第30話 職業『裏切り者』
第四十階層に出現した太陽は、本物と遜色のない恐ろしい光を持っていた。
しかし、薄暗い部屋が明るく照らされることはない。視界の中では確かに輝いているのに、実際には反映されていないそれは——まさしく、虚飾の太陽だった。
「これ……は……」
目を見開き唖然とする夕凪に、千司は嘘を吐く。
「本物の太陽だよ」
「……っ」
それは、海端と勉強していた際に大図書館で読んだ一冊の本。
『
どこの誰が書いたかもわからない、しかし大図書館という信頼に値する場に所蔵されていた文献の一説。
千司の言葉に、夕凪は驚いたように自らの手を見つめ、ぐっぱっと数度開閉。
身体を動かし、千司を見やる。
「どうだ?」
「……絶好調だ」
「なら、最大火力でいけ」
「あぁ、……と、その前にこれを持っていてくれ」
そう言って彼が投げたのは、一本のネックレス。
「大事な物なんだろ?」
「大事な物だからだよ」
夕凪はぶっきらぼうに言い返すとグルセオを睨み付け、口元に笑みすら浮かべて――告げた。
「――『アグニ』」
刹那、彼の身体を灼熱の炎が包み込む。轟々と燃え盛る炎の熱はすさまじく、千司の身に纏っていた服の裾が自然発火——大慌てで距離をとる。熱はさらに増し、やがて地面が溶け始める。
が、炎の隙間から見える夕凪の顔は余裕そうに笑っていた。
——グルセオが夕凪を見やる。
——夕凪がグルセオを見やる。
その視線が交差して、先に動いたのはグルセオだった。先程夕凪に致命傷を与えた突進攻撃。しかし今度はその手に剣を構え、確実に命を狙っている。対する夕凪は素手。彼が使っていた剣は『アグニ』の展開と同時に融解してしまっていたからだ。
だが、夕凪に焦った様子はなく――彼は悠然と両手を前に出してボクサーのように構えた。それは須臾の間——瞬きにも満たないコンマ以下の攻防。
千司ですらほとんど目で追えないほどの強者達の邂逅は、激烈。
技術値が5000近いグルセオの剣技は完璧だった。幾千幾億のフェイントと、純粋に高水準な攻撃値から繰り出される剣戟は、夕凪の反応を許さず、その首を正確にとらえ――薙いだ。
『ルアァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!』
勝利の雄叫びを上げるグルセオは、勝鬨を上げるようにその剣を掲げ――そして、刀身が蒸発しているのに気付き、敗北を悟った。
「燃えろ――」
静かに、しかし正確無比に繰り出された夕凪の一撃はグルセオの胸をたやすく貫き、その肉体を一瞬にして灰燼に帰す。
——ゴト。
グルセオが最後に残したのは、見たこともない程に巨大な魔石だけだった。
灰燼は、ダンジョンに飲み込まれて消え――勇者、夕凪飛鷹は第四十階層のボスを、無事撃破したのだった。
§
千司は生み出していた太陽を消し、炎を収めた夕凪に近付く。
「おいおい、男の裸なんて見たくないんだが……まぁいい。これでも着てろ」
上着を脱いで放り投げると、夕凪は何処か不満そうな顔で受け取った。
「それが命がけで格上を倒した奴に言うセリフかよ」
「……それもそうだな。ありがとう」
「素直に感謝されるのも気持ち悪いな」
「別に俺はひねくれてるわけじゃないんだがな……怪我の方は?」
「かなりきついな。それに魔力はすっからかんだ。太陽がある間はなんて言うか、スポーツで言うところの『ゾーン』的なやつに入って全能感が溢れて仕方なかったんだが、なくなったらもうダメだな。ピクリとも動けん」
「なら休憩してから上を目指すか」
そう言って、千司がボス部屋の床に寝っ転がると、夕凪もすぐ傍で横になった。
薄暗いボス部屋は、どこか不気味さを感じるものの、その主を打ち倒したという喜びの前ではすべてが些細な事であった。
『アナスタシア』から続き『グルセオ』という連戦に次ぐ連戦。
千司と夕凪の中にはこれでもかと疲労と倦怠感が蓄積していた。今すぐ帰って眠りたいという衝動を抱くと同時に、アドレナリンの過剰分泌によって目が冴えて仕方がない。
やがて、静寂に耐えかねた夕凪が千司に質問してきた。
「なぁ」
「なんだ?」
「せつなと付き合ってんの?」
「……あぁ」
「……はぁ、マジかぁ」
「マジだ」
大きな深呼吸が聞こえ、何か意を決したように夕凪は再度千司に尋ねた。
「ヤったの?」
「……答えていいのか?」
「それがもう答えてるもんだろうが……あぁあああ!! くそ!! 俺が先に好きだったのに!! 俺が!! 先に!! 好きだったのに!!」
「知ってた。が、俺も惹かれたからな。悪いとは思ったがアタックさせてもらった」
「あー、殴りてぇ。奈倉ちょー殴りてぇ! でも身体痛てぇ……」
「帰ったら殴ってもいいぞ」
