金の亡者ですにゃ。それで、例の商品は?」


「荷車の中です」




 ケイトが中を覗き込むと、猿ぐつわを噛まされた女が、助けを求めるように「んーっ!」と声をあげて体をよじった。




「にゃるほど。田舎臭い女ばっかだけど、悪くはないにゃ。鉱山町の女なら気立てもよさそうにゃし、売ればそこそこの金にはなりそうにゃ」


「ええ、間違いありあせん。反抗心が強いというか、生意気な女ばかりですから。絶望して自殺する心配だってありませんよ」


「にゃるほどにゃあ……ところでスケイプさん? この女たち、どーこで手に入れたものなのにゃ?」


「私が治める村から連れてきたのです」




 スケイプは悪びれもせずに言った。




「モンスターの襲撃を受けるということで、一番金になりそうな女たちだけを連れて脱出したのですよ」


「マニングなら、エーテライトでも持ってきたほうがよかったんじゃにゃいかにゃ?」


「そんなもの取れませんよ! 数ヶ月かけてかき集めて、ようやく頼まれたアダマンタイトが集まるぐらいなんですから。あの鉱山はとっくにもう枯れてます」


「アダマンタイトはさすがに重すぎるにゃ、それで女を……」


「何より、この女たちも私に感謝しているはずです。死ぬはずだったものを、私に救われたのですから」


「……でもマニングは無事だったって聞いたにゃ」


「そのようですね。信じがたい話だ。天上の玉座も絡んでいるそうじゃないですか」


「にゃはっ、あいつらがいくら強いと言っても、20メートル級を倒せるはずがないにゃ。突如現れた巨人とやらのほうが気になるにゃ。商売の匂いがするにゃあ」


「それでマーチに来ていたのですか?」


「そういうことにゃ。マニングを目指していたら、ちょうど話を聞こえてきたのにゃ」


「まさか……買い取った女たちを、マニングに戻そうっていうんじゃないでしょうね?」


「にゃ? にゃははははははっ! ケイトがそーんにゃ金にもならない仕事をすると思うかにゃ? にゃははははっ!」


「あはははっ、確かにそれもそうだ。では、早速値段の交渉に入りましょう」


「その前に、一ついいかにゃ?」


「なんです?」


「あの馬車を護衛してる男たち。ずいぶんと目つきが悪いにゃ。何者なのにゃ?」


「ああ、彼らは――」




 スケイプとケイトが視線を向けても、男たちは微動だにしない。




「以前から交流のある旅団の方々ですよ。村から出る前に連絡を取り、彼らに護衛を頼んだのです」


「あの体つき……Aランク級にゃねえ」


「中にはSランクもいますよ」


「高く付くにゃ」


「奮発したんです。あの女たちが売れれば黒字ですよ」


「にゃはっ、黒字にできればいいにゃあ」


「冗談でもやめてくださいよ。そこまで値切られたんじゃ、私も別の商人を探すしかなくなります」


「その必要はないにゃ」


「え?」


「例えばの話にゃ。ここでケイトがお前からあの女たちを買い取ったとして、それを裏ルートを使って売りさばいたとしても、リスクに見合う儲けとは言えないにゃ」




 ケイトの瞳がわずかに開く。


 そこから見える深淵に、スケイプはぞわりと寒気を感じた。




「でもでもにゃ、ここでお前たちからあの女たちを奪ったとしたら。この交渉の場を作った時点で、依頼が完了して、ケイトにお金が入るしくみだとしたら、そっちのほうがお得だとは思わないかにゃ?」


