第42話 陽は傾き、終わりは近付く。

(さてと、そろそろアリアたちが動き出した頃合いか)


 千司は茜色に染まる空を見上げてそんなことを思う。

 乱戦が始まってしばらく、世界はすっかり黄昏に包まれていた。


 物思いにふけっていた姿を隙だと思ったのか、一人の男が迫りくるが千司はこれを素手で制圧。


 相手がエルドリッチの部下なら難しいが、騎士にも成れず、冒険者としても大成できずに盗賊などに落ちぶれた彼らに負ける道理などない。


 組み伏した男の後頭部に拳を振り下ろすが、直前で威力が消える。

 仕方がないので『シルフィの右腕』で無効化されない程度の力で男の首を絞めて気絶させると、千司は剣を奪い取ってから、新たに近付いてきた別の男にその切っ先を向けた。


(あー、早く右腕回収してくれ~)


 目の前の男と切り結びつつ、千司はぼんやりと今回の作戦について思い返す。


(正直、魔法学園襲撃はついでだったんだよなぁ)


 そもそも今回の作戦における一番の目的は『ヘーゲルン辺境伯』が所有しているロベルタの遺産『フレデリカの鉤爪』の簒奪である。


 しかし、ロベルタの遺産を所有しているのはそれなりの地位の貴族が多く、そうなれば当然所有する私兵も多い。ヘーゲルン辺境伯もその例に漏れず、策も無しに襲撃して奪い取るのはかなり難しいと言えた。


 そこで思いついたのが、まず初めに魔法学園を襲撃し彼らを応援に来させることで『フレデリカの鉤爪』が保管される屋敷の警備を減らすこと。


 すでに勇者を一人殺害していることから、レストーの街で武器を集めれば『勇者殺害』が目的と思わせることが出来ると判断したのである。


 もちろんわざと情報を流せば王女に感づかれる可能性もあったが、この作戦の素晴らしいところは『勇者殺害』れっきとした目的の一つで有るという点。


 結果として、何とか化け物ライザの視線を逸らすことに成功した。


 だがしかし、そこで一つ嬉しい誤算が生まれた。

 闘技場の地下に眠る『シルフィの右腕』の存在である。


 当然千司は最初に闘技場の魔法について教えられた時から、その可能性は考慮していた。それほどまでに致命傷になる攻撃を無効化するという魔法が常識外れの性能をしていたからである。


 しかし確証を得るまでには至らなかった。

 あの日、ラクシャーナ・ファミリーの幹部会からの帰りに、ロベルタから『シルフィの泣き声がするのじゃ』と伝えられるまでは。


 闘技場の魔法が『シルフィの右腕』の効果だと確信した千司は次にその場所の特定に移り、シュナック教諭の研究室でそこへと続く地下通路と『シルフィの右腕』の隠し場所を見つけた。


 そこまで判明すれば放っておくのは勿体ない。

 魔法学園襲撃に際して、ついで・・・に回収しておこうと千司は考え、ロベルタを栗色の髪の少女に『偽装』し、解除を手伝ってもらったという訳である。


 襲撃日時は学内でもずば抜けた戦闘能力を有する一組が『レストー海底遺跡遠征訓練』へと向かうその日。遺跡最深部に到着するだろう頃合いを見計らって、洞窟を塞いで帰還を遅延


 そうして生まれた、今この瞬間。


(嗚呼……楽しいなぁっ!)


 自分で思い描いた作戦が実行されて行く様に千司は爽快感を覚えていた。策を練り、全員を苦しめながら勇者を殺すことを全力で楽しんでいた。


 正直、作戦の成否はどうでもいい。別に失敗しようと、それで『裏切り者』であることがバレようと最悪構わない。その時は魔王側へと逃げるだけ。


 そもそも、魔王側へと逃げずにこうして隠れて行動しているのだって、その方が楽しいから・・・・・・・・・というのが理由の大半を占めている。


「ふぅ……」


 自然と口端が持ち上がりそうになるのを『偽装』しつつ、千司は襲い掛かって来た軍服の男を迎え撃つ。一刀両断できれば早かったのだが、闘技場の魔法が解けていない以上それは不可能。


