第31話 友人失格
朝の一件からもわかる通り、岸本と富田に関する悪評は学園全体に広がっていた。
結局、あの後二人は授業にも顔を見せなかった。
加えて噂の影響は二人だけではなく、一部下級勇者にまで広がっている。
「あの二人だけじゃないんだって——」「他にも下級勇者の男子が——」「ほら、二人と仲良かったござるござる五月蠅い——」と、そんなうわさ話が学園の女子から聞こえて来る。
しかしそんな中で千司に対してはそういう物はなかった。というのも、千司が二人の女性と付き合っていることは周知の事実であり、ギゼルやリゼリアと言った学内でも上位の権力者とつながりを作ってきたからだ。
そんな訳で、千司はいつもと変わらない一日を送っていたのだが……いつもと違う授業が本日は一つだけあった。
その授業——『戦術学』が始まるやいなや、担当教諭であるリーゼンはモノクルを輝かせ、相も変わらず落ち着きを払った紳士然とした口調で告げる。
「昨日は色々と大変なことがあったようですね。皆さんを教え導く立場の教師としては反省してもしきれません。ですがそこで思考を止めることは愚策であり、次なる状況へ向けての対策を考える必要があります。それは当然皆さんも。突然の出来事に対して臨機応変に対応し、正確な判断を下す。それこそが『戦術学』です」
リーゼンはそこで一度言葉を区切ると、黒板に文字を書きながら言葉を続けた。
「さて、前置きが長くなってしまいましたが、本題です。そんな状況判断能力を養うために、皆さんには来週、レストー海底遺跡遠征訓練へと赴いてもらいます。と言っても、これは予てから決まっていた恒例行事なのですが」
そんな彼の言葉に、生徒たちがいろめき立つ。
異世界でも課外授業が楽しみなのは変わらないらしい。と言っても、騒いでいるのは一部生徒のみで、ギゼルやリゼリアと言ったある程度の格式ばった家出身の者たちは、一様に落ち着いているが。
リーゼンはこほんと咳払いをして生徒たちを静めると、説明を続ける。
「レストー海底遺跡には一組から順に一クラスずつ、丸一日をかけて遠征していただきます。よって、来週いっぱいの『戦術学』の授業はお休みという訳ですね。しかし、訓練は成績にそのまま直結するため、油断は禁物です。直前まで対策を練ることを強くお勧めしますよ」
それからリーゼンは詳しい内容を語り始める。
まず『戦術学』の基本である目的は、海底遺跡最奥に教師陣が設置した宝の奪取。遺跡内には弱いが数種類のモンスターが生息しており、特殊な地形、ぬかるんだ足場、モンスターとの接敵回数や回避行動など、を冷静に判断し、行動することが評価ポイントになるらしい。
そんな、大半の学生にとってワクワクするような試験説明を、しかし千司はバレないようにあくびを噛み殺しながら聞いていた。やがてすべての説明が終わると、リーゼンは最後に告げる。
「では、本日は皆さんでそれぞれ作戦を練ってみてください。状況が現場に行ってから出ないと判断できないでしょうが、無策で突撃するのはあまりにも愚かです。最初、準備段階でいくつ作戦を用意できるかが訓練の肝となるでしょう」
リーゼンが話を終えるのと同時にクラスメイト達はそれぞれ友人知人の下へと集まり、作戦を練り始める。それは当然千司も同様で……目の前に現れたのはすっかりお馴染みとなったギゼルとリゼリアの二人であった。
「奈倉殿、知恵をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「えぇ、もちろんですとも。ギゼルさんとなら素晴らしい作戦を思いつくでしょうから」
「おいおい、私は勘定に入れてくれねぇのかぁ?」
「もちろんリゼリアさんにもアドバイスをいただきたいと思います」
「よしよし、それでこそ勇者だ」
そう言って、千司の椅子を半分奪いように座るリゼリア。形としては一つの椅子を千司とリゼリアの二人で使っている状況である。
「近くないですか?」
「そんなことはねぇよ」
「ううん、近いっ! 千ちゃんから離れてっ」
突然乱入してきたのは隣の席で仲間になりたそうにこちらを見ていた松原。
彼女はリゼリアを引き離そうと試みるが、逆に引き寄せられて彼女の腕の中に納まっていた。
「二度も力負けしねぇよ~勇者その二」
「んむっ、せ、千ちゃん……ごめんね……っ」
一体何に対して謝っているのか分からないが、千司は「気にするな」と適当に返し、ギゼルと作戦を練り始めるのだった。
