第39話 無慈悲なる結末
同時刻、魔法学園上空。
嫌味なほどに晴天な空の上で、リニュ・ペストリクゼンは銀髪をたなびかせながら、眼前の老紳士に吐き捨てた。
「ジョン・エルドリッチッ! 貴様は絶対にぶち殺すッ!!」
「はははっ! 殺す!? 私を殺すことが目的でよろしいのでしょうか!? 大切な教え子を守る事こそが貴女に課せられた使命であり、もっとも優先すべきことなのでは!? ……あぁ、いえ。守りたいのは愛しの奈倉千司くん、でしたか? くくくっ、それほど思っていると知れば……嗚呼、貴女の目の前で彼を惨殺してみたくなるではありませんか!! その時、貴女は一体どんな反応を返してくれるのか!!」
それが挑発だと分かっていても、エルドリッチの声が耳に届く度にいら立ちが募る。頭に血が上り、歯を食いしばりながらリニュは怨嗟のような声を零す。
「センジに……っ、手を、出すなァ……っ」
「くくくっ、やるなと言われたら、やりたくなるのが男という生き物です」
「——ッ『竜化』——両足、両翼!!」
エルドリッチが下卑た笑みを浮かべた直後、リニュは激情のままに意味不明言語を口にする。——瞬間、すでに変化していた両腕同様に、両足も竜のそれへと変化。
次いで、背中から服を食い破るように巨大な両翼が出現した。
肉食獣の如く鋭い八重歯を剝き出しにし、殺意の籠った瞳を向けるリニュに対し、しかしエルドリッチは余裕の笑みを崩さない。
「相も変わらず気持ち悪い生き物ですねぇ~」
「黙れぇあああああああああああああああああ——ッッ!!」
煽るエルドリッチに、リニュは両翼をはばたかせて天空を駆け抜けると、太陽を背に飛び回る。その速度は文字通り目にもとまらぬ速さであり、ただ移動しているだけだというのに大気が揺れる。
しかしエルドリッチは欠片も表情を崩すことはなく——。
(なら、その嫌味な笑みと共に死ね——ッ!!)
フェイントを織り交ぜ、更に太陽の光を目眩ましにしつつ姿を消し、一瞬でエルドリッチの背後を取ったリニュはその首筋へと凶暴な爪を走らせる。
それは、この大陸に存在する生物の大半を容易に屠る威力であり、
されど、爪が首に触れる直前『トリトンの絶叫』が鳴り響く。
「……っ、まだ使えるのか!?」
瞬間移動したエルドリッチを前にリニュの一撃は空を切る。
『トリトンの絶叫』——それは自身や他人を好きに転移させることができる強力な魔道具である一方で、使用時には膨大な魔力を必要とする。普通の人が連続で使用すれば、精々五回が限界。
しかし彼は仲間を学園内に送り込み、リニュの下にも部下を送り、その後、リニュと自身を上空に転移させている。
(もう、いつ息切れしてもおかしくないはずだというのに……)
内心で悪態を吐くリニュを他所に、少し離れた上空に逃げた彼は魔法を使用するそぶりも見せずに中空を浮遊しながら、乱れた軍服を正す。
「いやぁ、怖い怖い。流石は
「……っ」
竜の巫女。
そう呼ばれた瞬間、リニュの脳裏に懐かしい記憶が蘇った。
青い空、白い雲、風の気持ちいい草原と、育ての親であり剣術の師匠である女性の快活な笑顔。幼少の、記憶である。
幸福に満ちていて、永遠を望んだ記憶。
そして、——無慈悲にそのすべてが燃える瞬間。
「っ、貴様がッ!! その名を口にするなァァアアアアアアアアアッッ!!」
「はははっ! その反応! どうやら覚えていてくれたようですねぇ!!」
「当たり前だ!! 貴様をッ!!