 故に千司は剣を握る手を脱力し、速度重視で男へと振るう。右、左、下、上。

 リニュから教わった剣技を試すように、男の身体へと裂傷を刻み込んでいく。


 そのどれもが浅い傷ばかり。無効化されないレベルの攻撃を加え続ける。

 致命傷ではないとはいえ、当然痛みは存在するし流血からも逃れられない。


「……っぐ、くそっ!」


 刻まれ続ける傷に、男の表情が焦りから恐怖に変貌。

 止めどなく流れ出る血液に顔はだんだんと青くなっていき——。


「っ、おま、え……! ま、まさか失血死を——あぁ、うわあああああっ!!」


 千司の狙いに気付いた男は情けなく叫び声を上げながら踵を返し逃走を試みる——が、しかし足元が不注意になっていたのか気絶した仲間につまずき転倒。それでも距離を取ろうと這う這うの体で進むその背中を、千司は容赦なく踏みつけた。


「逃げられると思ってるのか?」

「た、頼む! 見逃してくれぇ!!」

「ふざけているのか?」


 大きく息を吸い込み、千司は怒りの感情を『偽装』しながら吐き捨てた。


「お前らから仕掛けたことだろうがッ! 逃がすわけがないッ! この場に居る奴らは全員皆殺しだッ! 俺の仲間を、この命よりも大切な友人たちを傷つけようとする奴は、生まれてきたことを後悔させながら、一族郎党皆殺しにしてやるッ!!」

「ひぃッ!」


 涙目で頭を抱える男に剣を振るおうとして——その千司の腕をリニュが止めた。

 彼女は顔を顰めながら、しかしどこか優しさを感じる瞳で千司を見つめる。


「やめろ千司。そいつはもう戦意を喪失している」

「……だから何だ? もう考えるのは疲れたんだ。どうでもいい。敵は殺す。皆殺しだ」

「お前の怒りは分かる! でもッ! ……でも、頼む。その殺人は、——怒りに任せたその殺し方は、お前を決定的に歪めてしまう……っ!」


 最初からひん曲がっている物をいくら歪めようが別に何も変わりはしないのだが、そんなことは知らないリニュは真剣な目で千司を見つめ続けた。


「一度そうなれば戻れない。続くのは血みどろの道だけだ。……センジ。我儘かもしれないが、アタシはお前に、そんな道を歩いて欲しくないんだ」

「リニュ……」


 もうすでに血みどろの道をスキップしながら邁進中の千司からすれば、的外れもいいところのくだらない言葉である。しかし、体裁もある為一応感動したという雰囲気を醸し出す千司。


 ……と、その時だった。


 少し離れた所で大きな悲鳴が聞こえる。

 視線を向けると、ヘーゲルン辺境伯の兵士と、右肩から袈裟切りにされた軍服の男の姿があった。千司と同じく視線を向けたリニュが『理解できない』と目を丸くする中、千司だけは一切のタイムラグなく、全てを悟る。


 あの傷は『致命傷』である、と。


「……ッこのぉ!!」


 と、視線が外れているのを見て千司が油断していると思ったのか、先程まで這う這うの体だった男が起き上がり、剣を振りかぶって——。


「ッ、セン——」


 リニュが何かを語るよりも先に、一切の躊躇なく千司は手にしていた剣を横に凪いだ。

 男の身体は慣性に従いとことこと数歩進んだ後、首を落として地面に倒れ伏した。切断面からはぴゅっぴゅっと血が噴き出す。


「……リニュ」

「……っ」


 千司は背後のリニュに優しく声を掛けて振り向くと、苦笑を浮かべて告げた。


「ごめん」

「……センジ」


 苦しそうに、悔しそうに、そして何より悲しそうに顔を歪めた彼女は、強く唇を噛み締めながら自身の前髪をくしゃっと握りしめた。その目じりにはうっすらと涙が溜まり、何かを堪えるように浅く息をする。


 千司はそんな彼女の表情をちらりと見つめてから、直ぐに視線を逸らして呟いた。


「とにかく、理由はわからんが闘技場の魔法が消えている。俺はせつなたちの護衛に回るから、後は頼んだ」


 そう言い残し、足早に彼女の前から離れる千司は『偽装』を使いながらそっとポケットに手を突っ込んでちんポジを修正。


(危ねぇ危ねぇ。いきなりそんな顔するなよなぁ。びっくりして興奮したじゃないか~。ん~、こうなるとリニュとも一発やっておきたいよなぁ~。あの手合いはそっちの方が面白いことになりそうだし)


