第33話 準備完了
翌朝、千司はベッドの上で目が覚める。
決まりきったルーティーンに従い、上体を起こして周囲を確認。
隣で心地よさそうにすやすやと寝息を立てる新色をちらりと見やってから、起こさないよう注意しつつベッドから出た。
欠伸を噛み殺しながら朝の支度を終え、運動着に着替えるとグラウンドへ。
向かってみれば、そこにはいつもと変わらぬリニュとセレンの姿。
軽く挨拶を交わしてから訓練を始める。
途中、出勤してきた教師陣がちらりと視線を寄越してくるが、特に何も言うことなく教職棟へと消えていく。次第に太陽の高度も増し、徐々に気温が上がって、頬にじんわりと汗が滲み始めると——本日の早朝訓練は終了となった。
「ふむ、今日は中々にいい感じだったな。剣筋のキレがよかった」
訓練終わり、タオルで汗を拭っていると意外なことにリニュからお褒めの言葉。
「……珍しいな、リニュが褒めるなんて。今日は雨でも降るのか?」
「な、何だと!? くそっ、たまには優しくしてやろうという師の気遣いを無碍にするとは……何と不心得な弟子だ! もう一度こってり——」
「奈倉千司、貴公の本日の動きで少し気になるところが——」
鼻息を荒くして襲い掛かってこようとするリニュだったが、空気を読まないセレンの質問に肩透かしを食らう。
リニュの相手も面倒なのでセレンの質問に答えているとさらに彼女の機嫌が悪化。
噛み付かんばかりの勢いで「雑魚、雑魚センジ!」と煽り散らかす彼女に内心ため息を吐いていると——ふと、どこかで聞き覚えのある声が千司の名を呼んだ。
「ん? そこに居るのは奈倉千司か?」
「……あれ、オーウェンさんじゃないですか。お久しぶりです」
声の方へと視線をやれば、そこには鋭い目つきで千司を見つめる壮年の男性の姿。陰険さが顔に滲み出たような彼は、千司が王宮に居た頃に下級勇者の訓練指揮をしていた第二騎士団——その団長を務める男、オーウェン・ホリューであった。
正直に言って千司は彼の訓練があまり好きでは無かった。はっきり言ってかなりつまらなかったため下級勇者はそのほとんどがサボっていた程。
千司としてもあまり仲良くしていた印象のない人物ではあるが、しかし世話になったことは事実であり、社交辞令的に彼の下へと挨拶に向かう。
「久しいな。訓練はちゃんと続けているようで何よりだ。思えば、早朝から訓練するなど、お前が一番勤勉だったしな。……ふむ、見た所、剣聖殿の訓練はしっかりと身になっているようだな」
「オーウェンさんに教えて頂いた基礎があっての物ですよ」
「そうか、そう言ってくれると嬉しいな」
「ところで、オーウェンさんはどうしてここに?」
その問いに、オーウェンは千司から視線を逸らすと、その後方——リニュの隣で紫紺の髪を風にたなびかせるセレンを睨み付けながら答えた。
「何でも遠征訓練という物が行われるそうじゃないか。それにあの
先日リニュが言っていたことであるが、その追加騎士の一人がオーウェンということらしい。
(普通、薄くなった警備に団長クラスを送って来るかぁ? くそ、あの王女め)
そんな内心はおくびにも出さず、千司は笑みを浮かべて答えた。
「なるほど、オーウェンさんがいらっしゃるなら安心ですね」
「ふんっ、当然だな。むしろあいつが着いて行くという遠征組の方が心配だ」
「……貴公、その言動は非常に愚かしい。他者に対する悪口は自らの品位を下げる結果になることを認識していないのだろうか?」
「品位を下げる? 事実を口にしていったい何の品位が下がるというのか。庶民上がりの癖に粋がるのも大概にしたまえ。……それに、ふん。奈倉千司が育っている一方で、お前は何も変わっていないようだな」
「……ッ!」
鼻で笑うオーウェンに、セレンの額に青筋が走る。
売り言葉に買い言葉。まさに一触即発だったセレンは、今の一言でその怒りが一線を越え、オーウェンへと向かい殴りかかろうとして——その直前、リニュがその首根っこを摘まんだ。
