第3話 夜這い
魔法学園、その単語が指し示す施設はアシュート王国にただ一つ。王都から馬車で三日移動したところにある、海辺の街レストーに存在する巨大な学園のことである。生徒は王国以外の国からも多数入学しており、非常に国際色豊かな学び舎だ。
(んでもって、確かアリアが昔通ってたとか言う学校)
自身の中に存在する魔法学園に関する知識を思い起こしつつ、しかし千司の気分は最悪だった。何しろ千司はこれまで王都で暗躍し続けて来た。騎士と冒険者との対立感情を煽り、ドミトリーとして違法薬物をバラ撒き裏社会に手を伸ばす。
そうやって着実に悪意の環を広げて来たというのに……だと言うのに、その王都から離れて学校に行けと来た。王国内の離間工作は停滞するし、裏社会との交流も途絶えてしまう。さらに勇者が移動した途端に『ドミトリー』の動きがなくなればライザは『ドミトリー』の正体が『裏切り者』だと気付いてしまうだろう。
(頼むから、やめてくれぇ~)
話し合いが始まった時に『まぁ、今回は楽勝だろう……』などと調子に乗ってしまったのが悪かったのだろうか。千司は胸中で溜息を吐く。
「奈倉様はいつも私の提案を反対なさいますね」
そう言って冗談めかして語るライザに、千司は気を引締めて反対の理由を告げた。
「当然のことでございます。確かに王都が危ないというのは先の一件からもわかりますが、しかし、だからと言って騎士団の庇護下から外れるというのは少々リスクが高過ぎます」
「ご安心を。魔法学園には王国貴族の子弟、あるいは他国高官の子弟も数多く在籍しており、その警備に関しては国内随一と言えるでしょう」
ライザの言葉に、千司は内心で『嘘だな』と独りごちる。
それはアリアの存在が故。彼女の言葉を信用するのなら、学園ではかつて拷問事件が起こり、それが隠蔽された。彼女が騎士団に入団できたことからもしかすればライザ自身もその事を知らないのかもしれないが……どちらにせよ国内随一の警備とは言えないだろう。
(まぁ、どちらにせよその事を知ってるのはおかしな話だし、別の切り口から否定するしか無いのだが)
「ですがライザ王女、その
「……なるほど、一理あります」
(よし、ならそのまま『じゃ、やっぱり今の無しで!』ってなってくれ、頼む!)
しかしそんな千司の願いも虚しく……。
「では騎士団からも数人派遣しましょう。そうですね、リニュと第一騎士団のセレン団長を学園に常駐。他、各騎士団から数人ずつを二週間程度の交代制でどうでしょうか」
「……なるほど」
(……くそ、どうする? この不安定な状況で場所を移すのは勇者にとって大きなストレスになる、という点から突いてみるか? ……いや、ここまで拒絶するとさすがに怪しまれるか)
いくつかの作戦を思いつくが、しかしどれも却下される可能性がある。否、間違いなく否定されるだろう。ライザは魔法学園に関する諸問題をあれこれ考えた上でこの話し合いに臨んでいるのに対し、千司は今聞いたばかり。
話し合いに対して準備してきた時間とはそのまま大きな武器である。
顎に手を当て瞑目し、しばらく悩んだ後に千司はある一つの結論に達した。
「分かりました。しかし、それは勇者全員の賛同が得られた場合でお願いします。やはりみんなが不安に思う中、場所を移すのは得策ではないと思いますので」
「心得ております」
ひとまずこの問題は棚上げにして、あとで考えよう。考えてきた時間に差があるのなら、こちらも時間を作って反論を築こうという算段だった。
(卑怯だぞ! そんなんだから王女のくせに倫理観がマイナスに振り切れてるんだよ! 腹黒王女め!)
千司は内心でライザを罵倒しつつ、席を立つ。
「それではこれにて私は失礼します」
「はい。……っと、最後にこれを」
慌てた様子でライザが懐から取り出したのは、小さな巾着だった。
中には小さな薬のような物が入っている。
「これは?」
「一角兎という魔物の角と魔素を原料として作られた避妊薬です。飲み物にでも溶かして対象の女子に飲ませてください」
「……」
突然のこと過ぎて流石に返す言葉が出ない千司。
まさか王女様から避妊薬をプレゼントされるとは思ってもみなかった。
閉口する千司をジト目で睨みつつ、王女は続ける。
「奈倉様は存外のこと私の忠告を無視して複数の女性と関係を結んでいるそうですので、一応お渡ししておきます。普段ならこのようなことはしないのですが、まぁ……現在精神的に不安定になっていらっしゃる方も居りますので、特別です。
「……誰から聞いたのですか?」
「リニュです。雪代様、並びに天音様から
「では、彼女にお伝えください。あまりプライベートは覗き見ないように、と」
「承りました。それでは今度こそ用件は以上ですので、退室なさっても構いませんよ」
その言葉に千司は巾着片手に歩き出し、不意に部屋を出る前に立ち止まって振り返ると王女に対して一礼。
「それではおやすみなさい。ライザ王女」
「……はい、おやすみなさい」
こうして夜間に行われた王女との会談は、ようやく終わりを迎えた。
終始優勢で進められると思っていた千司にとっては、何とも渋い幕引きである。
(本当にあの女はやっかいだな。……まぁいい。それよりも今はこっからどう動くかだが――)
王女との会談から得た情報を頭の中で整理し、千司はこれからのことを考えるのだった。
§
部屋を出るとライカが待ってくれていたので、彼を伴い部屋に戻る。王女と会うということもあり、事前に風呂は済ませていたので本日はもう寝るだけだ。
ふと、部屋への道すがら千司は先ほどの王女の言葉を思い出して気付く。
(よく考えれば仮に魔法学園に行くことが決定した場合、ライカはどうなるんだ? こんなに優秀でセクハラしがいのある奴を手放すとか、絶対に嫌なんだが?)
