第40話 再会
びくびくと絶頂し、床に水溜りを形成していたアリアは一分ほど経過してからようやく落ち着きを取り戻した。
彼女は二つの死体には欠片も興味を向けず、カフェの厨房に向かうとコップに水を注ぎ一気に呷る。絶頂のし過ぎで危うく脱水症状を起こすところであった。
「ぷはっ」
コクコクと喉を鳴らした彼女は厨房を後にして、放置していた剣を回収。
血払いしてから鞘に納めようとして、ふと思う。
(そう言えば、勇者の血って美味しいのかな?)
昔、王都で適当に殺した女の血を舐めたことがあるが、鉄臭くてとてもではないが飲めたものではなかった。
アリアは殺人という行為自体に興奮する変態であるが、死体には全く興味がない。カニバリズムなど本当に気持ち悪いと、自身を棚に上げて非難するほどに嫌悪感を抱いている。
ならば何故、一度試したのか?
それはまだ騎士団に在籍していたころに捕まえた一人の殺人鬼の言葉が原因。
『生き血を啜るのが、俺の生きがいだ』
何と痛々しい発言か。
そう思いつつも念のためにアリアも確かめてみた次第である。
結果としては、その殺人鬼を殺したくなるほどに不味かったのだが。
(……普通の人の血と勇者の血って、何か違いとかあるのかな?)
そんな純粋無垢な疑問を抱いたアリアは、これで最後だと言わんばかりに剣に付着した血をぺろりと舐めとり……余りの鉄臭さに顔を顰める。
(~~っ! や、やっぱりまずっ! おえっ!)
慌ててぺっぺと吐き出そうとして――瞬間、アリアの全身に衝撃が走った。
「……!?」
痺れるような、高揚するような不思議な感覚。それが何なのかは全くもってわからないが、ただ自身の身体に何かしらの変化が起こっているのは確実。
息が荒くなり、痺れは次第に熱に変化。全身が火照って来る。
が、不調という訳ではなく、むしろその逆。
身体が軽く、絶好調に近付きつつあった。
「な、なに、これ……っ」
「それはこちらのセリフだな」
困惑のままに吐き出したアリアの言葉に、誰かが返答。
びくびくと全身を震わせながら視線を向けると、そこには一人の男が立っていた。
鋭い目つきに、陰険さが滲み出たような顔の彼は、王国騎士の制服を身に纏っている。
男は床に倒れ伏す岸本と富田の惨殺遺体を前に大きく深呼吸すると、数秒瞑目した後、腰に下げた剣を引き抜いた。
「……正直に言おう。私は、この学園の生徒が何人死のうと、何十人死のうと、何百人死のうと構わなかった。もちろん助けられるのならそれに越したことは無いが、しかし『勇者』さえ死ななければ、最悪それでよかった」
「……」
洗練された動きで剣を構える男を前に、アリアは生つばを飲み込む。
何しろ、この男と対峙することは想定外だったから。
そんなアリアの焦りを無視して、男は続ける。
「故に、この時点で我々の負けは確実。……しかし、国敵である貴様の首は今ここで叩き切ろう。それこそがノブレス・オブリージュ。貴族たる私の務めである」
「っ、オーウェン・ホリュー」
殺意をみなぎらせる第二騎士団団長の名を呟き、アリアは背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
かつて、セレンを含めた第一騎士団の数名に重軽傷を負わせて逃亡したアリア・スタンフィールドが、たった一人の男を前に焦りを覚えていた。
「私を、あの庶民の女と同列に考えるなよ?」
肩眉を持ち上げ、苛立ち混じりの視線を向けてくるオーウェンに、アリアは堪らず後退る。何故なら——。
「王国最強の騎士として、貴様を処刑する」
その言葉が真実であると、アリアは知っているから。
「……っ、くそ!」
舌打ちをして距離を取った瞬間、それまでアリアが立っていた場所にオーウェンが剣を突き刺していた。ギリギリ、目で追うことが出来た一撃。欠片も見破れない予備動作から繰り出されるそれを回避できたのは、ほとんどまぐれと言って差し支えない。
「これを避けるとは。腐っても元騎士というわけか」
流麗な動きで構え直し、アリアを睥睨するオーウェン。
