9.
「「まぁまぁ」」
映画館を出て少し歩いたところで、俺と上谷はどちらからともなく揃って呟いた。それが先程見た映画の感想だというのは、わざわざ補足しなくとも理解できた。
感想合戦をするほど俺たちは映画好きではなかったが、それでも道すがら話の種くらいにはなった。子供の頃には湯水の如く湧き出てきたはずの話題ってものが、いまの俺たちの間には数えるほどしか無い。その数を水増しするという役割を、さきほどの映画は十分に果たしたといえる。
刻一刻と薄れていく映画の記憶をひっくり返して重箱の隅をつつきあうように乾燥をこぼし合うだけでも、沈黙が続くのと比べればいくらかマシだったろう。
多分俺にとっても上谷にとっても映画の中身は重要ではない。少なくとも俺にとっては映画の中身よりは、同じ映画を観る二時間を共有していたという事実のほうが百倍重要だった。
俺は多分、取りこぼした時間を取り戻したいのだろう。期間にして五年ほど。小学校を卒業してからだんだんと俺たちの関わりが希薄になっていたその間に出来たはずのことをする。それが何になるとかではなく、とにかくそうしたかった。
こういう気持ちを世間では女々しいと言うのだろうか。
女々しいというのは男に対する侮辱だが、いざ自分がそうなってみれば女の方が羨ましい。
映画館で見かけた二人組を思い出す。女同士なら、あんな風に手を繋いではしゃいでも女々しいなんて言われないわけだ。男友達と女友達。どちらも同性の友人だと言うのに、俺だけこんなことにもやもやするのはいかにも理不尽じゃないか。
ああくそ、こんなこと考えてるから女々しいんだ。
「何を食う?」
「なんでも。美味い店より気楽な店がいい」
「ファミレス以外に選択肢はないな」
二人共食にうるさい方でもない。こうして一緒に行動していると、何かとこだわりが薄いという点で俺と上谷はよく似ていた。それがまた問題だ、相手に合わせてばかりいるのも苦痛だろうが、同調するものが何もないのも困りものだ。
距離を近づけてるために差し出すものも受け取るものもない。何も悩まずとも一緒に入られた子供の頃が懐かしい。
「そこでいいか」
「混んでる」
「こんな日だ、どこも一杯だよ」
上谷に言われてそれもそうだと頷く。結局一番最初に目についた店に入るあたりが実に俺たちらしいと思った。
映画と同じだ、質よりもそこで過ごす時間に価値を見出す。美しい言葉のようで、その空虚さは計り知れない。だってそれは何を見て、何を口にしても、同じだってことだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます