第41話 ロベルタの遺産簒奪計画

 闘技場の地下で栗色の髪の少女の姿をしたロベルタは涙を流す。安置された右腕を前にわんわん泣き声を上げる。


 そんな光景を、周囲に居た軍服の兵士たちはぼんやりと眺めていた。


 喜びもなければ同情のひとかけらも抱かない冷淡な瞳で、ただその事象を観測していた。


 彼らが上司であるエルドリッチから言い渡された命令は、闘技場の地下に安置されている右腕——ロベルタの遺産・・・・・・・が一つ『シルフィの右腕』の回収。


 故に、それ以外の事象には興味がなかった。

 だからと言って、邪魔することもないのだが。


 何しろ『シルフィの右腕』の回収には周囲の魔方陣を解除する必要があり、その複雑怪奇な術式の解除に関する知識は、現在進行形で涙を流す彼女しかいないのだから。


(……彼女はいったい何者なのか)


 軍服の一人、回収班の総指揮を任されていた男はぼんやりとそんなことを考えるが即座に無用の産物だと思考を切り捨てた。

 

 どうでもいい。

 誰でもいい。


 ただ自身にとっての絶対神であるエルドリッチが、使える仲間として連れてきたのなら、それだけでいい。


 この作戦において、回収班に与えられた命令は主に三つ。


 一つ、栗色の髪の少女を護衛すること。

 二つ、シルフィの右腕を必ず回収すること。


 そして——。


「おいおい!」


 ふと、思考を遮るようにしゃがれた男の声が部屋の中に響いた。


 涙を流すロベルタ以外の全員が声の主へと視線を向けると、そこに居たのは無精髭を生やした男。


 他の者同様に軍服を身に纏ってはいるものの、前ボタンは外し、袖をまくっている。


 規律など知らんとばかりに軍服を着崩した彼は、面倒くさそうに頭を掻き毟りながらぼやいた。


「ったくよぉ、俺らの手を借りてまで欲してたのが、その気持ち悪い腕だってのかぁ!? ふざけんなよ~!」


 空気も読まずに大声で喚き散らす彼は、今回の魔法学園襲撃に際してエルドリッチが雇った盗賊の頭である。多額の前金を支払い協力させていた。


 彼の他の仲間はすべて地上で生徒監視の任務についており、地下に居るのは彼ただ一人。それ以外はすべてエルドリッチ直属の部下である。


 男はずかずかと室内を移動すると、ロベルタの後方から腕を覗き込み、顔を顰めた。


「うへぇ、近くで見たらもっと気持ちわるっ! あいつらは上で女子生徒を摘まみ食い、対して俺は地下で死体回収、と。かー! やってらんねぇ! おい女ぁ、さっさとしろよ~!」