(戦闘はまずい、逃げないと)
思考した一瞬を突くようにオーウェンが肉迫。上段に振りかぶられた剣を見て、アリアは咄嗟に剣を横にしてガードを取ろうとして——。
「違うっ!」
大きく後方へと跳躍。
オーウェンは剣を
ガードに徹していた場合、その横をすり抜けて腹を横一文字に切り裂かれていただろう。これが只人のフェイントなら見破れるだろうが、オーウェンのそれは一線を画す。
が、アリアはそれすらも察知できていた。
(なに、これ……いつもより、見えるし……身体が軽い)
勇者の血を舐めて以降、アリアの身体は絶好調のままだった。
むしろ平時であれば今頃三枚おろしになっている。
「ここまで実力を上げていたとはな」
「……」
「話す余裕も無いか」
まさしくその通りであった。身体の異常により何とかついていけている現状だが、それでもオーウェンには敵わない。
恵まれた血筋であり、百年に一人と言われるほどの恵まれた才能を持っていながら、しかし誰よりも努力し研鑽に研鑽を重ねた騎士。それこそがオーウェン・ホリュー。
正真正銘の化け物である。
しかしアリアは冷静に状況を分析していた。
それぐらいの余裕は何とか持っていた。
まず、彼に真っ向から勝負を挑み勝つことは不可能。
奇策を用いて、何とか逃げるのが精いっぱいだろう。
それでも成功率は半々――頭に『運が良ければ』の但し書きが付いてくる。
「ふぅ……ッ!?」
アリアが息を吐いた間隙を縫うようにオーウェンが接近。
初手から戦闘のリズムを崩される。
繰り出される猛攻はどれも基本の型に忠実であり、しかしその洗練された動きと恐ろしい反射神経から繰り出される連撃は、徐々にアリアの守りを崩し始めた。
距離を取って、狭い店内で三次元的な動きに出るが、オーウェンは難なく追いついて来る。それどころか、逃げるので精いっぱいのアリアに対し、彼は剣を振るいながらの移動。
身体には徐々に裂傷が増えて行き——アリアは岸本の遺体の横に着地すると、その首根っこを掴んでオーウェンへと放り投げた。
「……っくそ」
オーウェンは岸本の身体を受け止めるとそのまま着地。優しく地面に横たえると、即座に切り返そうと——そこへ富田の顔面をまるでボールのようにアリアは蹴りつけた。
オーウェンはこれも受け止めようとして——舞い散る血液に一瞬眼を瞑った。
アリアはその一瞬を見逃さない。
即座にガラス窓を破って店外にと転がり出ると、上空へ向かってファイアーボールを打ち上げた。
瞬間、はるか上空で『トリトンの絶叫』が鳴り響き、目の前に軍服の老紳士が現れた。
彼はアリアの惨状を確認すると二、三度頷き、笑みを浮かべる。
「これはこれは、こっぴどくやられましたね」
「オーウェンは想定外」
店内へと視線を向けると、エルドリッチの乱入に警戒を引き上げるオーウェンの姿。
「なるほど、確かに彼が相手では面倒ですね。少し早い気もしますが……まぁ良いでしょう」
「……ドミトリーに合わせる顔がない」
「
落ち込むアリアにエルドリッチは慰めの言葉を掛けた後『トリトンの絶叫』を吹き鳴らす。
瞬間、二人の姿は巨大な顔に飲み込まれて消え去るのであった。
残されたオーウェンはしばらく警戒を続けた後、周囲に誰も居ないことを確信。
剣の血を払って鞘にしまう。
「……仕留め損ねたか。それにあの老骨……剣聖殿でも倒せないとは、面倒な」
ちらりと上空から闘技場の方へと滑空していくリニュを視界に捕らえてから、オーウェンはカフェテラスへと踵を返す。そこには無残な姿と化した二人の勇者。
「岸本、富田……」
オーウェンは亡骸を前に数秒立ち尽くしてから、自身が身に纏う騎士の制服を掛けた。血で赤黒く汚れてしまうが、構わない。
オーウェンは一度大きく深呼吸してから、カフェテラスを後にする。
「弔いは、全てが終わってからとなる。……すまない」
そう言い残して、闘技場へと向かうのだった。
§
「奈倉殿、気付いておられますか?」
闘技場に集められて暫く。
大人しく待機を続けている中で、不意にギゼルが小声で話しかけてきた。