「……別に、ムカつくけど、俺はせつなと付き合ってたわけじゃないしな。お前は何も悪くないよ。ムカつくけど、死ぬほどムカつくけど」
「なんだよそれ」
まるで子供のように悪口を連発する夕凪に、千司は思わず苦笑。それにつられて夕凪も「仕方ないだろー!」と笑った。
命をかけた共闘。
生きるか死ぬかの橋を二人で協力し渡り終えた今、千司と夕凪の間には友情のような物が生まれていた。
ひとしきり笑い終えると、夕凪は息を整えながら言葉を続ける。
「でも、浮気だけは絶対するなよ」
「それは、文香のことか?」
「ふみ――そうだよ。天音さん。二股するとか絶対許さない。お前がせつなを悲しませて泣かせたら、俺がすぐに殺しに行ってやる」
「ははっ、それは怖いなぁ。でも分かったよ」
「ふんっ、ならいいけど。……でもなぁ、奈倉モテそうだしなぁっ!」
「そんなつもりはないんだがな」
「嘘つけ、お前……日本に居た頃はめちゃくちゃ陰キャだったじゃん。それが異世界に来た途端にコミュ力お化けになって……何なの? そういうチート?」
「だったらもっといろんな奴に声かけてるよ、白金級の連中とか」
言って、千司は上体を起こして伸びをする。
未だに痛む身体の節々をもみほぐしながら手を腰に。
「まぁ、そうか。……あれ? なぁ、そう言えばあの太陽って結局何だったんだ? 何かスキルって言ってたけど」
「あぁ、アレか。アレは――」
何とはなしに発せられた夕凪の質問に、千司はあやふやな言葉を返しつつ、流れるような、そこに一切違和感を抱かない、まるで決まり切ったルーティンを
「『
「へぇ、裏切り者の――は?」
一拍おいた困惑の声、立ち上がった千司を見つめる瞳が困惑から驚愕に変わり、状況を分析し、理解。人智を超えた勇者としての反応速度で咄嗟に身体を動かそうと試みるが疲労と怪我で言うことを聞かず、ならば魔法で、と思考した時には――遅かった。
ダンジョンの薄暗い光を反射した銀線が、容赦躊躇いなく夕凪飛鷹の皮膚を背中から貫き、脂肪、筋肉、骨の間を抜け――その中心にある心臓を正確に貫いた。
一度ひねって引き抜くと、鮮血が宙を舞う。
「がぁっ……あ、あぁ……! お、前が……っ、王女の、言っていた……!」
「あー、うん。そうそうっ! 『裏切り者』!」
「く、……そが……ッ!」
即死していないのは、流石勇者と言ったところか。夕凪は痛みに顔をしかめながらも穴の空いた胸を押さえるが、溢れ出る赤黒い血は留まるところをしらない。もって残り十数秒。意識を失った瞬間が彼の死だ。
故に、千司は死に際の彼をさらなる地獄にたたき落とすことにした。
「まぁ〜安心しろよ。お前の愛しのせつなちゃんが
夕凪から預かりっぱなしだったネックレスを手で弄び、笑いを堪えきれずに喉を鳴らす千司。その姿に夕凪は激昂。額に青筋を走らせ、怒髪天をつく様相で呪詛のように魔法を口にする。
「あぁぁあああッ、ああッ! ぐぞ……あ、あぐ、に……ッ! アグニィィィイイイイイッッ!!」
「くははははっ!! どうしたどうした!! 何も出てないぞ〜!? あぁいや、血はいっぱい出てるみたいだなぁ~? ぎゃ〜ははははっ!!」
涙と鼻水をボロボロと流しながら、絶叫する夕凪を見つめ千司は更に高笑い。
(中々良いねぇ。こう、ワインとか欲しくなっちゃうよな。未成年だけど)
出来ることならくるくる揺らしながら飲みたい。お肉も食べたい。霜降り和牛はちょっと重いからローストビーフをわさびで。ふかふかのソファーを用意して、そこに腰掛けながら、この瞬間を楽しみたい。
(ま、グロ系見ながら食事とか気持ち悪いだけだろうけど)
「……ぁ、……ぁぁ」
気付くと、夕凪の顔色は真っ青に。動くことも出来ないのか、地面で丸くなっている。彼はカサカサに乾いた唇を動かして、何事かを呟いていた。
すでに千司のことは見えていないらしく、それでも呆然と何事かを呟いていた。
近付いて口元に耳をやると、ようやく聞こえる。
「……た、のむ。……せつな、だけは……たのむ……せつ、な……だ、けは……たの、む…………せ……つな……け……は……………せつな……は……」
「……」
「ぁ…………」
そして、夕凪飛鷹はダンジョンの奥地で静かに息を引き取った。
千司は無言で彼の開いたままの目を手で閉じさせると、大きく深呼吸をしてから、薄暗い天井を見上げて思う。
(あ〜! マジ疲れた〜!! これで一人目ってマジ!? 四十人全員殺せって無理じゃね? いやヤるけどさぁ! 次はもっと簡単な作戦にしよう、そうしよう!!)
「ふぁ〜。とりまみんなの所に戻るか」
欠伸を噛み殺しつつ、ダンジョンに夕凪の遺体が飲み込まれて消えたのを確認して、千司はボス部屋の外へつながる扉に向かった。
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