ひとまずその事は今度ライザに直接聞いてみるとして、折角の機会だし今日はライカと改めて話し合ってみるのも良いかなと考え、用事も無いのに部屋まで連れて帰ってきた千司であったが――扉を開け、部屋の中に黒髪の少女を見つけた瞬間、予定の変更を余儀なくされた。
「……せつな」
「…………千司」
扉を開けた先に居たのは、ベッドの上で体育座りをする雪代せつな。
咄嗟に背後に居たライカに視線で今日は帰るように伝えると、その意図を正確にくみ取ってくれたのは、彼は一度首肯し、音も無くその場を去って行く。流石である。やっぱり手放したくないな、などと考えつつ入室。
「……」
「……」
部屋の中に沈黙が降りる。
せつなはこちらをチラリと見た後、そのまま顔を膝に埋めてしまっていた。これでは話も出来ないと思った千司は、部屋の隅に並べていた魔法酒の瓶を振り、まだ数杯分残っているのを確認するとコップに注ぐ。ついでに先ほど王女から貰った避妊薬をぽちゃん。
因みにコップはライカが毎朝洗って交換してくれている。ホテルのようなサービスの行き届きには脱帽するしか無い。
「ほら」
薬が溶けきったのを確認してから手渡すも、彼女は首を横に振る。
「……いい」
「そうか」
無理は強いせずにコップを机の上に置き、千司はせつなの隣では無くあえて備え付けの椅子に腰掛けた。物理的な距離を取り、彼女の孤独感を苛むためである。
再度静寂が部屋を支配する中、最初に口を開いたのは千司であった。
「悪かった」
「……」
「情けない限りだ。あれだけ大見得を切ってみんなを日本に連れて帰るなんて言っておきながら、お前の大切な人を守れなかった。……いや、俺はあいつに守られるしか無かった」
「……」
「だから、謝罪したい。……すまなかった」
頭を下げて数秒。
せつなはおもむろに口を開く。
「別に、千司が悪いわけじゃ無い。それはわかってる。でも、千司が……千司のことが嫌いになりそうな、自分がいる。……自分勝手なのはわかってる。最低なのはわかってる。何も出来てない分際で、何もしていない分際で、何言ってるんだっていうのはわかってる……っ! 千司が……目の前で鷹くんが死ぬところを見た千司が一番参ってるのもわかってる……っ! でも、でも……私は……っ」
自らの胸中を渦巻く感情を吐き出すせつなは、やがて顔を上げると、その両の目に大粒の涙を浮かべて嘆いた。
「千司を許せない……っ! 助けてくれなかった千司が、許せないっ! 理不尽に晒されたのはわかってる! 千司も怖い目に遭ったのはわかってる! 千司が無事に帰ってきてくれて、鷹くんの形見も持って帰ってきてくれて、
「……」
「千司のことは大好きだし、愛してるけど……でも、許せない……わかんないの。感情が整理できてない……」
涙を流して、これまでに無いほど感情を露わにするせつな。
そんな彼女を千司は冷静に分析。
(ま、結局はどうしようも無い感情を俺にぶつけてるだけなんだろうがな)
正直、せつなと夕凪の仲が良いのはわかっていたし、二人が過ごした長い年月がその関係を恋人とも、ただの幼馴染みとも言い切れない曖昧な――しかし強い絆を形成していたのも理解していた。
だが、普段無表情気味のせつなからこれほどまでに強い情動の発露があるとは想像していなかった。
否、或いはこれが普通なのかもしれない。身近な人が理不尽に死に、その追求が出来る存在が目の前に居るのならば、綺麗事では語れない人間性が顔を出す。
今のせつなは正しくそれだろう。
(いやぁ、俺なら絶対に湧かない感情だろうから、中々に興味深いなぁ)
「ごめん……ごめんね、千司」
自分勝手に千司をせめて、挙げ句の果てには自己保身のために『感情が整理できていない』と語るせつなに、しかし千司は一切悪感情を抱かない。むしろそんな人間らしいせつながより一層愛おしくすら感じる。
人は、自らにない物を持つ人に惹かれる。
千司は正しくそれだった。
「せつなは悪くない。何も悪くない。悪いのは無力だった俺だ。……だから、俺は強くなる」
「……え?」
「そうだ、弱いくせに、恋愛に現を抜かしたのが悪かった」
「……っ」
「だからせつな。俺は――」
「違う、違うっ! 違うの、千司っ! 千司は悪くない! 何も悪くないから……悪くないからぁ……っ! だからっ、だからどこにも行かないで……っ!」
せつなは涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたまま抱きついてくる。
服が汚れるが、そんなことはどうでも良い。千司の心の中では今まさにフロア熱狂状態である。
(あっ、ああっ!! んぎゃわいいぃぃいいいいっ!!)
『偽装』で何とか体裁は守れているが、すでにアリアを笑えない状態であった。
千司は自らの胸で涙を流すせつなの頭を撫で、その手を頬、顎へと移動させると、ゆっくり上を向けさせる。涙に潤んだ綺麗な瞳は、不安に揺れながらもこちらをまっすぐに捕らえており……その瑞々しい唇に千司は自らの物を重ねた。
「んっ……ふっ、んむっ……ぷはっ。……はぁ、はぁ、はぁ……」
口を離すと、息を荒くして千司を見つめるせつな。
そんな彼女に、千司は告げる。
「どこにも行かないよ、せつな。俺はずっとせつなの隣にいるから」
「千司……」
再度唇が重なり合う。
身体はベッドの上にもつれ込み……せつなは自らの心に空いた喪失感を埋めるように千司と身体を交わしたのだった。
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