第四話 朝ご飯の準備
一人二人と起き出して、やがて雨脚も弱まる。どうやら日の出の頃だった。
ウリングラスの人たちは、雨がやむと、それぞれに
俺はシルを起こすと髪も梳かさずに、布を畳んでしまいこんで、まだ少しぼんやりしているシルを連れて、みんなを追いかけた。
森の木々の間を歩いてゆく。ウリングラスの人たちは裸足の人が多かったので、俺もシルもブーツを履くのはやめた。蒸し暑いし、水辺だしで、きっとブーツに向いてない。足を踏み出すと、木の板の、湿った感触が足の裏に伝わってくる。
木々の葉に溜まった雫がぽたりぽたりと落ちる。その小さな雫の一つ一つが、横から差し込んでくる柔らかな日の光を反射する。ただそれだけの風景なのに、その中にあの風鈴のような音が鳴り響いて、なんだかとても不思議に見えた。
森の木々のせいで海岸線は曖昧だけれど、ところどころに木がなくて根っこも届いていない砂浜があった。
砂浜では、火を熾している人たちがいた。湿った木を使っているせいか、ひどく煙たい。朝ご飯を作っているんだろうか。
そのにおいに反応してか、シルは歩きながら、そわそわと落ち着きなく辺りを見回している。寝起きのぼんやりしている様子はもうなくて、瞳孔も少し開き気味だ。
空いている砂浜を見付けると、ウリングラスの人たちは、雨が降ったばかりで濡れている砂を掘り始めた。砂は湿っていて重そうだ。
掘った穴の中に石を敷き詰めて、今度はその上で焚き火が始まった。木が湿っているせいで、白い煙が立ち上る。何か手伝うことがあるかとそわそわとしてしまったけど、ウワドゥさんに笑って「
待っている間に、明け方もらったトホグ・アスをシルに渡して、シルの髪を梳かして
シルは髪を結ばれながら、トホグ・アスの皮を噛みちぎった。今度は皮を飲み込まずに、きちんと吐き出す。そうやって出した中身を手のひらの上に乗っけて、シルはまたしばらくそれを眺めていた。朝日が射して、シルの手のひらの上できらきらと輝いている。
「ユーヤ、結ぶの終わった?」
「ん、ごめん、もうちょっと」
一つめの編み込みを終えて、もう一つ。
シルは少し顔を持ち上げて俺の方を見ると、トホグ・アスが乗っかった手のひらを持ち上げた。
「ユーヤ、食べて」
「シルは食べなくて良いの?」
「食べるよ。でも、ユーヤも食べて」
「えっと……」
手を止めて、結びかけの
「ありがとう」
戸惑いつつも、シルの手のひらに口を近づける。そこに乗っかった粒をそっと含む。俺の唇がシルの手のひらの皮膚に触れて、その少しひんやりとした体温を感じたとき、シルがくすぐったそうに目を細めるのが横目で見えて、なんだか急に気恥ずかしくなって、慌てて頭を上げた。
口の中でトホグ・アスの果肉が潰れて、甘酸っぱいにおいに舌がぎゅっと反応する。酸っぱさに耐えられなかった振りをして、一度ぎゅっと目を閉じた。
軽く頭を振って、シルにもう一度お礼を伝える。
「ありがとう、甘酸っぱくて美味しい」
できるだけ落ち着いて──落ち着いていられただろうか──編み込みに戻る。
「うん」
シルは目を細めたまま頷いて、それからまたトホグ・アスの中身を白い手のひらの上に出して、自分でも食べ始めた。
ウリングラスの朝ご飯は、どうやらとてものんびりしている。
焚き火の間に、気付けば人が増えている。その人たちは森の中──海の上に分け入って、しばらくしたら魚を獲って戻ってきた。それとは別の人が、大きな葉っぱを持って戻ってくる。誰かの持っている籠や壺からはいくつかの野菜のようなものが出てくる。
魚の腹を開いて、内臓を出して中を洗う。そこに、調味料か香辛料のようなものを擦り込む。その魚を大きな葉っぱに乗せて、野菜も乗せて、一緒に包む。
穴の底の石が焚き火で熱くなると、穴の外に焚き火の火を移し始めた。そして、その熱くなった石の上に、葉っぱの包みを並べる。水分が石に落ちると、じゅうっと音がする。葉っぱの包みを囲んで覆うように熱い石を動かして、その上から砂をかける。
どうやら、このまましばらく
待っている間に、暖かなお茶をもらった。アガと呼ぶらしい。
焚き火の火で煮出したその
一口含めば、香ばしい渋さと、少しの甘み。透明な茶色の色合いと味わいに、夏に飲む麦茶を思い出す。
シルは、俺が息を吹きかけているのを見て、真似して口を尖らせて息を吹く。お茶が飛び散って溢れるほどに波立つ。何度もそうやって吹いているうちに、やがてさざなみ程度の揺れになった。
何が面白いのか、シルは一口飲む度に、ふうっと息を吹いてお茶の表面を揺らした。
雨上がりの朝の涼しさはすでに温められていて、じっとりとした湿った空気に蒸し暑さを感じるようになっていた。そんな気温でも、熱い
それから、果物ももらった。親指と人差し指で作った丸くらいの、ころころとした黄色い実。ラーム、という名前だそうだ。
指先で薄い皮を摘んで剥いてかじると、バターのようなねっとりとした歯ごたえの後に、熟して濃厚な──どろりと感じるほどの甘さが流れ込んできた。
柔らかな身を噛み潰す度に、甘い。溢れた果汁が手をべたべたと濡らす。
シルはラームをかじると、嬉しそうに目を細めて、それから顎を持ち上げる。白い喉が動いて、するりと齧り取った果肉を飲み込んだみたいだった。
「飲み込みやすいし、喉を通るときに気持ち良い。これ好き」
シルはそう言って、また一口かじっては飲み込む。唇の端から果汁が溢れて、顎から喉へ伝い落ちる。
真ん中に大きな種が一つあって、食べ終わってしばらくの間、その種を口の中で舐めて転がすみたいだった。飴か何かのように。そして、しばらくすると吐き出す。
「中に硬い種があるけど、それは吐き出すみたい」
なんだかいつもこんなことばかり言っているような気がしてきた。シルはちょっと首を傾けたものの、素直に頷いた。頷いたんだから、きっとわかったはず。
手元に残った種を口に入れる。種の周りに残っていた果肉は、ぐずぐずに柔らかくて、少しだけ青くさいようなえぐみがあって、でも皮に近い部分よりもさらに甘い。
最後にこの甘さを楽しむのかと思いながら、口の中で種を転がしてしゃぶった。
そして朝ご飯は、まだできない。日が昇ってから、もうだいぶ経つと思うんだけど。
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