第7話 屈辱の対価

 



 それは、ペリアがオーガを撃破する前日の出来事である。


 彼女をクビにした後、ヴェインは自分の研究室で、優雅にお茶をしていた。


 上級魔術師になると、大量の研究費の他、広い部屋と数人の召使いが与えられる。


 それを目当てに上級魔術師を目指す者も少なくはない。


 ヴェインは、デスクの上に広げられた新聞に視線を落とした。




「モンスター凶暴化、増加の兆候……か。人類滅亡が30年後などとバカバカしい。結界の出力を都に集中すればいいだけのこと。平民が減るのはただの“浄化”じゃないか」




 彼は過激な貴族主義者であり、有力貴族である自分に流れる血を、何よりも誇りと思っていた。


 上級魔術師になれたのも、家の力が大きいのだが――彼はそれを恥じたりはしない。


 当然のことと考え、自分より血で劣る他の上級魔術師を内心では馬鹿にしていた。


 しかし、だからこそヴェインにも逆らえない相手がいる。


 コンコン、とドアがノックされる。




「どなたですか?」


「僕だよ、ヴェイン」


「メトラ王子!」




 慌てて立ち上がり、王子を部屋に迎えるヴェイン。


 王立魔術研究所は、王族の住む宮殿のすぐ近くにある。


 そのため、彼のような立場の人間が、直接訪れることも少なくない。


 メトラとヴェインはソファに掛け、話をはじめる。




「驚かせてすまない。例の魔道具製作の進捗が気になってね」


「予定通りに進んでおります。明後日には献上できるかと」


「それは楽しみだよ。君に頼めば、誰よりも早く、誰よりも質の良い魔道具を作ってくれる安心感がある」


「ありがたいお言葉です」




 深々と頭を下げるヴェイン。


 ペリアの前での態度と比べると、驚くほど腰が低かった。




「ところで例の平民のことだけど。さっき研究室のほうを見てきたよ。どうやら追い出すのには成功したみたいだね」


「ええ、時間がかかってしまい申し訳ありません。思った以上に往生際の悪い女でして」


「君を責めたりはしないよ。まともに仕事をしない、しても役に立たない。毎日のように無駄に残業をしては、挙げ句の果てに金銭を要求する始末。救いようがないよね。ガス抜きのためとはいえ、汚れた平民を招き入れたお父様たちは何を考えているんだか。平民が貴族より優れているはずがないのにねえ」


「まったくもってその通りです。僕の指導を受けても、あんなに伸びなかった新人は初めてですよ」


「もう少し遅れたら場合によっては始末・・を頼むところだった」


「それでも構わなかったのですが。僕の炎なら、痕跡も残さず消せますから」


「はっはっは、そうだったね。ヴェインは火属性専門の魔術師。単独で魔石加工が可能なほどの高温を操ることができる。でも、もったいないんじゃないかな。平民の彼女に、貴族の君の魔術は」


「手を汚さずに済んでほっとしています」


「何はともあれ、これで王都の浄化は完了した。この神聖な地を、平民が汚すようなことは二度とあってはならない――ふぅ、平民がいないと思うと、空気も美味しいねえ。ははははっ」


