第29話 夕凪飛鷹

 ——時は少し遡り。


「……はぁ、はぁ」


 少年、夕凪飛鷹は第十階層のボス『アナスタシア』を焼き払った。誰も見ていない、否、誰にも見られたくないとすら思ったからそれは幸いした。


 焼け落ちていく彼女は熱硬直で身体が動かなくなることに顔を歪ませ、むき身の憎悪を飛鷹にぶつけていたのだから。


(やっぱ、人の形をしてるとキツイな……そうじゃなくてもしんどいって言うのに)


 でもやらなければ、誰かが死んでいた。


 先ほどアナスタシアに吹き飛ばされた奈倉千司のように。ちらりと視線を向けると、幼馴染の雪代せつなが彼に向かって甲斐甲斐しくポーションを振りかけていた。その瞳に映る心配の色は、遠い昔、一度だけ自分に向けられた物と同じ。


 ——『隣の家の女の子』から『大切な幼馴染み』、そして『初恋の相手』と自覚したのは小学校高学年の頃だった。


 当時、飛鷹は虐めに悩んでいた。物を隠される。悪口を言われる。

 それは決してクラス全体からではなく、数人の男子生徒からだけで、そのほかの生徒は彼らが見ていないところでは仲良くしてくれていた。けれど、一人だけ不幸な目に遭わされることに、酷い精神的ストレスを抱えていた。


 それを助けてくれたのが、雪代せつなだった。


 彼女は無表情に、無感情に、いつもと変わらず虐めっ子に告げた。


『——キモい』


 後から知ったことであったが、虐めっ子はせつなに好意を寄せており、家が隣で普段からそれなりに交流のあった飛鷹に嫉妬していたのだ。おそらくそれを知ったせつなが、彼を一蹴した。


 以降、虐めはなくなった。

 どういう風の吹き回しか、虐めっ子たちは謝罪してきて、今度は仲良くなろうとしてきたほどだ。今思えば、それもまたせつなへの下心だったのかも知らないが、飛鷹にとってはどうでもよかった。


 その瞬間、——夕凪飛鷹は雪代せつなに恋をした。


(あー、こんなことなら、先に告っとけばよかった)


 目覚めた奈倉を見て歓喜に涙を流すせつな。

 それを遠巻きに眺めて、奈倉に対し苛立ちと嫉妬を抱きつつも、しかし仕方がないなと思う自分がいる。まぁ、奈倉には二股疑惑があるので、その点は要注意しなければならないが。


 などと考えていると、数人の生徒が近付いてきた。


 自身と同じくトラウマ組として再突入を命じられた上級勇者の女子たちだ。中でもモデルのようにすらりとした長身の女子、猫屋敷が話しかけてくる。


「おつかれ、すごかったね」

「ありがと、猫屋敷さん。……はぁ」

「一番見て欲しかった子に見て貰えなかったのも、おつかれ」

「ひでぇ……つか、そんな分かりやすい?」

「そりゃあ、まぁ。クラスの女子は大体知ってたよ。てか付き合ってなかったんだって感じ」

「……今からでも間に合うと思う?」


 その問いに猫屋敷は苦笑を浮かべた。

 周りにいた女子たちも乾いた笑みを張り付け、応える。


「あれは無理っぽいかな~、たぶんヤってそうだし」

「猫屋敷も思った?」「私も絶対そうだと思った」「一気に距離感縮まった時あったもんね~」「あれは露骨」


「……」


 彼女たちの言葉に、飛鷹は思わず言葉を失った。別段自身が処女厨だとは思っていないし、それで彼女に対する思いが何か変化するわけでもないが、なんと言うか心の奥底にぽっかりと穴が開いた気分だった。


 自然と手は服の中にしまったネックレスに向かう。


 ——『これ、誕生日プレゼント。そろそろオシャレのひとつでも覚えれば?』


 英字プリントのクソガキTシャツを愛用していた自分に、彼女は僅かに頬を赤らめながら渡してくれた宝物。長い付き合いの腐れ縁で、とても不安定な思春期真っただ中——今更ながらのプレゼントに対する照れ。


