第五話 柔らかいヤパ、硬いヤパ

 ヤパの実を持って砂浜に戻って、辺りの人にヤパを配る。暖かなお茶アガをもらって、シルはまた、ふうっとお茶アガを波立たせてから飲んでいた。

 そうやって一息ついてから、自分たちで採ってきたヤパを食べた。


 持ち上げると、熟れた甘いにおいがする。ヤパの薄い皮に爪を立てて、指先でつまんだらするりとける。ぎゅっとにおいが濃くなった。

 皮を剥いた内側の果肉も赤い。指で押せば柔らかな果肉がへこんで、果汁が滲む。

 滑らかな果肉に歯を立てて一口、齧り取る。ぎゅっと凝縮したように、どろりと甘い。滑らかな果肉は舌で潰れるほど柔らかい。

 そうやって齧ってゆくと、真ん中に小さな黒い丸い種が寄り集まっていた。白い綿のような繊維が絡んでいる。周りを見たら、みんな種は指で取って捨てていた。

 シルに見せながら、周囲を覆う白い繊維ごと種を掻き出して、取り除く。


「これは、食べない?」

「みたいだね」


 シルも俺の真似をして、種を掻き出す。濃い果汁が唇を濡らして、顎に流れ落ちている。

 きっと俺も似たようなものだと思いながら、俺はまた一口齧る。ぐずぐずとした柔らかい果肉が喉を落ちてゆくのが気持ち良い。顎を上げて飲み込むシルの気持ちが、少しわかる気がした。




 ヤパを食べ終えて、手と口と顎、それから喉の方まで拭いていたら、木の器を渡された。魚介のにおいの湯気が立ち上っている。

 白い塊クンタンと白っぽい薄切りの何かが、そのスープの中で揺れている。


「サッパ・クンタン・ラン・ヤパ」


 渡してくれた人──ウリングラスの人かウリングモラの人か、わからない──が、俺とシルにその器を渡して、そう言った。

 聞き取れなくて聞き返したら、隣にいたウワドゥさんが俺の手の中の器を指差して、ゆっくりと言ってくれる。


「サッパ・クンタン・ラン・ヤパ」


 クンタンとヤパが入っているということだろうか。クンタンはわかるけど、ヤパというのは今さっき食べたあのヤパだろうか。魚介のにおいのスープにあの甘い味を入れるのだろうか。

 正体がわからないまま手の中のそのうっすらと濁ったスープを見ていたのだけど、その中に浮かぶ白っぽい薄切りのものを見て、熟していないヤパも採ってきたことを思い出した。

 確か、調理に使うようなことを言っていた。あの淡い黄緑色を思い返す。


 木のスプーンでスープを掬って食べる。濃い魚の味と、塩気。クンタンも一緒に掬って口に含む。塩味のスープで食べるクンタンは、餅のような味わいだった。スープを絡めながら何度も噛み締める、弾力が美味しい。

 それから、白っぽい薄切りのものを掬い上げる。火が通っているからか、ほんのりと透明感のある色をしていた。

 ウワドゥさんに向かって、そのスプーンを持ち上げて見せる。


「ヤパ・?」

はいネメ


 やっぱりこれがヤパなのかと改めて眺めて、それから口に含んでみた。

 さっき食べたヤパとは全く違って、あのにおいも甘さも感じられなかった。塩気の中でほんのりとした甘さと野菜のような青っぽいにおい。けれど、魚の味も塩気も邪魔しない。噛むと、しゃくりとした歯応えがある。

 クンタンの強い弾力の柔らかさと、この薄切りのヤパの折れるような歯応えが口の中で絡む。


「今日は甘くないんだね」


 シルが不思議そうな顔で、スープを掬って口に含む。


「こないだは、甘くてジュースみたいだったね。あれも美味しかったけど」

「うん、甘かった。あれ、美味しかったな」


 甘い味を思い出してるのか、シルは目を細めた。


「シルは、こないだみたいな甘い方が好き?」


 俺がそう聞いた時、シルはちょうどクンタンを掬って口に含んだところだった。俺の言葉に少し首を傾けて、考えるようにもぐもぐと口を動かす。

 やがて少し顎を持ち上げて口の中の物を飲み込んで、シルは俺の方を見た。


「あれも好き。甘くて美味しかった。今日のこれも好き。暖かくて良いにおい」


 シルの大きな瞳がきらきらと輝いて、縦に長い瞳孔はいつものように少し膨らんで──要するに、いつもの美味しいものを食べている時のシルだった。美味しそうに食べたり、楽しそうに何かを見ている、そんな表情。


「さっきの赤いのも美味しかったよ。すごく甘かった」

「赤いのは、ヤパだね。このスープに入ってるのも、それらしいよ」


 俺の言葉に、シルはきょとんと瞬きをした。そして、手の中の器をじっと見る。


「味が違う」

「赤くなる前の、黄緑色の時はまだ甘くなくて、こんな感じみたい」


 シルは、スプーンで白っぽいヤパを掬い上げる。


「これが、さっきの赤いの?」

「多分。それの、赤くなる前の」


 シルは、スプーンに乗っかったヤパをじっと見て、それからぱくりと咥えた。慎重に味わうように、噛んでいるみたいだった。

 しばらくそうやって飲み込んで、溜息のように声を漏らした。


「潰れ方が違うし、甘いのも違う。不思議。これが、さっきのあれ?」

「あの黄緑色から、時間が経つと熟して……赤くなって、柔らかくなって、甘くなるんだと思う」

「そっか……不思議」


 シルはそう言って、もう一度ヤパを掬い上げて、口に入れた。




 スープを食べ終える頃、砂浜を掘り返して、大きな葉っぱに包まれた朝ご飯が出てくる。

 葉っぱに包まれていたのは、一口大より細かく切られた野菜と魚と貝──ナガの背中ドゥルサ・ナガで獲った魚と貝だ──それと、何かの穀物っぽい粒。

 そしてここにもヤパが使われていた。細かく刻まれているヤパは、どうやら漬物のようなものらしい。

 そのヤパの漬物の塩っぱさと、貝と魚の旨味を絡めて、野菜と穀物を口に入れる。

 漬物のヤパの塩気は、その穀物と一緒に口に放り込むと丁度良かった。野菜の柔らかさを噛むと、じんわりと甘い。貝のぐにぐにとした食感を噛むと、中から旨味が飛び出してくる。魚を口に含めば、身がふわりとほどける。魚と貝の出汁を吸い込んでふっくらと膨らんだ穀物で口をいっぱいにして、その中にヤパのしゃきしゃきとした食感が混ざっていると、嬉しくなる。


 甘く熟したヤパも美味しかったけど、まだ甘くない、硬く歯ごたえのあるヤパも美味しい。

 シルに「これもヤパだって」と話せば、シルはまたちょっと目を見開いて、スプーンで掬い上げて、瞬きをしてそれを眺めていた。


「不思議」


 そう言って、シルは口を大きく開けてスプーンを咥えて、美味しそうに目を細める。俺もまた一口食べて、植物っていうのは本当に不思議だと思う。

 不思議、そして、美味しい。

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