「僕もそう思っていたところです。あはははっ!」




 部屋に男二人の、下品な笑い声が響く。


 それを扉の外で聞く、赤い髪の女の姿があった。


 彼女はヴェインと同じデザインのローブを纏っている――つまり上級魔術師だ。




「モンスターの活動が活発になってるってのに、あいつら余計なことを……!」




 女はヴェインに見つからぬよう、部屋の前を立ち去り、そう吐き捨てた。




 ◇◇◇




 そしてオーガ撃破の当日、昼過ぎ。


 ヴェインはその足で、部下のいる研究室に立ち寄った。


 ペリアのいなくなった部屋で、部下たちはゆったりと仕事をしていた。




「邪魔者がいなくなって広く感じるな」


「ええ、かなり快適ですよヴェイン様」


「それはよかったよ。ところで、王子から依頼のあった魔道具だが、どうなっている?」


「ヴェイン様がペリアに命じたやつですか? それならデスクに残っていると思いますが」




 部下がそう答えても、ヴェインは微動だにしない。




「ヴェイン様?」




 そう再び聞かれると、ヴェインの表情は怒りに染まった。




「僕に平民のデスクを漁らせるつもりか? 何も言わずともお前達でやれッ!」


「は、はいっ! お前も、室長も見てないで手伝ってください!」


「はーい」


「仕方ないねえ……」




 三人がかりで、ペリアの机を漁る。


 その間、ヴェインは腕を組んで、苛立たしげにその様子を眺めていた。




「まったく、いつ追い出されてもいいように、引き継ぎ資料ぐらい用意しておけばいいものを。どこまでも無能な……」




 自分が追い出したことを棚に上げて、彼はそう言い切った。


 やがて三人は、ペリアの残した資料を見つけ出す。




「ヴェイン様、ありました!」


「ただの紙じゃないか」


「他に無いので、おそらくこれだけかと」


「ふざけるな。僕は明日までに、魔道具を作れと頼んでいたんだぞ? 作りかけですらなく、設計図しか残ってないだと!?」


「で、ですが、どうやらペリアは……明日までに完成する予定で、これを用意していたようです」




 確かに資料には、今日の日付と、『絶対に完成させる!』という可愛らしい文字が赤で書かれている。


 それを見たヴェインは、資料を持つ手をプルプルと震わせた。




「そんなはずがあるか……! こんな複雑な魔道具、今日一日で完成するわけがないだろうがッ!」




 そして、紙束を床に投げつける。


 部下たちは、顔を引きつらせてその様子を見ていた。




「あの女め、最後の仕事すらまともに終わらせられないのかッ! クソ、お前たち!」


「は、はいっ!」


「予定通り、明日までにこれを完成させておけ!」


「ま、待ってください、そんなの無理です!」


「僕はお前に“無理”と言っていい許可を出したか? 部下なら大人しく従えッ! 僕はもう行く!」


「どこに行くんです? 三人じゃ終わりません!」


「会議だよ、会議! ただの平魔術師であるお前たちと違って、上級魔術師である僕は忙しいんだ!」


「そんなぁっ! 明日までなんて絶対に不可能ですって! ヴェイン様ーっ!」




 部下の泣き言など聞かずに、乱暴に扉を閉めて部屋を去るヴェイン。


 残された部下たちは、資料を手に途方に暮れた。




「これ、どうやったら一日で終わるんだよ……」


「で、でも、ペリアはこれを一人でやってたってこと?」


「知らねえよ。巻き込まれたくなくて、ヴェイン様に押し付けられた仕事には近づこうとしなかったからさぁ」


「使用する魔石の種類が多すぎる、備蓄分だけじゃ足りない。加工室の使用許可も取らなければ。こんなもの、一人で終わらせるのは物理的に不可能だねえ」


「でも、命令された以上は、従うしかないんですよね……」


「うへぇ……つかこれ、時間どうこうの前に俺らに作れんのか……?」




 彼らはがっくりと肩を落として、作業に取り掛かった。




 ◇◇◇




 定例会議は、研究所の中央会議室にて行われていた。


 十二人の上級魔術師全員が揃い、円卓に腰掛ける。


 この会議は、王族や王国軍は出席しない、純粋な“研究者”だけの集いであった。




「ふん……どいつもこいつも呑気な顔をしやがって」




 明らかに不機嫌なヴェインに、冷たい目を向ける魔術師がいた。


 彼女の名はラティナ。


 ヴェインと王子の密談を部屋の前で聞いていた、赤髪の上級魔術師である。


 彼女は、コネで地位を得たヴェインをよく思っていなかった。


 他の面々は、実力で上級魔術師に上り詰めた者ばかりだ。


 特定の魔術を極めていたり、“固有魔術”と呼ばれる能力を持っていたり――その地位を得るには、それにふさわしい“格”をというものがある。


 ヴェインは誰の目に見ても、それを満たしていないのは明らかだった。




「全員揃ったようだね。それでは定例会議を始めるよ」




 上級魔術師最古参のランスローがそう告げる。


 眼鏡をかけていて、細目で、細身で――外見はいかにも優男なのだが、実は年齢不詳である。


 他にも上級魔術師には、年端も行かぬ童女がいたり、仮面を被っていたり、鎧で性別すら不明だったりと、素性不明な人物が多い。


 その中では、ヴェインとラティナはかなり常識的な見た目をしていた。




「ではまず――」




 いつもの流れで、研究報告を始めようとするランスロー。


 それを遮り、ラティナが立ち上がった。




「ん? どうしたんだい、ラティナ君。順番はまだのはずだけど」


「会議に先んじて、みんなに話しておきたいことがあるの。今日、王都南東にあるマニングという村に、モンスターの襲来があったわ」


「マニング……確か、枯れた鉱山の村だったね」


「出現したモンスターは20メートル級のオーガ。オーガは結界を破壊した後、マニングに侵入。そこで――撃破された」




 撃破――その一言に、魔術師たちはざわつく。


 天上の玉座ですら、10メートル級の討伐で半数が命を失った。


 では今回は、どれだけの犠牲を出したというのか――




「確かな情報かい?」


「私の部下からの報告だから間違いないわ」


「どこの旅団かな? 天上の玉座は前回の戦闘で壊滅状態。彼らよりも優れた旅団がいるとは思えない」


「今回は単独での撃破よ」


「そんな馬鹿な! 一人でモンスターと戦える魔術師が存在するっていうのかい!?」


「その魔術師は鉄の巨人――おそらくは巨大な人形を駆り、拳を使って、たったの二発で倒したらしいわ」


「……人形?」




 ヴェインの頬がひくっと引きつる。




「彼女の名は、ペリア・アレークト」




 ラティナがその名前を口にすると、さらにざわめきは大きくなった。


 まさか身内だとは、誰も想像していなかったのだろう。


 中でもヴェインは、明らかに動揺して表情を歪める。




「ご存知の通り、初の平民出身宮廷魔術師よ。確か、ヴェインの部下だったはずよね」




 魔術師たちの視線が、彼に集中した。


 ヴェインのこめかみを、汗が流れる。




(馬鹿な、あの平民がモンスターを単独で撃破しただと? しかも20メートル級……ありえない、ありえない、ありえない! そんなこと、あってたまるものか!)