と言っても、与えられた事前情報から立てられる作戦など限られている。
結局は十分程度で作戦会議も終了。
「——と、いう具合でどうでしょうか?」
「いいですね。ではそちらを中心に据え置き、状況に応じて都度変更を加えるという事で。いやはや、流石はギゼルさん。素晴らしい作戦です」
「そんな、奈倉殿の提案あってこそですよ」
ははは、と二人で談笑する千司とギゼル。
結局最後までリゼリアが何かしら口を挟むことはなかった。
松原も最初から何も言うつもりがなかったのかジッと千司を見つめているだけで——。
「ねぇねぇ、千ちゃん」
「ん、どうした?」
ふと、話し合いがひと段落着いたのを彼女はリゼリアの腕から抜け出すと、にぱーっと笑みを浮かべて告げた。
「海底遺跡、綺麗なところだといいね〜っ!」
先程まで如何にして雑魚モンスターを狩るか、怪我人が出た時の対処法は、などとギゼルと話し合っていたというのに。唐突に向けられた、その純粋無垢な笑顔に千司たち三人は毒気を抜かれ……破顔。
「そうだな」
「お前かわいいなぁ、勇者その二」
「確か、かなり美しい場所だと聞いたことがありますよ、松原嬢」
「ほんと~!? 楽しみだね、千ちゃん♡」
「あぁ」
正直王国貴族であるギゼルに対してかなり失礼な態度をとる松原であるが、当の彼は特に気にした様子も見せずに、微笑ましそうに彼女を見つめていた。
(こいつ……やっぱコミュ力はバケモノじみてるよなぁ)
そんなことを思いながらも三人と談笑を続ける千司。
横目で教室内の人間関係を観察していると、ふと不破と渡辺の姿が目に入る。
「……遠征訓練か。……やっぱり怖いなぁ」
僅かに肩を震わせながら呟く不破。しかしそれも仕方のない事である。
何しろ、かつて『遠征訓練』と名の付くイベントでクラスメイトが死んでいる過去があるのだから。
「不破……」
「ご、ごめんね。でも、ほら、クラスごとだって言ってたし……篠宮くんが一緒だったら良かったのに……」
「……っ」
彼女の言葉に、渡辺は顔を引きつらせる。
彼も不破が篠宮に好意を抱いているのは知っているが、それはそれとして、目の前にいる自分より他クラスの少年に彼女は助けを求めたのだ。ショックを受けない訳がない。
だが渡辺は一瞬唇を噛み締めた後、ぎゅっと拳を握って彼女に告げた。
「大丈夫、な、何があっても俺が守るから」
「……ほんと? ありがと」
「へ、へへっ」
恥ずかしそうに照れて視線を逸らす渡辺。
だからこそ、彼は気付かなかった。不破の表情が欠片も晴れていないことに。
(可哀想だねぇ、渡辺くん)
何処までも想い人に相手にされない少年に、千司は同情するのだった。
§
「奈倉殿……」
放課後、新色に用事があり五組へと向かう途中で、ふと背後から声を掛けられた。
振り返れば、そこには暗い表情をした辻本の姿。
いつものござるござる五月蠅い空気感はそこにはなく、彼の視線は自らの足元へ。
「どうした……って、大体わかるが。二人の事か?」
「そうでござ——いえ、そうです。……今日一日で嫌というほど二人の悪評を聞きました。でも、そんなことは無い、二人は絶対にそんなこと……するような人じゃありません」
辻本はいつものござる口調すらやめて、悔しそうに唇を噛み締めながら続ける。
「確かに岸本殿は下ネタが好きでしたし、下世話な話もよくしていました。それは褒められたものではないし、彼の責です。富田殿もそんな岸本殿と一緒になってよく談笑されていました。……でも、こんな……っ! こんな状況あんまりじゃないですか……っ、何もしてないのに、こんな……っ!」
ぼろぼろと涙を流しながら吐き出す彼は、優しい人間なのだろう、と千司は思う。
何しろ、辻本に対する悪評もまた、本日でかなりの数耳にしたからだ。
岸本や富田よりは積極的に人間関係を広げていた彼であるが、それでもその二人とよく一緒にいたところを目撃されている。
事実として、辻本にとって一番の友人は誰かと問われると、その二人の名前が上がるだろう。
だからこそ生まれた、辻本に対する悪意ある噂。
しかし彼はそんなことには一切触れず、ただ一心に友人のことを心配していた。
「……その通りだ、決して許される状況ではない」
「奈倉殿……では、奈倉殿も二人を信用してくれるということですか?」
「当たり前だ。俺だけじゃない、せつなや文香、ちゃんと交流のあった人間で噂を信じている奴なんて一人もいないさ」