 どこまでも欲望に塗れた思考を巡らせる千司は、この闘技場内に居る誰よりも浅ましく最低最悪の悪人であった。



  §



 ヘーゲルン辺境伯領。


 襲撃の指揮を執るのは当然ジョン・エルドリッチである。

 と言っても現場で大きく何かしらの支持をする予定はなかった。何しろ。


「さぁ、好きに暴れてください」


 雇った盗賊たちには自由に村々を襲撃するように伝えるだけだったから。

 夕景が染め上げる緋色の中に、次第に燃え盛る家々が加わり始める。

 傾いていく太陽。次第に暗くなるはずの世界は、されど不気味な明るさが広がる。


「ッ、盗賊だ!!」

「盗賊共が攻めて来たぞぉ!!」

「くそっ、なんでこんな時にッ!!」


 夜の帳が降りる中、ただの火事ではないと気付いた村人たちが悲鳴にも似た声を上げる。


 ある者は家族を家の中に隠し、ある者は武器を手にして、そしてまたある者は領主の屋敷へと情報を知らせに駆け込んだ。


「……なんだと?」


 知らせを受けた領主、ルークス・ヘーゲルンは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。しかし思考を止めるような愚行はしない。すぐさま指示を出し、屋敷に残っていた兵士に武器を与えて村へと向かわせる。


「父上、大丈夫ですか?」


 ふと執務室に入って来たのはヘーゲルン家長男、ルシリス・ヘーゲルン。

 ヘーゲルン家には何人かの子供がいるが、男子は目の前に居るルシリスと、魔法学園へと向かわせたルブルスの二人のみ。そして、魔法学園の案件が危険を伴うものだと判断した彼は最悪のことを想定して『次男』を向かわせていた。


 それ即ち——死んでも構わない、という意味である。


 ルークスはルシリスを睥睨し、思考。


(私かこいつのどちらかが村に行き、指揮を執るのは必須。しかし、当然危険を伴う。屋敷に居れば問題はないし最悪の場合はアレを使えば……)


 と、そこまで考えて、気付く。


「……父上?」

「……いや、何でもない。ルシリスよ、村へと言って兵を率いてくれるか? 戦う必要はない、撤退戦だ。屋敷に村人を匿って防衛を主軸として戦え」

「分かりました」


 恭しく礼を残して去っていく彼を見送り、ルークスは深く息を吐く。

 それから一本だけ煙草を吸おうとして、握りつぶした。


「……やるしかないか」


 一つ言い残すと、ルークスは執務室を後にする。慌ただしく廊下を駆け巡る侍女らを横目に、向かったのは寝室。読書をしていた妻が何事だと視線を向けて来るが、これも無視してルークスは壁に掛けられていた絵画を外した。


「どうしたの、あなた?」


 妻が頭上に疑問符を浮かべて尋ねて来るが無理もない。

 何しろ、絵画の後ろには何もなく、ただの壁があるのみ。

 が、しかし、ルークスは右手で手刀の形を作ると、壁を無視するように突き刺した。


 壁紙を破り、その後ろの木の壁、石の壁、そして金属の壁・・・・を『ステータス』任せに貫くと、その奥にあるモノを掴み、引っこ抜く。


 そうして壁から引き抜かれたルークスの腕には黒く光る鉤爪が装着されていた。

 爪は細く、三本。指を動かすように自由に動かせるその挙動を確かめると、ルークスは眉を顰めた。


(くそっ、少し動かしただけだというのに、相変わらずとんでもない勢いで魔力を持っていかれる……ッ!)


「なによ、それ……」


 驚愕のままに尋ねてくる妻に、ルークスは淡々と語った。


「昔、王家より授かった秘宝だ。今現在、我々の領地は盗賊の襲撃を受けている。これがただの盗賊なら残された兵だけでも対処できるが……どうにも嫌な予感がしてならない。故に、こいつの出番という訳だ」


 何とか説明をしている物の、それでも疲れる。

 指を動かさなければ吸い取られる魔力の量はそれほど多くないが、それでも強い倦怠感を覚える。


(以前、ヘイヴィ伯爵とお会いした時に彼も話していたが……ロベルタの遺産は何故これほどまでに、疲れるんだ)


 ロベルタの遺産がひとつ『ヴァルヴァラの金属眼』を所有する男のことを思い出しつつ、ルークスは脂汗を拭う。魔力とは違う。体力とも違う。使うことを身体が拒絶するような——否、使うことを『ロベルタの遺産』が拒絶している様な、強烈な嫌悪感。


 悲鳴のような、絶叫・・のような。

 思わず顔を顰めてしまいたくなりそうな、そんな声が『フレデリカの鉤爪』から聞こえて来る。実際にそんな幻聴すら聞こえるほどに、精神的に参ってしまう。


 ルークスは肩で息をしつつも、疲れを隠すように俯きながら妻へと語りかける。


「……はぁ、はぁ。と、とにかくお前はすぐに地下へ隠れるんだ。相手がただの盗賊ならそんな必要もないが、もし、もしもその狙いが——」

「『フレデリカの鉤爪』」

「そうだ。もし狙いが『フレデリカの鉤爪』なら、奴らはここを……あ?」


 ふと、聞き覚えのない声に顔を上げると、そこには妻の首をゴキリッとへし折る老紳士と、股を濡らして頬を紅潮させる白と紫の髪の女が立っていた。


 老紳士の腕の中で失禁しながらびくびくと痙攣した妻は、やがて力なく床に崩れ落ち、ピクリとも動かなくなった。首はあらぬ方向を向いており、誰が見ても彼女が死んでいると理解できる。