「な、何を……まさか、最初から奪うつもりで!? 舐められたものだ、さっきも言ったとおり、彼らの中にはSランクだって!」




 叫ぶスケイプの背後で、「うっ」と小さなうめき声が聞こえた。


 振り向くと――自慢のSランク冒険者の脳天に、人の身長ほどある太刀が突き刺さっていた。


 遅れて降りてきた、鬼の仮面を被った何者かがそれを引き抜くと、冒険者は力なく倒れる。




「マーチで暗躍する旅団、暗闇の影。前から思ってたが、暗闇じゃ影って見えねえよな。名前ダサくねーか」


「け……け……剣鬼だとぉッ!?」


「ま、前から目障りだったし、人身売買に関わるんなら容赦なく消せるな」




 他の護衛たちも、一斉に“鬼”に襲いかかる。


 しかし彼女はその場から一切動かずに、軽く――誰にも見えないほどの速度で剣を振った。


 次の瞬間、男たちの頭部は風船のように破裂し、事切れた。




「ひ、ひいいぃぃぃっ! どうして剣鬼まで出てきてっ! 私を追い詰めるんだあぁぁあっ!」


「よう貴族さん。あんたもその名前を知ってるんなら、わかってんじゃねえのか」




 鬼は血まみれの刃を肩に乗せ、スケイプの目の前でしゃがみこんだ。


 そして彼の顎を掴み、骨がミシミシと音を立てるほど強く握る。




「い、ぎっ……あがぁっ……!」


「悪さした奴ぁ、それ以上の悪に潰される。一度畜生の道に降りたらからには、後戻りなんてできねえんだよ」


「あ……あっ、あぁっ……あぎゃぁぁぁぁああああああああっ!」




 スケイプの汚い叫び声が、倉庫に響き渡った。




 ◇◇◇




「にゃはははははっ」




 事が終わると、ケイトが上機嫌に笑う。


 フィーネは鬼の面を外し、ため息をつきながら荷車に歩み寄った。


 ちなみに、気絶して失禁したスケイプは、倉庫の端っこに転がされている。


 裏の仕事をしている冒険者はともかく、貴族を殺せば、死体を完全に隠さない限り、どこかで問題になる。


 フィーネもそこまでうかつではない。




「いやはにゃ、いい見世物でしたにゃ。お金をもらいながら、剣鬼の残虐ショーまでみれるにゃんて、ケイトは幸せ者ですにゃ。相変わらず、悪人には容赦がないですにゃあ」




 取り出したナイフで猿ぐつわと縄を切ると、女性は目に涙を浮かべながら、フィーネに礼を告げる。


 他の女性たちの拘束も、次々と解かれていった。




「ったく、都合よくこの町にいやがるとは。鼻だけは化け物級だな」


「伊達に商王は名乗ってませんにゃ」


「勝手に名乗るな! お前は天上の玉座のメンバーじゃねえだろ!」


「王という文字は、玉座の専売特許ではないにゃ。勝手に名乗っても自由ですにゃ。それともお金でも取るかにゃ?」


「あー、めんどくせえ!」


「まあまあ、そういわずにゃ。女性たちをマニングに送り届ける料金は割引してあげるにゃ。どうせケイトも鉱山に向かうつもりだったにゃ」


「だからめんどくせえんだよ……」




 フィーネは困った顔で頭を掻いた。


 ケイトはきょとんと、首をかしげる。




「……もしかして、エリス、いるかにゃ?」


「いるに決まってるだろ。あたしがいるんだぞ」


「にゃー……にゃはー……そ、それでも、商売の匂いがするなら行くしかないにゃ」


「たぶんエリス、いつもより気が立ってると思うぞ」


「そうやって脅すのよくないと思うにゃ!」




 色々あって、ケイトはエリスとあまり仲がよくない。


 しかもマニングにはペリアがいる。


 いつも以上に、エリスはケイトに対して警戒心を強めるだろう。




「フィーネの裏のお仕事を剣鬼ってよぶにゃけど、ケイトにとってはエリスのほうがよっぽど鬼にゃ」


「元々、あいつには魔王って称号が与えられようとしてたからな」


「ぴったりにゃ! 今からでもそうするべきにゃー!」




 よほど痛い目を見てきたのか、ケイトは必死でそう主張した。




 ◇◇◇




「へくちっ」




 エリスは控えめにくしゃみをした。


