第5話 海端新色
夜。
夕食の際もせつなは千司にべったりであった。常に横に並び、座る位置も肩が触れあうほど。以前までならそれもまた少し重めの恋愛だと言うことが出来ただろうが、夕凪の死がクラス中に伝えられた今、その行動の異質さに周囲の生徒は僅かに距離を取るようになっていた。
(まぁ、離れてるのは遠征に参加しなかった上級勇者ばかりだし、離間工作が進むのなら上々)
そんな中、千司はちらりと食堂の端に座る女子の集団を見やる。
そこには友人と思しき女子たちと食事を囲む文香の姿。遠征から帰ってから、千司はまだ文香と話していなかった。第十階層で千司が大怪我を負った際に、文香が回復を失敗してからと言うもの、二人の間には気まずい空気が流れていたからだ。
まぁ、千司が意図的にそうしているのだが。
彼女は周りの友達に合わせて笑みを浮かべてみせるが、しかし心ここにあらずといった様子なことは容易に見て取れて――ふと、千司と視線が合う。
(逸らしてみよーっと)
出来心で無視してみると、顔を真っ青にする文香。
(……堪んねぇ)
その反応をおかずに、千司は夕食をかき込むのだった。
§
夕食後、風呂に入った千司はライカを帰らせ、単身海端の部屋を訪れた。扉をノックするとおどおどした返事と共にドタバタ音。数秒の後にようやく扉が開かれると、海端がその顔を覗かせた。彼女は僅かに頬を染めつつも、周囲の廊下に人が居ないのを確認してから千司を招き入れる。
海端は寝間着なのかかなりラフな格好で、豊満な胸が服を下から持ち上げ、その存在を大きく主張していた。
すでに何度目かになる海端の部屋はちっとも変わっていない。
せいぜい机の上に積み重なった本のタイトルが変わったぐらいだろう。
その周囲には本日使っていたのであろうノートとペンが置いてある。
「勉強、頑張ってるんですね」
「そ、それくらいしか、出来ないからね」
そう言って彼女はベッドに腰掛けた。ならば備え付けの椅子に座るべきかと考えたところで、彼女は自らの隣をぽんぽんと叩いた。拳ひとつ分ほど距離を開けて腰掛けると、ベッドがギシッと揺れる。
「……」
「……」
沈黙が降りる。海端から誘ったのだから彼女から切り出すのかと思い言葉を発しなかったが千司だが、様子を見るにかなり緊張している面持ち。彼女は顔を真っ赤にして背中を丸め、かと思えばおもむろに頭を振って姿勢を正し――。
「ぁ、え、えっと、えっと、その……」
何かを言おうとしているが、やはり緊張が先立っているのかごにょごにょと小さな声が聞こえるのみ。結局、こうしていても仕方が無いので千司から助け船を出すことにした。
「話を聞いてくれるんでしたよね」
「う、うん! そ、そう! 何でも……相談して!」
ふんっ、と奮起した様子を見せる海端。しかしここで本当に弱音を吐き出すと言う選択肢は千司には無かった(というかそもそも弱音など何一つ無いのだが)。兎にも角にも、例え演技であろうと具体的な話をするつもりは欠片もない。
何故なら、海端に気の利いた答えが出せるとは到底思えないからである。
千司が弱音を吐き出し、それに答えることが出来たのならそれは海端の成功体験に繋がり、無能な働き者として彼女の存在は大変重宝するだろう。
一方で、その無能さを遺憾なく発揮して千司の相談に答えられなかった場合は面倒である。失敗して落ち込む彼女をサクッと抱いてしまえば完全に依存させることに成功するが、そこまでして身近に置いておくほどの魅力を千司は海端に感じていない。
確かに見た目はいい。性格も千司好みで虐めがいがある。
しかしそういった『娯楽』に裂いている時間など今は無い。
無能な働き者として『駒』になるのなら、ついでに『娯楽』として遊ぶのもいいが、そうでないのなら優先度は高くない。故に、具体的なことは何も話さない。
話さず、確実に無能な働き者という『駒』にする。
「ありがとうございます、先生。……ですが、やはり止めておきます」
「……ぁ、え? な、なんで? た、確かに、頼りないかもしれないけど、で、でも、その、ほら、何か吐き出す、だけでも……気が楽になるとかって、言うから……だから、ね?」
千司の拒絶に、海端の表情が凍った。
普段ならそこまでショックを受けることも無かったかもしれないが、今回は別である。何しろ、千司が海端と会話をするのは約八日ぶりの出来事だったからである。
最後に会話をしたのは海端がダンジョン遠征から帰還した時のこと。それも途中で彼女の話を切り上げ、蚊帳の外に放り出し、挙げ句の果てには目の前でせつなとキスをした。
それからは、ただの一度も海端と接触していなかった。