 が、理解することをルークスの脳みそが拒絶する。


「こんばんは」


 現実を受け止められないルークスに老紳士が話しかけた。

 崩れ落ちた妻の身をまるで路傍の石を蹴飛ばすかの如く、払いのけ、近付いて来る。


「ルークス・ヘーゲルン辺境伯ですね」

「……」


 近付いてきた老紳士の顔を見て、見覚えのある男だと気付く。

 それは世界的にも有名な、帝国の元軍人、ジョン・エルドリッチ。

 そして、その隣に居るのは数年前王宮に召還された際ちらりと見かけ——後に殺人鬼として世間をにぎわせた元騎士、アリア・スタンフィールド。


「……ぁ?」


 何故、二人がここに?

 どうやって侵入を?

 その疑問は、エルドリッチが首から下げる一つの笛を見て、解決した。


(簒奪されしロベルタの遺産……ッ!)


「『トリトンの絶叫』かッ!」

「正解。では本日こちらを訪問させていただいた理由も察していただけましたかな?」


 ルークスは自身の右腕にちらりと視線を落とし——。


「正解」


 焼き直しのように同じ言葉を口にしたエルドリッチが、瞬きの間に移動してくる。


「チッ——」


 短く舌打ちをしたルークスは瞬時に全てを理解。『フレデリカの鉤爪』を使用。

 ごっそりと魔力を持っていかれながらも三本ある内の二本の爪を動かして何もない中空を掴み——一気に斜め下へと切り裂いた・・・・・


「……っ!」


 慌てて飛びのくエルドリッチであるが、軍服の裾が僅かに切断された。しかしエルドリッチはそんなことは気にも留めず、ルークスを——正確には、ルークスとの間に生まれた認識できない空間を睥睨した。


 エルドリッチは地面に転がっていたルークスの妻の亡骸を手に取ると、その空間へ向かって放り投げる。すると、空間に触れた瞬間、遺体は真っ二つに切断された。


「なるほど、これが」


 作戦前にドミトリーから能力については聞いていたが、実際に目の当たりにするのとではやはり違う。


 『フレデリカの鉤爪』——その能力は、触れないものに触る能力。


「空気を切り裂いた、ということでしょうか」

「……よくも妻の亡骸を……」


 脂汗を流しながら鋭い視線を向けて来るルークスに、エルドリッチは苦笑。

 そして、室内戦では分が悪いと判断し『トリトンの絶叫』を用いてルークスごと外に転移しようとして、アリアが剣を構えた。


「……私にやらせて」

「……何故でしょう?」


 小首を傾げるエルドリッチに応えるようにアリアはバラバラになったルークスの妻の亡骸を足蹴にして告げた。


「だ、だだっ、だって私も殺したいからぁあああああっ♡」

「……」

「ほんとならっ、この人も、ころっ♡ 殺したかった、のにぃ♡ らめなのぉ♡ 全部ひとり占めしてころしゅにゃんてぇ♡ らめなのぉおおおおっ♡」

「……そうですか。では、がんばってください」


 相手するのも面倒だと判断したエルドリッチは狂人との対話を止めてさっさと譲る。触らぬ神にたたりなしの精神である。


(死んだらドミトリー殿……いえ、奈倉千司殿に悪いので、危なくなれば手を貸しますが……まぁ、彼女なら問題ないでしょう)


 エルドリッチは股からだらだらと汁を零すアリアから視線を逸らし、窓の外へと目を向ける。そこでは乱戦を繰り広げる盗賊と、村人と兵士の姿。兵士がいる場所は拮抗しているが、少ない兵士で村全体を守ることなど不可能。


 結果、男も女も子供も老人も構わずに行われる虐殺を見て、エルドリッチは心を躍らせながら思った。


(美しきかな!! 地獄絵図ッ!!)


「あへっ、あへあへっ♡ い、イグね!?♡♡ い、いまいまいまからっ♡ こ、ここ、殺してあげりゅからぁあああへあへあへぇえええええっ♡」


 そして響き渡るアリアの嬌声。


 エルドリッチはそっと耳を塞いだ。

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