2.

 俺こと吾妻と、上谷との関係は、友人という以上のものではない。


 友達以上恋人未満、なんて言葉もあるが、別に俺は上谷にそういうものを求めているつもりはない。友達の先にあるものが恋人だとも思わない。


 ただ俺は、上谷にとって特別でありたかった。


 友人、という言葉が意味する心理的な距離は広い。ごく親しい者をそう呼ぶこともあれば、同級生やクラスメイトを級友という意図で友人と表現することもあるし、その関係は必ずしも相互のものでもない。


 だから友人以上ではない、という俺達の関係は酷く不安定なものだと思うのだ。


 俺は友達が多い方じゃない。引っ越しも転校もしたことはなく、生まれた時から同じ町、同じ家に住んでいるが、幼馴染などという存在とは無縁で、同じ保育園からほとんど持ち上がりに等しい形で小学校に上がった連中のほとんどとは疎遠になってしまった。


 もちろん、友人と呼べる人間がいないわけではないのだが……これがまたちょっと特殊だ。俺の多くない友人たちのほとんどに共通するのは、彼らがみな転校生だということだった。まぁ、地元の学友たちの中で浮いているということは、自然とそういう繋がりの薄い者同士が近づくということなんだろう。


 上谷と出会ったのも、小学三年の夏休み明け、上谷が転校してきた日のことだった。仲良くなったきっかけは何だったか。お互い趣味も好みもさして近くはなかったのだが、同級生たちの中では比較的大人びていたのがシンパシーとなったのかもしれない。


 上谷と俺の小学生時代の遊びといえばもっぱらお喋りだった。共有するような玩具も持っていなかった俺達は、学校では屋上や階段の踊り場で、休日は公園やだだっ広いスカスカの駐車場で、何をすることもなく互いに言葉を弄した。


 ディベートまがいの討論(小学生のすることだから幼稚なものではあったが)をすることもあれば、ラジオやテレビ番組を気取って「それっぽいコメント」を言い合ってラリーを続けるように遊んだりもした。


 子供らしい派手な遊びとは無縁だったが、元々それなりに頭の回る子供だった俺たちはその遊びを通じてまた小賢しく育ったような気がする。俺はその頭を怠惰を貪ることに使い、上谷は自分磨きに使ったという大きな違いはあったが、ルーツが同じであることは確かだった。


 ……まぁ、だからどう、ということでも、ないんだけれど。


 大事なのは、俺と上谷が少なくとも青春と呼ばれる期間の半分ほどを共にしてきたのだ、という部分だった。三年の夏から始まった小学校生活の半分の間、俺と上谷は間違いなく親友だった。


 中学三年間も、俺達の交友は続いていたが、俺にまた転校生の友人ができたように、上谷にも俺以外に数人親しく付き合う人間が出来た。俺達は疎遠にこそならなかったが、互いに相手の知らない交友が生まれて、共有しない時間が長くなった。


 よく言えば要領よく、実質的にはただ怠惰に過ごすことに小賢しさを費やし、面倒な人付き合いを避け、宿題を惰性でこなし、成績は下がらなければ十分と考えた俺と、生来の生真面目さを十二分に発揮して人付き合い、勉学、部活、ボランティアと多方面に精を出していた上谷とでは、もう所属するグループというか、校内での地位というか、そういうものが幾分違ってい点は否めない。


 それでも俺達は(ほとんど偶然に近い形ではあったが)同じ高校に進学した。成績の差は開く一方だったが、緩やかに平均点付近を上下する俺と、努力で学年二十位以内をキープする上谷といった調子で、少なくとも同じ進学先を選んで不自然はない程度の差で済んでいた。


 高校生にもなると、人付き合いを遠ざけてきた俺は「友人と遊ぶ」という機会が極端に減った。それ自体は別にどうとも思わなかったが、上谷を始めとした付き合いの長い友人との距離が明確に離れたのはこの頃だった。

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