 だらだらと文句を口にする彼に、しかしエルドリッチの部下たちは何も言わず、誰も動かない。回収班の総指揮を任されていた男も、誰も。


 そして、室内に静寂が下りた瞬間——底冷えするような少女の声が響いた。


「のう、うぬら」


 それは先ほどまで涙を流していた少女の声。

 これに対し、エルドリッチの部下たちは恭しく傾聴。


「何でしょうか?」


 突然の出来事に困惑する盗賊の頭を置いて、ロベルタは告げた。


「今すぐあの男を殺すのじゃ」

「畏まりました」


 エルドリッチが部下たちに与えた三つ目の命令。それは——


『作戦行動中、栗色の髪の少女の命令は遵守すること』


 少女の言葉に応じた帝国最強の兵士が、たった一人の盗賊に襲い掛かる。


「はっ? ちょ、ちょっと待て! 俺たち仲間だろ!?」


 慌てた様子で喚き散らすが、誰も反応することはない。

 部下たちは慣れた動きで男を取り囲むと、各々短いナイフを取り出した。


 一国の兵士と、たかが盗賊の頭。

 仮に一対一の勝負で有ろうと結果は火を見るよりも明らかであるが、エルドリッチの部下たちに油断はない。


 九十九パーセントの勝利を限りなく百パーセントに近付けるために、格下相手に逃げ道を塞いでからリンチを開始する。


 一人が素早い動きで口を塞ぐと、同時に別の者が両手両足の肘、膝関節をへし折り、後方にいた者が正確無比な打撃で脊椎に損傷を負わせる。


 五秒も経たないうちに二度と歩けない身体となった男であるが、エルドリッチの部下たちは手を休めない。


 爪を剥ぎ、髪を毟り、歯を引っこ抜く。


「や、やべっ、やべでぐれぇぇぇええええええっ!!」


 男の絶叫が響き渡るが手は止まらない。

 死なない程度・・・・・・に痛めつけ、男の心を壊していく。


 やがて辛うじて生きているだけの彼が、ロベルタの前に突き出された。


「妾は殺せと言ったのじゃ」


 その言葉に、総指揮の男が首を横に振った。


「僭越ながら、あなたの大切な方を侮辱し、深く傷つけたこの男にただの死は生温いかと思いまして。そこで、魔法陣の解除には血が必要なことですし、彼の血でもって封印を解くことにより、その罪を償わせるのが妥当かと考えた次第です」


 さも今思いついたように語るが、すべては計算通りである。

 『シルフィの右腕』が魔法陣を用いて封印されていることや、その解除には血が必要なことは事前に教えられていた。


 ロベルタは誰でもいいから一人を殺し、その血を使い解除しようと考えていたが、部下からすればたまったものではない。


 故に、適当な盗賊を連れてきて生贄にしようと総指揮の男は考えていたのだが……。


(まさか自分から火中に飛び込んでいくとは……間抜けめ)


 あとは当のロベルタが納得するかどうかであるが。


「……汝よ」

「……なんでしょうか?」


 真面目な顔を向けられ生唾を飲み込んだ瞬間——彼女は無邪気な笑みを浮かべた。


「さては、天才なのじゃ?」

「……ありがとうございます」

「そうと決まれば早速始めるのじゃ! 出来るだけ長く生かしながら血を奪い、罪を償ってもらうのじゃ~!」

「畏まりました」


 恭しく首を垂れる男に、ロベルタは少し考えるそぶりを見せてから告げる。


「それじゃまずは封印の魔法陣から解除を始めるのじゃ」

「……まるで封印以外にもあるような言い方ですが?」


 その問いにロベルタは首肯を返す。


「うむ、現在シルフィは大きく分けて二種類の魔法陣で縛られている。一つが封印の魔法陣・・・・・・。そしてもう一つが力を増幅させる魔法陣・・・・・・・・・・じゃ」


 ロベルタは部屋中の魔法陣を憎々し気に睥睨しながら続ける。


「シルフィは優しい子なのじゃ。このような姿にされて尚、誰かを守りたいと考えるほどに。そんなこの子の力は——『致命傷になる攻撃を無効化する』というもの。ただしそれは、魔力を注いだ一人・・・・・・・・にのみ適応されるものなのじゃ」

「……つまり闘技場全体に行き渡った魔法は、その……し、シルフィ殿のお力を魔法陣で増幅させた産物、ということですしょうか」

「その通りなのじゃ」


 舌ったらずな声で首肯するロベルタは、魔法陣を解読しながら続ける。


「増幅の魔法陣は簡単に解除可能じゃが、封印の方はそうもいかなくてのう……」

「なるほど。シルフィ殿の力が消えれば、その存在を知っている人間がここに来る可能性がある。だから面倒な封印の方を先に解除する、という事ですか」

「そういう事なのじゃ! さすがせん……ド、ドミトリー? の部下なのじゃ!」

「我々は——いえ、何でもありません」

「? そうか。まぁ、シルフィを助けるのに協力してくれたから、汝らを殺すのは最後の方にしてやるのじゃ~!」

「……それは光栄です」


 何が何やら分からないが、適当に話を合わせるエルドリッチの部下。


 そんな彼らに興味を失くしたロベルタは小さく『シルフィの右腕』に話しかけた。


「今、母が出してやるからのう」


 数秒の後、ロベルタは顔を上げて袖を捲る。


「……よし! では妾が告げた箇所をその愚かな男の血で塗りつぶしていくのじゃ!」


 そうして、ロベルタの指揮により魔法陣の解除が始まり……部屋の中は盗賊の男の血で赤く染まっていくのだった。



  §



 同時刻、レストー海底遺跡。


 慎重に地上へと続く道のりを進んでいたレーナは違和感を覚えていた。


「何も……こない?」


 より正確には誰かが何かを仕掛けてくることがない、という意味である。

 遺跡に生息しているモンスターたちは絶え間なく襲い掛かってくるが、それだけ。


 セレン曰く人為的な崩落が引き起こされたというのに、現状これと言って異変は起こっていなかった。


「これは時間稼ぎ……か? 篠宮蓮はどう見る?」


 レーナのつぶやきを拾うようにぼやいたウィリアムが篠宮に問いかける。

 彼は警戒を解くことなく顎に手を当てる。


「……同意見ですね。ここまで何もないとなると……狙いはこちらではないと考えるべきかと。まぁ、確証も何もないですし、そう思わせることが狙いの可能性も捨てきれませんが」

