第2話 リゼリア

「勇者、部屋に入れてくれないか?」


 波のさざめきと潮風の吹き荒ぶ音。

 それ以外に音はなく、世界は静寂に包まれている。


 そんな真夜中、蒼い月光のもとに現れた燃えるような赤い髪の少女——リゼリア・ウルスベアは何処か陰のある表情を浮かべていた。


「……わかりました。どうぞ」


 部屋に招き入れると、彼女は何を言う間もなくベッドに腰掛けた。

 千司はその姿を睥睨しつつ思考を巡らせる。


 彼女がこの部屋を訪れる理由はいくつか考えられる。

 そして今の様子から判断してその中のひとつ。


(まぁ、どの場合でも問題はないが)


 端的に結論付けた千司はリゼリアに近付くと、紳士的な口調を心掛けながらお声がけ。


「何か飲みますか?」

「いや、気にしないでくれ」


 素っ気ない言葉が返ってくるも、千司は逡巡したのち紅茶を選択。

 湯を沸かして何となくで茶葉を準備しカップに注ぐ。


 紅茶には何分間蒸らすのが最適、などとあるが千司がそんなことを知るわけもなく、適当に色が出た段階でリゼリアに手渡した。


 すると彼女は困ったように眉を歪めて、笑みを浮かべる。


「気にしないでくれと言ったのに」

「要らないなら残しておいてください」


 適当に軽口をたたきつつも、千司は彼女の隣に腰掛けた。

 ぎしっとベッドが揺れて夜の静寂に響くが、リゼリアは特に気にした様子もなく手元のカップを覗き込み——一口。


 口に含んで味わった後、ゆっくりと嚥下して、苦笑を溢した。


「勇者にも、苦手なことがあるんだな」

「紅茶はあまり淹れませんので。何なら味も良く分かりません」

「そうか……くくっ、にしてもこれは酷い。香りが死んでいる上に味も濃すぎるじゃないか」


 くつくつと喉を鳴らして笑いながらも、再度口を付けるリゼリア。


「無理して飲まなくても……」

「飲めないほどではない」

「そうですか」


 短く返して千司も一口。やはり良く分からない。

 個人的には香りも十分に立っているように感じられるが、やはり上流階級出身の舌は伊達ではないという事なのだろう。


 などと思いつつ横目にリゼリアを観察していると、ふと視線が合った。

 彼女は一瞬動揺したように肩を揺らして目を逸らす。


「どうかしましたか?」

「いや、その……」

「何か話があるからわざわざ部屋に来たのでしょう?」

「……まぁ、そうなのだが……」


 リゼリアは気まずそうに紅茶を啜った後大きく深呼吸。

 何度か口を開閉させて言い淀みつつも、最後には吐き出すように語り始めた。


「勇者に、謝らなければならないと思ってな」

「謝る?」

「あぁ……」


 首肯を返したリゼリアはじっとカップに視線を落としながら続けた。


「……昨日はすまなかった。とんだ醜態を晒してしまったと反省している」

「いえ、あの男——ジョン・エルドリッチでしたか? リニュですら捕らえることのできなかった化け物が相手です。怯えてしまうのも無理ない事かと」


 何の意味もない慰めを、空気を呼んで垂れ流す。

 くだらない処世術を披露する千司に、リゼリアは数度深呼吸。

 きゅっと唇をかみしめると意を決したように口を開いた。


「……べ、別段、何かしら直接の接点があったわけじゃなかった。あの男は元帝国の軍人で、そして父の部下だった。その関係で、何度か遠目に、一方的に見たことがある程度の相手。相手は有名人で、だから私は知っていた。そういう相手……の、はずだったんだ」


 次第に語っていたリゼリアの身体が震え始めて、手にしていたカップがカチャカチャと音を立てる。


 千司は彼女の言葉を区切るように肩に触れてからカップを受け取り、離れたテーブルに置くと再度リゼリアの隣に腰掛ける。


「……すまない」

「いえ、構いません」

「……その……嫌なら振り払ってくれ」


 しおらしい謝罪と共に、リゼリアの左手が千司の右手に重ねられる。小刻みに震え、まるで死人と錯覚してしまいそうなほどに冷たくなった指先。


(……)