憎悪と共によみがえった記憶は、今から十年以上も昔の物。
平和な村を、自身を巫女と慕ってくれた同胞たちを——目の前の男、ジョン・エルドリッチとその部下が皆殺しに蹂躙した光景。
あのライザ王女ですら
師匠に一人逃がされたリニュは、遠く離れた山からその『目』で見ていた。
高笑いを上げて村を焼き、村人を容赦躊躇いなく惨殺することに心の底からの喜びを感じるジョン・エルドリッチという異常者を。
「嬉しいですねぇ!! 私も忘れられませんよ、あの時の群衆の悲鳴ッ!! 絶叫ッ!! 今でも思い出しては私を昂らせてくれる虐殺ッ!! 『忘れるわけがないッ!!』——でしたか? 嗚呼、皮肉にも貴女と同じですねぇ!! くくっ、ふはははっははっ!!」
リニュの口調をまねて腹を抱えるエルドリッチ。
リニュには分からなかった。
目の前の男が。
何故、こんなにも残酷なことを語れるのか。
「ふざっ、ふざけるなッ!!」
「ふざける? いつ? 誰が? 私は欠片もふざけてなど折りませんよ? 何て失礼な女でしょうか、まったく……親の顔が見てみたい!! ——って、もう殺したんでしたか!? ははははっははっ!!」
「——んのっ、クソ野郎がァァァアアアアアッ!!」
醜悪な笑みを浮かべるエルドリッチに、リニュは再度肉迫するも——またもや『トリトンの絶叫』が鳴り響き、リニュの爪は空を切る。
エルドリッチは乱れた髪をかき上げつつ、口端を持ち上げた。
「いやはや、実を言いますと、あの時の第一目標は竜の巫女——つまりは貴女の殺害だけだったのですが、あの妙に剣の上手い女に邪魔をされましてなぁ。こうして今、我々の目の前に貴女が立ちはだかっている現状を鑑みると……まったく、してやられましたよ」
「当然だ、師匠は……師匠は強かったッ!」
「そうですねぇ……まぁ、最後は輪切りにしてモンスターの餌にしたので、今ではどんな顔だったのかも思い出せませんが!!」
「ぶっ殺すッ!!」
「どうぞご自由に。と言っても、現状不可能に近そうですがねぇ!?」
挑発を口にするエルドリッチに、リニュは持てる技術のすべてを用いて接近、幾重ものフェイント、更に竜人族の『目』すら使用して大気と雲の流れ、エルドリッチの動きを予測し——三度爪は空を切る。
が、あきらめない。
消えた瞬間に大気の揺らぎを感知し、出現場所を予測し疾駆。
寸前のところで逃げられ、また追いかける。
「嗚呼ッ、嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼————ッッッッ!!」
「叫んでも強くなりませんよ?」
余裕の笑みを浮かべる彼にリニュは何度も、何度も何度も——。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も——攻撃を加え、しかし、当たらない。
(……ッ、なら!)
エルドリッチが遠くへと転移したタイミングでリニュは学園へと飛翔しようとして——直後、巨大な顔に飲み込まれて上空へと戻された。
近付こうとすれば逃げられ、離れようとすれば引き寄せられる。
自身も他者も、問答無用で転移させるそれは——まさしく最強の魔導具『ロベルタの遺産』の名にふさわしい。
が、それでもリニュは勝機があると思っていた。
トリトンの絶叫は消費魔力が大きい。
いくら魔力が多かろうと、二十回も三十回も使える代物ではない。
いつか、ガス欠が来る——はずなのに。
(ふざけろ、もう六十回は超えてるぞ!?)
