第十四章 巨人の湖

第一話 湖上の森

 地図を見て、大きい湖なのだとわかっていた。ルキエーの森の底オール・ディエンよりも、この間までいたバイグォ・ハサムよりも。

 ルームさんに案内されてチャイマ・タ・ナチャミを越えて、その大きな湖──トネム・シャビを山の上から眺める。

 湖の周囲は木が多い。くっきりとした緑色に覆われている。その中にぽつぽつと見える鮮やかな赤と白はきっと、人が作った建物なんだろうなと思う。

 その緑色がずっと広がって──その途中から、不意に深い青い色に変わる。揺れる水の色は陽射しを反射して、時折白く光って見える。

 一面の青い色でもなくて、湖面にはたくさんの島があるみたいだった。その島にも緑の木々が生えていて、こんもりと森が続いている。

 森の隙間が青い色で埋まって、色が溶け合っているようだった。そのせいで、なんだかずっと遠くまで森が続いているように感じてしまう。

 その果ては霞んでいて見えない。本当に果てがあるのかと思うほどに広い湖だ。

 山を降りて森に入る。真っ直ぐで背の高い木が多い。歩いていると、ぽつりぽつりと建物がある。行く道で、ルームさんが通りかかった建物の人と何か話して泊めてもらうこともあった。


 温かなスープと、固い細長いパンを分けてもらう。

 ムノス、というのがスープの名前らしい。こってりと濃い味わいのどろりと白っぽいスープに、きのこっぽいものと野菜っぽいものが煮込んであった。スープの表面に油っぽいものが浮いている。

 固い細長いパンはイスパという名前で、見た目は棒とか枝のように見える。ナイフで小さく切ったものをスープの具にして食べるみたいだった。

 シルはパンイスパスープムノスに浸すのが気に入ったらしい。小さく切ったころころとしたパンイスパを摘み上げてはスープムノスに落とす。そして、スープムノスが染み込んだパンイスパを木のスプーンで掬い上げて口に入れる。

 固いパン生地はどろりとしたスープをよく吸い込んだ。パンイスパの味なのか、それともスープムノスなのか、中の具の味なのかわからないけど、独特の酸っぱいにおいがあった。それから、少し香ばしいにおい。

 とろりと溶けるように煮崩れた何かの野菜が舌の上で柔らかく潰れて、少しの繊維が舌に残る。きのこのころころとした食感をパンイスパと一緒に奥歯で噛むと、じゅ、と口いっぱいに濃い味が広がる。

 飲み込むとじんわりと体が温まる気がして、もしかしたらこの辺りは寒い地域なのかもしれないなんて思った。ここまでのところでは、陽射しは穏やかに暖かく、風は心地よく涼しくて、過ごしやすい場所という印象だけれど。


 そんなふうに何日か歩いていたら、急に地面が途切れて水になっていた。小さな島がたくさんあってそこにも木が生えているから、ずっと森が続いていると思ってしまっていて、あまりに突然姿を見せた湖になんだか実感がなくてぽかんと眺めてしまう。

 近くで見れば、確かに水に浮かぶたくさんの小島だった。

 バイグォ・ハサムでは海の潮が逆流して流れ込んでくるから潮のにおいがあったけど、トネム・シャビは潮のにおいがない。それに、活気があったバイグォ・ハサムに比べてとても静かだと思った。


 後から知ったのだけど、この「静か」という第一印象は、単に人の少ない場所に出たというだけのことだった。

 トネム・シャビの湖岸にある街に辿り着いて、街中には人が集まって、店もあるし賑やかだと知ることになる。考えたら当たり前のことかもしれない。

 それでも、第一印象というのは強く記憶に残る。俺の中でトネム・シャビは、静かな森の中の静かな湖になってしまった。

 だからか、街の賑やかさも俺にはどこか、落ち着いて見えてしまっていた。




 最初に訪れた湖岸の街はトネム・タケハという名前だった。ルームさんはそこから船でトネム・イカシという街に行くらしい。俺とシルも一緒にその街に行く。

 久し振りに乗る船は不安だったけど、それほど長い時間じゃなかったのもあって、船酔いは前ほど酷くならなかった。シルは不安そうにしていたけど、俺が今までに比べて落ち着いているせいかほっとして、それからようやくはしゃぎ始めた。

 たくさんの小島、そこにこんもりと生い茂る木々の隙間を縫うように、静かに船は進む。湖面に映る木々の緑、船が立てる波がそれを揺らして、そこが水だとわかる。

 木々の隙間に見え隠れする生き物の角、飛び立つ鳥、シルの指先がそんなものを見付けては次々に追いかける。柔らかな陽射しに、風に広がったシルの髪の毛は水面のように木々の緑を映して、それを全部虹色に変えてきらきらと輝いていた。


「ユーヤ! あれ! あそこにもいた!」


 シルの指先を追いかけて、俺も木々の隙間に目を凝らす。木の枝のようにも見えたものがひょいと動いて、四本足の動物のしゅっとした頭が見えた。

 鹿はあんな感じだっただろうかと思い出そうとしたけど、うまく思い出せない。そもそも鹿をじっくり観察したこともない、ということに気付いた。

 その角の生き物は「ウペラ」と呼ぶのだと、ルームさんが教えてくれた。角は「セア」。

 美味しいシュイとも言われた。この辺りではウペラをよく食べるらしい。それから、この辺りの言葉だと「美味しいハンナ」。

 ルームさんに聞いたそんな話を隣ではしゃいでいるシルに伝える。


「美味しいお肉、食べてみたい」

「俺も食べたい」


 俺がそう応えたら、シルは俺の顔をじっと見てから、ほっとしたように笑った。

 他に見たのは木々を飛び回る真っ黒い鳥。この鳥は「ラウラウ」。ルームさんはいろいろと説明してくれたんだけど、わからない単語が多くてあまり聞き取れなかった。シーダピクペルニ──歌という言葉を使うなら、もしかしたら鳴き声が綺麗なのかもしれない、なんて勝手に思う。

 これだけ長い距離を一緒に旅しているのに、わからない言葉はまだ多い。




 ルームさんはトネム・イカシでしばらく過ごした後、またチャイマ・タ・ナチャミを通ってバイグォ・ハサムに行くらしい。だからきっと、トネム・イカシでルームさんとは別れることになる。

 それまでに、言葉やお金についてできるだけルームさんに聞いておきたい。そしてできれば、ルームさんがいる間にレキウレシュラまでどうやって行くのか、知っておきたい。


 きっと俺は、あの場所からシルを連れ出して、そしてどこかに送り届けるためにこの世界に来たんじゃないかって、最近はそんなことばかり考える。

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