第31話 裏切り者の帰還。
千司は扉を開ける前に『偽装』で姿を偽る。選んだのはドミトリーの顔。
『偽装』の証である黒い靄が顔を覆うのと、重い石造りの扉が向こう側から押し開かれたのはほぼ同時であった。
扉の向こうに居たのは一人の女性。彼女は頬を紅潮させ満面の笑みで、まるで遊園地のオープンを今か今かと待ち構えていた女児のごときテンションで部屋の中に突入し、『ドミトリー』の顔を見て、肩を落とす。
「シュンです」
「そんなキュンですみたいに言うなよ。悪かったよ。でも仕方ないだろ? エルドリッチが裏切ったんだから」
「うぅ、うわあああああああああ!! 嘘つき嘘つき!! ドミトリーの嘘つきぃぃいいいいいい!! いやぁああああ、男の人嫌いぃぃぃいいいいいい!!」
「今度はやっかいなツイフェミみたいになっちゃったよ……おい、おいアリア!」
駄々をこねて地面の上をジタバタする女性――血染めのアリアに千司はため息を吐く。元々、彼女には夕凪が無事に生きて出てきた場合に備えてここで待機して貰っていた。アリアは殺すことにしか興味がなく、それは自分の手でやらなくても変わりない。
それこそ四十階層のボス部屋に
先ほど扉を開けた彼女は、望んでいたのだろう。
そこに誰も居ないことを。
勇者が殺され、ダンジョンに飲み込まれたあとの空間。
そこできっとオナニーにでも耽る予定だったのだろう。
なのにそこにはドミトリーが居た。事前にあらゆる可能性を聞かされていた彼女はすぐにそれを理解。ドミトリーが勇者を殺したのだと、正確に悟ったのだ。
自分が関わって死ぬのならいい。でも他者に取られるのは嫌。
つまりはそういうことである。
結局駄々をこね続けるアリアを引きずるようにしながら千司は四十階層から上を目指した。
「お詫びが欲しい」
「何だよいきなり。てか動けるなら動いてくれ。隠れながら進むのも結構大変なんだよ」
「横取りしたお詫びが欲しい!」
「……何だよ」
「ほんとの顔見せて」
「……それはまだ無理だ」
「なーんでっ!」
「どこから漏れるかわからないからな。まぁ、安心しろ。すぐに状況は変わる。その時が来たら、教えてやるよ」
少なくとも勇者内でのギスギスが最高潮になるまではアリアにも隠し通しておきたい。そこまで来れば彼女を使って勇者間で内ゲバ戦争を起こさせ、どさくさに紛れて大量キルを狙う腹づもり。
それまでは『奈倉千司』を自由に動けるようにしておきたい。
端的な千司の回答に、アリアは答えた。
「え、やだ。今がいい! というか拒否権ない! ドミトリーは私に全然人殺しをさせてくれない! 折角我慢したのに! 我慢したのに! ムカつくムカつくムカつく! ムキーッ!!」
「あー、なら安心しろ。すぐに面白い殺しをさせてやるから」
「ドミトリーすぐ嘘吐くからなぁ」
「これは絶対。その為にアリアにはある人物を探して欲しい」
「えぇ、めんどくさ」
「そう言わずにさ。そうすれば――」
千司がアリアに計画を語り出すと、彼女はみるみる元気を取り戻し、やがてウキウキアヘ顔で絶頂した。ダンジョンの床に水跡をくっきりと残して数回痙攣。ドン引く千司を無視して立ち上がると、よだれを拭いながら腕をぶんぶん回した。
「あへっ、あへへっ♡ 早く帰ろう! そして殺そう! コロコロコロコロぶち殺そう! あ〜楽しみだなぁ!! いひひっ」
「……おう」
(やっぱりやべー奴だなぁ。面白いけど)
そうして千司とアリアは凄まじい速度でダンジョンを登っていった。
§
剣聖、リニュ・ペストリクゼンは自身の無力さに嫌気がさしていた。
――夕凪飛鷹と奈倉千司が『トリトンの絶叫』に攫われてから約七時間が経過。
リニュたち勇者一行は、未だに第十階層のボス部屋にて待機を続けていた。判断を下したのは監督指揮のリニュ。冒険者達を素早く制圧し、すぐさま転移先を聞き出して『トリトンの絶叫』をリニュ自身で使おうと試みるも、使用者はそれを察知してすぐさま転移。
残りの六人を置いて、一人逃げ帰ってしまった。
冒険者の一人を尋問して転移先が四十階層のボス部屋ということは判明したが、他にも敵が居るかもしれない状況でここに勇者たちを残していくわけには行かない。
だからといって二人を見捨てる選択肢もない。
結局彼女は騎士の一人を王宮に応援の要請へと向かわせ、現在はそれを待っている状態だ。
(くそ、ヒダカの能力は強いが、ダンジョンだと威力が落ちる。センジは頭がキレるが、ステータスはそこまで高くない。……出来ればボス部屋からは即座に脱出して欲しいが……この冒険者達に他に仲間が居れば閉じ込めるぐらいはするだろう。……頼む、二人とも無事で居てくれ……っ!)
