第24話 天音文香

 翌日の昼過ぎ、ダンジョン遠征に出ていた生徒たちが帰ってきた。


 見たところ全員大した怪我もしていないようだし、出発した時と人数に変わりがないので、無事に終わったのだろう。……しかし、一部生徒たちの顔色は酷く悪かった。


 中でも真っ青な顔でふらふらと歩いていた天音と、不意に視線がぶつかる。彼女は千司をまっすぐに見つめて、顔をクシャッと歪めると、目尻に涙を浮かべながら抱き着いてきた。


「っと、どうした?」


 戦闘に慣れていなければ恐怖を感じることはあったとしても、リニュがいる以上絶対安全な冒険だったはず。確かに彼女たちにぶつけられたであろう『強化種』は強かっただろうが、それでも安全マージンは確保されていたはずだ。


 故に抱いた千司の疑問に、彼女同様青い顔の海端が震える唇を動かして答えてくれた。


「そ、その……『強化種』という、き、危険な、モンスターが、出て……それで、何人かの、生徒が……腕を切られたり、騎士の中にも、大怪我した人が……出て……」

「『強化種』って、あの?」

「う、うん。奈倉くんと、勉強した、あの……」


 平静を装いつつ聞いているが、千司の脳内は疑問であふれていた。

 まさかそんなぎりぎりの戦いをしているとは露にも思わなかったのだから。前回目撃した『強化種』は勉強して得た知識のステータスと、そこまで大差がないように思えた。むしろ千司が逃げきれている時点で、『平均ステータス』より低いとすら考えていたぐらいだ。


 それから一週間ほどが経ち、多少強化されても上位勇者で囲めば怪我人など出ないと踏んでいたのだが……。


「先生、その強化種のステータス、見たんですよね? いくつだったんですか?」


 海端は一瞬息を飲み、周囲の怯える生徒を慮れる気遣いも持ち合わせずに、淡々と聞かれたことだけを答えた。


「そ、それが……」


 そうして海端から語られたステータスは以下の通りである。


―――――

攻撃:1340

防御:1220

魔力:480

知力:520

技術:1120

―――――


 聞いて、千司は驚いた。

 あまりにも強すぎる、と。


「……それはっ、なるほど」

「き、基本的には、篠宮くんたちが戦ってくれて……、お、大怪我する人、が、で、出始めてから、リニュさんが戦ってくれて……そ、それで、なんとか……でも、あ、天音さんは……」

「怪我人を間近で見て——か」


 言葉を引き継ぎ、自身の胸に顔をうずめる天音。

 小柄な体躯がいつもよりさらに縮んで見える。


「大変だったな、天音」

「……ん」

「誰も大怪我している様子がないってことは、みんな治したんだろ?」

「それは……うん」


 鼻声で小さくうなずく。

 そんな彼女を優しく抱きしめ、頭を撫でながら千司は告げた。


「ありがとう。みんなを助けてくれて」

「……うん」


 しばらくそうして宥めていると、次第に彼女の震えはなくなっていった。


(にしても、『強化種』がさらに強くなっていた、か。……そんなことがあり得るのか?)


 通常生物のステータスには上限が存在する。またステータス上昇に必要なレベルアップも、高レベルになるにつれ、その上昇幅は大きくなる。それゆえ『平均ステータス』が記載された文献が存在するのだ。


 だというのに、この事態。


(誰だ~? 俺以外にも動いてる奴がいるなぁ、こりゃあ)


 おそらく現地人。

 となると候補は絞られてきて……。


「……ん、……くら、くん。……奈倉くんっ」


 ふと、名前を呼ばれて視線を向ければ、それはすぐ真下。現在進行形で千司に抱き着いている天音の物で……彼女は頬を赤くしながら小さく呟いた。


「そ、の……もう、大丈夫だから。あと、そろそろ恥ずかしくなってきたから」


 今の甘えている状況を他の生徒に見られることを恥じたのだろう。まぁ、すでにこの場からは大半の生徒が消えていたが。疲れて自室に帰ったのだろう。


「あぁ、悪い悪い。……ほんとに大丈夫か?」

「うん……でも、もし良いなら、今日の夜、時間貰えないかな? その……話したいことがあるから」

「もちろん構わない」


 首肯すると、天音は天使のような笑顔を見せて、踵を返す。


「ありがとっ、じゃ、私は友達のとこ行くから!」

「おう」


 手をひらひらと振って見送り、天音の姿が見えなくなった瞬間、腕を引っ張られた。


「どうしたせつな」

「……別に」


 拗ねたように口をとがらせる彼女に、千司は内心でため息を吐きつつ、掴まれた手を引っ張って彼女の唇を奪った。


「んっ……もう」

「この方が分かりやすいだろ」

「まぁ、そうだけど……」


 不機嫌そうな様相を醸し出しつつも、しかし先ほどとは異なりどこか言葉尻がふわふわと浮いていた。


(ま、せつなの方はこれで……。次は——っ!? な、ななな、何て可愛らしい絶望顔を見せているんだ海端ちゃん!!)


