第六話 海の深いところみたいな

 地面に埋められて放置されていた朝ごはんが、ようやく出来上がったらしい。

 日の高さは朝食を通り越して昼にだいぶ近いような──こういうのって、ブランチとかって呼ぶんだったっけ。


 ウリングラスの人たちが、もうすっかり乾いた砂を掘り起こして、覆っている石をどかして、中から葉っぱの包みを取り出してゆく。包みは、一人に一つ。

 ダキオさんとウワドゥさんは、パンホブザを出して配り始めた。俺とシルはもらってばかりだ。




 膝に布を敷いて、熱々の葉っぱの包みをそこに乗せて開く。湯気が立ち上る。魚の脂のにおい、それにスパイシーなにおいが混ざっていて、胃がぎゅうっと動いた気がした。ふわふわとした湯気に包まれて、唾が溢れてくる。

 片手を広げたくらいの長さの細長い魚で、蒸し焼きだからか、ふんわりと火が通っていて柔らかそうだ。

 食器──箸だとかフォークだとかはなくて、どうやって食べるのかと思って周囲を見たら、ウリングラスの人たちは両手で魚の頭と尻尾を持って、かぶりついていた。

 シルの方を見ると、湯気の中に顔を突っ込んでそのにおいをかいで、そのあとに期待に満ちた目で俺を見た。

 周囲の人に倣って、俺も両手で魚を持ち上げて、そしてその背中にかぶりついた。


 見た目の通りのふんわりとした感触に歯が沈んでゆく。魚の身から水分が出てきて口の中に溢れて、顎を伝う。慌てて噛みちぎって、少し顎を持ち上げたけど、こぼれ落ちたものは戻らないままだ。

 はふはふと口の中で転がすと、身がふんわりとほぐれる。淡白な味に、塩気。香辛料のスパイシーなにおいもあって、生臭さは感じなかった。なによりも魚の旨味が美味しい。

 顎を拭こうかどうか少しだけ悩んで、両手で持っている魚からぽたりと雫が落ちるのを見て、我慢できずにそのまま二口目を食べる。じゅわっと溢れてくる。細かな骨があったけど、身を咥えて引っ張ると、すっと剥がれてくれた。


 俺が食べるのを見て、シルも魚を両手で持って大きくかぶりついた。噛み付いて、瞳孔がぶわっと広がったかと思うと、そのまま噛みちぎって大きく顎を上げる。そして、シルの細くて白い喉がごくりと動くのが見えた。そこを溢れた水分が伝い落ちる。

 シルは上を向いたまま、ほうっと息を吐いて、それからまた魚にかぶりつく。


 俺ももう一口噛みつきながら、こんなにお腹が空いてたのかと思った。果物なんかはちょこちょこと食べていたけど──でも、起き出してからこんなに待った。お腹が空いて当たり前だ。

 それに、昨日の夜だってデザートっぽいものしか食べてなかった。塩気のある魚が美味しく感じるのは、それのせいもあるかもしれない。

 とにかく、においに抗えない。


 そんなに大きくない魚とはいえ、あっという間に一匹食べてしまった。骨が綺麗に残る。

 一緒に葉っぱの中に入っていた野菜は、パンホブザで包んで食べた。柔らかく火が通って、魚の旨味が染み込んでいて、ほくほくしたり、しゃきしゃきしたり、とろりとしたり、いろんな食感があって美味しかった。

 シルは、パンホブザを千切って葉っぱの上に残った汁を吸わせて食べていた。それを見て、俺も真似をする。口に含むとぽたりと溢れてきて、噛めばじゅわっと旨味が広がる。美味しい。


