第三話 魚の石焼きと貝柱
焚き火の脇に石が積まれ、上に平べったい石が乗っかる。そのまま焚き火の火で、石を熱している。
なんだろうと思ったら、獲ってきた魚を捌いて、切り身を串に刺して、その石の上に乗っけて焼き始めた。焚き火の煙に混じって、魚の焼けるにおいが辺りに漂う。
石を使って調理することは「
魚全般は「ニジュルネ」で、今切り身にされて石の上で水分を吐き出しながら焼かれている魚は「ドゥールッシュ」という名前だ。
塩を振りかけて、塩以外の何か──細かくしたハーブのようなものだろうか──も振りかけて、焼いている。
魚の焼けるにおいに、シルはそわそわとしている。
そうやって魚が焼けるのを待っていたら、貝殻を渡された。
ラーロウが何かを受け答えして、その貝殻を受け取る。そして、それを俺とシルの前に突き出してきた。
「
貝殻の内側は、つやつやとした虹色の光沢をしていた。その貝殻を皿のようにして、上にホタテの刺身のようなものが乗っていた。貝柱だ。ホタテよりも小振りに見えるけど、切ってあるからそう見えるだけかもしれない。
「ボッカーヤ……
俺の疑問に、ラーロウはちょっと考えて、貝殻を持っている右手はそのままに、左手でその貝殻を指差した。
「ボックニィズ」
それから、貝殻の上の貝柱を指差す。
「ボッカーヤ」
そして、今度は手のひらを広げて、持っている貝を覆うように動かす。
「ボック」
ボックニィズ、ボッカーヤ、ボック。貝殻、貝柱……じゃあ、ボックは貝そのものだろうか。
オージャ語にも貝柱に相当する言葉があるのかもしれないけど、俺は知らない。貝は
だから、ボックも
それぞれに言葉があるのは考えたら当たり前か。
「
ラーロウに声をかけられたけれど、これは手で摘んで食べるものだろうかと考えて、ぼんやりしてしまった。
ラーロウは、「
俺たちに舌を見せた後は、その舌で自分の指先を舐めた。
「ダイジョウブ・
俺とシルが食べ物を前に戸惑うと、ラーロウは毎回必ずこれをしてくれる。安全だ、食べられるものだ、ということが言いたいのだろうな、と思う。
ラーロウの案内を疑っているワケではないのだけれど、と思いつつ、いつもラーロウも美味しそうに食べているから、そのままにしている。
俺も、貝柱を一切れ摘んで持ち上げる。弾力があって、ツヤツヤしていて、持ち上げるとふるりと揺れる。
「いただきます」
口に入れて噛めば、こりこりとした歯ごたえがあって、それからぶわっと甘さ──甘いというか、これは旨みかもしれない──が口いっぱいに広がった。
生臭さがほとんどなくて、歯ごたえが気持ちよくて旨い。しっかりした歯ごたえがあるのに、噛むと舌の上ででとろりと蕩けていくような気がする。
とても美味しいのになんとなく物足りなく感じて、なんだろうなと思いながら飲み込んだ。
俺が口に入れて食べたのを見て、シルも一切れ摘んで口に入れた。
しばらく真剣な顔でもぐもぐと口を動かして、顎を持ち上げて飲み込む。そうしたら急に、はっと何かに気付いた顔になった。
「もう一個、食べても良い?」
シルの言葉に貝殻の上を見る。残りは三切れ、あと一人一切れは食べられる。
「うん、俺も食べる」
そう言って、俺は貝柱を一つ摘み上げる。シルも同じように一切れ摘み上げた。
俺はラーロウを見て、言葉を絞り出す。
「ラーロウ、ええっと……
ラーロウはいつものように笑って、それから残りの一切れを摘まみ上げた。
俺は口に入れてよく噛んで、歯ごたえと濃い旨みを存分に堪能した。
シルは顎を大きく持ち上げて、喉を大きく反らした。そして、上に向けた口を開くと、舌を伸ばし、そこを目掛けて摘み上げた貝柱を落とす。
その姿勢のまま、噛まずに飲み込んだみたいだった。喉が上下に動く。
上を見上げたまま、シルがほうっと息を吐いて、それから顎を下げて俺の方を見た。
「大きいまま喉を通るの、気持ち良い」
シルはたまに、野性味溢れる食べ方をする。可憐な見た目に似合わず。
思い返せば、普段も飲み込む時に顎が上がり気味で──考えたら、普段からあまり行儀の良い食べ方をしていないのかもしれない。
この世界で行儀というものがどうなのかはわからないけれど、少なくともラーロウは、最初にその姿を見たときに若干戸惑っていた様子だった。
今は気にしていないみたいだけど。多分、ここまでの道中で慣れたんだと思う。
俺は──まあ、良いかと思っている。
シルは最初だけ少し様子を見ることもあるけれど、食べるとなると割となんでも食べる。そして食べると大抵のものは喜ぶ。喜んで、美味しそうに食べる。
だったら、それで良いかって気がしている。
それに、俺の知っている行儀の良い動作なんて、今この世界でどのくらい意味があるのかもわからないし。
とはいえ自分が丸呑みをしたら喉に詰まらせそうだ。
そんなことを思いながら貝柱を噛んでいたら、不意に醤油の味を思い出して、物足りなさの正体はこれかと気付いた。
気付いたけれど、さっき感じていた物足りなさは今はもうだいぶ薄れてしまっていた。醤油がなくても、旨みだけでもじゅうぶん美味しいな、なんて思ったりもした。
創作物でたまに見るような、「醤油が恋しくて仕方ない」というほどの気持ちにはならなかった。そのうち、そんな気持ちになったりするのだろうか。それとも、醤油の味も忘れてしまうのだろうか。
次には焼けた魚の切り身を渡される。
串に刺さったまま、香ばしく焼けた切り身をふうふうと吹いて、それからかぶりつく。ぱりっと焼けた表面を歯で噛みちぎると、中の身はふんわりと柔らかい。
臭みも癖もなく、舌が塩気を感じた後に、身がぽろぽろとほぐれて旨みが広がる。舌に爽やかな酸味が残って鼻に抜けるのは、味付けに使われていたハーブのようなものの味だろうか。
シルは、焼きたての熱い身を口に入れて、口を半開きにしたまま顎を上げて、はふはふとしていた。
「大丈夫?」
そう声を掛けている間に、ごくりと飲み込んで飲み込んだものを追いかけるようにお腹に手を当てた。
「うん、大丈夫。美味しい」
「あ、串……刺してある棒は食べないからね」
以前、シルが串ごと食べようとして、慌てて止めたことがあったと思い出した。
あの時は金属の串だったから実際に噛みちぎって飲み込むには至らなかったけれど、細い木の串だと危ないかもしれない、という気がした。
シルは、ちょっと目を見開いて、食べる手を止めて俺を見た。それから、手元の魚をじっと見て、両手で串を持ってくるりと回す。
それからまた俺を見て、力強く頷いた。
「大丈夫、覚えてるよ。串は食器と同じだから食べないんだよね」
その表情は、なんならちょっと自慢げでもあった。ひょっとして、俺が今止めなかったら、危なかったんじゃないだろうか。
機嫌良く魚を食べているシルを見ながら、俺が気を付けないといけないな、という思いを強くする。
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