 同じテーブルで朝食を取るペリアが、心配そうに見つめる。




「大丈夫? 体調悪い?」


「ペリアを摂取したから体調は万全。たぶん誰かが噂をしてた」


「エリスちゃんは美人さんだからみんな噂してるよ」


「それなら、かわいいペリアは私の10倍はくしゃみをしてないとおかしい」


「またまたぁ、私なんて、エリスちゃんの美人さの足元にも及ばないよ」


「待ってほしい。それは譲れない。ペリアのほうが絶対にかわいい!」


「いーや、エリスちゃんのほうが美人!」


「かわいい!」


「美人!」


「かわいい!」


「美人ー!」




 朝っぱらから不毛な言い争いをする二人。


 宿の主は、怪訝そうにその様子を眺めていた。




「……やめよう。結論が出そうにない」


「うん、そだね」




 ようやく落ち着くと、彼女たちは硬いパンをかじりはじめた。


 朝食は、パンとスープという質素なものだ。


 だが元々、朝食は軽く済ませるタイプの二人。


 宿の主は『恩人にこんな料理でいいのか?』と思っているようだが、ペリアもエリスもありがたく平らげた。




「ごちそうさまでしたっ」


「ごちそうさま。それで、今日はオーガの解体だったっけ」


「完全に腐る前に、臓器とか保存しておきたいなと思って。あと、角や爪もなにかに使えそうだし」




 フィーネは朝には帰ってくると言ったが、そこから外への探索に出発しても、少し遅い。


 何よりフィーネの疲労もあるだろう、ということで、今日はオーガの解体のために時間を取っておいたのだ。




「ゴーレムの拳の先っぽに爪とか付けたら強そう」


「そ、それ……すっごくかっこいい! 付けたい!」




 モンスターから取れる素材によって、夢は広がる。


 元々、魔獣・オーガの角は薬に使われたりもしていた。


 もしあの角が、それよりも効果の高いものなら――今まで治せなかった病も、克服できるかもしれない。


 人類にとっての脅威は、逆を言えば、人類だけでは成し得ない夢の、可能性の塊とも言えるのだ。




 ◇◇◇




 フィーネが皮を裂いてくれたおかげで、解体は順調に進んだ。


 村の人々もペリアを手伝ってくれているようで、横たわったオーガの体の上には、鉱夫たちがナイフやつるはしを持って立っている。


 一方でエリスはというと、解体には関わらず、村人の健康相談を受けていた。


 聖王と呼ばれるだけあって、彼女の回復魔術は一級品だ。


 そもそも回復魔術自体、習得には才能が必要なため、使用者が少ない。


 なので“使える”というだけでも、旅団や各町から引っ張りだこなのだ。


 その中でもトップクラスの腕を持つ魔術師――骨折や、原因が明らかな痛みの治療はお手の物だ。


 マニングのような貧しい村には、治療術師すらいないことが多い。


 殺到するのも当然のことであった。




 そんなエリスの作業が一段落したのは、昼前のこと。


 まだフィーネは戻ってきていない。


 そんな中、ブリックが困った様子で、エリスの元に歩み寄ってきた。


 彼は統治する貴族のいない現在、長老のような立ち位置らしい。


 なので、村の厄介事は自然と彼に集まるようになっていた。




「エリスの嬢ちゃん、ちょっといいか」


「嫌といいたくなる表情」


「気持ちはわかるが、ペリアの嬢ちゃんを守ると思って、な?」




 そう言われると、エリスは逆らえない。


 彼女はブリックに案内され、宿の近くまでやってきた。


 そしてなぜか彼は、窓から中の様子を見るように促してくる。


 そこには、見覚えのあるローブを纏った三人組がいた。


 彼らはなぜか異様に疲れた様子で、テーブルに突っ伏している。




「宮廷魔術師……どうしてここに」


「やっぱり知ってたかい。あいつらな、いきなり来たかと思ったら、ペリアの嬢ちゃんを出せって喚いたらしいんだよ」


「ペリアを? 今さら?」


「だからあの嬢ちゃんに伝える前に、あんたを通したほうがいいと思ってなァ」


「ブリック。それ正解」