 一通り食べて、はぁっと一息ついて、それからようやくハンカチを出して顎を拭いた。夢中で食べてしまった。

 指先も拭いてシルを見ると、シルも自分のポシェットからハンカチを出して手と顔を拭いているところだった。

 口の周りをごしごしと拭ってから、シルがこっちを見る。目が合って、二人で同時に笑ってしまった。朝ご飯があまりに美味しかったから。




 朝ご飯を食べ終えて、ウワドゥさんと一緒に森の中を散歩した。森の端っこに行って、また、あの島影を眺める。

 今日これからではなく、明日行くのだと思う、多分。

 通り抜ける湿った風の中に、風鈴のような音が響く。シルが森の木々を見上げて「あそこ」と指を差す。その先で、風に揺れた葉が青く光る。


「あれ、綺麗。欲しいな」


 シルの言葉に、木の上を見上げる。手に入れられるものなんだろうか。考えても答えは出ないので、ウワドゥさんに声をかける。

 実は、欲しいという言葉を知らない。これまで、いつも「買いたいヴォイロ・クィスタ」で代用してきたし、それで困っていなかった。だから、今回もその言葉を伝える。


買いたいヴォイロ・クィスタ……」


 そして、木の上を指差して、言葉が続かなくて止まってしまう。葉っぱをなんて言えば良いかわからない。しばらく考えて思い出した葉っぱヤップはルキエー語だった。

 気まずい沈黙のまま、木の上とウワドゥさんの間で視線を行き来させる。ウワドゥさんは、少しぽかんとしていたけど、すぐに笑い出した。


「マティワニ・か?

「マティワニ?」


 ウワドゥさんの言葉を繰り返して、でもそれが何かわからないので、俺はまた何も言えなかった。

 そんな俺を見て、ウワドゥさんは「待つリメネ」と言って、木の板の上から飛び降りた。海面の上と下をぐねぐねと行き来している根っこの上に降りて、しゃがみこむと、根っこの隙間──海の中に手を突っ込んだ。

 そして、引っ張り上げた手には、あの青く石のようになった葉っぱが握られていた。


 それを見たシルが、俺の手を引っ張った。


「ユーヤ、わたし、拾いたい!」

「え、ええっと……大丈夫なのかな……」


 ウワドゥさんに聞こうにも、なんて言って良いのかがわからない。ウワドゥさんの方を指差して俺の手を引っ張るシルを見て、それからウワドゥさんの方を見る。


「えっと……したいヴォイロ……」


 拾う、欲しい、掴む……どれも言葉が出てこない。俺が困っていると、ウワドゥさんはちょっと笑って、右手を頭の上まで持ち上げた。そして、手のひらをひょいひょいっと動かす。


来るダイ

「来いって、呼んでるみたい」


 俺がそう言うと、シルは瞬きをしてウワドゥさんの方を見た。ウワドゥさんは、上げていた右手を今度はシルの方に差し出して、もう一度「来るダイ」と言った。

 シルが俺を見上げる。俺が頷くと、シルは俺の手を離して、ウワドゥさんの手を取った。そのまま、ひょいと飛び降りてウワドゥさんの隣に立つ。

 ウワドゥさんが指を差す先をシルが覗き込む。身を屈めたせいで、シルの長い髪とスカートの裾が海面についてしまっている。その姿が危なっかしくて、はらはらする。

 それに──シルが俺以外の手を取ったのは、もしかしたら初めてのことじゃないだろうか。なんだかそわそわと落ち着かない気持ちで、狭い根っこの上で並ぶ二人の姿を見守る。


 シルがその白い手で、海の中から青い葉っぱを拾い上げた。肘よりさらに上までびしゃびしゃと濡れていて、肘から雫がぽたぽたと落ちる。シルはその濡れた葉っぱを濡れた両手で握り締めた。嬉しそうに目を細める。


「ユーヤ、見て! 拾った!」


 その狭い根っこの上をぴょんと跳ねるように移動して、シルは板の上に戻ってきた。そして、手の中の葉っぱをこっちに突き出して見せる。

 腕からも、袖からも、髪の毛の先からも、スカートからも、ぽたぽたと海水が落ちている。その姿を見て、なんだか気が抜けた気分になって、笑った。


 シルの手の上で、その葉っぱは、やっぱり海の深いところみたいな色合いをしていた。中心は青くて、ふちの方は少し紫がかっている。

 近くで見ると、葉っぱじゃなくて石とか鉱物に見える。硬くて、透き通っていて、光を通したり反射したりしている。けれど、その透き通った青い色の中に葉脈が見えて、確かに葉っぱなんだなと思う。


「うん、綺麗だね」


 俺がそう言えば、シルは満足そうな顔で頷いた。そして、その葉っぱを持ち上げて、木漏れ日に透かす。そうやって葉っぱを通って落ちてくる青い光を見ると、まるで水の中から水面を見上げているような気持ちになる。


「うん、すごく綺麗」


 掲げた葉っぱを見上げているシルの瞳孔が興奮に膨らんでいる。ウリングラスの海よりもずっと淡い色合いの瞳が、木漏れ日を受けてきらきらと輝いている。

 そうやって葉っぱを見上げていたシルの瞳が、急に俺の方に向いた。目が合って、俺は瞬きするしかできなかったけど、シルは嬉しそうに目を細めた。




『第九章 森に住む人』終わり

『第十章 海に住む人』へ続く

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