 ドキドキして、甘酸っぱくて。


(あの時、告白しておけば何か変わってたのかな……。いや、それは俺のエゴか。恋人になりたいとは思うけど、それよりせつなの幸せが何よりも大切だ。……でも、欲を言えるなら、また仲のいい幼馴染みに戻って、普通に話せるようになりたい。——帰ったら、謝ろう)


 異世界に来て、初めての喧嘩。

 以降はまったくと言っていい程、彼女と話せていなかった。


 だから、それだけでも解消できたらと、優しい想いを抱いていた、まさにその瞬間。


 ——絶叫・・が、ダンジョン内に木霊した。


 地面から巨大な顔が出現し、一口に飲み込まれる。


「……っ! な、なんだよこれ!」


 突然のことにパニックになりながらも、しかし自身の力ではどうすることもできない。暗い口の中にとらわれる事、数秒、飛鷹はある一室に吐き出された。


 受け身を取りながら部屋を確認すると、おそらくダンジョンの中らしきことだけは理解できたが、見たことのない巨大な部屋だった。


 部屋の中央には大きな円卓があり、その周囲にはひとつを除いて乱雑に椅子が並べられている。唯一丁寧に配置された椅子には一人の男が腰掛けていた。


 ウェーブのかかった黄金の長髪に落ちくぼんだ目のまるで骸骨の上に皮膚を張りつけただけのような不気味な男である。


 彼が身に纏う服はどこか見覚えがあり、少し考えて、それがアシュート王国の騎士服だと気付く。


(なんだよ、どうなってんだよ。これ)


 状況を観察し困惑を更にふかめた飛鷹。——瞬間、背後にゴスっと何かが落下した音。


 警戒しつつ確認すると、それは大嫌いであるが、一方で現状とても頼りになる男だった。


「奈倉!」

「……夕凪か。ここは……っ、円卓。てことは……くそ、最悪だな」

「ここがどこか分かるのか!?」

「あぁ、大図書館の資料で見た。ここは——第四十階層のボス部屋だ」

「……っ!」


 苦虫をかみつぶしたような顔で告げられた言葉に、飛鷹は絶望した。


(……そんな、四十階層?)


「うそ……だろ?」

「嘘じゃない。この円卓、それとその奥に座ってる男——間違いない。ここのボス『グルセオ』だ。ステータスは全部1000オーバー。技術値に至っては4000を超えてる、正真正銘の化け物だよ」


 奈倉はグルセオが動かないか注視しながら、細かいステータスを教えてくれた。


―――――

グルセオ

攻撃:1490

防御:1110

魔力:1420

知力:1020

技術:4940

―――――


「そんな……そうだ、今すぐ外に出よう。こいつと戦うよりは生存率が上がるはずだ」

「だな」


 そう言って二人で扉に近付き開こうとするが——開かない。

 それは異常な事だった。事前にダンジョンについて教わった内容では、ボス部屋の扉が施錠されることなどないはずだからだ。つまり、逃走だって可能なはず。なのに、開かない。


「……なんで!」

「嘆いてる暇はないみたいだぞ……グルセオが動いた」

「く、くそっ! どうする!」

「とにかく、ステータス的に俺は囮にも成れない。夕凪が前線で動きを確認してくれ。そこから作戦を組み立てる」

「作戦って……勝てるわけないだろ!?」


 夕凪の言葉に、しかし奈倉は笑みすら浮かべて答えた。


勝てるさ・・・・絶対に・・・

「……」

「奴のステータスは高いが、お前のステータスだって十分に高い。前回の『強化種』との戦闘で腕こそ吹き飛ばされたが、その分レベルも上がってんだろ? それにさっきの『アナスタシア』を倒して上がったレベル分も加味すれば……問題ない」

「……」

「それに奴の防御はそこまで高くない。お前の最高火力なら——焼ける」

「……だが、俺は太陽を背にしてないと火力が下がる」

「それは、何とか考える」

「考えるって、お前……」

「それに、仮に太陽がなくてもお前は充分に強い。動きを分析して今出せる最大火力を的確なタイミングで砲撃し続けたら、十分倒せる可能性はある。だから——やってくれるか夕凪」

「……」


 真剣な眼差し。絶対に目的のために折れない心。傲岸不遜な態度ではあるが冷静で、自身の力と周囲を分析し、一つの可能性を導き出す能力。どれも夕凪にはない物で……。


(……くそ、ムカつく!)


