第20話 帝国へ

 レーナと知り合ってから約一週間が過ぎた。


 本日の授業は休み。所謂休日である。

 魔法学園では週休一日制を導入しており、千司たちが編入してから三回目の休日である。これまでの二回はせつなや文香と過ごしたり、闘技場に行って『決闘』を見ながら賭け事をしたりと充実した日々を過ごしていた。


「……ふわぁ」


 朝日と共に目を覚ました千司はあくびを噛み殺しながら大きく伸びをし、両脇ですやすやと寝息を立てるせつなと文香の二人を起こさないようにベッドから抜け出す。


 窓に近付き、美しい海の景色を視界に捕らえ、カフェテラスから調達した珈琲を淹れて一息。まさに至福の一言に尽きた。


 難点があるとすれば、ライカが居ないこと。

 セクハラがしたくて堪らない千司である。


 珈琲を飲み干すと、顔を洗ってから着替え。

 運動用の衣服に身を包むと、二人をベッドに残したまま部屋を後にした。


 向かう先はグラウンド。魔法学園でもすっかり日課となってしまったリニュとの早朝訓練である。最近では彼女の動きを読めることも増えてきて、成長を実感すると共に、彼我の戦力差をよりありありと理解して落ち込む日々である。


 そんなこんなで訓練用の刃を潰した剣を片手に同所を訪れると――何やら話し声が聞こえてきた。


 疑問に思い視線を向けると、そこには銀髪の剣聖の他に、紫紺の髪を揺らす美しき女騎士――セレン団長の姿があった。近付くにつれ二人の声が徐々に鮮明となる。


「はぁ……いいから帰れ」

「いえ、剣聖様! 私も、私もどうか指導していただきたい!」

「指導って……今更そんなことをしなくてもお前は充分に強い」

「そんなことはありません! どうか、どうかお願いします!」

「だから……と、来たかセンジっ!」


 ふと近付く千司に気付いてリニュが片手を上げた。その表情は光明見つけたりと言わんばかりの笑顔である。必然、その正面に居たセレンも視線を流して千司を捕らえた。


「……む、奈倉千司」

「あー、邪魔したか? なら席を外すが……」

「いや、邪魔なんてことは――」

「久しぶりだな、奈倉千司」

「……どうも、馬車以来ですね。どうかされましたか?」


 リニュの言葉を遮って答えるセレンに、千司は内心で呆れつつも、一応の礼儀を見せる態度で尋ねる。すると彼女は千司に近付き、胸を張った。


「頼む、私も貴公と同じ早朝訓練に参加させてはくれないか?」

「……なぜ?」


 彼女の後方で『めんどくさ』とイワンばかりの表情を見せるリニュをちらりと横目に捕らえながら聞き返す。


「ふむ、当然の疑問だ。……理由はいくつかあるが、最たる物は貴公らの成長ぶりに起因する。率直に告げるのならば、私はもう白金級勇者の三人には敵わないだろう。そして、魔法学園での『決闘』を見て、この身が特別強いという訳ではないことを知った」


 セレンは悔しそうに唇を噛み締めながら、しかし強い意志の宿る瞳で告げた。


「だが、だからといって止まることは出来ない。そこで、勇者の中でも特に成長著しい貴公が世話になっている剣聖様の早朝訓練を私も受けたいのだ」


 その言い分を耳にし、千司は思考する。


 彼女にこれからどれだけ成長の余地があるのかは知らないが、騎士団長として半端に負けている現状は看過できないのであろう。千司としても将来的に仲間にしたい『強力な異世界人候補』の中にセレンも入っているため、強くなって貰う分には構わない。


(何より、リニュの負担が増える・・・・・・・・・・のは喜ばし事だしな)


「なるほど、それは良いことだ。俺としては何も問題は――」


 と首肯を変えそうとした瞬間、リニュから殺気が飛んできた。

 思わずセレンも振り返るほどのそれに驚き、様子を窺うと、彼女は額に青筋を浮かべながら銀髪を逆立てていた。


「ダメだ」

「「……え?」」

「……ッ!」


 期せずして千司とセレンの声が重なったことで、リニュの怒りが更に増す。


「ふん、強くなりたいという思いは確かに受け取った。だが、それよりも勇者だ。伸びしろが残っているかわからないお前に付き合うよりも、私は確実に伸びる勇者を鍛える必要がある。そして現状センジが一番伸びている」

