第4話 苦しむ人々
同日の夜。
訓練を終えた千司は、せつなや文香と夕食を取った後、約束通り辻本が来るのをベッドに腰掛けながら待っていた。
隣には少し離れて座る新色の姿。
顔は青白く、俯き、不安を隠すようにキュッと拳を握っていた。
辻本から話があると呼び出して以降、この調子である。
いつもならその不安を拭うように千司にぴったりとくっ付いてくるのだが、今ばかりは無理な模様。むしろ千司が小さく身じろぎするだけでガタガタと膝を揺らす始末である。
(ん~、トラウマは健在っぽいなぁ~)
内心にっこりと笑顔を浮かべながら新色の反応を楽しんでいると、徐に扉がノック。
次いで聞こえてきたのは辻本の声。
「奈倉殿、いらっしゃいますか?」
「あぁ」
いつもの元気な様子はなく、真剣な声色で話しかけてくる辻本に返事しつつ、千司はベッドから立ち上がって扉を押し開き——辻本の後方。漆黒のドレスを身に纏い、蒼い月光を浴びてキラキラと輝くプラチナブロンドをたなびかせた少女を見て、一瞬動揺した。
「遅くなりました奈倉殿。実は来る途中に彼女とお会いしまして」
辻本の紹介を受け、少女は目を伏せて桜色の唇を開く。
「夜分遅くに失礼いたします。奈倉さま。そして海端さま。お話は辻本さまからお伺いしました。もしよろしければ、今から行われる話し合いに私も参加させていただきたいのですが、構わないでしょうか?」
そう言ってほほ笑む少女——ライザ・アシュートに、千司は警戒を引き上げる。
(……まぁ、可能性はあった。が、こうも嗅ぎつけるのが早いとなると……だいぶ怪しまれてるなぁ)
辻本から話し合いを持ち掛けられた際には周囲に多くの目が合った。その中にライザの私兵が混じっていたのだろう。そしてわざわざ本人が足を運んだことから、怪しまれているのは明白。しかし千司は、最終的に
「……辻本が構わないというのでしたら、私は問題ありません」
千司とライザの視線を浴びた辻本は逡巡すると、どうでもいいとばかりに吐き捨てる。
「自分もどちらでも。ただ、二人について奈倉殿たちが知っていることを教えてくださればそれで」
「もちろんだ」
その言葉にライザはスカートを摘まんで感謝を述べる。
「お二人の寛大なお心遣いに感謝を。私は基本的に聞いているだけですので、気にせずに話し合いの方は行ってください」
「わかりました」
ライザに軽く返してから二人を招き入れようとして——困った。
辻本一人なら千司と新色がベッドに座り、唯一の椅子を彼に貸して話し合いを行えばよかったが、一人増えてしまった。まさか三人が座り、王女一人を立たせるわけにもいかない。
ちらりとライザに視線を送ると、瞬時に悟ったのか首を横に振った。
「私のことはお気になさらず」
「いえ、そういう訳には……辻本、良ければ外で話さないか?」
「自分はどこでも。奈倉殿は話してくださるのなら」
「ありがとう」
短く返してから、コテージの中に視線を向けると、そこには未だベッドに腰掛けたままの新色の姿。
(王女はイレギュラーだが、普通辻本が来た時点で立つべきだろうに……新色ちゃんは可愛いなぁ~)
そんな思いを胸に秘めつつ、千司は新色と辻本、そしてライザを連れて、近くの砂浜に移動するのだった。
§
砂浜近くに備え付けられたベンチに腰掛けると、最初に切り出したのは辻本だった。
彼は蒼い月光を反射する夜の海を見つめながら口を開いた。
「それでは教えていただけますか? 何故、奈倉殿と海端先生が二人が学生寮に居ないと知っていたのかを。そして、何故、あの場所に……っ」
「あぁ」
と言っても、大した話などない。
大賀が五組に乗り込んで暴れ、岸本と富田のあらぬ噂が広まった。
二人は居場所を失い、精神的に追い詰められていたから教師である新色に、二人の相談に乗るよう頼んだ。それだけである。
