7.

「飛鳥!」


「せ、んぱい」


 状況は昨日とは真逆だった。


 放課後、ホームルームが終わるなり鞄も持たずに教室を飛び出した私は、制服のスカートが翻るのも気にせず二段飛ばしで階段を飛び降りて、二年生の教室がある二階へ、そして同じくホームルームを終えたばかりらしい飛鳥のクラスへと飛び込んだ。


 ぜぇぜぇと息を切らして現れた野暮ったい上級生の姿に、飛鳥だけでなく教室にいる二年生たちが全体的にざわつく。注目に慣れていない私は突き刺さる視線から逃げ出しそうになる足を必死に押しとどめて、飛鳥へと近づいていく。


 教室のちょうど真ん中あたりにある席に座ったままぽかんと口を開けて呆気にとられている飛鳥の前までやって来た。正直もう今すぐ逃げ出したい。せめて場所を変えて話したい。でもダメ。逃げ出すわけにはいかない。だって飛鳥はこれと同じ状況で私を庇おうとしたんだから。


「あす、か」


 喉がからからに乾いて、たった三文字の名前さえ上手く口にできない。緊張で額には汗が滲み、身体は震えている。はたから見たら今の私は相当ヤバイやつに見えているんだろうな、とそこだけ妙に冷静な頭がどうでもいいことを思った。


「明日香先輩、なんで」



「――ごめんなさい」



 頭を下げた。深々と。


 立ったまま出来る限界まで腰を折る。飛鳥の席に額をくっつける勢いで思いっきり。土下座にしなかったのは、さすがにそこまですると飛鳥が悪者に見えちゃうかな、と思ってのことで、もし周囲の目がなかったら私は土下座していたと思う。


 それくらい、とにかく深く頭を下げて、謝罪を口にする。それだけで許されるとも、許されていいとも思わないけど、そこから始めるしかなかった。


「庇ってくれて嬉しかったのに、ひどいこと言ってごめん。乱暴に手を払ってごめん。ずっと素っ気なくしててごめん。遊びの誘い断ってばかりでごめん。勝手に嫉妬してごめん。大事なこと、何も言わなくてごめん。馬鹿な先輩でごめん。ひどい先輩でごめん。勉強もちゃんと見てあげられなくて――」


「ちょちょちょ、ま、待って先輩! 待ってください!」


「待てない。私、ずっと飛鳥にひどいことしてた。飛鳥のこと勝手に恨んで、なのに甘えて、昨日はあんな態度とって、いくら謝っても足りないけど、全部謝らせてほしいの。じゃないと私、本当に言いたいことを言えないから」


「わ、わかりました! わかりましたから、その、移動しましょう! ここだとその、は、恥ずかしいですし。みんな見てますから、ね?」


「でも、飛鳥は昨日上級生が見てる前で私のために」


「そんなのは気にしてませんから! 行きましょ、お願いですから!」


 飛鳥にぐいぐいと背中を押される形で教室を後にする。どこへ行きましょうか、と尋ねられたので、私は昼と同じ体育館の二階を、今度は飛鳥と二人で訪れることになった。


「……もう、びっくりしました」


「ごめん」


 もう一度頭を下げると、頭の上で飛鳥が苦笑いする気配がした。


「顔を上げてください。謝らなきゃいけないのは、たぶん、私の方なんですから」


 そんなことない、と言うべきか迷った。飛鳥の真意は飛鳥しか知らない。私の気持ちを飛鳥が知らなかったように。そこはお互い様だ。


「昨日はごめんなさいでした。先輩のこと悪く言われて、がーってなっちゃって」


「ううん。ほんとは嬉しかったよ、庇ってくれて」


「でも先輩はすごく傷ついた顔してました。昨日一生懸命考えたんです。どうして先輩があんな顔したのか。惨めにしないで、ってどういうことなんだろうって」


 だけどわかりませんでした。そう言って飛鳥は申し訳なさそうに肩を落とした。


「ねぇ飛鳥」


「はい?」


「私さ、飛鳥にいろんな気持ちを隠してたんだ。だから、飛鳥が私のことがわからないって思うのは当たり前なんだと思う。私も正直まだ飛鳥のことがよくわからない」


 飛鳥は気まずそうに視線をそらす。その反応が示すのは、飛鳥もまた私に告げていない何事かを秘めていたということなんだろう。


「だから、私は今から飛鳥にそれを話したいと思う。言わなきゃ伝わらないことが、伝わって欲しいと思うから、ちゃんと言おうと思うの」


「…………」


「私の話を聞いて、その後でもし飛鳥が話してもいいと思えたら、その時は飛鳥の気持ちも聞かせて欲しい」

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