第二話 楽しい思い出

 トネム・センルベトでも、昼間は働いて夜は広場だとか街のあちこちに集まって歌い踊って過ごす。トネム・イカシと変わらない。だから情報を集めるのは夜にする。

 トネム・イカシで買った木の器を手に、道すがら様々な味のパントゥだとか焼き菓子イラカだとかを買ってそれに入れてもらう。道端の店の前に並ぶテーブルと椅子に座って二人でそれを食べる。

 シルは食べるのもそこそこに踊りに行ってしまった。

 俺はシルから離れすぎないように、シルが見える範囲を動き回って、見知らぬ人に話しかけてみる。「行きたいルア・マスタ・シヘ、レキウレシュラ」と言えばなんとかなるかと思っていたけど、俺の言葉はなかなか通じなかった。

 困ったような顔をされたり、考え込まれたり──もしかしたら俺の言葉が間違っているのかもしれない。あるいは、突然知らない人にこんなことを言われても困るだけなのかも。困惑する人に「ありがとうイトス」と伝えてすぐに離れる。

 そうやって繰り返して何人目か。何を話したら伝わるのか、誰に話しかければ良いのか、わからなくなってしまった。シルは俺が話すとなんとなるなんて言ってたけど、一人だとこんなこともできない。今まではいつも誰かに助けられていただけだなと思って、情けなくなった。

 踊っていたシルが俺のところに駆けてきたのは、そうやってただ溜息をついたときだった。


「ユーヤ」


 シルは踊っているみたいな足取りで俺の前に立つと、落ち着かなげに目を伏せて、それから踊りの方を振り返って、また俺を見た。


「あのね……わたしまたユーヤと踊りたい」


 シルの声に、俺はまだすぐに頷くことができなかった。だって、レキウレシュラのことが何もわからないままだ。踊ったりするよりも、誰かに話を聞いたり──あるいはもっと言葉を覚えたりとか、もっとやることがあるんじゃないかとそんなふうに思ってしまっていた。

 シルは何も言わないでいる俺の手を取って、反対の手でみんなが踊っている方を指差した。


「みんな一緒に踊ってるから、わたしも一緒が良い」


 その向こうに目を向ける。トネム・イカシと同じだ。女の人は帽子を被っていて、帽子の後ろには白い布が垂れ下がっている。踊りの動きに合わせてその布も跳ねたり、ふわりと広がったりする。

 そうやって女の人と向き合って跳ねているのは、大抵は男の人だった。その光景を見て、この踊りは男女で踊るものなのかもしれないと気付いた。シルはきっと、この踊りがどういうものかなんてわかってないとは思うけど。


「ユーヤと一緒が良い」


 シルが俺の手を引っ張る。その手が、俺の気持ちまで引っ張り上げてくれた。

 自分が焦っていることは自覚していた、と思う。今すぐにでもレキウレシュラに向かって旅立ってしまわなければ、決心が鈍ってしまいそうで──このままこうやってシルと踊り暮らすだけでも良いんじゃないかって、そんな気持ちにすぐに負けそうになるから。

 けれどその時の俺はシルに引っ張り上げられるまま、頷いた。ルームさんの「チャーチャー・パーソム」という声を思い出す。あの言葉の意味は聞きそびれてしまったから、意味はわからないままだ。でも、この場にルームさんがいたらそう言うだろうな、という気がした。

 シルと向かい合って手を繋ぐ。跳ねるようなリョマの音に合わせて跳ねる。トネム・イカシでの俺の踊りはきっと下手で滅茶苦茶だったけど、それよりも少しは上手くなったんじゃないかと思う。少しは、だけど。

 ジョウシの弦を弾く音が響く。歌うたいラウラウの歌が終わって、踊りを踊ってホレ・タッシ・タッシの歌が始まる。

 シルがくるりと回れば、シルの銀の髪が灯りを映してきらきらと輝いた。




 レキウレシュラのことがわからないまま、何日も過ぎてしまった。

 時間がかかっている理由の一つは最近ようやくわかった。俺の言葉が間違っていたからだ。

 どこかに行きたいときには「マスタ」とは言わないらしい。「旅人マスタヤ」という言葉があるから、てっきりマスタというのは「旅をすること」とか「どこかに行くこと」とか、そういう意味だと思っていた。

 けど、どうやらこの辺りで「旅人マスタヤ」と言えば「外からやってくる人」のことらしい。つまり「マスタ」の正しい意味は「どこかから来ること」。

 今回みたいに「行きたい」ときに使う言葉はどうやら「メンナ」。だから「行きたいルア・メンナ・シヘ、レキウレシュラ」と言わないといけなかった。

 わかってみたらたったそれだけのこと。でもそれだけのことに、随分と時間をかけてしまった。

 それと、何日も過ぎてしまったもう一つの理由──それはシルと踊っていたからだ。

 シルを一人にしておくと、シルに声を掛けてくる男の人がいる。多分、一緒に踊ろうという誘いなんだと思う。

 俺はシルから目を離さないようにはしていたし、シルに近付く人が見えたらシルを迎えに行くようにもしていた。声を掛けられたシルはいつも困った顔をして俺のところに駆けてくる。そういった男の人はみんな俺を見るとすぐに引いてくれたけど、そもそも最初から一人にしておかない方が良さそうだとはすぐに気付いた。

 だから結局、シルと繋いだ手を離さないようになった。シルが踊りたいときは俺も一緒に踊るし、俺が疲れて休むときも一緒。誰かに話を聞く間も、シルの手を離さないようにしておく。

 正直、話を聞く時間よりもシルと踊ったり、座って休んだりする時間の方が長かったと思う。気持ちは相変わらず焦っていたし、自信もないままだった。シルの手を引いてどこかに逃げ出してしまいたくなることもある。

 けれど、と、ぽろぽろと崩れる焼き菓子イラカを頬張って笑うシルを見る。何をするとしても、シルが楽しそうにしてなければきっと意味がない。こうやって少しでも、シルの楽しい思い出が増えると良い。



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