第21話 見送り

 頬を上気させて千司を部屋に招き入れた海端は、風呂上がりなのか僅かに石けんの匂いがした。加えて、いつもは寝癖を取った程度の髪も綺麗に整えられている。


 彼女の視線は千司を見つめ、かと思えば逸らして中空をふらふら。


「今日は何して過ごしていたんですか?」

「あっ、えっと、その、ど、読書を……」


 彼女が持ち出したのは分厚い小説。受け取ってパラパラめくると半分を少し過ぎたところにしおりが挟んであった。小説の内容としては貴族の恋愛模様を描いた作品のようで、中々面白そうだと千司は思った。


「面白そうですね」

「う、うん。内容話して良い?」

「えぇ……自分も読みたいんでそれまで待ってくださいよ」

「で、でも……私は明日にはもう……」


 途端に暗くなる海端を見つめ、千司は内心ため息を吐く。

 何しろ、これほどまでに自信のない彼女より千司の方がステータス的には劣っているのだから。


 勇者の区分は『職業』の種類と『ステータス』の数値によって決められる。


 銅、銀級の下級勇者に分類されるのは異世界人でも発現する『剣士』や『術士』と言った平凡な『職業』なのに対し、金、白金級の上級勇者に分類されるのは勇者しか持ち得ない特殊な『職業』だ。


 夕凪飛鷹の『太陽の使者アグニ』、天音文香の『癒やしの巫女』など。特殊な『職業』はそれだけでステータスが高い。


 そして、平凡と特殊で『職業』を別けたあと、ステータスの高いものがそれぞれ白金級勇者、銀級勇者として扱われる。故に、金級勇者として召喚された海端に、千司はステータス的に絶対に勝てないのである。


 閑話休題。


 千司は落ち込む海端をベッドに座らせ、自らもその隣に腰掛ける。


「だから、今日ここに来たんですよ、先生」

「え?」

「そんな危険な場所に行く前に……ね?」

「……っ」


 顔を真っ赤にして、口をパクパクと開閉させる海端。

 彼女はぎこちない動きでぎゅっと目を瞑り、意を決したように首を縦に振った。


「じゃあ先生、さっそく……」

「まっ、わ、私、初めてで――」


 小さな声でそんなことを口走る海端に、千司は部屋に積み上げられていた書物の中からダンジョンに関する本を手に取り笑顔で答える。


「死なないように念入りに対策しましょう!」

「だから優しく……へ?」

「? どうかしましたか?」


 小首をかしげてわざとらしく聞き返すと、だんだんと状況を理解してきたようで海端の顔が面白いようにゆがんでいく。困惑、羞恥、絶望、諦念。やがて気まずそうに顔を逸らしながら、彼女は「そ、そうだね」と頷いた。


(あぁ~! 可愛いなぁ、海端ちゃん)


 もちろん勘違いさせたのはわざとであり、ここまでが千司の想定通り。海端の自身への好感度を測り、甘い期待・・・・という飴のあとにそれを裏切る鞭を与える。当然この作戦会議のあとに再度飴を与えて、依存レベルを上げる算段であった。


「それじゃあ早速作戦会議始めますか」

「う、うん……うぅ……うがぁ……」

「先生?」

「い、いえ……ちょっと、自己嫌悪というか、な、奈倉くんは先生の身を、あ、案じてくれていたのに……」

「はぁ……。まぁ、とりあえず作戦会議しましょ」

「そう、だね……」


 頭を抱えて百面相になる海端を横目に千司はダンジョンの資料片手に彼女に作戦を教える。基本的に問題はないだろうが、ダンジョンには千司しか知らない『イレギュラー』が存在する。


 それ即ち『強化種』デッド・オーガ。


 万が一、億が一にもこんなくだらないところでこつこつ育ててきた手駒を失いたくない千司である。


「まず先生の職業は確か――」

「う、うん。ぶ、『分析者』って、言って、相手の、す、ステータスが、見えるだけの、雑魚職……です」


 そう落ち込む海端であるが、千司としてはこれ以上なく面倒な能力だと感じていた。何しろその能力のせいで千司は四六時中『ステータス』を『偽装』し続けているのだから。


「全然弱くないですよ。その能力は非常に有用です。何しろ戦う前に相手の能力がどの程度のものかわかるんですから」

「そ、そうなの、かな……」

「はい。それじゃあ作戦ですが、まぁ、サポート系の能力なので基本的には遠くから敵の詳細把握、それをリニュに伝えて、あとは彼女の後ろに隠れているだけで問題ないでしょう」