要は新色に話した流れをそのまま流用するのだ。
行うとすれば少しばかり話をいじるだけ。
千司は咳払い一つ入れてから話始める。
「学生寮に居ないと知っていたのは、二人をカフェテリアに呼び出したのが俺と先生だったからだ。大賀の一件を解決するために、俺は先生に頼った。俺や辻本が話に行っても効果は薄そうだったからな。なら大人で教師の先生にならって、そう考えて……そうですよね、先生」
「……うん」
俯き、服の裾をキュッと掴みながら首肯を返す新色。
まるで説教されている女児のような様相であるが、これで成人女性である。
「……話は分かりました。……でも何故あの日にあの場所を? 特に授業中という微妙な時間に……」
(来た)
千司は唇を湿らせてから告げる。
「理由はいくつかある。まず部屋より外で話した方が気分転換になると思ったから。その為に遠征訓練で生徒数が減り、授業中を選ぶことでカフェを貸し切りに出来る。そう言った理由から
「なるほど……」
辻本は顎に手を当て頷きながら新色を見やる。
千司も視線を向けるが、彼女は気付いた様子もなく俯き、自責の念に押しつぶされそうになっていた。
それとなく新色の奥に座るライザにも視線を向けると、優しい目つきとぶつかった。
千司は瞑目して視線を外すと、海を見やる。
と、不意に話を整理していた辻本が大きくため息を吐いた。
「……それにしても……本当に何故、こんなことに……」
「辻本……」
彼は頭を抱えながら胸中に渦巻く不満を吐き捨てる。
「二人は……二人は決して殺されるような人間じゃなかった……っ! 否、そもそも死んでいい人間などこの世には存在しない……っ、なのに、なのにぃ……っ!」
「……悪い」
「何故、奈倉殿が謝るのですか。奈倉殿は悪くない、もちろん海端先生も。……悪いのは、二人を殺害した人物ですっ」
「そう、だな……でも、考えてしまうんだ。もし、俺があの場所に向かっていたらって——もし、俺が先生に協力を頼まなければ……もし、もしも
「な、奈倉殿?」
千司の言葉に辻本が目を見開く。
当然だ。何しろ千司はこれまで『すべての勇者を生きて日本に帰す』と息巻いて行動してきたのだから。
そんな人間が、勇者の一人である大賀に責任の一端を押し付けようとした。
生じる違和感。
千司は焦りを『偽装』しながら首を振った。
「すまん、今のは忘れてくれ。少し苛立っていたんだ。大口叩いてイキっているくせにまた何も出来なかった自分に」
必要なのはヘイト誘導。
見せるのは、弱み、人間らしさ、心境の開示。
辻本は応える。
「……いえ、奈倉殿の想いも分かります」
と。
彼は続ける。
「自分も、自分もそう思います。もしも大賀殿があんなことをしなければ、二人は苦しむこともなく、殺されることもなかったかもしれない、と。結果論だとしても、自分は……大賀殿を許せません」
悔しそうに唇をかみしめる辻本に、千司は内心で口端を持ち上げた。
今回の話し合い、千司の目的は辻本に大賀への憎しみを植え付ける事。
深く深く、二人が対立するように。
(やはり大賀君は使いやすいなぁ~。内ゲバの起爆剤として、大切に大切に育てなければ)
口から出た言葉はもう戻らない。
胸の内に存在するあやふやな感情を、辻本は言葉という形で固めてしまった。
その瞬間、辻本は明確なる恨みを大賀に抱いたのだ。
千司としては更に大賀への愚痴を言わせたかったが、それを許容しない人間が同所には存在した。
それまで一言も話さず、只話し合いに耳を傾けていたライザはこほん、と一つ咳払いすると立ち上がり、ドレスの裾を揺らしながら優しい声音で告げた。
「辻本さま。大賀さまが何を行ったのかは、私も存じております。しかし、それでも最も悪いのは、二人を殺害した人物であり、魔法学園を襲撃した犯人。そして、そんな彼らから守ることのできなかった我々でございます」
