第3話 望みに届かぬ人々
ライザ・アシュートは内心で頭を抱えていた。
想像以上に頭の悪い男が出てきたからである。
「それで、騎士共が俺に何の用だ!」
北区の守護者であり地下闘技場の代表と名乗ったグエンの言葉を受け、ライザは内心でため息を吐いた。
知性の欠片もない言葉遣いに、品性の感じられない態度。
加えて騎士団憎しという感情を隠すこともなく露わにしている。
好き嫌いなど至極どうでもいいが、わざわざ表にして見せている時点で程度が知れる。
(この男がこの規模の地下闘技場を運営など出来るはずもありません。……よって本命は別にいるのでしょうが……こうして影武者を用意しているところを見るにここには居ないのでしょうね)
秘書と名乗った黒髪の女が本命の可能性もあるが、かなり薄いとライザは判断。これほどわかりやすい影武者を用意したというのに、素顔を晒しては何の意味もないからだ。
(ですが、隠し事をしているという事はやはり何かあるという事……調査の必要性はさらに上がりましたが……面倒なのはこの道化ですね)
ライザはグエンを睥睨しながら内心でため息。
馬鹿な人間は扱いやすい。
無能な人間も扱いやすい。
しかし、そんな彼らと直接交渉するのは至難の業である。
何故なら馬鹿で無能だから。
会話が成立しないのである。
例えば騎士の権限を用いて地下闘技場の調査を行うと命令するとしよう。
グエンは十中八九拒絶するだろう。
本来拒否できるものではないし、場合のよっては死刑になる。
しかし彼はそれが理解できないのだ。
(それを逆手に取って、拒否した彼を逮捕したのちに調査を行うという事も出来ますが……北区の守護者、でしたか? 彼の顔がそれなりに広ければ北区の住民は黙っていないでしょう)
北区に住んでいる人間は王国に対して悪感情を抱いている。
それはかつて王国が彼らの居住区を奪い、魔法学園を建設したからだ。
よって、グエンがどうこうというよりも、王国側の人間である騎士に好き勝手されるのを良しとしない勢力がちょっかいをかけてくる可能性がある。
ならばいっそ北区の人間をまとめて捕まえて獄中に放り込むという考えもあるが、魔法学園襲撃の一件で他国からの視線が強まっている現状で王国騎士が住民を集団連行など、醜聞もいいところだ。
逡巡したライザはグエンを観察した後、一つの結論に至る。
「話というのは簡単な事。こちらの施設を調べさせていただきたい」
「はぁ!? 意味わかんねぇなぁ! 拒否だ拒否!」
「そこを何とか……それ相応の対価は約束する」
柔和な笑みを浮かべてそんなことを語るライザに、背後に居た騎士たちがかすかに動揺したのが伝わった。しかしライザは軽く手を振って落ち着くように示し、グエンを見やる。
「対価だァ!? 言ってみろよ!」
(釣れた)
ライザは内心ほくそ笑む。
ライザが至った結論は至極単純。
会話のできない馬鹿を丸め込むには分かりやすいメリットを提示すればいい。
彼を代表に仕立て上げた
グエンの服装を見れば容易に想像できる。
裏に居る何者かは金を分け与えたのだ。
そうして北区の守護者と名乗るこの愚者を丸め込んだ。
(問題はなぜわざわざこれほどまでの無能を代表にしたのかですが……気にする必要はありませんね)
ライザは小さく息を吐くと会話を続行。
「対価は単純明快。先日の襲撃で半壊した魔法学園。その学園が
「……っ! なん、だと……!? どういう意味だ!」
「……」
何故これが理解できないのか。
ライザはちらりと黒髪の女性を睥睨し、なんの反応も示さないことを確認してからわかりやすくかみ砕いて伝えた。
「つまるところ、これまでの非礼を国が詫びて、北区に住まわれる皆に土地の返却とお詫びのお金を渡す、ということだ」
「おぉ……」
「そうなればグエン殿は、その功労者として未来永劫語り継がれる事だろう」
「おぉ……! 素晴らしい! よし! わかった! ならば調べることを許可しよう! 俺は寛大な人間だからな!」
「感謝する」
謝意を示しつつ、ライザは再度黒髪の女性を確認。
が、しかし彼女は何の反応も見せない。
(裏に居る本命の命令がないと動かないのか……それとも……)
仮に口を挟んできたところで、話し合いの可能な彼女なら騎士の権限でごり押せるので何の問題もなかったが。……いや、むしろそれが分かっていたからこそ口を挟まなかったのか。
(まぁ、いいでしょう)
考えても分からないことは考えない。
暖簾に腕押しすることほど無駄なことはないのだから。
「では、調べさせていただく」
「あぁ! 好きなだけ調べろ!」
グエンの言葉に本当に好き勝手調べてもいいのかと、あまりの愚かさ加減に辟易するライザ。すると、それまで静観の姿勢を取っていた黒髪の女性が口を開く。
「……代表、誰か案内役を付けるべきかと」
「あぁ!? だったらお前が行けよ! 俺は知らん!」
「わかりました」
唾を飛ばすグエンに女性は一礼してから、ライザたちに近付き——。
「では私が案内します。調べること自体は好きにしていただいて構いませんので、どうぞこちらへ」
「えぇ、ありがとうございます」
黒髪の女性に案内され、ライザたちは同所を後にした。
§
「……
地下闘技場からの帰り道にぼそりと呟いたエストワールの言葉にライザは小さく首肯を返した。
地下闘技場は、客席とリングが設置された一室こそ大きかったものの、バックヤードはそこまで広くなかった。グエンと対峙した応接室の先には廊下があり、左右にいくつかの部屋。
次いでさらに地下へと続く階段があり、そちらには闘技場で使われる予定であろうモンスターが収容されていた。
そして問題となったのがモンスターの閉じ込められていた部屋に存在したいくつかの扉。その先には何もなく、ただ閑散としているのに対して他の部屋より埃が積もっていなかった。
最近まで使われていたが、その痕跡すらも残さないまでに丁寧に掃除されたという証拠である。
ただ、見つけられたのはそれだけ。
「皆さんは何か発見しましたか?」
次いでライザが視線を向けたのは今回連れてきた幾人かの精鋭。
調査や隠し扉、トラップの発見に長けた精鋭である。
しかし、帰ってきたのは否定。
「いえ、あの場に隠し扉等は発見できませんでした」
「そうですか」
短く返してライザは思考を深める。
(私の予想では、不破様と渡辺様はまだこの街に居る。リニュとオーウェン、そして幾人かの生徒の話から総合しても、ジョン・エルドリッチが二人の誘拐のために『トリトンの絶叫』を使う場面は存在しなかった。つまり、第三者が人力で二人を連れ出したという事……)
暴れるのを防ぐために睡眠薬を盛ったとしても、意識のない人間二人を連れて街を行けば目立つ。となれば治安の悪い北区に潜伏している可能性が高いと判断していたのだが……。
「どうしますか? 怪しい点があるとして、さらなる調査を行いますか?」
エストワールの言葉にライザは逡巡してから首を横に振った。
「いえ、相手があのジョン・エルドリッチなのならもうあの場には何も残っていないでしょう。残っていたとしてもあの男のような
そこまで言うと、ライザは軽く伸びをして夜空を見上げながら息をこぼす。魔法学園なら潮の香りがするというのに、
(さすがに少し疲れました。帰ったらすぐに寝ないと、お肌が荒れてしまいますね)
表には出さずに小さくため息を吐いていると、不意にエストワールが口を開いた。
「そう言えば、何故あのグエンという男にあのような約束を?」
「はて、なんのことでしょうか」
「……え?」
ライザの言葉にエストワールは困惑の表情を見せる。
しかしライザは特に気にした様子も見せずに懐から煙草を取り出すと、マッチで火を点ける。先端が赤く燃え、煙が月光に導かれるように天へと昇る。
ライザは肺一杯に煙を吸い込んでから、答えた。
「いったい誰がどんな約束をしたのかは存じ上げませんが……契約書のひとつも存在しない戯言に、何の価値もありはしないのですよ。エストワール」
「あ……」
その言葉を受けてエストワールは先ほどの会話を思い出していた。
確かに契約書など用いていないし、何ならライザは名乗ってすらいない。
これでは、今後彼が何かを言おうともすべては無意味に終わる。
それに仮に誓約書を作れと言われても、ライザは『魔法学園を取り壊した際』と言っていた。当然、取り壊す予定などないのだから、すべてはライザの手のひらの上だったという事である。
煙草を味わいながら魔法学園へと歩くライザを見て、エストワールは戦慄するのだった。
§
翌朝、千司はいつも通りの時刻に目を覚ました。
波の音と海鳥の鳴き声、そして隣から聞こえるかすかな寝息。
ちらりと左隣に視線をよこすと、そこには千司の腕を枕にしてすやすやと眠るリゼリアの姿があった。布団の下ではまるで全身を押し付けるように足に絡みついている。
(これは中々……)
せつなや文香、新色も良く引っ付いてくるが、いかんせん彼女たちとはかなり身長差がある。しかし、比較的身長の近いリゼリアの場合は触れている表面積も密度も段違いに高く――。
「んっ、……ふぁ……ぁむ。おはよう、ゆうしゃ」
「あぁ、おはよう」
徐に何か違和感を覚えて目を覚ましたリゼリア。彼女は眠気眼を擦り、枕にしていた千司の腕に甘えるように頬擦りして、ようやくその違和感に気が付いたようすで下半身をちらり。
次いで上目遣いに千司を見つめると、揶揄うように口端を持ち上げてにやりと笑った。
「くくっ、ゆうしゃぁ……昨日あれだけしたのに朝から元気だなぁ?」
「生理現象だ、仕方ない」
「見栄を張るな、子作り再開だ♡」
その言葉を皮切りに、早朝からリゼリアに襲われる。
(そういや、今日もリニュは訓練してんのかなぁ~)
千司は天井のシミを数えながらぼんやりとそんなことを考えるのだった。
§
その後、二回戦を終えた千司はモーニング珈琲を準備。リゼリアに違和感を持たれないうちに昨夜の紅茶のカップを片付けると、湯を沸かしつつ戸棚から珈琲と
(ん~、昨日使ったからこれでラストか)
巾着に入っているのは避妊薬。
以前ライザから支給された物は既に使い切っており、レストーにて自費で購入した物になる。
千司は完成した珈琲に避妊薬を溶かしてリゼリアに持っていく。
「ほれ」
「感謝する」
受け取り口を付けようとして「あちっ」と呟くリゼリア。
彼女はふーふーと息を吹きかけながら、間を埋めるように千司に話しかける。
「なぁ勇者。子供ができたら名前は何がいい?」
「……ん、そうだな。と言っても、俺はこっちの世界の名前についてよく知らないし、リゼリアに任せるよ」
「あぁ? なんだよ~、こういうのは一緒に考えるから楽しいんだろ~?」
不満を表すように千司の肩に頭突きして見せるリゼリア。
しかしその表情は幸せに満ちており、出来るはずのない子供に思いを馳せている。
「そう言うものなのか?」
「そう言うもんだ。……たく。それにしても、まさか勇者とこんな関係になるなんてな……勇者が編入してきた時は思いもしなかった」
「求めてきたのはそっちだろ?」
「そうだ。……愛してるぞ、勇者」
「あぁ、俺もだ」
などと適当なことを宣いながら、千司はリゼリアが珈琲を口にするのを見届けるのだった。
§
同日の日中も、生徒たちは特にやることがなかった。
ライザから正式に発表されたのは魔法学園の修理が終わり、安全が確認されるまで休校するという事。ようは元に戻るまで長期休暇という事である。
これにより近隣に住んでいる王国貴族の子弟などは家の者が迎えに来て帰宅の形を取っていたが、それ以外はどうしようもなかった。
リゼリアのように帝国や他の国から留学している生徒もいる都合、そう簡単に帰ることができなかったのだ。それは勇者も同様。まだ慌ただしい中、勇者たちを王都に護送している余裕など存在しない。
必然的に、大半の生徒が魔法学園で暇を持て余すこととなっていた。
しかし、だからと言って時間を無駄に浪費することをライザが許すはずもなく……彼女は校舎から使える黒板を回収するとリーゼン教諭たちを使って青空教室を開催させた。