「だろ?」


「私が話を付けてくる」


「頼んだぞ。わしには何もできんからな」




 エリスは一人、宿に乗り込む。


 入り口扉が開き、チリンチリンと鈴が鳴ると、三人は一斉に顔をあげた。


 マニングには似つかわしくない、お上品な顔ぶれ――纏う空気からして、お高く止まっている。


 エリスは最初から敵と向かい合うつもりで、彼らに近づいた。




「こんにちは」


「誰だね、君は」




 リーダーらしき中年男性が、高圧的にそう尋ねる。


 すると横にいる若い男が声を震わせた。




「せ、聖王エリス……」


「なっ、天上の玉座の!? 一緒に行動しているというのは本当だったのか」


「名乗るならそっちが先だと思うけど」




 エリスは近くの椅子に腰掛け、頬杖をつく。




「私たちは貴族だぞ。しかも、貴重な魔力を消耗して、半日でここにたどり着いたのだ。いくら天上の玉座とはいえ、平民が取っていい態度には見えんな。村人総出で歓迎するのが義務だろう」


「一つ、いいことを教える」


「平民風情が、貴族である我々に?」


「貴族だろうと平民だろうと王族だろうとモンスターだろうと……死ねばみんな、ただの肉の塊」


「……お、俺たちを脅すつもりかよ!」


「最初に偉そうな態度を取ってきたのはそちら。用事もたかが知れてる。できればさっさと帰ったほうがいい」


「できるわけないじゃない! いいから早く、ペリアを出しなさいよ!」




 三人目の女が初めて口を開く。


 が、やはりキーキーうるさい。


 エリスはみるみる不機嫌になっていく。




「一応、聞いておく。ペリアに会ってどうするつもり?」


「当然、連れて帰る」


「自分たちで追い出しておいて?」


「彼女はまだ正式に退職したわけではない。何より、手続きも踏まずに飛び出したのはペリアのほうだ、戻る義務があると考える」




 大真面目に馬鹿げたことをいうその姿に、エリスは思わず吹き出した。




「ふふっ、宮廷魔術師って脳みそが腐っててもできる仕事なんだ」


「な、何だとっ!? これは上級魔術師であるヴェイン様の命令だ、平民には逆らえない! いいから早くペリアを呼んでくるんだ!」


「聞くに堪えない。脳から出た膿を妄言に変えて口から垂れ流しているよう。よくもまあ、恥ずかしげもなくそんなことが言えたもの」


「貴様あぁぁぁっ!」




 激高した男は、突然立ち上がり、エリスに向かって水の魔術を放った。


 こんなもの平常運転だ。


 貴族は平民を殺しても大した罪にならない。


 そんな話、そのあたりに腐るほど転がっている。


 だが当然、その程度の弱っちい魔術は、エリスの防護壁に弾かれる。


 頬杖を付いた体勢も変えず、無傷の彼女を前に、男はうろたえる。


 その様を見て、エリスは冷たく彼らを見下した。




「プライドが肥大化しすぎて脳の領域を無駄遣いしてるから、魔術の才能もその程度しかない。第一、私がそのつもりなら、お前たちのような蛆虫はもう100回は肉塊にできてるってわからないかな。私は最初にそう伝えたつもりだったんだけど、貴族病を患ってスライム以下になったその脳みそじゃわかんないか。かわいそうに、かわいそうに、かわいそうに」


「ど、どこまでも馬鹿にしてえぇぇぇ……ッ!」


「や、やい、聖王エリス! 自分が魔術に優れてるからって調子に乗ってんじゃねえのか? こっちは貴族で、宮廷魔術師だぞ? 10メートル級と戦って壊滅した天上の玉座のような雑魚旅団、簡単に潰せるんだぞ?」


「やってみるといい」


「強がってんじゃねえよ!」


「やれと言っている」


「そ、それが嫌なら……」


「やれ」


「ペリアを出せって言ってるんだよぉ!」


「腰抜け」


「うぅ……ヴェイン様の名前を出せばあいつは従うんだ! お前と話している暇なんてない!」


「従わないし、従わせない。もうペリアは宮廷魔術師じゃない。私たちの仲間。私たちの家族。だから私は彼女を守る。お前たちは金輪際関わらせないし、視界にも入れさせない」