 浮かぶのは否定の言葉ばかり。


 明らかに困惑する彼に、ラティナはいじわるに問いかける。




「そんな人形を開発していたなんて、初耳だわ」


「確かに、会議での報告は無かったね」


「わざわざマニングに向かわせたのも不自然ね。いくら凶暴化の前兆がわかるようになったとはいえ、ここからあの村まで二日はかかる。そんな前から予兆は出ない。それに、巨大な人形を運ぶとしたらもっと時間が必要。間に合わないわよね、普通」


「……さ、さらに前の段階からわかるシステムを、開発していたんだッ!」


「そんなに有用な新型があるなら、どうして周知しないの?」


「彼女が勝手に作っていたんだ! 僕が知ったのは、つい最近のことで――」


「おや、報告ではあのシステム、君が個人で開発したと言っていたはずだけれど。その新型をペリア君が勝手に作れるものなのかい」


「そ、そんなものッ! 部下に作らせて、自分が発表することぐらい、お前たちにもよくあることだろうッ!」


「無いわよ」


「無いねえ」


「ぐっ……」




 追い詰められるヴェイン。


 さらに大量の汗が流れ、ぽたぽたと会議資料の上に落ちる。




「と、とにかく――それを使って、僕が指示をした。秘密裏に僕が開発していた人形を使って、モンスターを迎撃しろとね!」


「そんな重要な実験を、どうして黙っていたのかしら」


「ランスローやラティナが僕を馬鹿にするからだッ! 知ってるぞ、僕の家が優れているからって、上級魔術師にはふさわしくないなどと噂しているんだろう? だが見てみろ! 僕は前人未到のモンスター撃破をやってのけたぞ! どうだ、優れているだろう! 血も! 能力も! お前たちよりッ!」




 ヴェインの弁明が、虚しく会議室に響いた。


 童女が「ふわーあ」と大きなあくびをする。


 ランスローはため息をつくと、落ち着いた口調で彼に呼びかけた。




「事情はわかった。なにはともあれ、モンスターの撃破は我々にとっても喜ばしいニュースだ」


「そうね、滅亡を待つだけだった王国に光をもたらしたと言ってもいいわ」


「ぜひペリア君の話も聞いてみたい。ヴェイン君、彼女をここに連れてきてもらってもいいかな?」


「……わ、わかった。連れてこよう」




 断れなかった。


 クビにした部下が、実はモンスターを倒すほどの有能でした……なんて事実、認めるわけにはいかないからだ。


 その後、会議は通常通り進んだが――




(大丈夫だ、ヴェイン。相手は平民だぞ? 貴族である僕に逆らえるはずがない。いや、逆らってはいけないんだ! 何を焦っている。相手はあのペリアだぞ? 僕の名前を聞いただけで、無条件に従うに決まってるんだ!)




 ヴェインはずっと、心ここにあらずの状態であった。




 ◇◇◇




 会議終了後、ヴェインは真っ先に会議室を出て、早足で研究室に向かった。


 そして扉を勢いよく開き、驚く部下たちに命じる。




「お前たち! マニングに行ってペリアを連れ戻してこい! 今すぐにだッ!」




 事情を全く知らない彼らは、ぽかんとした様子でヴェインを見つめる。




「何をぼーっとしてる! 早く行かんか!」


「な、何でまたペリアを?」


「事情など、どうだっていいだろう! とにかく連れ戻せ!」


「例の魔道具、まだ全然出来てないんですけどぉ」


「全然だと!? この無能どもがッ! チッ、あとは僕が作っておく、いいから早く出発しろ! もし逆らうようなら僕の名前を出せ、それであの平民は従うはずだ!」


「は、はあ……」




 わけもわからないまま、部屋から追い出される部下三人。


 残ったヴェインは、デスクに置かれた設計図を手に取ると、くしゃりと握りつぶした。




「ペリアめ……なぜ奴のために僕がここまで苦しまなくちゃならないんだ……! 戻ってきたら、今まで以上に丁寧に指導してやらないとなァ!」




 ペリアが戻ってくると疑わないヴェイン。


 彼は彼女への憎悪を吐き出した後、設計図の複雑さに頭を抱え、




「クソ女があぁぁぁあああああっ!」




 と叫ぶのだった。



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