「当然だな。……まぁ、何はともあれ、今は急ぐ以外の選択肢がないのだが」


 軽く会話しながらも、ウィリアムは迫りくるモンスターを一蹴。他の生徒と一線を画した強さは、嫉妬することすら馬鹿らしいと感じるほど。


(あまりにも、違い過ぎる)


 自身も学内ランキング二位の生徒であるというのに、なんという壁だろうか。


 魔法の才能を持って生まれ、それなりに努力して学内ランキング二位という地位にいるレーナであるが、ウィリアムはそれを易々と超えてくる。


 才能も、努力も、どちらをとっても勝ち目がない。


「……っ」


 と、一瞬ネガティブな事を考えていた間隙を縫うように、モンスターが攻撃を仕掛けてきた。


 サメのような顔を持つ素早いウミヘビは、ウィリアムが居る方向とは反対側から出現し、生徒たちの間を縫ってレーナの下へ。


(……っ、確かこのモンスターは即効性の猛毒を持ってたはず)


 慌てつつも冷静に魔法を詠唱しようとして——その前に剣が振るわれ、ウミヘビは粉みじんになった。


「……大丈夫か?」


 剣を振ったのは白金級勇者、田中太郎。


 一人でも十分対処可能であったが、わざわざ言う必要もないと判断し、レーナは素直に感謝を述べた。


「はい、ありがとうございました」

「構わない。奈倉から頼まれていたからな」

「奈倉さんから?」

「あぁ、もし何かがあった際、お前のことを気に掛けてやってくれないかと頼まれていた」

「……あの男は」


 呆れたように頭に手をやりつつ考える。


(普通、いくら恩人の妹だからと言ってそこまでするでしょうか? ……彼には何か……いえ……やはり、もしかすると……っ!)


 最悪の想像が脳裏を過ったレーナは、僅かに躊躇したのち田中に声をかけた。


「あのっ!」

「どうした?」


 ぬぼーっとした表情の彼に、レーナは意を決して尋ねる。


「奈倉さんって、お、男もイけるたちだったりするのでしょうかっ!?」

「…………」

「女性の恋人がいらっしゃるのは知っていますが……もしかして男も分別なくぱくぱく食べちゃうような人だったり……っ、あ、兄と奈倉さんが実はそういう……だとしたら私は——っ」

「…………」


 一人で慌てふためくレーナ。

 そんな彼女に言葉を返したのは田中……ではなく、先陣を切るウィリアム。


「おいレーナ・ブラタスキ! 貴様、何を下らんことを話している! 今どんな状況なのか理解していないのか!? それでよくランキング二位が務まるなぁ!」

「……っ! も、申し訳ありません」


 同級生から至極当たり前のことで説教され、恥ずかしさやらなんなのやらで顔を真っ赤に俯くレーナ。


 何をやっているんだと自らの頬を軽く張ると、意識を切り替えて魔法で戦闘のサポートに参加。結果として、行軍速度が僅かに上昇するのだった。


 そんな中、残された田中は一人思う。


(……奈倉って、そうなのか?)