「か、仮に襲われたら?」


 彼女が襲われるような状況になれば、それ即ち他のメンバーが全滅した時に他ならないので、そこは残念ながらお別れですね、と思いつつも、千司は安心させるように海端の頭に手を置いた。


「先生なら大丈夫ですよ。俺より強いですから」

「……そ、そんなこと……」

「ステータスの数値で見たら、俺は絶対に先生には勝てません。それぐらい、金級勇者は強い存在なんですよ」

「で、でも……」


 それでも不安な表情を見せる海端に、千司は懐から指輪を取り出して、彼女に差し出した。


「……これは?」

「今日、王都に出た時に購入したものです。先生に似合うかなって」

「あ、ありがとう……でも、な、なんで?」

「なんでって……言わせないでくださいよ」


 千司は口元を抑え、視線を逸らし、照れる演技をしながら彼女に指輪を押しつける。


「……っ、ぁ、う、うん。……ぅん」


 千司の行動に、海端は顔を赤らめて何度も何度も頷きながら、僅かに震える手で指輪を受け取り、右手の薬指にはめた。


「似合ってます」

「あ、ありが、と……えへへっ」


 指輪を見て相貌を崩す海端。そこには先ほどまでの不安の色は見えなかった。


(まぁ、上手く言って何より)


 指輪をプレゼントしたのは海端の好感度稼ぎの他に、彼女の不安を紛らわせる為でもあった。いくら安全だと教えたところで、戦闘前の不安などどうやっても拭い去ることが出来ない。故に、わかりやすく物を与えて、不安を一時的に紛らわさせたのだ。


(ダンジョン遠征は基本安全だし、対処すべきは俺に対する好感度のみ。出発してしまえばどれだけ不安に襲われようと下がることはないから、王宮に居る間に甘やかしておけば問題ないだろ)


 と、つまりはそう言うことであった。

 その為の飴と鞭。


「あ、あの、奈倉くん……」

「どうしました?」


 小首をかしげながら聞き返すと、彼女はふらふらとした動きで手を伸ばし、きゅっと千司の手を握った。


「そ、その……が、『頑張って』って、い、言って、貰えない……かな?」


 顔を真っ赤にして懇願する小柄な教師。千司の手を握る彼女の手は緊張に震え、若干手汗もかいていた。それでも、勇気を出してのその頼みに、千司は特大の飴で返す。


 繋いだ手を引いて海端を引き寄せると、彼女を軽く抱きしめて、千司は告げた。


「頑張ってください、先生」

「っあ、ひゃ、あっ、あわわっ、ひゃ、ひゃいっ! が、がんばりゃましゅ……っ」


 噛み噛みの彼女を一通り励ましたあと、千司は海端の部屋を後にした。


(さて、監視は……あるか。それじゃ、まずは自室に戻ってから……)


 今夜はまだ眠れそうにない。



  §



 翌朝、千司はあくびを噛み殺しつつ起床。


「ライカ、着替えさせて~」

「かしこまりました。……っ」


 今日も今日とてセクハラがはかどる。朝の生理現象を顔の間近で見せつけ綺麗な顔が気まずそうにそっぽ向くのを確認し、着替えを終えると、いつもよりすっきりした頭で食堂へ。そこはクラスメイト達で賑わっていた。


 そう、本日は上級勇者のダンジョン遠征当日。

 その為、早朝訓練は中止で、こうして他の生徒と同じ時間に起き、同じ時間に食事を摂ることになったのだ。


 料理人から朝食を受け取り席に着くのと、食堂にせつなが姿を見せたのはほぼ同時だった。彼女はキョロキョロと室内を見渡し、千司を見つけると僅かに顔をほころばせ、かと思えばむすっとして、自分の朝食を受け取るとツカツカ歩いて隣に座った。


