第25話 修羅場

「……えっと、おはようございます」


 翌朝、目が覚めた文香は自身の裸体を掛け布団で隠しながらおずおずと挨拶してきた。


「なんで敬語?」

「いや、なんというか色々と……やっちゃったぁとか、雪代さんに対する罪悪感とか」

「付き合ってるの気付いてたのか」

「そりゃ、なんか二人の距離感が違ったし……あーあ、私の初めて浮気男なんだけど」

「それは……なんか悪い」

「別に謝らないでよ。それで、えっと……どうする?」


 どうする、とは昨日までとは形を変えてしまった二人の関係性についてのことだろう。


「文香はどうしたい?」

「……っ、ふ、ふみ……ん、んん! まぁ、そりゃ雪代さんと別れてくれるのが一番だけど……」

「悪いが、それは難しいな」

「ほんと最低。……でも、そっか」


 ぼそりと呟き、大きく息を吐き、何かをじっと考える文香。それから十秒ほどが経過して、もう一度大きく息を吐くと、彼女は告げた。


「なら、なかったことにしよっか」


 天音はそう言って小さく笑う。


「まぁ、その方が俺としては助かるが」

「……」


 素直に返すと無言で腹を突っつかれた。


「そっちが言ったんだろ?」

「そうだけど……そうだけども! 初めての痛みを我慢しながら、それでも好きだから頑張ってセックスしてあげた子に言う台詞!?」

「そんなに痛かったのか?」

「……ま、まぁ、途中からは慣れてそこそこ気持ちよかったけど……でも、なんかまだアソコがズキズキしてるんだから……」

「なんかエロいな」

「……私も自分で言っててエロいなって思った」


 どうやら実際に経験したあとでも下ネタ好きに変わりはないようだ。それから僅かにリアリティの上がった猥談を交わし、一息ついたところで文香が大きく伸びをする。


「んっ……ふう。そろそろ部屋に戻ろうかな」

「わかった。……あぁ、待て。先に外を確認する」


 そう言ってドアを開けて廊下に顔を出すと、ライカがニコニコ笑顔で立っていた。いつも通りの執事服。


 現在時刻はいつも早朝訓練をするより少し早い時間なので、ちょうど千司を起こしに来たところなのだろう。


「おはよ」

「はい、おはようございます。二股様」

「名前間違えてるぞ~。で、廊下に誰か居た?」

「いえ、遠征に赴いた勇者様方はお疲れのご様子で眠っておられますし、他の方もまだ起きてきては居られません」

「じゃ、今日は着替えは良いから文香を部屋まで送って行ってくれない?」

「かしこまりました。二股様」

「また間違えてるよ……」


 嫌みな彼に文香を引き渡す。その際、彼女はライカを見て恥ずかしそうに顔を染めていた。朝に男子の部屋から出てくるところを見られるのなど、そういうこと・・・・・・をしていたと言っているような物なので仕方ないが。