「……そ、そんな」

「お前のくだらないプライドに付き合う暇などない。心意気は買うが状況を考えろ。それくらい、普段のお前なら気付けるだろう。……まったく、何を焦っている?」

「……ぅ、ぅあ」


 リニュの問いに、セレンは情けない声を上げて唇を噛み締める。

 そして視線をリニュから千司へ移し、今にも泣き出してしまいそうな表情のまま俯いてしまった。地面をまっすぐ見下ろす彼女は、青い顔のまま沈黙。


 まるで怒られた幼子のようにだんまりを決め込んでしまったセレンに、千司は面倒くさいと思いつつも、しかし自己の利益のためだと助け船を出すことにした。


「……俺が授業を受けている昼間なら時間があるんじゃないか?」

「そりゃ、多少はあるが……」

「なら、その時にセレン団長を見てやってくれよ。いざという時、勇者を守ってくれるはずのこの人がこんな調子じゃ安心できない」

「やけにこいつの肩を持つな」

「冷静に判断した結果だよ」


 その言葉にリニュは髪をかきむしり、やがて大きく息を吐くと首肯した。


「わかった。昼間に時間のある時だけ見てやる。ただし、我々の仕事はあくまでも警備、そちらを優先するからな」

「……っ、は、はい!」


 セレンはリニュの言葉に顔を上げ、かと思えば「ありがとうございます」と頭を下げた。


「……貴公も、ありがとう。この恩は必ず働きでもって返還すると約束しよう」


 千司の手を取り涙目のまま感謝を述べるセレン。

 年上美人が涙目で感謝しているという状況に興奮していると「おほんっ」とリニュが咳払い。そして一切の予備動作無く千司の顔面に蹴りを放った。


「……っ、ぶな!」

「ふん、デレデレするな雑魚! それよりも訓練だ訓練! 遅れた分はみっちり扱いてやるから覚悟しろ!」

「あぁ!? だからって不意打ちとかお前卑怯だ――ぞっ!?」


 息つく暇も無く繰り出される二撃目に、千司は本日の早朝訓練が本格的に始まったことを悟るのであった。


「あの、見学良いですか?」

「好きにしろッ、クソが!」


 暢気な声で尋ねてくるセレンに悪態を吐きつつ、リニュは三撃目を千司に向かって繰り出し――いよいよ回避できなくなった千司は朝っぱらから宙を舞うのだった。



  §



 その日の昼、千司はドミトリーに『偽装』して魔法学園から遠く離れた帝国領内の都市・・・・・・・、レップランドにやって来ていた。


 魔法学園との距離は百キロ以上離れているにもかかわらず、リニュと別れてから僅か二時間ほどでの移動である。


 方法は至って単純で、千司は百キロの距離を走破した。勇者のステータスならば常人をはるかに凌駕した速度で移動することも、それを長時間続けることも苦ではない。疲れは身体に蓄積するが、今回は問題ない。


 結果として、千司は二時間程でレップランドに足を踏み入れたのであった。


 一息吐いたところで、千司は口元をスカーフで覆いながら街並みを睥睨する。


 そこは王国とはかなり異なり、全体的にどんよりとした空気が漂っていた。街の上空には煙が空を覆い尽くしており、麻薬と入り交じった饐えた匂いが鼻を突く。浮浪者らしき人々が大通り沿いに座り込み、一心不乱に薬物を摂取。


 腕や目がない者も珍しい部類ではない。これがラクシャーナ・ファミリーが本拠地としているからなのか、それとも帝国の一般的な情勢なのか千司には判別付かないが、何とも心躍る場所じゃないかと口端を持ち上げた。


 本日千司がレップランドにやって来たのは、ジョン・エルドリッチに約束させたラクシャーナ・ファミリーの幹部会に参加するためである。その為にはるばる長距離を移動してきたのだ。


 因みにせつなや文香には一人でレストーの街の散策に行くと言っているので問題ない。仮に街に居ないことがバレそうになったとしても協力者・・・が手を打つことになっている。


 そんなことを考えつつ、大通りを歩いていると、煤に塗れた冒険者ギルドに到着した。同じ組織が運営する建物にも関わらず、何故王都の物とここまでの差が生まれるのか。


(まぁ、郷に入っては郷に従えと言うことか)


 何て思いつつ冒険者ギルドに入る。

 時刻を確認すると、約束より少し早いぐらい。

 初めての街で迷う可能性を考慮して早めに来たのが仇となった。


 まだ来ていないかな、何て思いながら周囲を見渡すとフードを被った鋭い目つきの女が足早に近付いて話しかけてきた。


「ドミトリー」

「……アリアか。顔を隠しすぎて気付かなかったぞ」

「あれを見ろ」


 いつにも増して真剣な声色の彼女が指さす方向を見やれば、そこには二枚の手配書が掲示板に貼り付けられていた。そのうちの一枚にはアリア・スタンフィールドの名前と共に、彼女の似顔絵と容姿、特徴が事細かに記されていた。


 彼女が特徴的な白と紫が入り交じった髪をフードで覆っていたのはその為らしい。


「あれは?」

「ドミトリーは知らなかった? 三週間ほど前から王女の勅命で全世界の冒険者ギルドに発布された物で……隣のよくわからない男と一緒に国際指名手配犯だって」

「隣……おぉ」


  彼女の言葉につられて視線をずらせば、そこには冒険者『メアリー・スー』の手配書。ただこちらはアリアに比べて特徴に関する記述が少ない。似顔絵もそこまで似ているものでは無い。