 果たして、実際にこの手を振り払えば彼女は一体どんな反応を見せてくれるのだろうか。手を振り払い、罵詈雑言を浴びせ、冷水で指先を洗う。


 想像すればするほど実践してみたい衝動に駆られる千司であるが、何とか理性で欲望を押さえつけて、優しく彼女の手を握り返した。


「嫌な訳がありませんよ」

「そ、そうか」


 安堵の息を吐いた彼女は何度かその存在を確かめるようにニギニギと手を動かしてから千司の肩に頭を預け、話を再開させた。


「……嘘と思われるかもしれないが、私だって最初はあの男を前に『どう対処するか』を真っ先に考えたんだ。戦力差は歴然。無理に戦っても一方的に殺されるだけ。だからどう行動するか。時間を稼ぐか、それとも勇者やギゼル……友人だけでも連れて逃げるかとか色々と」

「……」

「で、でも、無理だった……っ。わ、私はあの男に名前を呼ばれて……ッ、私が誰なのか認識されている・・・・・・・と理解した瞬間——、わた、わ、私は——ッ!」

「もういい」


 ガタガタと震え出すリゼリアを正面から抱きしめる千司。

 押し付けられる豊満な胸の感触を堪能しつつ、リゼリアの言葉に納得していた。


(要は自分を殺せる力を持つ相手に、名前どころかどこの誰かまで判明していると知って怖くなった、と)


 日本で言えば、ヤクザに住所氏名年齢家族構成全部把握されていたようなもの。しかも警察を圧倒できるレベルの武力を所有していると来た。


(むしろよく最後には剣を持って戦ってくれたものだなぁ)


 何てことは口には出さず、千司はリゼリアを抱きしめる。

 千司の胸元に顔をうずめるリゼリア。しゃくりが聞こえて、僅かに服が濡れる感触。


「……す、すまない……すまない、勇者ぁ……っ」

「気にするな」

「だが……っ」

「言い方は悪いが、リゼリア一人が居たところで状況は変えようがなかった。お前が気に病む必要などない」


 千司の言葉にリゼリアは顔を上げ、一瞬キョトンとした表情を浮かべて……徐に相貌を崩した。


「そ、れは……本当に酷いな」

「悪い」

「口調が歪むと、性格まで歪むのか?」

「あー、申し訳ありません」

「くくっ、もういい」


 喉を鳴らして笑みを浮かべりリゼリア。


 そこには先ほどまでの落ち込んだ雰囲気はなく――カラカラと一通り笑ったリゼリアは僅かに上気した頬をそのままに、舌で唇を濡らし、上目遣いに千司を見つめると、腕で胸を強調しながら甘い声で告げた。


「子供を作ろう」

「……は?」


 突然の変貌に思わず素で言葉を返してしまう千司。

 しかしリゼリアは気にした様子もなく千司に身を寄せながら続けた。


「勇者に恋人がいるのは知っている。それも二人も。他にも手を出していそうな女が居るのも知っている。だから、別にその中に入れろだとか結婚しろだとかは言わない。……私はただ、勇者とのつながりが欲しいんだ」

「……リゼリア、なにを言ってるかわかっているのか」

「あぁ、当然だ。私と勇者の子。きっと強い子になる。ステータスも、そして勇者のその頭脳も引き継いで……それで、あの男にも負けないほどの強い子供を作ろう」


 頭のおかしいことを口走るリゼリアに千司は驚くそぶりを見せつつも、しかし内心は冷静だった。


 何故なら、この状況も想定の範囲内だったから。


 リゼリアが千司——ではなく、勇者と子を成そうとしている・・・・・・・・・・・・・ことは学園に入学して早い段階で気付いていた。そしてその対象が千司だったことも。


 彼女の溌剌とした性格や男勝りな言動のせいで気付きにくいが、リゼリアは千司に対してだけ異様に距離感が近かった。ボディータッチは当たり前、他にも胸を押し付けたり、顔を近付けたりと挙げればきりがない。