「……別に、彼女面はしないから安心して」

「文香がそれでいいなら俺は構わないが」

「うん、さっきはああ言ったけど、正直恋人とかよく分からないから、出来たら友達のままでお願い……せ、千司、くん。……うわっ、はず……っ、じゃ、じゃあね!」


 真っ赤になった顔を隠すように、文香はきびすを返して去って行った。

 彼女について行くライカの『最低だよこの男』と言わんばかりの目が印象的に残った。まったくもってその通りである。


「さて、それじゃあ早朝訓練に行くか」


 が、欠片も気にした様子のない千司であった。


  §


 早朝訓練、日中訓練が終わり夕食時。

 いつものようにせつなと向かい合って食べていると、千司の隣に天音が腰を下ろした。瞬間、せつなが目に見えて殺気立つ。


 しかし天音は極力せつなを気にせずに淡々と話しかけてくる。


「昨日はありがと。改めてお礼言いたくて」

「ん、あぁ。構わない。またいつでも相談してくれ」

「ダメ。出来れば空気読んで相談して」


 気付けば席を移動して、千司の真横に座っていたせつな。


 彼女はまるでユーカリにくっつくコアラのごとく千司の腕に抱きついてきた。


 一見して無表情なため感情が希薄に思える彼女から向けられる独占欲に、千司は(こっちの依存も始まってるなぁ)などと考えつつ、頭を撫でる。


「大丈夫大丈夫。雪代さんが居ても私は気にしないから」

「私は気にする」

「じゃあ、雪代さんが居ない時にまた二人で話そっか。今度は私の部屋にする?」

「部屋ぁ……?」

「相談事は他人に聞かれたくないだろ?」

「そうだけど……部屋に二人きりって……」


 ギロっとした視線が向けられるが千司は気にせず料理を口に運ぶ。それを見て何を言っても無駄と悟ったせつなは諦めたように溜息を吐いた。


 これで修羅場も収束するかと考えていると、文香がさらに燃料を投下した。


「守ってくれるって言ってくれたの、嬉しかったよ千司くん。まぁ、ダンジョンに着いてきてくれなかったヒキニートが何言ってんだって部屋に戻ってから思ったけど」

「まもっ……千司って……名前……」


 ジーッと見つめてくるせつな。彼女の手をテーブルの下で握り、宥めながら千司は文香に言葉を返す。


「それを言われたらどうしようもないな。……ま、またすぐにダンジョン遠征があるだろうから、その時は参加するさ」


 その言葉に驚きを見せたのは文香だけでなくせつなもだった。せつなは目をぱちくりさせて疑問を口にする。


「そうなの?」

「あぁ。今日の訓練見て思ったが、遠征組の動きが良くなってた。初めての試みは反対されやすいが、結果が出たのなら別だ。次は全員参加か……いや、四十一人の監視も大変だろうから行かなかった組と希望者で向かわされるかもな」

「そんな……き、危険じゃないの?」


 流石に居残り組の雑魚連中とダンジョン遠征は嫌なのだろう。だが……。


「一匹を除けば、特に危険はなかったよ」


 せつなに答えたのは文香だった。


「そう、なの?」

「うん。私も拍子抜けしちゃうくらいには。ただ……」


 瞬間、文香の表情が暗くなる。『強化種』デッド・オーガを思い出したのだろう。その熾烈な戦いは日中訓練の際、戦闘を振り返り自分を見つめ直すということで、遠征組の面々が全員の前で語った事だ。


 おかげで、せつなもその脅威と、文香が体験した恐怖を理解している。怯える文香に心配げな目を向けたせつなは、チラリと千司に視線を向けた。


 頷き返してから、千司は文香の肩を抱き寄せる。


「大丈夫、お前はよくやったよ」

「……見てなかったくせに」

「見てなくても分かるよ」


(なんも分からんけど。こう言うのはノリと勢いだ)


 しばらくして落ち着いた文香は気を紛らわせるように自らの皿に盛られた肉を頬張る。


 それを見届け、せつなが文香を気遣った優しい口調で先程の会話を再開させた。


「とにかく、またそんなのが出たら危険じゃないの?」

「いや、十中八九出ないから遠征が近いと思う」

「あ、そっか。『強化種』が産まれるのは稀で、産まれたとしても育つまで時間がかかるんだっけ」

「そう、だから安全に潜れる近日中に発表されるだろうな」


 千司の推測を聞き終え、せつなはしばらく考え込むように顎に手を当て、おもむろにフォークに手を伸ばし肉と野菜を頬張る。


「どうした?」

「明日の訓練に備えなきゃ、って思って」

「なるほど。ならば俺ももっと頑張らないとな」

「どうして? 千司は充分頑張ってるじゃん」

「確かに。早朝に訓練してるの千司くんだけなんでしょ?」


 純粋な瞳で疑問をぶつけてくるせつなと文香に、千司は分かりやすく格好をつけて答えるのだった。


「そりゃ、絶対に守りたい奴が居るからな」

「そ、そっか……」

「……えへへ」


 照れるせつなと小さく笑みを浮かべる文香。


「……なんで天音さんが喜んでるの」

「私を、守ってくれるって言ってくれたから」

「今のは私に言ってくれた」

「そうとは限らないんじゃない?」

「そんなことない」

「私彼女だし」

「親友の方が優先される時もあるんじゃない?」

「ない」

「ある」


 千司を挟んで行われる言い合いは食堂に居た他のクラスメイトから向けられる視線も気にならないほどヒートアップしていた。


 千司は一人飯を食い終え、修羅場が収まるまで今後の計画を練るのだった。


(勇者側の準備は上々。後は、あっち・・・で接触があれば……)


