君がそこに来るまで

六畳のえる

君がそこに来るまで

「ま、だ、来てないみたいね」


 良い感じに死角になるブロック塀に身を隠し、私はもう一度チラリと正門の方を見た。


 ここに着いてから既に10分ほどの時間が経ち、今はショートホームルームが始まる始業の5分前。もう少しであの門は閉まり、間に合わなかった人は遅刻扱いになるだろう。



 この場所はかなり細い上り坂だし、通学路として使う人はほとんどいない。やや窪んだこの塀の内側にいれば、他の生徒に気付かれることもないはず。「え、学校サボってる人がいる。しかも、あのリボン、3年生?」と変に騒がれてもことだ。


 携帯でも見て暇を潰したいけど、そんなことをして彼が来る時を見逃したくない。そう思うと、なかなか画面の液晶には移れずにいた。



 ふと、ブロック塀で取り囲まれた家を眺める。少し回ると家の入口があり、開けた視界に紅葉した庭の木々が飛び込んできた。

 赤、黄色、オレンジに染まる葉。年末の足音が聞こえてくる時期、すぐに年越しになり、受験までノンストップで駆け抜けることになる。



「……懐かしいな」


 確か、好きになったのも、こんな季節じゃなかったっけ。そうそう、去年の修学旅行だった。





 普段と違う私服姿を見て、私の心の中に生まれた小さな種が芽吹き、それは3泊4日の旅行の中で、あっという間に根を伸ばして茎を伸ばして、淡く優しい色の花をつけた。恋ってなんて単純で、なんて掴めなくて、なんて素敵なものなんだろう。


 そして、慌ただしい毎日の中で3年生になったのを機に、会う機会は減った。それでも私の花は心で育っていく。姿を見られるチャンスがふいになれば萎れかけたし、話ができた時は水も陽もなくても花弁は目いっぱい開いた。



 一喜一憂を繰り返すうちに夏休みが来て、文化祭が終わったらもう過ごしやすい秋。


 でも、このまま終わるなんて絶対にイヤだ。もうこの学校ともお別れする時が近づいている。だからこそ、あと何回あるか分からない会えるチャンスを、たとえ自分が遅刻することになったって掴みたい。先生、それは悪いことなんでしょうか。





 時計を見る。あと3分。待ち遠しい。いや、でも、3分で来るとは限らない。もっと時間がかかるかもしれないし、ひょっとしたらもっと前に来るかもしれない。

 いつ来るか分からないことがもどかしくもあり、ずっとワクワクの泉を枯らさないでいられる幸せな時間でもあった。


 寒くなってきたな、そろそろコート出そうかな、なんて思っていたその時。


 正門に向かって足早に歩く彼の姿が目に入る。


 よし!


 私も、まるで全力で走ってきましたというように、息をきらしながら同じ場所に向かった。



「やっほ、雄太。また遅刻?」

「うっせ、早織さおりもだろ。俺は前半は必死にダッシュしたんだ」

「お揃い! 私も全速力だった!」


 まるでお金持ちのお屋敷みたいにガシャンと閉まった正門の前で、遅刻の常習犯、雄太と挨拶を交わす。


 文理選択をした2年生の時に一緒のクラスになり、国立・私立を選んだ3年で離れた、1年の付き合い。切れ長の一重に高い鼻、まったくニキビに困っていない肌。こうして見ると、やっぱり整った顔をしている。


