第三話 レキウレシュラから

 トネム・センルベトにきて、何日目の夜だったか。

 いつもみたいに適当なパントゥを買って食べて、二人で踊っていた。踊りを踊ってホレ・タッシ・タッシの歌が終わって、次に始まったのは雪の鳥ルミ・リトの歌。

 シルが一人で歌う雪の歌はゆっくりと静かな曲だけど、こうやってたくさんの楽器と歌声で聞くと賑やかな曲に聞こえる。それでも、その旋律はどこか寂しげで──そう思ってしまうのは、遠くまで旅をする雪の鳥ルミ・リトの歌だと知っているせいかもしれない。


 空の雫は花と咲く

 白く冷たい花になる


 踊りながら、シルが曲に合わせて口遊くちずさむ。曲のテンポに合わせて跳ねるような歌声は、もちろん聞こえてくる歌声とは違う言葉ではあるけれど、それでもシルの歌声は一つの楽器のように音楽に重なっていた。

 シルも楽しそうに歌って跳ねていた。


 咲けよ 咲けよ 空の花よ

 白く 白く 全てを隠せ


 シルの歌声に気を取られて、踏み出す足を間違った。足がもつれて体が傾いて、でもシルに腕を引っ張られて立て直す。そのまま跳ねて回る。シルの髪の毛が広がって、雪の結晶が舞い散るようだと思った。

 それももしかしたら、シルの歌が雪の歌だと知っているせいかもしれない。


 静かで白い夜がくるよ


 流れる音楽の中で、人のざわめきの中で、この辺りの言葉ではないシルの歌声はきっと周囲に聞こえていないだろうと思っていた。

 けれど、それを耳にして声をかけてきてくれたのがハクットゥレさんだった。




 雪の鳥ルミ・リトの歌が終わって、俺はシルに「ちょっと休憩」と言った。シルは頷いて、跳ねるような足取りで俺の手を引く。

 そうしてみんなが踊っている中から外れたところで俺たちに声をかけてきたのがハクットゥレさんだ。銀色の長い髪を後ろで一つに束ねていて、確かに肌もシルに似た白さだ。

 でも、周囲の人たちと同じような服を着て立っていると、紛れてしまって見失ってしまいそうだった。だからきっと話しかけられなかったら気付かなかったと思う。シルの白さは夜の中でも人混みの中でもとても目立つのだけど。

 そんなだったので、最初に声をかけられた時は俺がいるのにシルに声をかけてくるような男の人かと思ってしまった。でも、すぐに違うと気付いたのは、ハクットゥレさんが話している言葉がわからなかったからだ。

 この辺りの、トネム・シャビ周辺の言葉だって全部聞き取れるわけじゃない。でも、聞き慣れているうちにこの辺りの言葉だというのはわかるようになっていた。

 ハクットゥレさんが口にしたのは、そうじゃなかった。知らない外国語のハミングを聞くような──知らないのにどこか聞き覚えがあるような。

 シルが足を止めて、ぼんやりとハクットゥレさんを見ていた。その隣に立ってシルの横顔を見て、そしてその言葉がいつものシルの言葉だとようやく気付いた。


「シル、言葉わかるの?」


 俺の言葉に、シルは丸くした目で俺を見て頷いた。それからまた、ハクットゥレさんを見る。ハクットゥレさんがまた何かを言う。シルが何も言わないので、多分同じ言葉を繰り返している。

 言葉だと思って聞けば、少し聞き取れた。最初に「フウ」と言って、途中はわからないけど最後は「エーシュ」だ。独特な抑揚のある発音で、何かの歌のように聞こえるような、そんな言葉だった。

 シルがまた俺を見て、口を開いた。


「聞かれてる、どこから来たのか」


 シルの言葉は、耳で聞こえる音と頭の中で理解できる意味がずれている。どうしてかはわからない。ずっともう、慣れてしまって意識もしていなかった。

 でも、シルの声をちゃんと聞こうとすれば、その最後の言葉は「エーシュ」だった。

 シルが聞き取れる言葉で喋る人。シルに似た銀の髪の人。ハクットゥレさんは俺とシルの顔を見比べて、また口を開いた。多分、言葉を区切って、ゆっくりと喋ってくれたんだと思う。だから次の言葉は俺にも聞き取れた。


「イエール・レキウレシュラ・ファー」


 言葉の意味はわからない。シルが、ハクットゥレさんの言葉を繰り返す。


「この人はレキウレシュラから来たって」


 その言葉に、俺は頷いた。ハクットゥレさんはさっきまで俺たちがどこから来たのかと聞いていた。だからきっと、まずは自分がどこから来たのかを言うことにしたんだと思った。

 ハクットゥレさんがまたゆっくりと言葉を口にする。


「フウル・ラーン・ファー・エーシュ」


 それは多分問いかけだ。その言葉に、シルはハクットゥレさんの方を見て、口を開いた。


イエールわたしはへーメールファー部屋から来た


 一度そう聞こえたら、シルの声はもうはっきりと言葉だった。耳から聞こえる音と頭の中に浮かぶ意味がちぐはぐで、混乱する。音と意味が頭の中で結び付かなくて、ぐらぐらと気持ち悪い。まるで船酔いみたいだ。

 意味がわかるなら音を聞かなくても良いって、今までそうやって聞かないようにしていたのだと気付いてしまった。

 ハクットゥレさんが「へーメール」と呟いて眉を寄せた。シルが言葉を続ける。


フェルニーラ四角……ハルーラたくさんのフェルニーラウ四角のシュトゥー大きいフェルニーラウ四角のイナーファー中から来た


 シルの言う四角はきっと、ずっとシルが閉じ込められていたあの部屋のことだ。きっとハクットゥレさんにはうまく伝わらなかったんだと思う。ハクットゥレさんは困ったような顔になってしまった。

 俺はシルの手をぎゅっと握って、シルに囁く。


「シル、レキウレシュラに行きたいって、伝えて」


 シルは俺を見ると何度か瞬きをした。大丈夫、という気持ちで頷く。

 シルも小さく頷いて、それからハクットゥレさんの方を見て口を開く。


イィエールわたしたちはレキウレシュラファラウムウへ行きたい


 シルの言葉に、ハクットゥレさんは少し驚いた顔をして、俺とシルを何度か見比べた。それからちょっと微笑んで、頷いた。

 その仕草を見て、俺は今になって初めて気付いた。最初に会った時からずっと、シルは頷いていた。俺の頷きの意味も伝わっていた。

 仕草は言葉と同じで、その意味合いが場所によって変わる。通じたり通じなかったりする。ここまでいろんな場所を旅してきたし、その中にはいろんな仕草があったけど、シル以外に頷きが通じたことはなかった。

 当たり前のように伝わっていたから、深く考えたこともなかった。

 そして、ハクットゥレさんも今、頷いた。シルと言葉が通じて、シルと同じ仕草を持っている人だった。



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