「王女様……」
「奈倉さまも何卒ご理解のほど、お願いいたします」
「えぇ、申し訳ありません。お見苦しいところを見せてしまいました」
「謝られることなど何もありません。むしろ謝罪すべきは我々……岸本さまと富田さまをお守りすることができず、誠に申し訳ございませんでした」
深く首を垂れるライザ。
一国の王女とは思えない態度にたじろぐ辻本と新色に対し、千司は淡々と彼女を睥睨し——顔を上げたライザと視線が絡み合う。
「……」
「……」
時間にして一秒ほど。
互いの奥底を覗き込むように見つめ合い——。
「それでは奈倉さま、辻本さま、海端さま、話も終わりましたので、私はこれにて失礼します」
スカートを摘まんで礼をした彼女は、そのまま踵を返して去っていった。
「……では奈倉殿。自分もこれで」
「あぁ」
「海端先生も、二人を気に掛けて下さり改めてありがとうございました。……それでは」
ライザに続き、辻本も夜の闇に消えていく。
残されたのは千司と新色の二人のみ。
千司は横目に新色を観察。
話し合いに呼び出した者の、本当に大人なのかと思うほど、何も言わなかった彼女に呆れつつ、声をかける。
「新色さん、俺たちも戻りましょう」
「……」
「新色さん?」
「……っ、う、うん」
遅れて反応した彼女は二、三歩距離を取ってからゆっくり首肯し、千司と並んでコテージに戻るのだった。
§
「新色さん、ほんとに大丈夫ですか?」
「……ぁ、う、うん……ご、ごめん、ね? その、ぜ、全然話せなくて……何の役にも立てなくて……」
「何を言ってるんですか。ちゃんと話を振った時に返事をくれたじゃないですか。それだけで会話とはスムーズに進むものです。新色さんは充分に役に立ってくれましたよ」
コテージに戻ってきた千司は落ち込む新色をベッドに座らせ、心にもないお世辞を口にしつつ紅茶を準備。
使用するのは先日リゼリアに出したものと同種の茶葉である。
違う点があるとすれば避妊薬を混入させない事か。
千司は湯気の立つカップを手にすると、震える彼女に手渡して自身も隣に腰掛ける——と、新色は小さく身じろぎしてから少し離れた。意識的な物なのか、無意識的な物なのか。
(どっちでもいいな)
どっちにしろ苦しむ新色に興奮することには変わりはない。
千司は彼女をより苦しめるために、まずは先ほどの話を掘り返した。
「……それにしても、巻き込んでしまい本当にすみませんでした」
「……え?」
「ライザ王女はああいってくれましたが、それでも俺は考えてしまう。もし、二人をあの場所に呼び出さなかったら。もし、新色さんを頼るのではなく自分で……二人に嫌われる覚悟で自分で向かわなかったのか、と」
「……」
返ってくるのは無言。
ちらりと横目で観察すると、新色は俯きながら唇をかみしめていた。
「結局俺は、何だかんだと理由を付けて新色さんに頼んで、解決策を導き出せない自分から逃げていたんです」
「そ、そんなこと——」
「でも、俺が新色さんを頼らなければ、二人があんな……あんな、
千司は話の内容をゆっくりとあの日の回想へと持っていく。
二人の死に様。
とてもそれが人だったとは思えないほど損壊された亡骸。
そして新色は思い出す。
一生涯忘れることのできない強烈な光景と、手に残る感触を。
「……っ!」
瞬間、ガチガチと歯を打ち鳴らして全身を掻き抱く新色。しかし自身の二の腕に触れる寸前で手は止まり、何物にも触れたくなく、しかし何かに縋りたいとまるで禁断症状のように震え始める。
「だ、大丈夫ですか!?」
故に千司は彼女に触れる。
心配している風を装って、あの日あの瞬間をフラッシュバックしている新色に、触れる。
「い、いやぁッ!」
千司の手が肩に触れた途端、新色は悲鳴を上げて千司の手を跳ねのけ、手にしていた紅茶の入ったカップをひっくり返しながら大きく飛び退いた。