 これだけならばただ単純に好意を寄せられている可能性も考えられるが、出会って間もない事と、彼女の肩書ブランディングを考慮すれば異様でしかない。


 帝国陸軍将軍の娘。

 それは多方面で活躍する肩書である。

 特に『処女』であればあるほどその価値は上昇するだろう。


 特に彼女には学内ランキング上位の姉が居る。

 つまりリゼリアは『次女』。

 ならば家督云々の話より『そっち』の運用をされてもおかしくはない。


 そんな彼女が異性である千司に近付き自身の『価値』を落としてまで手に入れたい物……親が帝国・・陸軍将軍と考えれば答えは一つ。


 勇者の子種である。


(王国貴族のステータスが高いのは、勇者の血が混じっているからだ。が、他国はその限りじゃない。中には薄く混じっているのもいるかもしれんが、王国ほどではないだろう)


 このことから帝国は勇者の血を欲していると千司は結論付けていた。


(まぁ、俺が選ばれたのは偶然だろうがな。白金級、金級は王国のマークが硬いだろう。その点俺は同じクラスで、それでもって下の方もだらしない。これ以上ない物件だろう)


 そして今夜仕掛けてきたのだろう。


「……」


 じっと見つめてくるリゼリア。

 そんな彼女を見て、千司は一つだけ違和感を抱く。


 それは眼前に居るリゼリアからそういった打算の雰囲気が微塵も感じられないということ。現在のリゼリアは自身に対して確実に好意を寄せている。


 しかし、彼女がそれを利用して迫るとは考えにくい。頭もいいし戦闘能力も高いリゼリアであるが、腹芸が得意なタイプとは到底思えないのだ。


(となれば、外部からの入れ知恵……ん~、昼間いなかったことを考えると、その時に姉に会って丸め込まれたってとこか)


 色々と考えてから改めてリゼリアを見やる。


 燃える赤い髪に、妖艶な瞳、そしてたわわに揺れる巨乳。

 普段男勝りで友人として接してきた相手からの誘惑。


「……なぁ、勇者ぁ。ダメか? 私の家系は妊娠しやすい。それに今日は特に孕みやすい日で……だからそんな回数をこさなくても、今夜だけ。一度の間違いでもいいんだ。……それとも、勇者は私とするのが、い、嫌だったりするのか?」


 不安げに揺れるリゼリアの瞳。


(ん~、まぁ色々あるけど面倒だから考えるのやーめた。リゼリア可愛いし、身体エロいし、それでいいや。疲れた時は股間で考えよう!)


 千司は思考放棄すると彼女の頬に手をやって、その桜色の唇を奪う。


「んむ……、んっ、ふっ……♡」


 数秒の口づけの後、リゼリアをまっすぐ見つめながら告げる。


「嫌なわけないだろ、リゼリア」

「ゆ、勇者ぁ……♡ はっ、んむ……♡」


 キスを交わしながら千司はリゼリアをベッドに押し倒し、思う。


(まぁ、新色ちゃんのゲロ顔で丁度ムラムラ溜まってたし、ここらで一発抜いときたかったのよね~)