それまではほぼ毎日関わりを持っていた中でのこの行動は海端にとって大きな『鞭』となっていた。ようはこれまで細かいペースで与えていた飴と鞭の感覚を一気に引き伸ばしたのである。
これが普通の人であれば別の第三者との関わりでその効果が薄れるが、しかし海端はコミュ障の陰キャ。千司は目の前の海端の反応を見て、順調だと判断し――彼女を自身の駒とするために一気に飴を与えることにした。
「先生が頼りないわけじゃありません。ただ『話を聞く』と言ってくれただけで俺はもう救われてるんですよ」
できる限りの優しい笑みを浮かべて、距離を縮める。
かすかに太ももが触れあうか触れあわないか、曖昧な距離感。かすかに感じる他者の温もりを無意識に意識してしまう、もどかしい距離。
「な、奈倉くん……」
「それに、こんな物まで贈った相手に、情けない姿は見せたくありませんから」
そう言って千司は、海端が右手の薬指にはめていた指輪に触れる。それはダンジョンに行くことを怖がっていた彼女に、千司が贈った物。似たようなネックレスを文香にも贈っているが当然内緒。
「ちゃんと持っていてくれてるんですね」
「う、うん。……初めて、人から貰った、贈り物、だ、だから……」
「すごく嬉しいですよ、先生」
「……っ、え、えへへ」
顔を真っ赤にしながらもはにかむ海端。このまま押し倒しても彼女を駒にすることは出来るだろうが、まだダメだ。このままでは都合のいい駒にはなれど、無能な働き者に仕立て上げることは出来ない。
故に千司は彼女の指輪から手を離し、苦笑を浮かべる。
「でも、情けない姿を見せたくないなどと言っても、もう遅いのでしょうけどね」
「な、なんで?」
「昼間の大賀と渡辺の言葉……正直言ってめちゃくちゃ効きました。確かにその通りだって、結局俺は何も出来てない。あれだけ対策して、あれだけ準備をして、何も出来なかった。みんなを無事に日本に帰すって言っておきながら……俺は、夕凪が死ぬのをただ見ていることしか出来なかった。……渡辺の言ったとおり、俺は口先だけの――」
「そんなこと、ないっ!」
弱音を口にする千司に、海端は今まで見せたことの無い表情で否定する。
「え?」
「そんなこと、ないよ……な、奈倉くんは頑張ってた。ずっと、せ、先生、それを見てたから……ちゃんと……。それに、先生が言っちゃ、だ、ダメなのかもしれないけど、……先生は、奈倉くんのこと、すごく尊敬してる。じ、自分のことだけじゃなくて、周りの、みんなのことも、……せ、先生みたいな、人のことも、み、見捨てずに、支えてくれた、から……」
「先生……」
「だから、あ、あんな言葉……気にしないで。奈倉くん」
千司の手を取り、鼻息を荒くして精一杯の励ましの言葉を口にする海端。
そんな彼女の手を握り返しながら、千司は優し気に目を細めた。
「ありがとうございます、先生。……ははっ、結局情けない姿を見せてしまいましたね。お恥ずかしい限りです」
「そ、そんなこと無いよ。な、奈倉くんが、情けない、なら……私なんて、う、ウジ虫以下だし、そ、それに――、……っ!」
何かを言いかけたところで手を握り合っているのに気が付いたのか、慌てて振りほどこうとする海端。しかし千司はそれを許さず、むしろ少し強めに握り返しつつ、彼女の瞳を見つめながら尋ねた。
「『それに――』続きはなんですか?」
「ぁ、あぅ……」
顔を真っ赤にして、恥ずかしさから逃げるように逸らす海端だったが、やがて観念したように上目遣いに千司を見つめると、ぼそぼそと、小さな声で囁いた。
「それに、わ、私は、奈倉くんのこと……か、かっこいいとしか、お、思ったこと、ない、よ?」
「先生……」
視線が絡み合う。
握り合っていた手を少しずつ解き、海端の首筋に触れる。
「……んっ」
ピクリと震えるが、拒絶は無い。
やがて海端は勇気を出すようにゆっくりを目をつぶり顎をしゃくった。
緊張しているのかふるふると震えるその桜色の唇に、千司は自らの物を重ねる。
「んっ……ふっ……」
時間にして五秒ほど。子供の児戯のような口づけに、一瞬海端は目をとろんとさせていたが、しかしすぐに慌てた様子で謝罪を述べた。
「ご、ごめん、ね? ……その、な、奈倉くん、彼女居るし、も、モテるし……私、い、陰キャだし、コミュ障だし、ち、チビだし……それに、と、歳の離れた、先生、なのに……」
途中から自虐に走る生粋の陰キャである海端に対し、千司は再度その唇を奪う。一瞬千司をはねのけようとした海端だが、すぐに力を失い、やがておずおずと口を開いて舌を入れてくる。
「んぷっ、ふぅ……ふぅ……ん、んぁ……ぁぷ……ぷはっ」