「そんなもの聞かないとわからないだろうがぁ!」


「わかりきったこと。そもそも、お前たちがペリアが作ったゴーレムの功績を横取りしようとしていることは明らか。そんなもの通るはずがない」


「あのゴーレムは研究所の資材と施設を使って作ったものよ。権利は私たちに――」




 エリスは真横にある椅子を蹴った。


 椅子は飛ぶことすらなく、その場で砕け散る。


 大きな音と、その威力に、三人は怯え体を縮こませた。




「平然と嘘をつく汚物が。お前たちのそういう言葉に、そういう行動に、ペリアがどれだけ傷つけられてきたかわかってる? 断言する。お前たちはペリアがいなければ無能だ。誰より優秀な魔術師であるペリアに、今まで何度も、数え切れないほど助けられてきたはず。ヴェインだっけ、そいつの功績の大半はペリアがやったもの。あの子がいなければ、お前たちは血統以外何一つとして誇れるもののない無能になる」


「ぐっ……!」


「本当は理解している、自分たちそこまで優れていないことを。だから憤りながらも、現実を見るのが嫌で、私に魔術を使うことができない。お前たちはその程度の存在だ。懸命に生きている平民よりも何倍も何十倍も卑しい、残り僅かな人類の未来を食いつぶすだけの害虫だ。いいかな、私はもう二度警告した。三度目はない。まず前提として、私がお前たちと対等に対話している時点で大きく譲歩している。その時点で、お前たちにできることは、何もせずに諦めて帰るか死ぬかの二択。それ以外には存在しない。お前たちのような寄生虫がペリアと会うことは絶対にありえない」


「それを決める権利が、平民にあるとでも!?」


「はぁ……どうしてわからないかな」




 最後通牒はすでに終わった。


 エリスは完全に諦めると同時に、大きくため息をついた。


 そして、繰り返す。




「私は、とても優しい」


「ははっ、生意気の間違いでは?」


「私は、とても優しい」


「おいおい、どこがだよ。平民の義務は貴族に従うことだろうが。それが優れた、優しい平民ってもんだ」


「私は、とても優しい」


「ちょっとお、話が通じなさすぎて壊れちゃった? もういいよ、勝手にペリアを連れて帰ろ。ヴェイン様の名前を出せば、どうせビビって付いてくるんだから」




 それでも理解しない愚者たちは、再び鳴った鈴の音に反応し、そちらを向いた。


 ――鬼がいる。


 巨大な、むき出しの太刀を肩に担ぎ、殺意を隠しもせずに、鬼がこちらに近づいてくる。




「だ、誰だ……あれは何だっ!?」




 一歩ずつ、木の床を軋ませながら。




「や、やばいっすよあれ。室長、あいつはやばい!」




 仮面の向こうから見える瞳は、人殺しのそれだ。




「に……逃げましょうっ!」




 そして鬼は彼らの目の前で、大きく剣を振りかぶり――




「うわあぁぁぁぁあああああああっ!」




 耐えきれず、彼らは窓から一目散に逃げ出した。


 その無様な姿を見て、エリスは一言。




「しょっぼ」




 と呟いた。


 フィーネは仮面を外すと、開いた窓を見てため息をつく。




「はーぁ……ペリアも大変だよな、ほんと」


「おかえり、フィーネ」


「おう、ただいま」


「本当に、あそこまで話が通じないとは思わなかった。あいつら、魔術師としても三流。ペリアがいなくなって、仕事回ってるのかな」


「回ってないから連れ戻しに来たんじゃねえの。絶対に会わせねえけど」


「今度来たら本気で殺す」


「ああ、ペリアに見えないところでな」




 二人の放つ殺気に、宿の主はカウンターの隅でガタガタと震える。


 すると、エリスはそんな彼に近づき、数枚の金貨を置いた。




「……へ? な、なんでしょう、か」


「椅子、壊したから。ごめんなさい」


「い、いえっ、こんなに高くないですし……」


「迷惑料も込みで。受け取ってほしい」




 さらにエリスは店主からほうきを借りると、フィーネと一緒に掃除をはじめるのだった。



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