 すっかり蚊帳の外に追いやっていた海端に視線を向けると、彼女は今にも泣きだしそうな顔をしていた。いや、むしろ泣いていた。目尻から頬にしずくが流れている。


 もちろんこれはわざと。

 途中から影を薄くした海端に、意図して見せたのだ。

 海端は帰ってきた時よりさらにふらふらとした足取りで一歩、二歩と後退り。そしてそのまま幽霊のような動きで王宮の中へと消えていった。


「夜、会うの?」

「約束したしな。それに、放っておけないだろ?」

「そうだけど……そうだけど……! なんで、天音さんばっか……」

「それは、夕凪のことを言っているのか?」


 小さな失言を拾い、せつなを突っつく。

 別段気にもしないが、今のは紛れもない失言。

 少し責めるように告げることで、自身に対する負い目を植え付ける。


 まず前提としてせつなは夕凪が好きだった。好意と自覚していたかは知らないが、それは間違いない。それを千司に乗り換え、こうして付き合いだしたところで、夕凪との仲違いの原因だった天音を間に差し込み、天音に対する嫉妬心を抱かせる。


 そこでせつなが(鷹くんのことを気にするなんて、好きだったの……?)と少しでも考えれば、現状とのギャップから(そんなわけない)と否定の思考に入る。これにより、さらに二人の仲を引き裂くことが出来る。


 もちろん、それでも上手く立ち回る女は居るが、あいにくと雪代せつなという少女はそういったことに不器用だった。


「ちが、ちがう。私が好きなのは、千司だけ……ほんとだよ?」

「……悪い、幼馴染みなんて関係に少し妬いただけだ。忘れてくれ。それじゃ、そろそろ俺たちも戻るか」

「う、うん……」


 まだ気にしている様子のせつなに、千司は再度キスして耳元でうそぶく。


「愛しているよ」


 と。


 ついでに、隠れて様子を伺っていた幼馴染くんにもそれとなく見せつけるのだった。


(覗きはいかんよ、覗きは)


  §


「奈倉様、お客様です」

「あぁ、入れ」


 夜、ライカの呼びかけに対し答えると、部屋の扉が開かれる。

 そこには普段より薄手の衣服に身を包んだ天音文香の姿があった。夜も遅いことだし、おそらく寝間着なのだろう。


「どうぞ」

「あ、ありがとう」


 僅かに緊張した面持ちの彼女を招き入れると、不意に扉の前に立っているライカの視線に気が付いた。その目はどこかジトッとしており、呆れが窺えた。


「なんだ?」

「いえ、別に。まぁ、構いませんが……色々お手伝いさせて頂いた身としては、こうぽんぽん増やされるのも困るというか」

「……なんのことだかわからないなぁ」

「相も変わらず異常者なようで……では本日はこれで上がらせて頂きます」

「もう少し言葉は優しくして欲しいが、……わかった。それじゃ、お休み」

「はい」


 一礼して去って行くライカを見送り、室内でどこに腰掛ければ良いのかわからず立ち尽くしている天音に視線を向ける。


「適当に腰掛けてくれ」


 と言いつつ千司は室内唯一の椅子に腰掛け、彼女をベッドに誘導。


「う、うん。わかった」

「どうした、緊張しているのか?」

「いやぁ、はは。夜に男子の部屋だと、流石にね~」

「ならば何か飲み物でも入れよう。少しは和らぐだろう」


 そう言って千司はあらかじめ用意していたコップに、先日王都に出た際に購入した魔法酒を注いで彼女に手渡す。


「これは?」

「あぁ、王都で買ったんだ。中々美味いらしい」

「へぇ……雪代さんと飲んだの?」

「さぁ、どうだったかな。ほれ、乾杯」

「もう……乾杯」


 少しふてくされたような表情を見せつつもグラスをぶつけ合う。彼女は一口飲んで僅かに目を見開き、二口、三口と進んでいく。千司も口に含み、嚥下。


(やっぱりこのジュース美味えな)