「止めろ、セレン。オーウェンもだ。こいつはこいつなりに変わろうとしている最中……まさかお前が努力する者を貶すわけないよな?」
「……そうですね。ここは剣聖殿の言葉を信じることとします。ではな、奈倉千司」
「あ、はい」
最後に千司に別れの言葉を残した彼は、凛とした姿勢のまま教職棟へと向かっていった。
そこには一緒に来たであろう数人の騎士の姿も。
全員見覚えのある顔であることから、十中八九第二騎士団の騎士。
そんな彼らを見つめ、千司は内心で毒づく。
(はぁ……面倒だなぁ)
「奈倉千司!」
「あ? ……な、なに!?」
考え事をしているとセレンから声を掛けられ、何だと振り返ったとたんに両肩をガシッと掴まれ顔を覗き込まれる。その距離は近く、鼻がぶつかりそうなほど。
突然の奇行に驚く千司と、慌てたように目を見開きわなわなと震えるリニュ。
僅かに汗のにおいを漂わせながら、セレンは告げる。
「私は……私は強くなる。貴公に負けぬほどにさらに強く、この国の騎士として恥じぬ実力を身に着け、そして、あの腸の煮え二食ったらしい憎ったらしい貴族の鼻を明かしてやるッ!」
「お、おう……。で、近いから離れて欲しいんだけど」
「貴公に問う!」
「何だよいきなり」
千司の戸惑いを他所に、彼女は続ける。
「貴公は、剣聖様の弟子だよな?」
「え?」
「決して、あの男の弟子などではないよな!?」
その言葉で、彼女が何を言いたいのかを理解した千司は、途端にまともに相手をするのがバカらしくなり適当に首肯。
「あー、そうだな。俺はリニュの弟子だよ」
口にした途端、セレンの向こう側でリニュが口端を持ち上げてニヤニヤしているのが視界に入るが今は無視。
千司の言葉にセレンは満面の笑みで頷いた。
「うむ、よかった! 私は貴公を兄弟子と思っていたからな。もし貴公が腹立たしい彼奴の弟子だとすればもうどうすればいいのか……うむ、安心した!」
「あっそ」
実にくだらないプライドである。
千司は冷めた目でウキウキのセレンを見つめる——が、しかし彼女は特に気付いた様子もなく剣を手に訓練を再開。
「さぁ、剣聖様、よろしくお願いします」
「いや、もう仕事の時間だから終わりだ」
「……そ、そうでした」
リニュの言葉に愕然とするセレン。
そんな彼女たちを置いて、千司はコテージに戻って汗を流し、起きて来た新色を寮へと見送り、自身も制服に着替えて学校に向かいながら思う。
(……んー、セレンちゃん、仲間にするの止めようかなぁ)
実力はあるけれど、少々扱い方が面倒くさそうな方の馬鹿であると、頭を悩ませる千司であった。
§
同日の夜、千司はドミトリーに『偽装』して、レストー北区の地下闘技場を訪れた。
闘技場は本日も大盛況。観戦しながら飲める飲み物に『アインザッハの夕暮れ』を少量紛れ込ませているおかげだろう。
そんな闘技場の中でも特に見やすい位置に作られた特等席に腰掛けながら、千司は隣に座るミリナに声を掛ける。
「首尾は?」
「順調ですね。フィリップ様の方も完了、盗賊の買収も成功……そして明日には大尉もこちらに到着します」
「ん~、明日かぁ。一度話しておきたかったけど、まぁあの人ならもう変な事しないだろうしいいか。……じゃあ次、グエンくんの方は?」
自称北区の守護者である少年のことについて尋ねてみると、それまで面白くなさそうに話していたミリナの表情に笑みが浮かぶ。
「言われた通り、売り上げの低下を理由に渡す金を絞った所、八百長してでも儲けを出すようにと言われたので、その通りにしました」
「うんうん、いいねぇ。八百長は悪いことだけど、代表の言うことには逆らえないからね。グエンくんがそう言うのならそうするしかないよねぇ」
そんな話をしていると、現在行われていた試合が決着。
リングの上では傷だらけのゴブリンが三匹のコボルトを食い殺していた。
あのゴブリンは最初期から活躍する固体である。