床に落ちたカップが割れて、甲高い音を出し——数秒後、静寂を取り戻した部屋に響いていたのは紅茶を全身に浴び、震えながら肩を揺らす、新色の息遣いだけだった。
「……新色さん?」
おずおずと気遣うような演技をしながら声をかける千司。
すると新色はハッとして——。
「ち、ちが、そうじゃ……そうじゃな……うぷっ」
新色は突然口を押えて窓際に駆け寄ると、外の海へと胃の内容物を吐き出した。
「おえっ、ぇっ……はっ、はっ——うぶっ……」
その光景をこっそりスマホで撮影しつつ、千司は心配そうに駆け寄ると背中をさすって追い打ちをかけようとして——。
「さ、さわ、さわらっ、ないでぇ……」
涙目の新色に股間が熱くなるのを感じるのだった。
§
ようやく落ち着きを取り戻した彼女は口をゆすいでからベッドに腰掛け、俯きながらぽつぽつと話し始めた。
「あ、あの日から……ダメなの。肉って言うか、その、感触が……。あの時のこと、思い出しちゃって……酷いときは自分の、か、身体も触れなくて……」
(知ってる)
「そうだったんですか……」
「うん……。だか、ら、奈倉くんが、い、嫌とか、そういう訳じゃないの……ほ、ほんとは奈倉くんと、もっと一緒に居たいし……も、もっと、手とか……でも、でも無理で……ぐすっ……おねがい、しん、信じて……っ」
目の端からぽろぽろと涙を零しながら千司に縋ろうとして、しかしやはり触れることのできない新色。その事実が彼女の表情を更に絶望へと叩き落とした。
そんな彼女に、千司は優しい笑みを浮かべて告げる。
「もちろん信じます。だって俺は新色さんのことを愛してますから」
「……っ、な、奈倉くん……」
その言葉に、かすかに頬を染める新色。
「だから、今は休んでください」
「うん……うん……ごめんね?」
「もう謝らないでください。こうなったのも俺が原因で……新色さんが気にすることなんて何一つないんですから。今日はここで寝てください。俺は椅子を使いますので」
「……でも」
「大丈夫ですから」
そう言って千司は新色にベッドを明け渡してから割れた紅茶のカップを片付けを始める。
食器を洗いつつちらりと新色を見やり、布団から不安げな表情を浮かべながら見つめてくる彼女を確認すると、深くため息を吐いてみせた。
「……はぁ」
「……っ」
小さく息を飲む音と、布団の衣擦れの音。
千司は内心大爆笑しながら、彼女が眠りにつくのを待つのだった。
§
新色が寝たのを確認して、千司は服を着替えてコテージから外に出る。
時刻は深夜。草木も眠る丑三つ時である。
千司は念のため『偽装』で適当な顔に変えてから音と気配を『偽装』。
慎重に慎重を重ねた上で、レストーの街に飛び出した。
時間が時間だけに明かりはほとんどないが、活動している人間はそれなりに伺える。
その人数は北区に行けば行くほど増えていき——地下闘技場は未だかなりの人が賭博に勤しんでいた。
「あー! くそっ! 負けたぁ!!」
「死ね死ね死ね死ね!!」
「ふひょ~!! わいの勝ち勝ち~!!」
「ふっざけんな! こんなのヤラセだろ!!」
(うんうん、とても楽しそうだ! 人が楽しんでいるのを見ると、こっちまで嬉しくなるなぁ~)
一喜一憂する彼らを横目に、千司は応接室へと続く扉を開け——眠そうにあくびを噛み殺す黒髪の女性——ミリナ・リンカーベルと目が合うのだった。
「——誰だ」
「あぁ、悪い悪い。俺だよ俺」
思えば学園を出た時のままだったと気付き、千司は顔を変えてから『偽装』を解除。
「……ドミトリーッ!」
「なーんで、警戒レベル変わんねぇんだよ」
何て呑気なことをぼやきながら、迫りくるナイフをいつも通り回避するのだった。
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