冷や汗が背中を流れる。
魔力だけで言えば、リニュより圧倒的に上——最悪の場合、ライザ王女にすら並ぶ可能性がある。
戦慄しながら老紳士を睨み付けるリニュに対し、エルドリッチは飄々とした態度で口を開いた。
「おや、もう終わりですか? まぁ、この老骨の身体を労わってのことなら素直に感謝の意を表しますが」
そんな彼に、リニュは疑問を一切取り繕うことなく投げつけた。
「貴様、何者だ?」
「……というと?」
「普通の人間が、そんな魔力を持っているわけがない。帝国のジョン・エルドリッチは恐ろしく強いが、それでも人間だ。だと言うのに貴様の魔力量は、人類のそれから大きく逸脱しすぎているッ!! 答えろ! ――貴様は何者だ!?」
絶叫にも似たリニュの問いかけに、エルドリッチは顎髭を擦りながら笑みを深め、憐れむように答えるのだった。
「自分で考えろ、間抜け」
「……ッ!!」
無慈悲な言葉に会話など初めから無意味だったと今更ながらに思う。
(もう、奥の手を使うしかない。……こいつは、生かしておいちゃいけない生物だ)
リニュは体内の魔力を練り上げ、奥の手を発動しようとして——魔法学園から上空に向かってファイアーボールが打ち上げられた。
何かしらの陽動かと警戒するリニュだが、エルドリッチはファイアーボールを見つけると大きくため息。
「ふぅ……そろそろ時間の様ですね。それではリニュ・ペストリクゼン。私はこれで」
「おい、待っ——」
逃がすまいとエルドリッチに伸ばした手は——無情にも、空を切る。
結局、リニュはただの一度もエルドリッチに触れることが出来なかった。
『竜化』を解き、人の形になった手のひらを見つめ、悔し気に握りしめる。
「……いや、それよりも今は」
リニュは魔法学園へと舞い戻るのだった。
§
少年、岸本は懐かしい記憶の夢を見る。
(——俺は天才だと思った)
勉強しなくてもテストは満点で、スポーツをやってる奴より足が速い。できない奴のことは分からなくて、何でもできるのが当たり前。
けれど、十で神童、十五で才子、二十歳過ぎれば只の人というように、中学に上がった途端にその才能に陰りが見えた。
勉強は頑張らなければいい点数を取れなくなり、足の速さも運動部には及ばない。努力すれば変われたのかもしれないが、できない奴のことが分からなかった岸本は、できなくなって自分が分からなくなった。
できないけれどできる風を装い、他者に迎合する方法を知らない彼は孤立。暇を埋めるようにアニメやラノベにはまり……結果、立派なオタクの完成である。
そんな時だった、富田に出会ったのは。
『すごいっ』
富田は何もできなかった。勉強も、運動も、容姿も悪い。ただ、何もできない彼はできない人のことが分かり、そしてできる人を尊敬できる人種だった。
できない自分に自信を無くしていた岸本に対し、すごいすごいと思ったままのことを口にして人を褒める富田。
結果として岸本は徐々に自信を取り戻し、只の人ではあるけれど、富田の前では神童を演じることにした。
その憧れの視線が、落胆に変わるのを恐れて。
だから勉強をして、運動は将来的には役に立たないと詭弁を弄して回避、あとは恋愛面を見せつけてというところで、しかし躓き——二人で相談し合いながら、気付けばそれなりに楽しい青春を送っていた。
——送って、いた。
「……もと、くん」
声が、聞こえた。
どうやら自身は眠っていたらしい。
岸本はかすかに聞こえる声を頼りに、意識を手繰り寄せる。
身体が痛い、思うように腕や足を動かせない。
それでも何とか重たい瞼を上げて、目を開けると——知らない天井が見えた。
「……ぁ」
吐息のようなかすかな音が喉を震わせる。
大きく息を吸い込んで肺を押し広げ、ぼんやりとした意識をゆっくりと回復させる。
「……くん、岸本くん」
再度、声が聞こえた。
自分の名前を呼ぶ、声。
首は動かない。
ただ眼だけを動かして周囲を確認する。
(どこだ、ここ? ……あぁ、カフェか)
散乱したテーブルに椅子。見上げていた天井もよく見ればボロボロで、ところどころに赤黒い血液も確認できる。
(そう言えば、あのイカレ女と戦ってたんだったか。んで、俺は負けて気を失ったと……でも生きてるってことは、命までは取るつもりがなかったのか)
身体は全く動かないが、それでも冷静に状況を分析していると、ふと視界に富田の顔が映った。
「岸本くん! よかった、よかった……無事で!」
「と、みた……そ、そっちも、無事で……ぶ、じ……で……?」
ふと、違和感を覚えた。