普通なら三匹のコボルトに勝てるはずもないのだが、裏でゴブリンのレベルを上げているのだ。他にも似た見た目のゴブリンを複数用意し、賭けの状況に応じて入れ替えを行い勝敗を操作。
モンスターの見た目などそう気づかないので容易に八百長が完成するという仕組みである。
「客の反応は?」
「やはり、同じモンスターばかりだと飽きるだとか、最近はおかしな決着ばかりだとか。おそらく八百長に気付いているのもちらほら」
ミリナの言葉を証明するように傷だらけで勝利したゴブリンに対し、賭けで負けた者たちからブーイングの嵐が送られた。
「……なるほど、つまりこっちも順調と」
「そうなりますね」
それを聞き、千司は立ち上がる。
「それじゃあ、俺はそろそろ行くよ」
「アリアには会わないのですか?」
「あぁ、近く殺しが控えてるし、欲求不満にさせてストレスを溜めさせておいた方が、あいつは喜びそうだな、と。愛の鞭ってやつだよ」
「きっしょ」
「ひでぇ」
眉間に皺を寄せて吐き捨てるミリナに苦笑を返し、千司はブーイングが巻き起こる地下闘技場を後にした。
地上へと続く階段を上がり、入り口の小屋を抜けるとドミトリーの顔のまま大通りへ。
道中いくつか旨そうな料理を購入しつつ、大通り沿いの宿屋『遠方の海』の一室へと向かい、目的の部屋の前に到着すると扉をノック。
「誰なのじゃ?」
「俺だ」
返事をするとトテトテと足音が近づいて扉が開かれる。
顔をのぞかせたのは長い髪のつるぺたエルフ。彼女は怪訝な顔のまま——。
「……誰なのじゃ?」
「俺だよ、千司だ」
「おぉ、
「悪いな、そのうちお前に合うとき専用の新しい奴を作るから待っていてくれ。ところで夕飯はもう食ったか?」
買ってきた物を掲げながら尋ねると、彼女は千司を部屋の中に招き入れながら答える。
「かなり前に食べたのじゃ。じゃから、夜食としていただくのじゃ」
テーブルに料理を並べ、適当に摘まみながら近況を語る。
と言っても、千司が何をしていたかを伝えたところでロベルタは理解できないと思考を放棄することは容易に想像がつくので、大半は彼女が何をしていたかについての話だったが。
それによると、彼女は相も変わらず部屋に引きこもっているらしかった。
「なんでまた。千年ぶりの外だし、この街はかなり綺麗な部類だと思うが?」
その問いに、ロベルタは顔を顰めて首を横に振った。
「……醜悪なのじゃ。この街は大嫌いなのじゃ。見た目をいくら着飾ろうと、その本質は変わらぬ。もし、もしも妾に全盛期の魔力が戻ったならば、今すぐこんな街更地にして、一人寂しく泣き続ける
唇を噛み締め、悔しそうに吐き捨てるロベルタ。
それはラクシャーナ・ファミリーの幹部会から帰ってきた際にも聞いた言葉。
シルフィ——シルフィの右腕。
ロベルタの遺産がひとつ。
千司が王宮の大図書館で確認した資料では、こことは遠く離れた地の領主が持っているとのことだったが——しかし、彼女は嘆く。泣いている、と。
故に、千司は悲しそうな表情を浮かべるロベルタに、まるで救いの手を差し伸べるかのように語り掛けた。
「なら、一緒にシルフィを助け出そう」
「……え?」
「あの子を——心優しき彼女を、鬼畜なこの街の住人から救うために、ロベルタの力を貸して欲しい」
「妾の力……?」
「そう、ロベルタの、魔法に詳しいその頭脳が必要なんだ」
「それで、救えるのか?」
「あぁ、絶対に」
力強く告げる千司に、ロベルタは目を見開いたまま数秒固まり、千司の服に縋りつきながら強く首肯を返す。
「やや子を苦しみから解放できるのなら、妾はなんでもするのじゃ」
「あぁ、ありがとうロベルタ。一緒にシルフィを救い出そう!」
千司はロベルタの手を取り、慈愛と正義感にあふれた顔を『偽装』で演じながら感謝を述べる。
(使える
そうして、千司はロベルタと共に夜食を口にしながら親睦を深め、時刻が深夜を指し示す頃——こっそりと魔法学園へ帰るのだった。
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