「やってやるけど、その前にいいか」

「なんだ」

「お前なんで上から目線なんだよ」

「……そんなつもりは無いんだが?」

「糞ムカつくんだよボケ! お前なんかに惚れたせつなも馬鹿だ馬鹿! うがああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁっぁぁぁっぁぁぁぁぁぁああああああ————っっ!!!!」


 突如夕凪は絶叫を上げ、瞳に怒りを宿らせながらも口元は獰猛に笑い、こちらをじっと見つめてくるグルセオへ向けて右手を突き出した。


「分かったよ! くそ! 望み通りやってやるよ!! ——『カタストロフ』ッ!!」

「吹っ切れるにしてはすごいタイミン――グ!?」


 奈倉の言葉は最後まで聞こえなかった。それをかき消すほどの轟音がボス部屋に響き渡ったからだ。


 右手からあふれ出たのは竜巻のような黒炎。訓練中も危険すぎるからという理由でリニュから止められていた一撃は、大地を灼熱に赤く染め、白く溶解させていく。


 太陽を背にしていない今、飛鷹が出せる全力火力。


 それはグルセオに直撃し、爆発。

 粉塵が宙を舞う。


「やったか、とか言っていい?」

「言うなよ。てか、奈倉ってそういうの知ってるんだ」

「まあな」

「意外だ」

「黙ってるからな。……と、マジか」

「くそ、なにが防御力は低い、だよ。ピンピンしてるんだが?」

「俺は太陽を含めたお前の全力と言ったんだよ。まぁ、兎にも角にも一応効いてはいそうだな。隙を見て叩き込む。お前はさっき俺が『アナスタシア』にしたように攻撃パターンを引き出せ。そうすれば、俺も囮として参加して隙を作れる」

「だから、なんで上から目線なんだ――よッ!!」


 悪態を吐きつつも、飛鷹は跳躍。苛立つし、悔しいけれど、奈倉以上の作戦を自分は思いつけない。故に、従う。すべてはもう一度せつなに会うため。


(こうなりゃ意地だ。絶対に生きて帰ってやるッ!)



  §



 千司は交戦する夕凪とグルセオを眺めつつ、しかしまったく別の男のことを考えていた。


(くそっ、エルドリッチめ。絶対にぶっ殺してやる)


 本来の作戦では夕凪一人を四十階層に落とし、死んでもらうはずだった。犯人は借金をチャラにするという理由で雇われた冒険者。


 裏に居るのは『ドミトリー』という男と『ラクシャーナ・ファミリー』で、千司に疑いが向くことはない、完璧な計画だった。


(それをあの男、横から邪魔しやがって……油断した俺が悪いとはいえ、イラつくなぁ〜)


 いわばこれは丁寧に並べていたドミノを横から勝手に倒されたような物。許せるわけがない。


 しかし一方で千司の胸中に焦りの感情は欠片も存在していなかった。

 何故なら、この状況は別段想定していた内の一つに過ぎないからである。


 そもそも、千司は初めて会った時から彼を信用などしていない。信用していないのだから、彼が裏切る可能性とその選択肢をいくつか考慮し、――結果、現状はその想定の範疇であった。


 考えていた主な裏切りのパターンは以下の通り。

 夕凪飛鷹+他の勇者を転移。

 夕凪飛鷹を四十層以外に転移。

 夕凪飛鷹以外の勇者を四十階層に転移。

 夕凪飛鷹以外の勇者を四十階層以外に転移。

 ……等々。


 もちろん他の勇者のところに千司が選ばれるケースも想定済みであり、そのどのパターンであってもまったく問題がない・・・・・・・・・と判断したからこそ、千司は今回の作戦を実行に移した。


(問題があるとすればエルドリッチは『ドミトリー』の正体が俺だと見破って転移させたのか否かだが……こればっかりは流石に偶然だと思いたいが、希望的観測はなしだ。帰ったら調べるか。……それより今は、夕凪と協力してグルセオを討伐しなきゃだな~。めんどくせ~)


 第四十階層のボスモンスターを、圧倒的格下である千司と、全力が出せない夕凪で。不可能に近い、絶望的な状況で、しかし千司は思う。


(ま、問題ないな。……にしても、考えれば考えるほどあの老害には腹が立つ。どうやって殺してやるか……ん~、あいつの部下を目の前で殺したら面白いかな~?)


