5.
「あら、奇遇ねハニー?」
「……こんなに白々しい奇遇があってたまるか」
昼食後はとっている講義が違うので海来とは別行動になっていた。海来からは一夏が来るだろうから気をつけろと言われていたし、わたし自身も来るだろうな、と身構えてはいたのだけど、こうも堂々と来られるとやたらに警戒していたのが馬鹿らしくなってくる。
講義室の扉の目の前で穏やかに微笑んで手を振る一夏をなんとなく無視できず、なるべく嫌そうな顔を作りながら近づく。
「何の用事でしょーか?」
「あらつれない。用事がなければ会いに来てはダメなのかしら」
「ダメというか、鬱陶しい」
「遙華のそういう素直なところは好きよ」
「それはどーも。用がないならもう行っていい?」
「遙華はせっかちねぇ」
「あんたと一緒にいたくないだけ。これでも普段はマイペースを自負してるわ」
イヅナちゃんにはああ言われたけど、こっちとしては今のところ一夏にはいい印象がないのだ。軟派な女、という以上の情報がないし、いくら夏の大学生だからってやたら肩だの足だの胸元だのが開放的なファッションはわざとらしいくらいに女性的で、わたしが顔をしかめるのには十分過ぎた。
「あら、待ってちょうだい」
ぞわりと、全身を不快感が駆け抜けた。
慌てて飛び退いて、わたしの意思を汲むことなく勝手に震える右手を庇うように抱きながら一夏を睨みつける。こいつ、今わたしの手に。
「本当に触られるのが嫌なのね。それとも敏感なのかしら?」
「あんたっ、ふざけるのもいい加減に――」
「ふざけてなんてないわ。遙華こそ、そろそろ嘘をつくのをやめたらどう?」
「嘘だって? わたしがいつ嘘なんて」
「許せないのよ、そういうの」
ふっと、急に軽薄な笑みを消した一夏がわたしを見る。いや、睨む。それは恋とか愛とか嫉妬とかそんな甘酸っぱいものを感じさせない、いっそ清々しいほどの、敵意にも似た、攻撃的な視線だった。
「知っているかしら。わたし、たくさんの女の子と寝てきたのよ。中には「そう」いう子も、「そう」じゃない子もいた。自然にね、見分けられるようになるわ」
「……それが、なに」
「その私の目が、あなたは「そう」なんだって、女の子を本気で愛せる人だって言ってるのよ。だからいつまでも自分は「そう」じゃないって思い込もうとするあなたが許せない」
なんて一方的な、個人的な、主観的な、経験則だけに寄った偏見だろうか。そんなもの何の根拠もないと思うのに、それを口にすることができない。冷静な言葉を口にするのを躊躇わせるほどに、一夏の熱のこもった瞳は強烈だった。
「……それを言うために、あんたはわたしに近づいたわけ?」
「あら心外。遙華を好きなのは本当よ。海来のことも、とても可愛いと思うわ。でもそうね、好きだからこそ私はあなたが許せないのね」
そうね、と一人で納得されても困る。そんなもの一夏の都合であって、わたしには関係ないじゃないか。
「私はね、遙華が女の子を好きかどうかはどうでもいいのよ」
「だったらほっといてくれればいいでしょ」
「ただ、自分の中にある好きの気持ちに、気づく前から自分で蓋をしているのが許せないの。遙華も、海来もね」
「なんで海来が出てくんのさ」
「本当に気づいてないなら遙華は鈍感もいいところね。いいわ、私の口から言うつもりじゃなかったけど、教えてあげる。これくらい言わないと、あなたいつまでも嘘をつき続けるでしょうから」
嫌な予感がした。一夏が何を言うつもりかはわからなくても、言わせてはいけないことだけはハッキリと感じていた。何か、わたしの内側にある大きなものを一瞬で打ち崩しかねない何かを、一夏はいま口にしようとしている。
そこまでハッキリと予感していながら、一夏の口が次の言葉を紡ぐのを止めるすべが、わたしにはなかった。
「海来はね、あなたが好きなのよ」
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