「……うぅ、奈倉殿ぉ」
辻本は嗚咽を零しながらも涙を拭い、震える声で頭を下げた。
「奈倉殿、お願いです。二人の噂を撤回するために、ご協力いただけないでしょうか?」
そんな彼の姿に、千司は心打たれたように『偽装』。
辻本の肩に手を置いて顔を上げさせると、決意に満ちた笑みを浮かべて応えた。
「当たり前だ。むしろ断ると思ってたのか? 酷いなぁ~」
「そ、そんなことは……っ」
「冗談だよ。……頑張ろうな」
「は、はいっ!」
強く返事を返す辻本に「とにかく作戦を考えるよ」と告げて、踵を返す。
「よ、よろしくお願いするでござる!」
「ははっ、やっぱそっちの方がお前らしいよ」
何て、元気を取り戻した彼に背を向け、千司はその場を後にした。
(ふわ~あ。くそダル。時間の無駄だな。さっさと新色ちゃんのところに行って部屋に連れこも。あの巨乳はご無沙汰だしワクワクするなぁ~)
辻本と別れが十秒後には、すでに岸本、富田のことなど頭にない千司であった。
§
目的地である五組に到着した千司は中を確認。
五組と言えばせつなの在籍するクラスであるが、本日は用事があると事前に伝えているので先に帰っており、顔を合わせることは無い。一方で、話があると伝えていた新色はちゃんと教室に残っていた。
他の生徒たちに比べ明らかに年上にもかかわらず、しかし持ち前の童顔が故に彼女の姿は教室内に溶け込んで見えた。と言っても溶け込んでいるのは格好だけで、その周囲には誰の姿もない。
同じ日本人の、それも一応は顔見知りの勇者とすらもまともな交友関係を築けていないというのに、年の離れた異世界人ばかりの魔法学園で友人など出来るはずもない。
ぽつねんと椅子に座って本を読む彼女に、千司は声を掛ける。
「先生、待ちました?」
「……っ、なっ……くら、くん……。んーん、待ってないよっ」
千司の顔を見るや否や嬉しそう名前を呼ぼうとして、周囲にまだほかの生徒の影があり恥ずかしかったのかすぐに小さないつも声量になる。
しかし頬は上気し、手にしていた本を鞄に戻してそわそわした様子の新色。
千司は彼女の耳元に口を近づけると、他の生徒には聞こえないよう細心の注意をしながら囁く。
「ここじゃあれなので、良ければ俺の部屋に来ませんか?」
「……っ、そ、れって……ん、うん……わ、わかった」
首肯する新色。しかし他の生徒——特に勇者に見られると色々と面倒なので他の生徒が居なくなるまで教室で軽く談笑。
内容は授業が難しいだの、学園の図書館で借りたこの本が面白いだの、近況報告が主である。何しろ魔法学園に来てからは新色と話すこと自体、極端に減っていた。
気付くと食事時に近くに座っていることはあるし、全く話さないという訳ではないが、以前のように二人きりで会うことは全くなかった。
何故なら特に用がない上に、その程度のことで彼女の好感度が下がるとも思えなかったからだ。もしかすれば多少変化していたかもしれないが、先ほど声を掛けた時の反応を見るに一気に回復——あるいは上昇したと考えて問題ない。
(陰キャぼっちをさらに拗らせるように異世界に来てから他人との交流を断たせてきたが、まさかここまで効果覿面とはなぁ。新色ちゃん可愛すぎかよ~)
そんなことを考えながら話をしていると、夕焼けも終わり外が暗くなり始める。
生徒の姿が完全になくなったことを確認した千司は新色を伴いコテージへ。
ちらりと隣を歩く彼女を見れば、顔を真っ赤にして下を向いて歩き、かと思えばたまに千司を見上げ、視線が合うと逃げるように逸らすを繰り返していた。
「そう言えば、先生制服似合ってますね。可愛いですよ」
「や、やめてよぉ。二十三なのにこんな……まぁ、アニメの制服みたいで可愛いけど……うん、制服が可愛いだけ、だよ……」
魔法学園の制服は日本の落ち着いた色合いの物とは異なり、彼女の言う通りアニメや漫画に出て来る煌びやかな物に近い。他国からも多くの生徒を招いている都合、そのような措置がなされているのだと千司は予想している。
「先生が可愛いんですよ」
「ひゃんっ、も、もう……耳弱い、からぁ……」
顔を真っ赤にして嫌がるように距離を取る彼女は……しかし嬉しそうに口元をにまにまと動かしているのだった。
(ん~、やっぱり可愛い)
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