「夜更かししたのがマズかった。すぐやめようと思ってたのになあ、ついつい」

「何してたか当てようか。『ロスト・ブラックヘヴン』でしょ?」

「おお、ご名答! あれめちゃくちゃ面白いよな! 昨日ガチャのイベントあったからつい……」


「お前ら、雑談で楽しんでるところ悪いが」

 雑談を遮る、よく通る低い声。


「3年生のこの時期に遅刻とは良い度胸だなあ?」

 正門の前で呆れたような表情を見せる近藤先生。


 秋をまるで感じさせないスポーツ刈りと七分丈のポロシャツ。下はジャージに、飾り気のないスニーカー。

 体育教師らしいガタイで、ひと昔前のアニメなら竹刀をパシパシと手に打ち付けて威嚇しているだろう。



「一応、やむを得ない理由があれば遅刻にはカウントしないことになってるけど、どうだ、長橋」


 ノートを開いてペンを持つ先生。名前を呼ばれた雄太は、今まさに敬礼せんとばかりにピシッと直立不動になった。


「後半でバテたのが原因です。前半のペースを守れていれば、遅刻せずにすみました」

「お前がそういう態度だってことは内申点を司る担任にもしっかり報告しておくからな」

「あ、嘘です嘘! はい、寝坊です!」


 ったく、と先生が鼻をフンと息を吐く。


「雄太もバカよね。国立狙ってるとは思えない」

「ちょっと待て早織。咄嗟にこういうウィットに富んだ理由が言えるのはむしろ頭の回転が速い証拠だろ」

「お、確かにそうかも」


 思わず吹き出すと、先生は再びノートを開きながら、私の方に目を向けた。


「で、上汐かみしおも寝防か?」

「それが、ちょっと聞いてくださいよ先生! 弟がね、朝食用に私が焼いたトーストを食べちゃったんですよ! 私はしっかり焼いたカリカリめが好きなんで、ちゃんと早めにトースターの準備始めて焼いたんです。そしたらちょうど焼きあがったところで、母親が『早織ごめん、政光まさみつが朝の合唱コンクールの練習に遅れそうだからそのパンちょうだい』だって! そんなことあります? なんでちゃんと準備した私が焼き損こうむって、寝坊した弟がそのパンを食べる権利があるんですか? 結局パン焼き直して、それで遅刻になったんですよ!」



 先生が「言いたいことはそれだけか」という視線を向ける。私はほんの少しだけ反省して「焼き直したのは本当ですけど、その後SNSやってて遅くなりました」と弁明した。



「なんだよ、早織の言い訳もひどいな」

「いいや、雄太の方が変だと思う」

「同じ変なら簡潔な方がいいだろ」

「逆に長い方が嬉しくならない? ちょっと短めの小説読んだみたいな気分になったりして」

「……あのな、そういうのを五十歩百歩って言うんだぞ」


 先生にツッコまれた後、雄太と目を合わせてニシシと笑い合う。


 ほら、好きな人と一緒にいるだけで、こんなに世界は煌びやかになる。心の花は何輪にも増えて、色とりどりに染まっていく。5分間、待った甲斐があったなあ。


「それじゃ、担任には遅刻ってことで報告するぞ」


 ガラガラと先生が正門をスライドさせる。どうせ開けるんだからわざわざ閉めないでも誰も通り抜けたりしないのに、なんて考えながら、ゆっくりと開く門を見ていた。


「受験にはそんなに関係ないかもしれないけど、生活態度は人としての基本だからな、気を付けろよ」

「はい、今度は持久力を意識して走ります! あと早起きします!」


 ペコリとお辞儀し、雄太はグッと地面を蹴って走りだした。


「じゃあな、早織!」

「ん、またね。今日もゆるっと頑張ろ」











 そして、やっと2人きりの時間。


「えへへ、秀介しゅうすけ先生」

「……お前な、わざわざ定期的に遅刻するヤツがいるか」

「だって、3年で体育の先生変わっちゃったし。全然会えないから」


 照れをごまかすように目を見開き、右のこめかみの辺りを掻く先生。

 もうすぐ30歳、今は表情を崩さずにいるけど、怒ったときの鋭い目とか、笑ったときに目の横に小さくシワができるところとか、全部が好きで、諦める気になれない。男友達と仲良く会話してみて、気を引いてみたくもなる。それは、悪いことじゃないよね。



「ね、ね、さっきの朝食の話、どう思います? 姉だからっていっつも我慢させられて」

上汐かみしお、もう授業始まるぞ」

「まだちょっと時間あります! ダッシュすれば余裕!」

「……5分前までな」

「やった!」


 真っ赤な紅葉が、祝福するようにカサカサと揺れる。体育館の横にある準備室まで、私は大好きな人と一緒におしゃべりしながら歩いた。

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君がそこに来るまで 六畳のえる @rokujo_noel

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