自由参加ではあるが、大半の生徒が暇を持て余しており、あるいは友人知人の死から目を背けるために参加の意思を示している。
また、一部の騎士を使って戦闘訓練も始まり、勇者は基本的にこちらに参加するようにと指示が出される。
千司としても自身の腕がなまってしまうのを恐れて、そろそろ訓練を再開させようと思っていた矢先のことなので好都合。積極的に参加し、特に海端や辻本の前では真剣な表情で剣を振う。
すると、辻本が話しかけてきた。
「奈倉殿」
「辻本か」
「……話があります。と言えば、わかりますか?」
いつものござる口調を止め、真剣な表情を見せる辻本。
この状況で辻本からの話など一つしか考えられない。
「あぁ」
「でしたら今夜お時間をいただけますか?」
「もちろんだ。……海端先生も呼んでおく」
「ありがとうございます。ではまた夜にコテージの方に伺います。では」
ぺこりと頭を下げて去っていく辻本を見送りつつ、千司も訓練に戻る。
それからは時々せつなが話しかけてきたり、汗だくで助けてと嘆く文香の相手をしたりして過ごし——ふと、訓練の見回りをしていたリニュと視線が合った。
「……っ」
しかし彼女はすぐに視線を逸らすと、蒼い顔をして背を向ける。
昨日オーウェンが口にしていた、岸本と富田が死んだことを気にしている、というのはどうやら本当のことらしい。
(まぁ、あの性格と剣聖という立場を考えれば、相談する相手は限られる。ライザ当たりなら聞いてくれそうだが……とても私情で話しかけられる様子ではないしな)
眠そうに眼を擦りながらも指示を飛ばすライザをちらりと睥睨してから、千司は去っていくリニュの背を見送った。
§
そんなこんながありつつも一通りの訓練を終え、タオルで汗を拭いながら一息。
ぼんやりと勇者の動きと精神状況を観察しながら休憩していると——不意に聞き覚えのある声が耳朶を打った。
視線を向けると、そこには青空教室に参加していない三人の女子生徒と、彼女らに話しかける鋭い目つきの勇者の姿。
勇者——大賀健斗は、焦りを顔に貼り付けつつ、彼女たちに問いかけていた。
「おい、お前は何組だ?」
「……ご、五組ですけど」
「! な、ならあいつは、あいつはどこだ!?」
「あ、あいつって?」
「闘技場で人質にされてた女子だよ! 栗色の髪で、小柄で童顔な女子生徒!」
「……あぁ」
質問された女子は逡巡したのち思い出したように声を上げ、しかし困ったように眉をひそめた。
「……なんだよ、知ってるなら教えろ! 死んだ奴の中にあいつは居なかった! なら生きてるってことだろ!?」
「いや、知らないですけど……」
「同じクラスだろうが!」
「は? いや……あの子、五組の生徒じゃありませんけど?」
「……へ?」
「だ、だよね? 五組の生徒じゃないよね?」
間の抜けた声を漏らす大賀に対し、少女は背後にいた友人二人にも尋ねる。
千司の記憶が正しければ一人は五組、もう一人は四組に在籍する生徒のはず。
話を聞いた彼女らは一度大賀に視線をやり、五組で乱闘騒ぎを起こした勇者だと気付いて怯える。しかし答えなければ何をされるか分からないと判断すると、おずおずと口を開いた。
「わ、私も、知らない……」
「四組の生徒でもないわよね?」
「……正直、見覚えもないって言うか……」
「は、はぁ……?」
いよいよもって意味が分からないと顔を引きつらせる大賀。
「いや、いやいやいや、おかしいだろ! だって、それじゃ……あいつは——」
大賀のつぶやきに少女たちは顔を見合わせた後、口を揃えて告げるのだった。
「さぁ? ……『知らない子』」
と。
「……」
大賀は何が起こったのか分からず右手で頭を抱える。
そんな彼をおいて少女たちは立ち去り——大賀だけが、混乱の中に取り残されるのだった。
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