 因みに千司のグラスに入っているのは魔法酒と同時に購入した果物ジュース。見た目だけでは違いなどない。


「それで、話ってなんだ?」

「ん? うん……そうだね……」


 尋ねると手の内でグラスを弄び、躊躇った様子を見せる天音。しかし彼女はしばらく考え込み、チラリと千司を見て尋ねた。


「その、ちょっと真剣って言うか、重い話になるんだけど……いい?」


 その問いには何も答えず、代わりにこちらも真剣な表情で見つめ返すと、天音はどこか安心したような笑みを浮かべて、訥々と話し始めた。


「話っていうのは、私が絶対に生きて帰りたい理由の話……私ね、妹と弟がいるんだ。小学生の。それで……お母さんが何ていうか……ヒスってるんだよね~!」

「……」


 無理して明るい笑顔を見せる天音だが、千司は表情を変えない。無言で先を促すと、天音はあはは、と乾いた笑いを口にしてから、頭を掻き、続ける。


「もとはそんなことなかったんだけど……二年前にお父さんが出張でいなくなってから段々家の中で威張るようになってきて、ちょっと帰りが遅くなったら怒ってご飯作らなかったり、お母さんのミスを指摘したら叩かれたり……みたいな、それで、その……」

「それが、お前だけじゃなくて下の子にも及んでるのか?」


 言い辛そうだったので推測して語ると、彼女はおずおずと首を縦に振った。


「特に弟のほうは結構甘やかされて育ったからわんぱくで……それと小さくても『男』だから、お母さんも結構強く当たってて……それで私、高校卒業したらお父さんが帰ってくるまで弟たち連れて部屋借りようかな、とか考えてて……」

「父親には相談できなかったのか?」

「出張先外国だし、慣れない土地で頑張ってるのに、心配かけられないよ」


(要らん気遣いだと思うがな)


「なるほど、つまり絶対に生きて帰りたい理由は弟と妹のためだ、と」

「そう。例え、他の誰かが犠牲になってでも、私は生きて帰りたい。……最低、だね」


(そうだね)


 と、言うのは簡単であるが、果たしてそれが正解なのだろうか。今の話で彼女が自衛能力がないことを嘆いていた理由は理解した。正直彼女の生存本能は特段おかしいわけではないが、それを教えたところで天音は聞き入れないだろう。


 それは最後の自虐・・から読み取れる。


 要は酔っているのだ。酒ではなく自らに。

 他者をどうでもいいと、千司他者に吐き捨てる彼女は。


(なら選ぶべきは——)


「まったくもってその通りだな。二度と俺の前に姿を見せるなカス」

「……ッ」

「――と、言ったらどうする?」


 『偽装』で怒りを露わにしながら告げ、ちらりと天音の様子を窺うと、彼女は目を丸くし、震えながら目尻から涙をこぼしていた。


「な、泣く、かも……」

「かもじゃなくて泣いてるじゃないか。悪かったよ」


 席を立ち、すすり泣く彼女の隣に腰を下ろす。軽く頭を撫でてやると、僅かにビクつきながらもおずおずと身を委ねてきた。


「前にもクラスメイトを信用していないみたいなこと言ってたし、今更そんなことを聞いたぐらいで嫌いにならないさ。ただ……そう言われてもおかしくないことを言ったって事は理解して欲しい」

「……そう、だね」

「そして、これも理解して欲しい。お前がそんな心配をする必要は欠片もない、と」

「……え?」


 頭に疑問符を浮かべて見上げてくる天音に、千司は優しい笑みを浮かべて告げる。


「天音文香は俺が絶対に生かして日本に帰してやる。いや、お前だけじゃない。クラスメイト全員な。……例え、この世界の人間が・・・・・・・・どうなろうと・・・・・・、それが俺の最優先事項だ」

「……っ」


 瞬間、天音の瞳に浮かぶ少しの恐怖。千司が本当に躊躇わないと理解したのだろう。と、同時に、こみ上げてくる安心感。たった今、おぞましい狂気を振りまいた人間にとって、自身は庇護対象なのだという事実。


「だから安心しろ。俺がお前を――文香を守ってやる」


 物理的にも精神的にも上から目線で、天音の目をまっすぐ見つめて宣言する。先ほどまで頭にあった手は肩に移動し、力を入れる。


 そして――肉体的にも精神的にも千司が上と錯覚させる状況、ダンジョンから帰ってきた初日という疲労と精神的歪み、そこに酒を加えることで……。


「……うん、ありがと」


 天音文香の奈倉千司への依存が始まった。


 翌日、天音は千司の部屋のベッドで目を覚ます――。

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