彼の視線は生徒たちを監視する軍服のテロリストを睥睨しており、何を言いたいのか察した千司は小さく首肯。
「えぇ。……ただ、何と表現すればいいのか。弱くなった……いえ、兵士の質が落ちたとでも言いましょうか?」
「同感ですね」
ギゼルに倣いセンジもテロリストたちに視線を向ける。
するとどうしたことか。
先ほどまでは真剣に姿勢を正し、油断なく監視の目を光らせていた彼らが、今では下卑た笑みを浮かべ、どの女子生徒が一番綺麗か、などと語り合っていた。
「集中力が切れた……いえ、別人と考えるのが妥当でしょうか。交代制で監視をしているのでしょう」
「同意見です。教室に現れた男たちや、先ほどまで油断ならないと判断していた兵士たちが軒並み姿を隠しております。対して現れたのが、あの雑兵……何故これほどまでに質の違う者たちが結託しているのかはわかりませんが……好機では?」
「……多少の犠牲覚悟で突っ込めばあるいは。……ただ、姿の見えない兵士が問題ですね」
千司の返答に渋い顔を見せるギゼル。
――と、不意に上空から何かが降ってきた。
轟音と共に巻き上げられた砂ぼこり。
その中から姿を現したのは銀髪をたなびかせる剣聖だった。
「セン——みんな、無事か!」
すでに手遅れなほどに自身の中の優先順位を口にするリニュであるが、しかし彼女の登場に生徒たちは喜色の声を上げる。
「剣聖様?」「やった、リニュ様だ!」「王国最強の剣聖様が来た! これで勝てる!」
対して、テロリストたちは一様に歯噛みし、警戒心を引き上げながら剣を抜いた。
「おい剣聖! その場を動く——なっ!?」
出入口を固めていたテロリストの一人が近場の生徒を人質にしようとした瞬間、リニュの姿が掻き消える。刹那にも満たない時間で移動した彼女は、男の顔面に向けて拳を放ち——寸前で制止。
「——チッ、致命傷を無効化する魔法か。面倒な」
苦々し気に吐き捨てたことから、今の一撃が殺意を込めて放たれたものだと確信。怯えたように腰を抜かしたテロリストであったが、そのことを理解すると引き攣った笑みを浮かべながら立ち上がる。
「はっ、ははっ! こりゃあいい!!
「……」
「おいおいおい、最強の剣聖さんよぉ!! どうやらお前が最強すぎる余り、ここでは無力になり得るようだなぁ!? えぇ!?」
「……あ?」
煽り散らかす男に、リニュは額に青筋を浮かべたまま蹴りを放つ。
放たれた先は頭や首ではなく——足。
メキッと嫌な音と同時に男の足がへし折れ、絶叫を上げながらその場に崩れ落ちた。
リニュは足を押さえて泣き喚く男から剣を奪うと、大きく一振りしてから苛立ちと共に吐き出す。
「貴様ら、アタシが誰か知らないのか? 剣聖だぞ? ……致命傷を無効化する魔法があるのなら、致命傷を避けて殺せばいい。ただそれだけだ」
「ちょっ、ま——」
足を折られた男に、リニュが剣を振り下ろそうとして——
「待ってくれ!!」
声を荒げたのは大賀だった。
「オオガ……何故邪魔をする?」
「ひ、人質を取られてんだよ! 女子生徒が一人!」
「……悪いが、諦めろ」
「ふ、ふざけんな!!」
苛立ち混じりに大賀を睨み付け、リニュは大きくため息を零す。
「冷静になって考えろ。たった一人の犠牲でこいつらを皆殺しにできる。それが最善だ」
「んなわけ——」
「では、その女子生徒は勇者なのか? ならば私も今は大人しくしよう」
「……そ、れは」
言いよどむ大賀に、リニュは話にならないと溜息を吐いて剣を構える。
大賀のことは無視して、さっさと殲滅を始めようとして——しかし剣を向けた男の前に大賀がその身を挺して立ち塞がった。
「待てって、言ってんだろ。リニュ」
「……」
睨み合うリニュと大賀。
嫌な静寂が流れ、ぴりぴりと緊迫した空気が闘技場を包み込む。
千司は二人のやり取りに歯噛みし、どうすればいいんだ! と言わんばかりの表情を浮かべつつ、内心では『やれー! ぶっ殺せー!』と内ゲバにワクテカ。
想定外の状況であるが、この場でリニュが大賀を切り殺す展開もこれはこれで有りと応援していた。
が、しかし。