 こうして夜は更けていき、翌日。

 千司の推測通り、次のダンジョン遠征が決まった。


 日時は五日後。

 前回の居残り組と何人かの上級勇者は強制参加でそれ以外は希望者を募るとのこと。


 指名された上級勇者の中には文香や夕凪飛鷹、他何人か女子の名前があった。呼ばれた面々は皆、僅かに肩を震わせている。


 先日のダンジョン遠征でトラウマを負った者たちだろう。


(トラウマ組を早々に再突入させる……これも予想通りだな)


 トラウマは早急に解消しなければ後に響く。それが有用な能力を有する上級勇者なら尚更だ。


(夕凪は腕を吹き飛ばされたんだったか。んで、それを文香が治療。その際に一度失敗したとか何とか。他の女子たちも怪我をしたと言うよりは大怪我を間近で見て恐怖した者が多い。国側としては怖気付かれるのは困るのだろう)


 昨日聞き及んだ内容を思い出しつつ、千司たちのダンジョン遠征が決まった。


  §


 ダンジョン遠征を聞かされた日の夜、千司は王都の一角にある高級宿のスイートルームに招かれていた。


 『偽装』でドミトリーに変装し、髪型と服装を変えたアリアを連れて、これまた高級そうなソファーに腰掛ける。


 部屋は王宮ほどではないが豪奢な調度品で満たされ、目の前のテーブルひとつとっても数百万シルはする一品だろう。


 その状況で、千司は一度大きく深呼吸してから対面の男を見やった。


 齢にして六十を少し過ぎたぐらいだろうか。白髪の混じった黒髪をオールバックになでつけ、丁寧に手入れされた顎髭を擦る男は、温和な笑みを浮かべている。しかし、それが彼にとっての戦闘態勢ということは、容易に想像できた。


「お呼び立てして申し訳ありません。ようこそおいで下さいました。ドミトリー殿。今夜はお会いできて光栄です」

「彼の有名なジョン・エルドリッチ大尉に誘われたのなら断ることはございませんよ」

「ははっ、止めてください。私はもう軍役からは退いて久しい」

「それは失礼を」


 軽く談笑を交わしながら、千司は男を観察する。


 ジョン・エルドリッチ。元は王国の隣にある帝国の軍人で、彼が率いる部隊は過酷な訓練により世界最強と恐れられ、国家間で戦争が勃発した際は悪鬼羅刹の如き活躍を示した。


 ——が、魔王の出現により、人類は手を取り合い表向きの戦争は終結。

 彼と彼の部隊は表舞台からその姿を消した。


「ですが、エルドリッチ殿ほどの方なら魔王軍と戦う際の戦力として各国から勧誘されたのではないですか? 何故、マフィアに?」


 そう、彼は現在アシュート王国に存在する最大勢力のマフィアの構成員である。前時代の英傑の現在としては、これ以上つまらないこともない。


 千司の問いに、エルドリッチは顎髭を擦りながらゆったりと答える。


「数年前、魔王の配下と一戦交えたことがありまして、手も足も出ず敗走したことがあります。そして気付いた、私どもは戦争がしたかっただけだったと。弱者をいたぶり、敗戦国から奪い、ごくまれに現れる英雄の如き兵士を訓練された同胞が殴殺する。生きるか死ぬかのスリルが、我々を滾らせる。——それに対し、彼らは強すぎる・・・・。虐殺される側に回ると分かっているのに、わざわざ戦いに行く者は居ませんよ」

「……なるほど」

「魔王軍など、勇者に任せておけばいい。仮に勇者が負けても、人類全てが滅ぼされる訳ではない。魔族に支配された後、その人類の支配層に私は立つだけです」

「へぇ」


 エルドリッチの話に千司は思わず生返事。興味をそそられることは無いし、何より信用する理由が欠けらも無い。


(なーんか嘘くさいんだが……どれが嘘かまではわからんなぁ)


 分からないものは仕方ないので、千司は気持ちを切り替えて彼に向き直った。


「大変参考になる話、ありがとうございました。……ところで、そろそろ本題に入りましょうか。本日はどう言ったご要件でお招き頂いたのでしょうか?」


 瞬間、室内の空気がピリつく。

 が、千司に動揺はなくアリアなど後ろで欠伸を噛み殺していた。


「要件は一つ。あの賭博場を閉鎖していただきたい」

「……でしょうね」


 元々賭博は彼の所属するマフィアが別の街で行っていた事。王都ではまだ活動していなかったが、それも時間の問題だったのだろう。


 そこに千司が無遠慮に割り込んだため、こうして目をつけられた次第である。


(予想の範疇は出なかったか。つまらん)


