第二話 シェニア・エフウ

 淡いベージュっぽい白い壁と、鮮やかな赤い三角屋根。湖と森の景色の中にそんな家が並んでいる様子を眺めていると、海外の童話を思い出す。

 トネム・イカシという街は、俺が持っている地図だと大きな湖の上の方。「イカシ」というのはどうやら腕の意味らしい。どうして街の名前が腕なのかは、よくわからなかった。

 夕方に到着したとき、街のそこかしこで音楽が流れていて、誰かが歌う声が重なって、それから路上で飲み食いしている人がたくさんいた。ルームさんが「カサミ・ウシ」だと言う。意味はわからないけど、そういうお祭りのようなものかと理解した。

 ぴんぴんと張るような音は、何かの弦楽器。何かを叩くような音はきっと打楽器。何を言っているかはわからないけど、重なる人の声は確かに歌なんだと思う。賑やかに歌って踊っているのに、どこか寂しさを感じる音色だった。

 そう思ってから、俺のその感情は俺が勝手に感じ取ったものかもしれない、と思い直す。俺に知識があれば音階だとか旋律だとか、楽器の音の雰囲気だとか、そういう理屈は付けられるのかもしれないけど、なんだかそれも違う気がした。

 俺の感想なんかとは無関係に、道端で楽器を演奏して歌って踊っている人たちは楽しそうだ。特に踊りは飛び跳ねながらくるくると回っている人がいたりして、ちらと見ただけでも激しそうだった。飛び跳ねている人も周囲の人も笑っている。

 シルは音楽と踊りが気になるらしく、好奇心に瞳を輝かせてきょろきょろとしていた。

 遅れがちになるシルの手を引いて、ルームさんの後に付いてゆく。シルはきっと、音楽や踊りをもっと見ていたいんだろうなという気はしたけど、俺たちはまだこの街に到着したばかりで泊まる場所へ向かう途中だった。

 ルームさんは道すがら、いくつかの店で食べ物を買っていた。コロコロとしたパンのようなもの。似たような緑色のもの。多分葉っぱの形の甘いにおいのもの。どれも、一口には大きいけど二口で食べられるくらいの大きさだった。

 最初の店で木の器に入ったパンが出てきて、ルームさんはそれを器ごと受け取って手に持って歩く。その後の店では、その器の中に入れてもらっていた。

 そのにおいに気付いたのか、シルが跳ねるような足取りで俺の隣に並ぶ。ただ歩いているだけなのに、シルのブーツは音楽のリズムに合わせて石が敷かれた道を叩いた。シルのスカートがふわりと広がって、髪の毛がさらりと揺れる。

 夕方の柔らかな陽射しに、シルの髪の毛が赤く染まっている。辺りの白い壁も赤くなって見えて、屋根も赤くて、まるで世界全部が暖かな赤い色に染まってしまったみたいだった。




 泊まるところ──多分、宿屋のようなところなんだと思う。ルームさんにお任せしてしまっているからあまりよくわかっていないのだけど、別れるときに備えないと、と思う。

 ルームさんとは別の部屋。荷物を置いて羽織っていたマントを脱いで椅子に座って脱力したら、ルームさんがパンのようなものが入った器を手にやってきた。

 同じタイミングで宿の人が飲み物を持ってきてくれた。ルームさんが頼んでいてくれたらしい。「シェニア・エフウ」という飲み物で、エフウというのはバイグォ・ハサムの言葉で言えば「お茶チェガ」のこと。でも、お茶チェガとは違う味の飲み物だった。

 持ってきてもらったときはまだ暖かかった。それが焼き物のポットに入っていて、温度が下がらないようにポットが布で覆われていた。それを焼き物のカップに注いで飲む。

 両手でカップを抱えるとじんわりと暖かい。それをふうっと吹いてから口に入れる。濃い色の飲み物は香ばしいにおいがする。口に含むとお茶チェガとは全然違うとわかる。お茶というより、何かのスープを飲んでいるような、そんな味わいだった。

 コロコロしたパンは、中に味のついた挽肉のようなものが詰まっていた。パン生地はパンイスパよりも柔らかい。溢れた肉汁がパン生地に染み込んで、それが美味しい。

 シルは中から飛び出してきた肉汁を零して、舌を出して手のひらに付いた油を舐めとっていた。


「リハトゥ……リハ・ナーグ


 ルームさんの言葉に、俺は器の中のそのパンを一つ持ち上げる。


「リハトゥ……これニー、リハトゥ」


 俺の片言に、ルームさんは「はいチャイ」と笑った。

 緑色の生地の方は「ナティトゥ」で、ナティというものが使われている。こっちは挽肉のように包まれているのではなく、葉っぱのようなものが生地に混ざっていた。この葉っぱのような野菜が「ナティ」らしい。

 そのナティだけじゃなくて──多分チーズみたいなものも入っているんじゃないかと思う。緑色の葉っぱは少し苦味があったけど、生地の甘みもあって、チーズのようなにおいと塩っぱさを感じると次もと食べたくなる。

 それに、これがとてもエフウに合う。軽い食事の雰囲気なのに、シェニア・エフウを飲むとしっかりと食べた気持ちになれた。やっぱり、お茶というよりスープを飲んでいる気分になる。

 葉っぱの形に見えるものは、リハトゥやナティトゥとは生地が少し違って見えた。中に何かのジャムが詰まっているみたいだった。こっちは「イラカ」と呼ぶらしい。

 イラカの生地はぽろぽろと崩れる。シルは唇を崩れた生地の欠片と濃い赤い色のジャムで汚して、胸元にもぽろぽろと生地の欠片を零して、そんなことなんかお構いなしに食べていた。

 ナティトゥを食べてシェニア・エフウを飲んでほうっと息を吐いたら、イラカをもう一つ持ち上げたシルが俺の方を見た。


「ユーヤは、これ食べた?」


 シルの声に、俺は小さく首を振る。


「次に食べようと思ってた」


 シルは唇の端にジャムを付けたまま笑った。


「あのね、これ美味しい。甘い。後、中に入ってるのも甘くて、それから酸っぱい。とろっとしてて、気持ち良い」


 そう言って、シルが俺の口元にイラカを差し出してくる。俺は口を開いてシルが差し出してくれるイラカを一口食べた。

 ざっくりとした生地は、歯を入れると崩れてぽろぽろと欠片が落ちる。慌てて口の下に手を添えたけど、間に合った気はしなかった。

 中から出てきたジャムの酸っぱいにおいが口の中に広がる。崩れた生地をとろりと包んで、甘くて、それからやっぱり酸っぱい。

 シルと目が合って、シルが楽しそうに目を細めた。それで、自分も笑っていると気付く。口の中のものを飲み込んで、残りのもう一口も食べる。シルのひんやりとした指先が唇を掠めた。

 シルは空っぽになった手で、自分のポシェットからハンカチを出して口周りを拭った。俺も唇に付いた生地の欠片を拭って、その指先を舐める。テーブルの向こうに座っているルームさんと目が合った。

 シルに食べさせてもらうのも初めてじゃないし、ルームさんにだってこれまで何度もこんな光景を見られているのだけど、こうやって目が合ってしまうと妙に気恥ずかしい。俺は俯いてシェニア・エフウの器に口を付けた。

 ただ、そんな恥ずかしさはあるにはあるものの、シルが俺に食べさせようとしたり、そうやって食べさせてもらうことに、俺はだいぶ慣れてしまった気がする。気付いたら手を繋ぐことに慣れてしまったみたいに。

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