 暢気にそんなことを考えていると、夕凪が焦った表情で振り返ってきた。


「……っ、分析は済んだか!?」

「ん、あぁ。次からは俺も参加する。夕凪、俺たち二人でグルセオを狩るぞ――ッ!」

「だから上から目線を止めろッ!!」


 言い合いながらも戦況は最終局面へと移動する。



  §



 千司も加わり、グルセオ討伐戦は目まぐるしく動いていた。


 夕凪が最前線で動き、攻撃を加え、グルセオが攻撃の動きを見せた瞬間に千司がフェイントを入れる。それに反応し僅かに遅れた攻撃を夕凪は緊張した表情のまま裁き、切り返した剣を叩き込む。


 怯んだところに千司が追い打ちをかけるように接近し、迎撃の気配を感じた瞬間に飛び退く。——と、轟音。死角から放たれた夕凪の『カタストロフ』がグルセオに直撃した。


「——はぁ、はぁ! これで四発目だぞ! いつ倒れるんだよ!」

「知るか! いいからお前は合わせて撃ち続けろ!!」

「ああぁぁぁぁあああああッッ!!」


 再度距離を詰め、一撃でも食らえば即死の攻撃をぎりぎりで回避しながら、隙を作っては攻撃を叩き込むことを繰り返す。ダメージは確かに蓄積していそうであったが、直撃が七発目を迎えた瞬間——それは起こった。


『ルァァアアアアアアアアア――ッッッ!!!!』


 グルセオは大きな咆哮と同時に、夕凪の『カタストロフ』を己の剣で弾いた。石畳すら溶解させる高温を、ただの剣一本で。


「なっ!?」


 夕凪の絶望にも似た悲鳴が響き——その生じた油断は仇となる。

 グルセオが一歩踏み込んだ瞬間、急加速——そして勢いそのままに夕凪に体当たり。


「——おぼっ!」


 勢いよく吹き飛ばされた夕凪は地面に一度も触れることなく部屋の壁に叩きつけられた。壁面に放射状に亀裂が入る。


 千司は慌ててグルセオのヘイトを買い、夕凪から遠ざけつつ、彼の様子を確認。生きているのはさすが上級勇者と言うべきか。腹を押さえて口元からボトボトと赤黒い血を吐いてはいるが、一応はまだ動けそうだった。


「生きてるか!?」

「……」


 返事をする気力はないのか、それとも喉か肺がつぶれたか。千司はとっさに夕凪にポーションを投げる。ここまでの怪我となると完治は無理だが、無いよりはましだ。


「あぁ、——げほ、げほっ、まだ、やれる」


 一度グルセオから距離を取り、遠巻きに注視しながら夕凪の隣に立つ千司。


「生きててよかったよ」

「だが……はぁ、はぁ、そう、長くは戦えそうにない……それに……」

「あぁ、さっき奴は『カタストロフ』を跳ね返した。偶然ならいいが……十中八九違うだろうな」


 何故ならグルセオの技術のステータスは4940もあるのだから。むしろ遅いとすら千司は思っていた。


「くそっ、どうすれば……っ!」


(……まぁ、こんなものか。そろそろ仕留めるとするか)


 千司は大きく深呼吸してから、夕凪に告げた。


「お前に隠していたことがある」

「あ? 何をいきなり」

「俺にはスキルがある。それを展開したら、——全力で突っ込め」

「……いや、は? スキル? それに俺の全力は太陽がないと——」


 困惑する夕凪に、千司は不敵な笑みを浮かべて答えた。


「だから、それを見せてやる」


 そう言って千司は——太陽を『偽装・・』した。

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