 挑発するように笑ってみるが、エルドリッチは気にした様子を見せない。


「ドミトリー殿。あなたが選べるのは二つ。大人しく賭博場を閉鎖するか、これを拒否し我々とことを構えるか」

「さて、どちらにしましょうかね〜」

「……」


 適当に返すと、エルドリッチの周りにいたボディーガードたちの眉間に皺が寄る。今にも腰の剣を抜いて襲いかかってきそうだ。


 しかし、対照的にエルドリッチは穏やかなもので。


「後ろの護衛。中々の手練れのようだ。この場で争えば我々は皆殺しに合うでしょう。しかし、我々は組織――、一介のチンピラを消し飛ばすことなど造作もないのですよ?」

「でしょうね。では、条件付きで賭博場をお譲りしましょう。あの賭博場『リースの黄昏』はすでに王都に溶け込み始めている。活動方針を大きく変更させなければ頭が菅変すげかわろうと問題ないでしょう」

「……なるほど。それで条件は?」


 聞き返してくるエルドリッチだが、その表情は欠片も変化せず、千司が何を望んでいるのかをある程度予測できているのだろう。


(今回の話し合いに対し、事前調査ぐらいは済ませたはずだしな)


「もうお分かりかも知れませんが……ある人物を殺害して頂きたい」

「えっ、ドミトリー!? 殺しならア――じゃなくて、じ、自分がやる! 殺したい! 殺したい殺したい!」

「黙れ」

「……えぇと、後ろの方は大丈夫ですか?」

「はい、少々薬で頭が飛んでまして……それで如何ですか?」

「相手次第です」

「勇者」


 端的に告げると、エルドリッチは瞑目し大きく深呼吸。


「勇者を殺せば王国に目を付けられる。リスクに対してリターンが少ないですね」

「人員はこちらでまかないますので、そちらの組織が有する『トリトンの絶叫』を貸して頂きたい」

「……どこでそれを?」

「情報収集のルートはある程度確保しておりますので」


 『トリトンの絶叫』――禁忌の魔女ロベルタが残したと言われる二十四の魔導具『ロベルタの遺産』が一種。かつて王国のある貴族が所有していたが、盗賊に襲われ収奪されたと王宮の大図書館の資料にあった。


 その盗賊がエルドリッチの所属するマフィアの下部組織である、とも。


「……面倒なことを。ここであなたを殺すべきか……いえ、それは不可能そうですね」


 彼はここに来て初めて眉間にしわを寄せて考え込む。


「店を通じてそちらが販売する『アインザッツの夕暮れ』も王都に広めたんですよ? 一度お貸し頂くぐらい構わないではないですか」

「いや、しかし王国と事を構えるのは……」


 まだ渋る老人に千司は嘲りと共に言葉を贈った。


「戦争がしたかったのでは? 人間と争いたかった・・・・・・・・・のでは?」


 瞬間、彼は目を見開き獰猛な笑みを見せた。

 肉食獣のように歯をむき出しにして、僅かに身体を震わせる。


「……わかりました。使用、及び保管に関してはこちらの人員を付けるという条件で一度だけお貸ししましょう」

「ははっ、ありがたいですね」


 エルドリッチに呼応するように千司も笑みを濃くした。


 貸し出しの日付と目的を、いくつかブラフを交えながら話し合い、互いに合意が得られたところで再度握手。


 もうこの場に用はないと立ち去ろうとして、エルドリッチは不意に小首をかしげた。


「しかし何故ドミトリー殿は勇者を?」

「……さぁ、殺すのに理由を考えたことはありませんので。では、失礼」


 軽く一礼をして、千司とアリアは部屋を後にした。


「殺せなかった。殺したかった。約束と違う気がする」

「少し我慢してから殺せばきっと楽しいから、一度体験してみるのも良いだろ?」

「……確かに」


 頭がおかしいけれど、どこか理性的なアリアを連れて、千司達は根城にしている賭博場まで戻るのだった。

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