「おはよ、せつな」

「……おはよ。……それ、二人きりの時に聞けると思ってた」

「あー、悪い。部屋に泊まったら朝出る時に他の生徒に見られるとまずいかと思って」

「……別に、何もまずくないじゃん。……付き合ってるんだし」

「上級勇者は今日のダンジョン遠征に緊張してるだろうし、変に刺激したくなかったんだ」


 そう言うと、せつなはシュンと肩を狭くさせた。


「ごめん、そこまで考えてなかった」

「いや、俺が考え過ぎなだけかも知れない」

「ううん、そんなことない。千司のそうやってみんなを大切にしてるところ、私好きだから……」

「ありがとう」

「……えへへ」


 小さく笑みを見せるせつなと朝食を終え、いよいよ上級勇者がダンジョンへと遠征に向かう。


 王宮の玄関で準備万端の彼ら彼女らの表情は千差万別。行きたくないと怯える者から今から戦うのが楽しみで仕方がないと獰猛な笑みを見せる者まで。


 各々友人知人にいってきますと挨拶して回っている中、千司の元に天音がやってくる。腰に短剣と小さな杖を携え、リュックを背負っている。


「あー、えっと……おはよ」

「あぁ、おはよう。今日はいい天気だな」

「だね。……生きて帰って来れると思う?」

「それは天音次第だろうな」

「……っ」


 弱音を口にする彼女に千司はストレスを与える。


「楽観的に返して欲しかったか?」

「……ん、まぁ。ってか分かってるならそうしてよ」

「万が一にも死んで欲しくないからな。油断させるようなことは言いたくなかった」

「変な気使わないでよ。あぁ……下ネタ言いたい」

「帰ってきたら聞いてやるから」

「それ凄いフラグじゃない?」

「『私、帰ったら下ネタを言うんだ……!』って言って死ぬのか?」


 想像したのか天音は渋い顔で首を振る。


「絶対嫌なんだけど!?」

「じゃ、生きて帰らないとな」

「だね。ちょっとナイーブになってた。昨日寝てないんだ」


 確かに彼女の目の下には隈が出来ていた。

 この気の弱さの原因はそれかと理解して、千司はおもむろに懐からネックレスを取り出した。


「これを持っていけ。お守りみたいな物だ」

「えぇ……恋人でもない人から貰っても微妙なんだけど」

「いいから付けてステータスを確認してみろ」


 訝しげな瞳で千司を見つめつつも、首に付けて『ステータス』を確認する天音。


「『弱・呪い耐性』って、へぇ、こんなのがあるんだ」

「あぁ、昨日王都で見つけてな。呪いを使うモンスターなぞ出ないと思うが、『不幸が降りかかりませんように』って感じで。持っていけ」


 要はお賽銭を入れる時に『良い御縁ごえんがありますように』と五円ごえん玉を入れるのと一緒で、洒落をきかせた気休めに過ぎない。


 しかし天音は少しの間ポカンとして、それから指でネックレスの飾りを弄び、服の中にしまい込む。


「あ、ありがとう。奈倉くん」

「これくらいするさ、友達だからな」

「そっか。……それじゃ、そろそろ時間だから行ってくるね」

「おう、頑張ってこい」


 最後にはいつもの笑みを浮かべて背中を向けた天音に手を振った。


「それではこれよりダンジョンへ向けて出発する!」


 リニュの言葉を皮切りに、上級勇者と希望した下級勇者、総勢二十五名はダンジョン遠征へと出かけた。帯同するのは剣聖リニュ・ペストリクゼン。第一騎士団団長セレン、他精鋭五名。


(まぁ、危険なんて普通ないよなぁ)


 海端や天音は不安がっていたが、まず彼女らに危険が及ぶことは無い。こんなものは茨の道を火炎放射器で燃やしながら進むようなものだ。


 が、『危険だと錯覚する』ことは起こりうるわけで。


(デッド・オーガに怯えて帰ってきてくれたら、その不安に漬け込みやすいんだけどなぁ)


「千司、中に戻ろ?」

「そうだな。……さて、それじゃあ今日の訓練でもするか」


 こうして千司はいつもより少し静かな訓練に汗を流すのだった。

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