 アリアは元騎士だからより詳細だったと言うことだろう。


(にしても、三週間前って、俺たちが王都を後にしてすぐじゃないか。まぁ、ドミトリーの賭博場に冒険者を誘引していたのが『メアリー・スー』だった、というのは推理できるだろうからバレるのは不思議じゃない。しかし、こうも早く動くとは……ライザちゃんよ、動きが速いじゃないの)


 ドミトリーの方を指名手配しなかったのは、顔がわからないからだろう。ドミトリーで不特定多数の前に出る時は基本的に薄暗い場所だったので、輪郭も判然としない。


(まぁ、念のため多少顔を変えとくか。ついでにアリアも)


 『偽装』を使って目の前の彼女の顔と髪色をいじる。


「もういいぞ、髪色を変えた」

「え? わっ、いつ見てもすご。いひひっ、これでようやくまともに過ごせる」

「大変だったか?」

「バレたら目撃者を皆殺しにする妄想ばかりして、パンツがいっぱいぐちょぐちょになった」

「大変じゃなかったみたいだな」


 平常運転の彼女に呆れつつ、兎にも角にも合流が果たせたのでさっさと冒険者ギルドをあとにする千司。


 エルドリッチとの約束まで時間があるので、アリアの宿泊している宿に移動。


「それにしても久しぶりだな、調子はどうだ?」

「いひひっ、まー悪くないかな。適度に人も殺してたし」

「『リースの黄昏』はどうなった?」

「騎士団が押し入ってきたね。働いてた娼婦は言われていた通りに首を切っといたよ」


 それは比喩表現でも何でも無く文字通り首を切断したという意味だ。

 彼女たちはドミトリーの話し方などを知っているため、元々生かしておくつもりもなかったし、死んでも問題ない女しか雇っていなかった。


「で、アリアはその隙に王都を脱出。こっちに来たってとこか」

「だいせいか~い! 王都からの旅路は大変でねぇ、乗合馬車を使ったんだけど男に身体を迫られてね……いひひっ、結局、皆殺しにして馬だけかっぱらってここまで来たんだぁ~……すぅ~、はぁ~♡ んくっ、やばっ、思い出したら……♡」

「これから大事な会議なんだから止めてくれ……いや、むしろ会議中に発情させないためにも今発散させるべきなのか?」


 などと考えている内に、目の前でアリアが絶頂。

 びくびく震えた後に、くたりとその肢体をベッドに放り投げた。


 彼女はそのまま天井をぼんやりと眺めて呟く。


「……さすがに緊張してきた」

「アリアでも緊張することがあるのか」

「そりゃね。これに失敗したら殺せる人数が少なくなるんでしょ?」

「あ、そっち。まぁ、失敗しても大量に殺させてやるから頑張ってくれ」

「て言っても、アリアがやる事なんていつも通り後ろで突っ立ってるだけでしょ?」

「それが重要なんだよ。……そう言えば前回来ていたメイド服はどうした?」

「臭かったから捨てた~。あの部屋・・・・に置いといたのが間違いだったね!」


 あの部屋、とはエルドリッチの嫁や娘を拷問、監禁、殺害した地下室のことだろう。


「なら新しいのを買いに行くか」

「え、ほんと!? 買ってくれるの!?」

「奇抜な格好はそれだけで色々目を引くからな、扱いやすい。俺が『偽装』で見た目を変えても良いんだが……触られると面倒だし本物を準備しよう。行くぞ」

「いひっ、いひひっ、やった! やったやった! ありがとドミトリー♡」

「構わない。必要経費だ」


 そんなわけで千司はアリアを連れてレップランドの街へと繰り出した。


「デートだね」

「そだね」


 いひひっ、と笑うアリアを横目に、千司は胸中でため息を零した。


 特にそのつもりはないのに、どういうわけか最近彼女からの好感度の上昇を感じる。と言っても、それも仕方のないことなのだろうが。何しろ千司は、アリアの異常な趣味を認め、理解し、積極的に応援する唯一の異性である。気にならないという方がおかしな話だ。


 どうした物かと頭を悩ませる千司に対し、アリアはギザギザの歯を見せて笑い――。


(……手を繋ぐな)


 されど彼女の存在の重要性から振り解くことは出来ない千司であった。



  § 



「……そろそろ時間だ。準備は良いか? アリア」

「いひひっ、もちろん。任せて、ドミトリーはアリアが守るから」

「頼りにしてる」


 スーツを纏う千司に対し、笑って頼もしいことを口にするアリア。


 彼女の服装は漆黒のドレス。と言っても動きにくいものでは無くスラッとした身体の線が見えるデザインで、足には深いスリットが刻まれている。所謂チャイナドレスに近しい服装だ。


 彼女の顔もすでに変えており、髪も白と紫の入り交じった物から金髪へ。


「よし。……じゃあ行くぞ」

「りょーかい」


 間延びした返事を耳としてから、千司はエルドリッチとの待ち合わせ場所へと向かった。

 

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