先程から聞こえていた声は、
富田の物にしては、嫌に高かったような気がする。耳の不調かと思えば、自分の声に違和感はない。
そして——嫌に高い富田の声は何処かで聞いたことがあって……。
「……」
ゆっくりと岸本は視線を富田の顔から下へと動かし——。
「……ぁ? おま……身体、どこやったんだ?」
富田の首から下には、本来あるはずの胴体が存在していなかった。
よく見れば富田の顔は青白く、目は落ちくぼみ、だらんと力なく舌がこぼれている。
しかしそんな彼の頭は軽快に頷いた。
「ちょっと落としちゃったみたい! ……いひっ♡ うん、大丈夫大丈夫、岸本くんが守ってくれたから、僕は無事だよっ! 無事無事、無事無事無事無事っ♡ んっ、く……あへっ♡」
次第に過呼吸になる岸本。
その視線は富田の頭を掴み、常軌を逸した腹話術を披露する女性——アリア・スタンフィールドへ。
「なに、やってんだよ……お前」
岸本の言葉に、アリアはその美しい顔を恍惚に歪め、全身をびくびくと震わせながら絶頂。
「あへっ♡ あへへっ♡ ら、らってぇ……♡ こ、こうした方が、んっ♡ 面白いかなってぇえへへっ♡ んっ、おほぉおおおっ♡ い、イグッ♡」
びくびくと震える彼女はまるで
絶世の美女の痴態を前に、しかし岸本の目が追うのは富田の頭。
ゴロゴロと転がった先には、首を失くした彼の身体があった。
指はすべてが逆方向に曲がり、背中側には数えきれないほどの裂傷が見受けられる。
(なんで、背中だけ……)
そんな岸本の心を読んだかのように、アリアは絶頂しながら剣を抜き、口端から涎をだらだらと垂らしながら語った。
「あ、あへっ♡ あの子、気を失ったキミを守ろうと覆いかぶさってたんだよぉおほ♡ だから、その心が折れるまで拷問して拷問して拷問して♡ キミのことはどうでもいいから命だけは助けてくださいっ! って、言わせてから……ゆっくり首を切り落としてあげたんだあぁ……んっ♡ 思い出したら、また疼いてきちゃったぁ♡」
あへあへと笑い、股に手を突っ込むアリア。
瞬間、岸本の頭の中でぶちりと何かが切れた。
「アァ……アァ、アァ、アァアアアッ!! ガァァァァァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!」
野生の獣のような絶叫を上げ、理性も無く右腕を振う——が、肘から先がない。ならばと左腕を持ち上げ——こちらは肘を逆方向に曲げられていた。足も動かしてみるが、反応はなく——。
「あへっ♡ あへあへあへっ♡♡ なに、な、な、なにしてるのぉぉおお!?」
愉悦に絶頂するアリアに岸本は——後頭部を地面にたたきつけ、その反動を利用し首の動きだけで上体を跳ね上げた。
「……は、はぁ!?」
人外染みた動きに一瞬動揺するアリアであったが、剣を引き抜き冷静に対処。喉笛をかみ切らんとばかりに大口を開け、白目になりながらも肉迫する岸本に、一線。
顎の筋肉を切り裂く。
「Aa…AGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA——ッッ!!」
舌をだらんと零しながら、それでも慟哭する岸本。
しかしアリアにもう動揺はなく、甘美なる殺意に全身を震わせながら剣を振った。突き出された右腕を輪切りに切断——左腕を三又に切り裂き、腱を切断していた両足の肉を削いで——それでも止まらない岸本の心臓に、切っ先を構える。
洗練された動きから繰り出される一撃は、血まみれの服を破り、皮膚を抜け、肉を裂いて、肋骨を砕く。
やがて切っ先はその最奥へと達し……無慈悲なまでに容易く貫くのだった。
「あ……がっ……あぁ……」
剣を引き抜かれると、僅かに血が零れる。
もうほどんと体内に残っていない血液。
岸本はふらふらと意志なのか慣性なのか分からない動きで富田のもとへと歩き、そっと手を伸ばして——。
「いひひっ♡ そんな姿視たら、邪魔したくなるじゃん♡」
喜色に満ちた声と同時に顔面に蹴りを叩き込まれて後ろに倒れると、血も気力も失った彼は、ゆっくりと息を引き取った。
残ったのは、股からびしゃびしゃと粘質の体液を零すアリアのみ。
「あっ、あへっ、あぁんっ♡♡ あへぇえええええええ♡♡ んほぉおおおおおおおっ♡♡ ら、らめっ♡ き、きもちぃい♡♡ 人ころしゅの、きもちいのほぉおおおおんっ♡♡♡」
死を冒涜する嬌声が、二つの骸の前に響き渡るのだった。
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