息を止めていたのか肩を上下させる海端に千司は笑顔で告げた。
「何言ってるんですか。先生は……
「そ、そんな――んむっ」
千司はそのまま新色を押し倒し――二人は教師と生徒の一線を越えた。
§
新色が眠りについたのを確認して、千司はベッドから起き上がる。
時刻はまだ十二時前で日付は跨いでいなかった。四回戦も挑んだというのに、思っていたよりも時間が経過していなかったらしい。因みに四回戦も戦ったのは普通に興奮したから。せつなや文香には無い大きな胸に情欲を掻き立てられた結果である。
千司は服を身に纏いながらすやすやと寝息を立てる新色を見やった。
(……まぁ、多分成功しただろ)
先の会話。
千司が新色に行ったのは、成功体験を植え付けること。
部屋に来てすぐに弱音を語ったところで、新色は答えられない可能性があった。そこで会話の流れで事前に『情けない』というわかりやすい弱音を用意し、新色にそれを印象付けさせた後で、それに準ずる弱音を吐き出す。
結果として、新色には『千司の相談に乗って役に立てた!』という成功体験が植え付けられ『千司の頼みなら役に立てるかも』と考えるようになる。しかし当然それは千司が用意した道筋を辿った結果に過ぎないため、彼女は無能のまま。
よって、海端新色は『みんなの教師』から、千司の言うことを聞く『無能な働き者』にジョブチェンジしたである。
(最初は簡単なお使いからさせないとだな)
今はまだ完全では無い。ここから少しずつ、自分の言うことを何でも聞く『駒』に育てていかなければならない。
大変だな、と思う一方で、千司は新色のことが嫌いでは無かった。むしろ大好きである。手のかかる子ほど可愛いという奴だ。と言っても、実際に
(何はともあれ、新色ちゃんはこんなところだな。……んじゃ、次行くか)
そうして、千司は部屋を抜け出し自室へ。
そこから『偽装』を使い王都へと出る。
道中ドミトリーに変装し、向かったのはとある廃倉庫。賭博場で使用していた違法薬物『アインザッツの夕暮れ』を大量に保管している秘密の倉庫である。この場所を知っているのは千司の他には一人だけ。
時計の針が深夜の一時を指し示す頃、一人の女が現れる。
「いひひっ、今日は居た」
「昨日すぐは無理だと言っただろ」
「そうだった、そうだった」
女、アリアはいつも通りにいびつな笑みを浮かべる。
倉庫の窓から差し込む月光が彼女の白と紫の髪に反射して、まるで幻想世界の王女か何かかと錯覚してしまいそうなほど美しい。――その手が血に濡れていなければの話だが。
「その血は?」
「中々話さないからちょっと拷問を」
「それじゃあ
「まーね、さすがに一日じゃ無理。でも大丈夫。三日以内には確実だから」
「そうか。……ところで今日はまともなんだな」
「言ったでしょ、ちょっと拷問をって。最後にはちゃんと話してくれたから殺しちゃった。おかげでアソコびしょびしょ。五回もイっちゃった♡ 見る?」
何もまともじゃ無かった。
「遠慮する」
服を捲り、股を見せようとするアリアを手を払って拒否。
「ちぇ、ドミトリーなら抱かせてあげてもいいかなって思ったのに」
「そのままアソコを切り刻まれたら叶わんからな」
「少なくとも今はしないって。飽きたら殺すけど」
相も変わらず頭がおかしい女である。
「まぁいい。とにかく三日以内には出来るんだな?」
「絶対に」
その言葉に、千司は笑みを濃くし、同調するようにアリアの口も三日月のように歪んだ。
「なら、三日後に行動を開始する」
「いひひっ、わかった。あ~待ち遠しいなぁ♡ ……おっ、おほっ、あへへっ♡」
「イくなイくな、倉庫が雌臭くなる」
「いいじゃんオナニーぐらいしたってぇ!! ……あ、そうだドミトリー」
「……なんだ?」
自慰行為を始めようとしたアリアに背を向けさっさと帰ろうとした千司だったが、呼び止められて振り返ると、そこには股に手を突っ込んでいるアリア。彼女はまったく気にした様子無く飄々とした調子で尋ねてくる。
「一人、増えてもいい?」
「へぇ……ああ、もちろん構わないとも! まったくアリアは優秀だな!」
優秀で働き者の『駒』だ。
「や、やった、……っイくっ!! おっ、おおっ、んほぉっ!! あへえぇぇっ♡」
だらしなく舌を突き出し、白目を剥きながら喘ぎ声で喜びを表現するアリアを完全に無視し、千司はその場を後にした。
(優秀だけどあれだけどうにかならないものか……はっきり言って恥ずかしすぎて一緒に居るところを見られたくないんだが)
深いため息は、夜の街に飲まれて消えた。
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