二人が動くより先に静寂を壊したのは闘技場の外からの闖入者であった。
突如として闘技場内に流れ込んできたのは軍服を身に纏った十数人の男たち。
彼らは身体中に傷を負い、額に汗を流しながら慌てた様子で駆け込んでくると、監視の任務に就いていた仲間たちに向かって吠えた。
「まずい! 敵の増援だ!」
「なんだと!?」
「ふざけんな! 話が違う!」
「早すぎるだろ!」
テロリストたちに動揺が広がる中、そんな彼らを追いかけるように闘技場に幾人かの男たちが現れり。王国騎士とはまた異なった様相の鎧を身に纏う彼らはテロリストたちに対して剣を向ける。
そんな中から一人の男が現れ、告げた。
「私は『ヘーゲルン辺境伯』が次男、ルブルス・ヘーゲルン! そして彼らは、我が領地の優秀な兵士たち! 魔法学園の危機を知り、ここにはせ参じた次第である!」
ヘーゲルン辺境伯。
レストーの街からほど近い領地を治める貴族である。魔法学園の近くでそれなりの武力を有するのはヘーゲルン家だけであり、当然魔法学園が襲われたとなれば、助力のために動くことになる。
それでもかなり早い段階でこうして現れたのは、おそらく王女から事前に指示があったとみるべきだろう。どうしてこうも読まれるのか。遠く離れた王女に対して胸中で中指を立てつつ――千司は思う。
(かかった)
口角が上がらないように注意しながら、千司はギゼルに耳打ち。
「戦況が動きます」
「わかりました。ほら、リゼリア殿も」
「うぅ~」
丸くなっていた彼女を無理やり立たせていつでも戦闘に入れるように準備する千司たち。
それは、大賀と対面していたリニュも同様。
彼女は状況を把握しきれていない大賀を見やると大きくため息。
そして無慈悲なまでに冷淡な声で告げる。
「戦況が変わった。今からテロリスト共の殲滅に移る。故に、人質のことは諦めろ」
「そんなっ——ガッ!?」
抵抗しようとした大賀の鳩尾を殴りつけるリニュ。
痛みで失神し、だらんと力なく倒れる彼を受け止めると、優しく担いで千司たちの下へ。
「センジ、わかっているな? 手を貸せ」
「あぁ。……辻本。悪いが大賀のこと見といてくれないか?」
「な、なにがなんやらでござるが……わかったでござる」
辻本に大賀を任せた千司は、冷静に周囲の分析を続けるギゼルと、青い顔のまま何とか戦闘態勢を取るリゼリアに並ぶ。
他にも腕に覚えのある生徒や、一部勇者は拳を握ったり詠唱を始めて——。
「では、——殲滅開始ッ!!」
リニュの合図と同時に、魔法学園への襲撃は最終フェーズに突入した。
§
少し時は遡り——『闘技場』地下。
そこには軍服を身に纏い、一切の油断なく淀みない動きでクリアリングを行うテロリストと、
彼らは闘技場の地下を突き進み、大きな鉄扉に行き当たる。
罠の確認をしてからテロリストの一人が扉に手を掛けようとして、寸前栗色の髪の少女が待ったをかけた。
「
少女が扉の前で軽く手を振ると、青白い魔法陣が中空に出現し、粉々に砕け散る。
「これは……」
「隠蔽に長けた古い魔法じゃ。……古いだけじゃがな」
「いえ、ありがとうございます」
栗色の髪の少女に恭しく頭を垂れたテロリスト。
「構わぬ。
そうして、押し開かれた扉の先には広い部屋が広がっていた。
中には幾重もの複雑怪奇な魔方陣が描かれており――その数ざっと見ただけでも百近い。
しかし、テロリストも、そして栗色の髪の少女も魔法陣には一切目もくれず、ただ部屋の中央に安置された一本の『右腕』に視線を向けていた。
「あぁ、あぁ……っ!」
右腕を見つけた瞬間、栗色の髪の少女は滂沱の涙を流しながら駆け寄った。
途中、転んで膝を擦りむいても気にしない。
腕のすぐ側までやってくると、震えた声で呟いた。
「うぅ……うぅ……たす、助けに来るのが遅くなったのじゃ、『シルフィ』。おろかな母を許してくれ」
そう言って栗色の髪の少女——ロベルタは千年ぶりにやや子との再会を果たすのだった。
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