 などと考えていると、リゼリアは恥ずかしそうにもじもじと足を擦り合わせながら、上目遣いに千司を見つめ——甘く囁いた。


「その……あ、愛してるぞ、勇者……」

「俺もだ」


 顔を真っ赤にして告白するリゼリアに、千司は心にもない言葉を口にして絡み合う。


 ギシギシとベッドの揺れる音、波のさざめき、魚が跳ねた水音と、そして少女の喘ぎ声。


 そんな夜に、千司は『偽装』した愛を囁く。

 端的に言って最低である。



  §



 ライザ・アシュートはドレスから騎士の制服に着替えると、精鋭の騎士五人と専属の護衛であるエストワールを含めた計六人を連れて、レストー北区へと向かっていた。


「……ここがレストーの北区」

「お気を付けください。ここに住んでいるのはかつて魔法学園建設に反対していた者たちとその子孫。我々のことは快く思っていない上に、かつてはテロを企てたほどです」

「分かっていますよ、エストワール。それに、仮に誰かに危害を加えられそうになって何も問題はありません」


 微笑みすら浮かべて淡々と返すライザに、エストワールは苦笑を浮かべる。


「それもそうですね、王女に敵う者などこの国には——」

「いえ、そうではありません」


 ライザはエストワールの言葉を区切ると、自身の後ろについて来ていた五人の精鋭、そしてエストワールをそれぞれ見やり、柔和な笑みを浮かべて告げる。


「信頼できる皆が居るからこそ、私は常に安心していられるのです」


 その言葉に、エストワールを除く五人は目を見開き、尊敬の念と共に首を垂れた。そんな彼らとライザを見比べて、エストワールは内心でため息を吐く。


(相も変わらず、人心掌握が得意なことで)


 王女の側に使え、彼女に関しては他の誰より詳しく知るエストワールとしては何とも微妙なところである。が、しかしエストワールは知らない。


 否、気付いていない。


 そうして特別扱いされることで、自身もまたライザに心を掌握されているという事を。自分の前でだけ、違う。自分にだけ、特別。上下関係ではなく友情に近い感情から入る、刷り込み。


「ふふ、エストワールも期待してますよ」

「はい、お任せください」


(やれやれ、猫かぶりが得意なことで)


 などと考えるエストワールは狐に化かされていることに気付かない。



  §



 地下闘技場につながる小屋に到着したライザたちは、騎士の権力を用いて受付にいた男に『代表者を呼ぶように』と命令。


 男はコクコクと頷いて小屋の中にあった本棚を動かすと、その先にあった隠し階段を駆け下りていった。


「なかなか凝ってますね」


 エストワールの言葉を聞き流しつつ、ライザも男を追うように階段を下りていく。騎士たちもそれに続き、しばらく下っていると次第に歓声が聞こえてきた。


 声は徐々に大きくなり、やがて頭が痛くなるほどの騒音に、ライザは思わず顔を顰める。そして階段を下りた先にあった鉄扉を押し開くと——そこには巨大な空間が広がっていた。


 いくつもの客席と、それらを埋め尽くす人々。

 彼らの視線が向かう先には正方形のリングが存在し、モンスター同士が血みどろの戦闘を繰り広げていた。


(こういった娯楽施設があるのは知っていましたが、実際に見るとなかなか迫力がありますね)


 冷静に分析するライザに、エストワールが小さく耳打ち。


「調査を行うのでしたら一度止めさせますか?」

「いえ、まずは代表者から話を伺いましょう。……丁度おいでになられたようですし」


 そう言ってライザが視線を向けた先に立っていたのは、黒髪黒目の素朴な雰囲気の女性だった。年のころは二十代半ばだろうか。服装もいたって平凡な物。


 しかしライザはその足取りを見て目を細める。


(かなり鍛えてますね……騎士、とまでは行かないでしょうがかなりの実力者です)


 隙のない脚運びをちらりと睥睨してから、ライザは表情を取り繕って女性に声をかけた。


「貴女がこちらの代表者の方でしょうか?」

「いえ。私は秘書兼用心棒をしている一回の従業員に過ぎません。ここでは話し合いも難しいでしょう。代表が奥の部屋でお待ちですので、どうぞこちらへ」

「わかりました」


 ライザは騎士を一人で入り口に残して、女の後を着いて行く。


 そして観客席の隅、従業員専用の鉄扉を押し開いた先にある応接室に、その男は鎮座していた。


 豪奢なアクセサリーを身に着け、仕立てのいい服に袖を通した男。

 彼は不敵な笑みを浮かべて牙を剥くと、ガタリと音を立てて立ち上がり口を開いた。


「はんっ! 初めましてだなぁ、騎士共! 俺の名前はグエン! 北区の守護者にして地下闘技場の代表もしている大天才、グエン様よぉ! よろしくなぁ!?」


 じゃらじゃらと金のネックレスを揺らし、宝石塗れの手を広げて尊大な自己紹介を行ったグエンに、ライザは——否、ライザだけではなくその場にいた全員が直感した。


 こいつは影武者である、と。

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