 男女両方イケることと二股している現状を鑑みて、少しだけ距離を置こうかなと考える田中であった。


 そうこうしている内にようやく遺跡の入り口まで戻ってきたレーナは、しかし目の前の光景に頭を抱えた。


「これは……」


 そこにあったのは入り口をふさぐように山積みになった巨大な岩の数々。


 とてもではないがすぐに撤去するのは不可能だろう。魔法で一つ一つ破壊することは可能だろうが、いつ上の瓦礫が崩落するかもわからない。


 助かるには慎重に慎重を重ねて上から岩を撤去していくしかないが、当然時間も食料もない。


 仮に魔法学園が攻撃を受けていた場合は外部からの救援も遅れ、文字通り詰みの状況となっていただろう。


 ——ここに、篠宮蓮が居なければ。


「では篠宮蓮、頼むぞ」

「分かった」


 ウィリアムの言葉に首肯した篠宮が一歩前に出る。


 いくら勇者——それも白金級の攻撃とは言え、失敗すれば生き埋めになる可能性がある。


 ウィリアムを除くその場にいる全員が緊張の面持ちを浮かべる中、篠宮は集中するように瞑目し、深呼吸。


 そして目を見開いた瞬間、彼の後方に幾十もの青白い魔法陣が出現し——。


「スキル『一斉掃射』」


 何のひねりもなく淡々と告げた次の瞬間——すべての魔法陣から直径五メートルはありそうな光線が同時に射出された。


 光線は入り口を塞ぐ巨大な岩々を容易く貫通したかと思えば、更に向こうへと延びて行き——最終的に空に浮かぶ雲に大穴を空ける。


 あまりの威力に目を見開くレーナであるが、何よりすごいのは連射力。


 幾十もの青白い魔法陣からは同威力の光線が十、二十、三十と際限なく射出され続けている。


 岩が消し飛び、衝撃で崩落した岩を中空で蒸発させ、障害になりうるそのすべてを吹き飛ばしていく様は——まさしく『一斉掃射』。


 ほんの十秒のうちに入り口をふさいでいた瓦礫は跡形もなく消し飛び、開けた洞窟の入り口からは、呆然と立ち尽くすレーナたちを嘲笑うかのように、嫌になるほど美しい夕焼けが差し込んでいた。


「流石だな篠宮蓮。では行くぞ」


 その場にいた誰もが動けない中、もはや肝っ玉が太いのか他者に関心がないのか分からないウィリアムだけが変わらぬ調子で洞窟を後にする。


「……」


 一方で、あまりの衝撃に立ち尽くすしかできなかったレーナたちも、十秒ほど遅れてから動き出し、一人先に進むウィリアムの背中を追うのだった。


(協調性に関しては……勝っていますね)



  §



 同時刻。魔法学園から少し離れた地、ヘーゲルン辺境伯領。


 町はずれの森の中に、ラクシャーナ・ファミリー幹部であるフィリップ・エンドリューとその部下十人、そして他に数十人からなる盗賊の姿があった。


 彼らの頭上に輝く太陽は刻一刻とその高度を落としており、もうすぐ世界は闇に包まれるだろう。


 そんな中、フィリップは鼻歌交じりに肉汁滴る肉に齧り付いていると——不意に『トリトンの絶叫』が鳴り響いた。


 堪らず全員が耳を塞ぎ顔を顰める中、その中心部に巨大な顔が出現。


 中から髪をオールバックに撫でつけた老紳士と、身体中に包帯を巻きつけた白と紫の入り混じった特徴的な髪の女が現れた。


 突然の闖入者に警戒を露わにする盗賊たち。

 しかしフィリップは肉を放り出すと両手を上げて二人を歓迎した。


「これはこれは、大尉殿!」

「お待たせして申し訳ない、フィリップ殿」

「いえいえ。ところでそちらのお嬢さん、お怪我をされているようですが、大丈夫でしょうかな?」

「えぇ、どれも軽傷ですし……何よりも」


 視線を集めた女は殺意をみなぎらせると同時に、雌の匂いを体中から発していた。


「えぇ……」


 ドン引きするフィリップに対し、エルドリッチは口端を持ち上げて特徴的な髪の女——アリアに声をかける。


「これはこれは、頼もしいですねぇ」

「汚名返上の機会、だから……ドミトリーのために……いひひっ、どみ、ドミトリーと結ばれるためにっ♡ こ、今度こそ、皆殺しにするからぁんっ♡」


 興奮のあまり言葉に詰まりながらも殺意を口にするアリア。


 先程オーウェンに殺されかけたばかりだというのに、すでに股を濡らして、戦意も充分。


「よろしい。では早速——ヘーゲルン辺境伯領を血の海に染め上げるとしましょうか」


 エルドリッチの声に呼応して、フィリップの部下と盗賊たちが動き出す。

 目指すはヘーゲルン辺境伯の屋敷と、その周辺の村々。


 目的はヘーゲルン辺境伯が持っているというロベルタの遺産・・・・・・・——『フレデリカの鉤爪』の簒奪である。

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