祈ることしか出来ないことに歯がゆさを覚えるリニュ。
彼女が二人の生還を望んでいるのは、個人的に関わることの多かった勇者ということもあるが、それより……数時間前から泣き疲れ、廃人のようにうずくまったままのせつなや、一様に暗い表情を見せる勇者たちが原因だった。
(これが魔族や魔物との戦いでの戦死なら、何とか取り戻すことも出来るかもしれないが――まさか自分たちが守ろうとしていたこちらの世界の住民に罠に掛けられ命を落としたとなれば……。はっ、考えたくもないな)
どうにか他のことで思考を紛らわせようと試みるが、冒険者に対する尋問はすでに終わっており、やることがない。彼らはどこぞの賭博場で金を掛けてゲームをし、負けて借金を負い、その返済のために、そこの主――『ドミトリー』という男から依頼されたのだとか。
(センジとセツナを襲った冒険者も、賭博場に入り浸っていたと諜報部隊から連絡があったな……つまり、裏で糸を引いているのは同一人物――『ドミトリー』)
それからもただ無為に時間だけが過ぎていき、そろそろ応援が来てもおかしくないと思い始めていた頃――第十階層ボス部屋の扉が開かれた。
――――十一階層側から。
そこに立っていたのは黒髪に黒目、他の勇者より少しだけ背の高い、血と埃に塗れて傷だらけの少年だった。真っ赤に染まった服を着た彼は、この場にいた誰もが望み続けていた人物――奈倉千司。
「……はぁ、はぁ」
荒い息を吐く彼に、リニュは慌てて駆け寄る。
「センジ! 良く無事だった!」
ボロボロの彼にリニュは身につけていた豪奢な騎士の隊服を掛けてやろうとするが、千司はそれを拒絶。否、リニュのことなど目に入っていないかのようにズカズカと異様な雰囲気を漲らせながら突き進んでいく。
(……なんだ、何かが……いや、まて、ヒダカはどこだ?)
慌てて彼の来た道を確認するが、そこにはいくつかモンスターの魔石が落ちているだけで、誰も居ない。それを確認した瞬間、リニュの頭から血の気が引いた。
ばっ、と振り返ると、千司の元にせつなが丁度駆け寄っているところだった。
彼女は涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながらも、愛しの少年の帰還に喜びを隠し切れていない。
だからだろう、その異様さにまだ気が付いていなかった。
「……せんじ……せんじ、せんじ! よかった、よかったよぉ……っ!」
「……」
無言の千司に抱きつき、先ほどまでとは異なる嬉し涙を両目から零すせつな。彼女は数秒千司を抱きしめた後、少し離れて彼の後ろに目をやった。そして、目的の者が見つからなかったからか、一瞬乾いた笑みを浮かべてから、キョロキョロと周囲を見回す。
でも、居ない。
どこにも、千司以外の姿が見えない。
「……あ、れ……」
「……」
「……せ、千司。……た、鷹くん、は?」
「……」
それは第十階層に千司が現れてから、その場に居た全員が同時に抱いた疑問であり、――そして悟った絶望。
千司はおもむろに懐を探り、一本のネックレスを取り出して、せつなに手渡した。
「……あのバカは、四十階層のボスと相打ちで……それしか回収できなかった」
端的な言葉は――しかし少女の心をへし折るにはあまりにも残酷だった。
ネックレスを受け取ったせつなは膝から崩れ落ち、愕然と下を向く。彼女は奈倉千司と交際しているが、しかしそれとは別にして、夕凪飛鷹とは幼馴染みだった。
リニュだって、召喚されてすぐの頃はせつなと夕凪飛鷹が仲睦まじく夕食を摂っていた姿を何度も目撃していた。恋人としては千司を選んだのだろうが、それでもそれまでの友情が全て失われるわけではない。
「う、そ……うそ、だよね」
「……」
「……っ、そんな、そ、そんなぁ……っ! た、たか、鷹くん……鷹くん……っ! わ、私、な、仲直りも出来てないのに……っ! あんなまま、お別れなんて……っ、ぐすっ、なんて……っ、う、うぅ……ひぐっ……」
大事そうに握りしめるネックレスに、少女の涙が降り注ぐ。
されどその持ち主が現れることはない。
……もう、永遠に。
泣き崩れる少女に、しかし千司は何も声を掛けなかった。
何かを堪えるように打ち震え、ぎゅっと握りこぶしを握り――唐突に顔を上げてリニュに顔を向けた。その瞳は瞳孔が開いていて、凄まじい衝動が渦巻いている。
(? ……っ、まさかあいつッ!)
一瞬、何故こちらを向いたのか理解できなかったリニュだが、千司が剣を抜き、拘束した冒険者に向かって走り出した事で理解した。
そして彼はそのまま動けない冒険者たちの首を横凪に一線――、一人目の首が飛び、二人目の女の首も飛ぶ、三人目の男の首に半分ほど食い込んだところで、ようやくリニュが追いつきその凶行を止めた。
「やめろ! 千司ッ!」
「ぐっ、離せリニュ! こいつらは殺すッ! 皆殺しだ!! 絶対に許さんッ!!」
「こいつらを操ってた奴がいる! そいつの位置を吐き出させるまで殺すな!」
本当は彼らが知っていることは全て吐かせているが、ここで奈倉千司にこれ以上人を殺させるわけには行かなかった。
「
「悪く思うな、よ――ッ」
「――ガハッ」
まだ暴れようとする千司の腹にリニュは拳をめり込ませ、昏倒させる。
残ったのは、仲間を三人も殺害された冒険者が上げる二つの悲鳴だけだった。
それから一時間後、応援が到着。
それなりの人数と準備がかかったから仕方のないことかもしれないが、しかしリニュはこう思わずには居られなかった。
(何もかもが、遅すぎた)
と。
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